2018年11月16日金曜日

バガヴァーンとの日々② - 45年6月5日から45年9月18日まで

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』、p9~20

バガヴァーンとの日々

A.デーヴァラージャ・ムダリアールの日記から

45年6月5日

 私、ハリンドラナース・チャットパディヤイ、G.V.スッブラマイヤ、T.P.ラーマチャンドラ・アイヤルは、講堂で、バガヴァーンの真正面の最前列に座っていました。G.V.S.がH.C.に言いました、「私は最近、オウロビンドー・アーシュラムで作られたあなたのいくつかの詩節のタイプで打たれた写しをふと見つけました。その余白には、いくつかの詩節を高く称賛したシュリー・オウロビンドーの覚え書きがありました」。それに関して、H.C.はバガヴァーンに言いました、「私は2年間オウロビンドーのアーシュラムに滞在し、4000ほどの14行詩と50000行の詩に加えて他の詩を作りました」。以前、H.C.がオウロビンドーのアーシュラムに2年間いたということは、バガヴァーンにとって初耳だったようでしたが、我々の何人かにとってはそうではありませんでした。これはバガヴァーンへのH.C.の3回目の訪問でした。H.C.は、その後、彼の最初期の詩の中の2編を朗読してくれました。その中の1編は、ポンディシェリで作られました。それらは以下に示されます。バガヴァーンは、その朗読を楽しみました。(H.C.についてのyoutube動画 )

土で作られたゴブレット
(詩人とゴブレットの会話)

「おお、頭からかかとまで赤い、沈黙したゴブレットよ!
陶工があなたを世に出す前
陶工のろくろの上で
あなたがくるくる回されているとき
あなたはどのように感じたのか」
私は私の粘土の中に意識的な衝動を感じた
とても暖かくほてった
偉大なる陶工の手から
逃げ出そうという(衝動を)。
私は感じた
莫大な悲しみの感情が
私の現在の形へと
形作られるのを。
陶工のろくろの上で私が囚われ
この深紅のゴブレット-眠りへと形作られるのを目にした
かの宿命の時以前
私は感じていた
その根を私の胸の中深くに埋め込ませた
小さな花の香り高い友情を。
陶工は私から生き生きとした命を引き抜き
私の死である形を私に与えた。
ただ一本の花だけが私の胸を貫いて照り輝く
私の過去の不格好な自然な状態は最良だった。

粘土の水差し

道沿いの陶工の店の外で
辛抱強く列をなし、我々、粘土の水差しは立つ-
赤褐色に濁った黄金の空の下
売られるのを今か今かと待っている。

我々は言葉を持たないが、それでも我々は感じる
ひびはなくとも、我々の存在の法則に反するものを
形作るために、我々を型にはめた
陶工のろくろへの恨みを。

水差しはなるほど美しいが、それでも
美からさえも、我々は皆解放されるだろう
そして、大地へと滑り落ち、逃げ道を確保するだろう
形なる魅惑の圧制からの(逃げ道を)。

我々水差しの中には、存在することに飽き
陶工の店で落下し、粉々に割れるものもある。
哀れな物たち!土の器の青ざめた疲労に対して
陶工が何を気にかけようか。

形作る者、形作られる物

過ぎ去りし日、私は陶工だった
その指で従順な粘土を
ろくろの上で型へと流し込んだ。
しかし、今や、のちに勝ち得た知恵を通じて
その驕りは衰え
私は陶工であることをやめ
粘土になることを覚えた。

他日、私は詩人だった
人々の心を勝ち得るために
そのペンから無数の歌がもたらされた。
しかし、今や、私が長い間知らないでいた
新たに得た知識を通じて、
私は詩人であることをやめ
歌になることを覚えた。

私は剣の製作者だった、
今や過ぎ去りし日
百の戦場で
輝き、きらめき、光を放った。
しかし、今や、私は満ち溢れている
主の沈黙によって。
私は剣の作り手であることをやめ
剣になることを覚えた。

過ぎ去りし日、私は夢見る者だった
四方八方にエメラルドと真珠の
傲慢な言動を投げつけた。
しかし、今や、私はひざまずいている
至高者の足元に。
私は夢見る者であることをやめ
夢になることを覚えた。

