2014年9月3日水曜日

古きバクタからの貴重な話 - 我々はバガヴァーンをハートに携えている

◇「山の道(Mountain Path)」、1979年4月 p114~115

サット・サンガの喜び

エブリン・カセロウ

 サット・サンガは、ムムクシュの精神的進歩のために欠かせません。ジャパが心を清め、心を自らの光を反射するのにふさわしくするように、志を同じくする成熟した信奉者たちとの交際は、探求者が内にある真理に注意を集中するのを手助けします。

 師と行動を共にし、彼に仕えた、シュリー・バガヴァーンの古くからの信奉者たちは、師と我々新来者の間の決定的に重要なつながりを喜んで提供します。そのような年長のラマナ‐バクタたちとの交際において、我々の心は献身によって和らぎ、我々の狭量な自我は安らぎとしての彼の存在の体験の中に溶け込みます。

 年長のバクタたちは、安らぎと静けさを放つだけではなく、我々の心の目の前にシュリー・バガヴァーンの時代に起こった出来事をもたらします。私が1979年の2月・3月に師の住まいに滞在していた間に、シュリー・クンジュ・スワーミーから聞いた思い出の少しを読者と共有できることをうれしく思います。

Ⅰ.

 南インドでは、サードゥやマト(僧院)の一員は、「これ」や「それ」といった中性や第三人称で自分自身を指して言う習慣がありました(「これは寺院に行った」)。バガヴァーンと彼の信奉者たちは、一般的な慣習に従い、「私」しか使いません。クンジュ・スワーミーがマトを訪問していた時、サードゥの一人が彼が「私」という言葉を使うことに驚きを表わしました。クンジュ・スワーミーはその時、返答できませんでした。いくらか後、彼はシュリー・バガヴァーンのもとへ行き、起こったことを報告しました。

 これを聞くとすぐに、シュリー・バガヴァーンは言いました。「どうして、どこに困難がありますか。あなたはその『私』は大きな『私』(つまり、自ら)だけを指していると答えればよかったのです。全てはそれでしかありません。全ての人が自分自身を指して『私」と言うことを好みます。『私』は、神の最初の名です。『これ』や『それ』、中性の全ては、体だけに言及していますが、『私』は本当の我々である自らに言及しています」。

Ⅱ.

 ニューヨークとノヴァスコシア州の我々アルナーチャラ・アーシュラマの会員は、シュリー・バガヴァーンの恩寵によって、「ラリター・サハスラーナム」とバガヴァーンの「ウパデーシャ・サーラム」をサンスクリット語で、「アクシャラ・マナ・マーライ」をタミル語で暗記し、毎日歌っていました。我々が山を巡る時、私は他の信奉者たちと一緒に「アクシャラ・マナ・マーライ」(タミル語)と「ウパデーシャ・サーラム」(サンスクリット語)を歌うことに加わりましたが、私の発音には間違いがあったかもしれません。

 私がアーシュラムを離れる前の最後の日、クンジュ・スワーミーは親切にも私とガネーサンと共に山を登り、彼の思い出を詳しく話してくれました。その時、彼は「ウパデーシャ・サーラム」を彼のために数詩節歌うよう私に頼みました。不完全な発音のために、私が躊躇した様子を示した時、彼は、(マラヤーリ人である)彼がバガヴァーンのタミル語とサンスクリット語の詩節を唱えるのを躊躇した時に、バガヴァーン自身が彼に語った物語を私に話しました。

 「シュリー・クリシュナの有名な寺院、グルヴァユール(*1)にプーンタナム・ナンボーディリという名の偉大な信奉者がいました。彼の主への献身は全面的なものであり、強烈なものでした。すべての人が彼を真理を悟った聖者として尊敬しました。プーンタナムは他者から何も求めず、いつも寺院の隅で主を賛美して詩節を歌っていました。その聖なる都市に、(後に「ナーラーヤネーヤム」という偉大なサンスクリット語の詩を記した)ナーラーヤナ・バッタティリという人がやって来ました。このナーラーヤナ・バッタティリは優れた学者であり、人々は彼を大いに称賛していました。彼はグルヴァユール寺院の周りに連れ行かれました。隅っこで、いつものように、プーンタナムは彼の祈りを唱えていました。プーンタナムの独唱を聞いたバッタティリは声に出して、「あなたは彼を聖者と呼ぶのですか。彼は詩節を正しく唱えることさえできません。彼を真理を悟った人と呼ぶあなたを恥ずかしく思います」と述べました。

 「これを耳にするとすぐ、プーンタナムはとても気落ちして、主に苦悶して呼びかけました。『おお、主よ。私は詩節を誤って唱えてきました。どうして私を正して、この当てこすりから私を救ってくれなかったのですか』。そのように言いながら、彼は断食によって体を捨て去ろうと思いました。

 「その夜、ナーラーヤナ・バッタティリは夢を見ました。そこに主が現れ、『プーンタナムは私の偉大な信奉者です。あなたは学者でしかありません。私はあなたのヴィバクティ(文法上正しい語形変化)より彼のバクティを好ましく思います。さらに、プーンタナムが歌っていたことは正しくもあったのです。「アマラプラボー」は私を「天人の主」として認め、「マラプラボー」は私を「植物界の主」として認めます(*2)。それのどこがいけませんか。私は全創造物の主ではありませんか。ですから、プーンタナムのもとへ行き、謝りなさい』と言いました。学者、ナーラーヤナ・バッタティリは、今や、無知と知識を共に超えるプーンタナムの純粋な献身を悟りました。」

 クンジュ・スワーミーは決してタミル語とサンスクリット語の詩節を唱えるのを恥ずかしく感じませんでした。私は勇気づけられ、ウパデーシャ・サーラムから数詩節を唱え、クンジュ・スワーミーはそれを傾聴し、味わいました。

***

 私はアルナーチャラを去り、ヴィシュワナータ・スワーミーのような他の偉大な人物と別れることをとても悲しく思いました。

 シュリー・クンジュ・スワーミーは即座に言いました。「あなたはシュリー・バガヴァーンをあなたのハートに持っています。彼はいつもそこで輝いています。ここに住む我々は彼の蓮華の御足についた『塵(ちり)』に過ぎません。あなたは彼をあなたのハートの中に携えているのだから、我々もまたあなたのハートに住んでいます。彼の御足についた『塵』としてでしかありませんが!」。

シュリー・ヴィシュヌ・サハスラーナマ、19詩節目に「amara prabhu」が出てきます

(*1)http://en.wikipedia.org/wiki/Guruvayur_Temple
(*2)シュリー・プーンタナムが歌っていたのは、「シュリー・ヴィシュヌ・サハスラーナマ」であり、「アマラプラボー」を「マラプラボー」と歌っていました。

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