 この後、私は、仕事の重圧でうめき苦しむ港湾労働者が抑えきれずに不満をぶちまける、彼の戯曲からの一節をバガヴァーンの前で朗読するよう(もしくは、むしろ、舞台上でのように演じるよう)H.C.に頼みました。H.C.はそのようにして、良い朗読がどれほど感動的になりうるのか皆が見て知りました。少し後、H.C.はバガヴァーンに尋ねました、「バガヴァーン、我々が時々、バガヴァーンの面前で涙に咽ぶように感じるのは、どうしてでしょうか」。バガヴァーンは微笑み、黙っていました。私は言いました、「そのように涙があふれ出すなら、それは良いことです。バガヴァーンに関してさえ、彼がここに来る前に、マドゥラの寺院の中の聖像の前に行き、立っていた時、何の喜びや苦しみの結果としてでもなく、純粋にバクティから、思わず涙が彼の目からよく流れ出たと記録されています」。バガヴァーンは、それに関して、親切にも付け加えて言いました、「ここに来た後さえ、そのようなことは起こりました。本から感動的な文章を読んだり、聞いたりした時でさえ、そのようなことは起こりました。どうやら感情的な涙の蓄えが我々のとても多くの中に潜んでいて、どんな都合の良い時にでも、もしくは、ほんのちょっとした事で、我々にはどうすこともできずに涙が湧き出すようです」。その後、バガヴァーンは、彼が22歳ぐらいで、ヴィルーパークシ洞窟に住んでいた時に起った出来事を、いつものごとく、とてもドラマチックに物語りました。彼は洞窟の近くの岩の上に座っていたようで、8歳か10歳ごろの少年がそこに来て、バガヴァーンを見ました。そのように若く元気な人が厳しい苦行の生活をしている光景に耐えることができず、とても心を痛め、彼は泣きじゃくり始め、しばらくの間、激しく泣きじゃくりました。バガヴァーンは言いました、「ただ私を見ただけで、彼が泣きじゃくる理由は何だったのか、なぜ涙が彼から流れ出たのか誰に分かるでしょうか」。その日の内に、バガヴァーンは引き続き昔を懐かしみ、またも8歳か10歳ごろの別の少年が、ヴィルーパークシ洞窟時代の別の日にバガヴァーンに会い、バガヴァーンをたいそう気の毒に思い、彼らの間で以下のような会話がなされたと言い足しました。バガヴァーンは洞窟近くの岩の上に一人っきりで座っていて、そこにその少年がやってきて、彼と出会いました。

 少年: そんな風に、どうしてここに一人っきりでいるんですか?

 バガヴァーン: 家で困ったことがあって、それで、こんな風に出て来たんです。

 少年: じゃあ、食べ物はどうですか。

 バガヴァーン: 誰かが私に何か食べるものをくれるなら食べます。

 少年: 僕には良い主人がいます。僕があなたを彼の所へ連れて行きます。最初、あなたは無料で奉公を申し出ないといけないかもしれません。彼があなたの仕事ぶりを認めるなら、彼はあなたに1日に3枚のパイをくれて、だんだんそれを6枚などにまで増やすでしょう。

 バガヴァーン: ええ、お願いします。

 バガヴァーンは言い足しました、「その少年が、彼が惨めな状態だとみなしたことを大変に心配していたこと、彼が純粋な大きな哀れみによって心動かされていたことに疑いはありませんでした」。

 バガヴァーンはまた、ハリジャンの老女の出来事を思い出しました。正午ごろのある日、彼が山を下って、うっそうとしたこぼこ道をぶらぶら歩いていると、彼女はバガヴァーンを呼び止め、言いました、「タミル語」。(「あなたに災いあれ!どうして一つの場所でおとなしくしていられないのか。」)

 バガヴァーンは、「ええ、これは良い助言です」と言い、そしてまた、当時その女性が教えたことを知らなかったことへの罰であるかのように、自分の頬をぴしゃりと打ちました。

 上述の出来事を話しながら、バガヴァーンは、最初その老女が彼をののしり始めたとき、彼はどうして自分がそれに値するのか理解できず、自分が何か無礼をその女性に働いたのかと唖然としたと言いました。

 これはT.S.ラージャゴーパラルに、バーラティと呼ばれるテルグ語の雑誌の中のミス・スーリーという人による文章を思い出させました。それをよく知らないハリンドラナース・チャットパディヤイと他の人々のために、バガヴァーンは再びその出来事を話し、我々全員を楽しませました。

 バガヴァーンは言いました、「ある日、マウニがタパル(郵便物)をいつものように持ってきました。私は新聞と雑誌を長椅子に置いて、手紙を見ていました。タパルを私に見せて、読んでから返すと言い、その号のバーラティを持って、マウニは講堂を離れました。少し後、彼は戻ってきて、その雑誌を長椅子の上に置いて、出て行こうとしていました。扉近くにいるとき、彼は突然言いました、「バガヴァーンは何という泥棒なのか!」。そして、私が彼にどうしてそう言ったのか尋ねる前に、彼はいなくなっていました。そのようにマウニに非難させるなんて、私は何をしたのだろうと私は不思議に思っていました。それはなんだか私の心に引っかかりました。バーラティの中の文章を読み、『おぉ、バガヴァーンは何という泥棒なのか』という、その一番最後の文まで来て初めて、私はその冗談の意味を理解できました」。

45年8月23日 午前10時

 8か月ほどここに滞在している、カラチ出身のクンダルラル・マハタニ氏が、全ての本がグルからのウパデーシャの助け以外、誰によっても何一つ達成しえないと強調していると、そして、彼は自らの探求のために、神が「私」として実現されうる心の静寂を得るためにバガヴァーンによって与えられた全ての指示を読んだが、彼個人にとって最良の方法は何かいまだに分からないと主張して、バガヴァーンに直接のウパデーシャを求めました。彼がそのようにお願いしたのは初めてのことではありませんでした。少なくとも以前に2回、一度目は6月で再び7月にも、彼はそうしていました。その時も今も、バガヴァーンは返答しませんでした。その紳士は非常に気落ちし、自分には答えを受け取る資格がないのか、自分が何か過ちを犯し、そのためにバガヴァーンが快く返答しないのか心配しました。

 その日のうちの午後、バガヴァーンは何か他の事柄に関連して、あるタミル語の詩に言及しました。その翻訳を見るために、45年8月24日に、マハタニ氏は私のノートを借りました。必要な教えを間接的に受け取ることは信奉者によくあることで、マハタニ氏はノートの中に彼に適した教えを見つけました。さらに、45年8月25日の午後2時ごろ、彼が昼寝をしているとき、彼は夢の中でヴィジョンを見ました。夢の中でバガヴァーンが現れ、サンスクリット語のスローカを引用し、それは「自らの探求よりも良いカルマやバクティは存在しない」という意味だと説明しました。彼は大いに喜び、その後、同じ夢の中で、別の信奉者がバガヴァーンに同じ質問をして、マハタニは彼に上述の答えを繰り返し、思う存分笑いました。25日にマハタニによって、このことはバガヴァーンに報告されました。

45年9月8日 午前

 ベズワーダ出身のスッバ・ラオ氏がバガヴァーンに尋ねました、「想像とヴィジョンの間の違いは何ですか」。

 バガヴァーン: 一方は自発的で、他方はそうではありません。しかし、究極的な分析においては、直近の現在ではありませんが、ヴィジョンでさえ自発的な領域に起源を持っていたはずです。

 スッバ・ラオ: 夢がそこに起源を持つようにですか。

 B: ええ。

 別の訪問者: 眠りの間の夢と同様に、我々の目覚めている生活もまた夢であると言われています。しかし、夢の中で、我々は夢を取り除き、目覚めようと意識的な努力をしませんが、夢それ自体は我々の側の何らの努力もなく終わりを迎えます。同様に、実際はもう一つの夢のようなものでしかない目覚めの状態が、どうしてひとりでに、我々の側の何らの努力もなく、終わりを迎え、我々にジニャーナ、真の目覚めを得させてはいけないのですか。

 B: あなたが目覚めの状態という、この夢を取り除こうと努力をしなければならないと考えること、そして、あなたがジニャーナ、真の目覚めを得ようと努力をすることは、全てその夢の一部です。あなたがジニャーナを得るとき、眠りの間の夢もなく、目覚めの状態もなく、ただあなた自身とあなたの真の境地だけがあることを知るでしょう。

 私はバガヴァーンに迫りました、「しかし、その質問への答えはどうですか。夢が消え失せ、我々を目覚めさせておくように、どうして目覚めの状態も、我々の側の何らの努力もなく夢のように過ぎ、我々にジニャーナを得させてはいけないのですか」。

 B: 夢がひとりでに消え失せると誰が言えますか。一般的に考えられるように、我々の過去の思い、または、カルマの結果、夢がやって来たのなら、おそらく同じカルマが、夢がどれほど続くべきか、その後どのように夢が終わるべきかも決めます。

 私はまだ満足していませんでした。そして、バガヴァーンとのさらなる会話の結果、目覚めの状態は、夢のようなものではあるが、次のことで眠りの間の夢と明確に異なると感じました。つまり、夢の間、それが夢であると決して我々の頭に浮かびませんが、目覚めの状態では本やグルから、何らかの現象から、それが結局夢でしかないかもしれないと主張し、理解することができます。このことから、ジニャーナに目覚めようと努力することが我々の義務であるのかもしれません。バガヴァーンが言うには、我々は目覚めるまで夢を夢と思いません;夢が続く間、夢はとても現実的に見えます;同様に、我々がジニャーナに目覚めるまで、この目覚めの状態は夢のように見えないでしょう。それでも、夢と目覚めの状態の間の上述の相違のために、我々の努力が要求されると私には思われます。

45年9月14日

 3日か4日前、引退した副裁判官、デーサーイ氏が、(ラマナ・ギーターの中に書いてあることに関して)バガヴァーンに尋ねました、「ラマナ・ギーターの中で述べられているように、我々がチッタ‐ジャーダ・グランティの切断を達成できるためには、どのようにプラーナ、つまり、命の流れをスシュムナー・ナーディーへと向けるのでしょうか」。バガヴァーンは言いました、「『私は誰か』探求することによって」。

 「ヨーギは、クンダリニーを目覚めさせ、それをスシュムナーに送り込むことを確かに目指しているかもしれません。ジニャーニは、それを目的としていないかもしれません。しかし、両者は同じ結果、生命の力をスシュムナーに送り込み、チッタ‐ジャーダ・グランティを切断することを達成します。クンダリニーは、アートマや自らやシャクティの別名でしかありません。我々は自分自身がこの体によって制限されていると思っているため、それが体の内側にあるものとして話します。しかし、それは実際、内部にも外部にもあり、自ら、もしくは、自らのシャクティに他なりません」。

 デーサーイ: クンダリニーがスシュムナーに上がるために、どのようにナーディーをわき立たせればいいのでしょうか。

 バガヴァーン: ヨーギは、その目的のために呼吸の制御、プラーナーヤーマやムドラーなどの方法を持ちますが、ジニャーニの方法は探求のそれだけです。この方法によって心が自らに溶け込むとき、自ら、そのシャクティ、または、クンダリニーは自動的に昇ります。

 次の日、ガーヤトリーの中のディーマヒーという言葉に関連して、訪問者がバガヴァーンに尋ねました、「その考えはどういう意味ですか。私は正しくそれを理解できません」。

 B: その言葉は、アハムを自らの中に据えるということを意味するだけですが、文字通りは「我々は瞑想する」という意味です。

 訪問者: 私は「タット」や「自ら」を思い描くことができません。では、どのように私はアハムをタットに据えるべきなのでしょうか。

 B: どうしてわざわざ、あなたが知らないタットを想像しなければならないのですか。あなたが知っている「私」を見出そうとしなさい-それは何か、どこから生じるのか。それで十分です。

45年9月16日 午後

 訪問者が尋ねました、「全くの初心者である者は、この(つまり、霊的な)道において何をすべきでしょうか」。

 バガヴァーン: あなたがこの質問をしたという事実こそが、あなたは何をすべきか知っているということを示しています。あなたは安らぎの不足を感じているため、安らぎを手に入れるための手段を講じたいと切望しています。私は足に少し痛みがあるため、(今)この軟膏を塗っています。

 訪問者: 安らぎを手に入れるために採用すべき方法とは何でしょうか。

 B: 目的地とそれへの道があるという考えは間違いです。我々は常に目的地、つまり、安らぎです。我々が安らぎでないという概念を取り除くことが、必要とされる全てです。

 V: 全ての本に、グルの導きが必要であると書かれています。

 B: グルは、今私が言っていることしか言わないでしょう。彼はあなたに、あなたがすでに持っていないものを何一つ与えないでしょう。誰にとっても、すでに得ていないものを得ることは不可能です。何かそのようなものを得るにしても、それがやって来たように去るでしょう。やって来るものは去りもするでしょう。常にあるものだけが後に残るでしょう。グルはあなたに、あなたがすでに得ていない新たなものを何一つ与えられません。我々が自らを実現していないという概念の除去が、必要とされる全てです。我々は常に自らです。ただ、それを悟っていないだけです。

 アーシュラマムの調剤師が、瞑想中の彼の体験についていくつか質問しました。バガヴァーンは、自らはいつも存在する唯一の現実であり、その光によって他の一切のものが見られると説明しました。我々はそれを忘れ、見せかけに集中しています。人々がそこにいるときも、いない時も、劇場で人々が何かを演じているときも、何も演じられていない時も、ホールの光はともっています。ホール、その人々、その演技を我々が見えるようにするのは、その光です。我々はその光によって現される対象物、もしくは、見せかけにとても夢中になっているため、その光に注意を払いません。物事が現れる目覚めの状態または夢の状態において、我々が何も見ない眠りの状態において、ホールのランプが常にともっているように、自ら、または、意識の光はいつもあります。なすべきことは、見られる物でなく、見る者に、対象物でなく、それらを現わすに集中することです。

45年9月18日 午後

 ベンガル人の一行が来ました。彼らの一人は、最近子供を亡くしました。彼はバガヴァーンに質問しました、「どうしてその子はそんなに若くして亡くなったのでしょうか。我々がこのように嘆き悲しまなければならないのは、彼のカルマでしょうか、それとも、我々のカルマでしょうか。

 バガヴァーン: その子が今世で使い果たさなければならなかったプラーラブダが終わり、そのため、その子は亡くなりました。そのため、我々はそれを子供のカルマと呼べるかもしれません。あなたに関する限りは、その子はあなたのものではなく、常に神だけのものであり、神が与え、神が連れ行くのだと確信し、それについて嘆き悲しまず、穏やかに、それに動じずにいることは、あなたに開かれています。

 そして、これに関連して、バガヴァーンは英語のヨーガ・ヴァーシシュタを持ち出し、プニャとパーヴァナの物語に言及しました。奇妙なことに、彼が何気なくその本を開くとき、彼の頭にある物語(のページ)で本が本当に開きます。そして、その本から、彼は私にその部分を読み上げるよう頼みました。そこで、プニャは彼の弟のパーヴァナに彼らの両親の死を愚かしく嘆き悲しまないよう助言し、パーヴァナが過去に無数の生まれを持ち、そのそれぞれで彼が多くの親族を持っていたこと、そして、彼が今、その親族全員の死を嘆いていないのとまさしく同様に、今、彼らの父の死もまた嘆くべきでないと指摘しました。

 その訪問者は尋ねました、「ある人がまだ子供のうちに亡くなり、別の人が長生きする時、そのどちらがより罪深いでしょうか」。

 B: 私には分かりません。

 私はその訪問者に、彼が与えた情報それだけでは、どちらがより罪深いのか誰にも判断できないと言いました。

 訪問者: ある人が長生きするなら、彼は実現に達するための手段を完成させるより多くの機会を得ます。

 B: 若くして亡くなるその人はすぐに生まれ変わり、その人生において、今世で長く生きる別の人より、実現に向けて努力するより良い機会を得るかもしれません。

 ある訪問者が尋ねました、「我々は一切の活動を放棄しなければならないと言われるとき、それは我々の活動をできる限り減らすべきであるという意味でしょうか」。

 B: 活動を放棄するとは、活動やその結果についての愛着を放棄すること、「私は行為者である」という概念を放棄することを意味します。この体が経験するためにやって来た活動は、経験されなければならないでしょう。人が何を好んでも、好まなくても、そのような活動を放棄することはありえません。

2018年11月9日金曜日

バガヴァーンとの日々① - 前書き、45年3月16日から45年3月31日まで

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』、前書き~p9

バガヴァーンとの日々

A.デーヴァラージャ・ムダリアールの日記から

前書き

 この作品の由来に関する話は、場違いではないかもしれません。1942年8月から1946年末までの4年以上、シュリー・ラマナーシュラマムで暮らし、我々のバガヴァーンと日々触れ合うことの計り知れない恩恵を得ることは、私にとって大変な幸運でした。数か月間そこにいた後、アーシュラマムを訪れた様々な人々が、訪問者からの質問への答えであれ、他のどのような文脈であれ、霊的な話題に関するバガヴァーンの発言を私が記録してくれるとありがたいと提案し始めました。しかしながら、長い間、私は面倒くさがってその努力をしませんでした。それにもかかわらず、私が時折読んでいた、「シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの福音」を読むときはいつでも、我々のバガヴァーンの場合にも同様の本が編纂されるならなんと望ましいことか、と私は思いました。私が数年間そのように漫然と過ごしていた時、1945年1月1日の朝、1時間ほどの間に、異なる3人の人-アーシュラムで奉仕を行っているシャンカラ・アンマルの息子である、弁護士の事務員、チットゥールで少年時代から私が知っていたM.V.P.シャーストリという名前のマドラスのビジネスマン、のちにマドラスの首席大臣になったO.P.ラーマスワーミー・レッディ-全員がその仕事に着手するようしきりに私に勧めました。彼らの親切な意見では、バガヴァーンと常に親密に触れ合うという無くてはならない器用さを持つことに加えて、私がそれに最も適任であるからということでした。

 その年の初日のそのように大いに異なる人々から来る訴えと、そのように矢継ぎ早に、彼らの間で前もって何の相談もなく、彼ら全員が私に話を持ち掛けたことは、私にとても強い印象を与えたため、私はそれを確かにバガヴァーンからの要請だと受け取りました。そのため、まさにその日に、私はアーシュラマムの日記をつけ始めました。私の考えは、何らかの視点から興味深いか、重要であるかもしれないアーシュラマムで起こった全て、主には、世界各地からの訪問者によってバガヴァーンになされた質問への彼の答えをバガヴァーンの信奉者のために保存することです。訪問者の中の多くにとって、私はバガヴァーンの宮廷における公認翻訳者のごとく振舞いました。

 私はバガヴァーンに私がその務めを始めた状況について話し、そのようにして、それへの彼の祝福を求めました。その後、私はサルヴァーディカーリーから許可を得ました。また、最初の数日間、私が間違ったところをどこでもバガヴァーンが訂正できるように、私が記録したものは何でも彼に読み上げました。私が訪問者にバガヴァーン(の言葉)を通訳していたその時でさえ、私がわずかの間違いをしたなら、バガヴァーンは私を静止したものでした。バガヴァーンが意図したことに関して私自身に疑問があるときはいつでも、私はさらなる説明を求め、私のために再びバガヴァーンは快く物事を説明したものでした。最初の二日か三日後、私の書き付けをバガヴァーンに毎日読むことはやめましたが、バガヴァーンが言ったことを私が正確に記録したかどうか疑問がある時はいつでも、その日の書き付けを読み上げ、訂正が必要であると彼が指摘したときはいつでも訂正しました。

 ちょうど今は、私のそれらの記録の一部分だけしかアーシュラム当局は出版に応じられないようです。少なくともその分が当局によって直ちに出版される予定であることを私は嬉しく思います。記録が存在するようになったのはバガヴァーンがそれを望んだからだと私は信じています。そして、少なくともその一部が今、印刷されて世に出るべきであるということは彼の意志であると私は信じています。この出版が単に興味だけでなく、それを読む人々にとって大いに役立つことを、そして、熱意と信念をもってそれを熟読する全員に彼の恩寵が授けられんことを私は望み、バガヴァーンに心から願います。

1952年1月1日 A.デーヴァラージャ・ムダリアール



45年3月16日 午前

 訪問者: 私は仕事をやめて、ヴェーダーンタに関する本を読むことに専念すべきでしょうか。

 バガヴァーン: 対象物が独立した存在を持つなら、つまり、それがあなたから離れてどこかに存在するならば、あなたがそれから逃れることは可能かもしれません。しかし、それはあなたから離れて存在しません。それが存在しているのはあなた、あなたの思いのおかげです。ですから、それから逃れようとして、あなたはどこに行けますか。ヴェーダーンタに関する本を読むことに関して言えば、あなたはそれをいくらでも読み続けるかもしれません。本はあなたに、「あなたの内なる自らを実現しなさい」としか言えません。自らは本の中に見つかりません。あなたはそれをあなた自身で、あなた自身の中に見出さなければなりません。

夕方

 午後、ほとんど同じ質問が別の訪問者から行われ、バガヴァーンは言いました、「世界、もしくは、対象物から逃れて、あなたはどこに行けますか。それは人の影のようです。人は影から逃れられません。自分の影を埋めたいと思った男の面白い物語があります。彼は深い穴を掘り、彼の影が底にあるのを見て、それをとても深く埋められることをうれしく思いました。彼は穴を埋め続け、完全に埋め尽くしたとき、影がてっぺんにあることに気づき、驚き、がっかりしました。まさにそのように、あなたが自らを実現するまで、対象物やそれについての思いは、あなたと共にいつもあるでしょう」。

45年3月17日 午後

 T.P.ラーマチャンドラ・アイヤル氏がバガヴァーンに、ウッラドゥ・ナールパドゥ(Reality in Forty Verses)の一詩節の中のaar oli の意味について尋ねました。

 B: aar oli nirainda oli という意味です。それはマナスのかの光に言及しています。その中で、我々は全世界、世界の既知のものと未知のものの両方を見ます。最初、自らの、いわば、白い光があります。それは光も闇も超越しています。その中に対象を見ることはできません。見る者も見られる物もありません。次に、完全な暗闇、アヴィドヤーがあり、その中でも対象物は見られません。しかし、反射した光、純粋なマナスの光が、自らから発します。完全な光の中でも完全な暗闇の中でも見られず、抑えられた、もしくは、反射した光の中でしか見られない世界という映画全てに存在する余地を与えるのは、この光です。詩節の中で言及されているのは、この光です。
(*)「実在についての40詩節」の本文の第一詩節に該当。oliはおそらく「光」です。タミル語は今後、分かるところのみ表記します。

45年3月18日

 45年3月15日ごろ、どのように官能的な生活に完全に浸っていた者が、突然、嫌気を感じ、非常に敬虔な生活という全く正反対の行動をとったのか、トゥルシー・ダースの物語から説明するために、バガヴァーンは講堂にいる誰かにバクタ・ヴィジャヤムを朗読するよう頼みました。物語の中で、トゥルシー・ダースは妻と家から逃げ出し、バナーラス(ヴァーラーナシー)でハリ(ヴィシュヌ神)に夢中でした。妻と母親は彼に戻ってくるよう懇願しに行き、彼女たち皆への彼の大変な愛情を彼に思い出させました。彼は彼女たちに全く見向きもせずに、「私のハリは来ましたか。ええ、彼はそこに来ます!」などと彼女たちに尋ねました。彼はハリだけに夢中で、他の何にも興味がありませんでした。この部分が読み上げられていた時、バガヴァーンは言いました。「マドゥラ(マドゥライ)で、私は若干このようでした。学校に行き、本を手にし、空に神が突然私の前に現れることを熱心に待ち望んでいたものでした。そうして、私はよく空を見上げていたものでした。そのような者が学校の勉強でどの様な進歩ができたでしょうか!」
 [これは彼がマドゥラを離れる少し前のようでした。彼がマドゥラでそのように神に夢中であったことを、バガヴァーンからも他の人々からも、私は以前に聞いたことがありませんでした。そのため、私はそれをここに記録しました。]

45年3月19日 午前

 シンドからの訪問者、おそらくきっと、シンド(現パキスタン)のハイデラバード出身のクンダンラル・A.マハタニが尋ねました、「縄の中の蛇のように、世界と我々が見る対象物は全て非現実であると言われています。見る者と見られる物は同じものであると他の場所で述べられてもいます。見る者と見られる物が同じものであるなら、見られる物が非現実であると、我々はどうして言えますか」。

 B: それが意味する全ては、独立した実体、自らから独立しているとみなされる見られる物は非現実であるということです。見られる物は、見る者と異なりません。存在するものは、見る者と見られる物ではなく、唯一の自らです。自らとみなされる見られる物は、現実です。

 V: 世界は夢のようであると言われています。しかし、夢と目覚めの状態の間には、この違いがあります。夢の中で、私は友人や親戚たちを見て、彼らと共に何かを経験します。私が目覚め、夢の中で会ったその友人や親戚たちに夢について尋ねるとき、彼らはそれについて何も知りません。しかし、目覚めの状態で私が見聞きしたものは、とても多くの他の人々によって裏付けられます。

 B: 夢と目覚めの状態をごちゃ混ぜにすべきではありません。目覚めの状態においてあなたが見る人々から、目覚めの状態の体験についてあなたが裏付けを求めるのとちょうど同じように、夢の状態においてあなたが見た人々から、つまり、あなたが夢の中にいるときに、夢の体験についてあなたは裏付けを求めるべきです。その時、夢の中で、その友人や親戚たちがあなたの裏付けをするでしょう。

 要点は、あなたのどの夢の体験の現実性であれ目覚めているときに(それを)あなたが肯定しようという気になるか、です。同様に、ジニャーナに目覚めた者は、目覚めの体験の現実性を肯定できません。彼の視点からは、目覚めの状態は夢です。

 V: ある人たちだけが自らの実現に選ばれ、その人達だけがそれを得られると言われています。それはずいぶんと気落ちさせるものです。

 B: それが意味する全ては、我々は、神の恩寵の助力なしに、我々自身のブッディによって、自らの実現を達成できないということです。

 私は言い足しました、「バガヴァーンはまた、その恩寵でさえ恣意的にではなく、今世か前世における自分自身の努力によって、それに値するがゆえにやって来ると言います」。

 V: 人の努力は無駄であると明言されています。では、自分自身を改善しようとするどんな意欲をいったい誰が持てますか。

 私は尋ねました、「あなたが努力すべきでないや、あなたの努力は無駄であると、どこで言われているのですか」。

 その訪問者は、すぐに、Who am I?の一部を見せました。そこには、「全世界を世話している一つの偉大なが存在するとき、どうして我々が何をしたらいいのか悩まなければならないのか」と書いてありました。私は、そこで非難されていることは、人の努力ではなく、「私は行為者である」という感覚であると指摘しました。私がバガヴァーンにそうではないか尋ねた時、彼は私の説明を承認しました。

午後

 バガヴァーンは、彼がパラニに行き、パラニ神(主スブラマンヤ)を食い入るように見つめた夢を以前に見て、ティルチェンドゥル寺院(そこでも神は主スブラマニアンです)を訪れた夢を別の時に見たと言いました。その夢の詳細をバガヴァーンは覚えていません。

 私は、ジーヴァンムクタが夢を見れるのか知りたいと思った人たちが以前いたことを思い出しました。その疑問は自然でした。なぜなら、ジニャーニたちが普通の人々のように夢を見ないと我々は信じているからです。そのため、彼らは夢を見ないかもしれません。私はそれゆえにバガヴァーンにこのことについて尋ね、彼は言いました、「ジニャーニが目覚めの状態を持てるのなら、彼が夢の状態を持つことの何が難しいのですか。しかし、もちろん、彼の目覚めの状態が普通の人の目覚めの状態と異なるように、彼の夢の状態もまた普通の人の夢の状態と異なるでしょう。目覚めであろうと夢であろうと、彼は、時に第4、すなわち、トゥリーヤの状態と呼ばれる彼の真の状態から滑り落ちないでしょう」。

45年3月24日 午後

 私はヴィチャーラ・サングラハSelf Enquiry)を読んでいました。ハートの中で何かがタミル語、つまり、ハートの中で何かが「私‐私」として輝いている、もしくは、響いているという記述に私は出くわしました。私はいつも、スプラナという言葉がそもそもどういう意味なのか疑問に思っていました。それで、私はバガヴァーンに尋ね、彼は言いました、「それは『タミル語』、つまり、『輝く、もしくは、照らす』という意味です」。私は尋ねました、「それは我々が聞く一種の音ですか」。バガヴァーンは言いました、「ええ、それは我々が感じる、もしくは、気づくようになる一種の音であると我々は言うかもしれません」。彼はまた辞書を参照し、言いました、「その言葉は、『鳴り響く』、『はっと思い出される』、『心に閃く』という意味です。そのように、音と光の両方がスプラナという言葉の中に含まれているかもしれません。全てのものは光と音からやって来ました」。

 私はバガヴァーンに、その「輝く」ものとは何か、自我なのかそれとも自らなのか、尋ねました。それは一方でも他方でもなく、その両者の中間の何か、「私」(自ら)と「私という思い」(自我)が組み合わさった何かであり、自らはこのスプラナすら欠くと彼は言いました。

 どのように自らが単なる光であるのか、どのようにそれが言葉や音でもあるのか、そしてまた、その中から言葉や音が最初にやって来たことを説明して、バガヴァーンは言いました、「人は3つの体を持ちます。5つの要素からなる粗大なもの、マナスとプラーナからなるスークシュマ、すなわち、微細なもの、そして、ジーヴァ。同様に、イーシュワラでさえ3つの体を持ちます。顕現した全世界はの粗大な体で、光と音はのスークシュマ体で、自らのジーヴァです」。

45年3月25日

 テナリ近く、ペッダパラヤムのP.シュリー・クリシュニアーという人が、22日にアーシュラマムにやって来て、彼がテルグ語の韻文で記し、バガヴァーンに捧げたダヌルダーサの人生に関する小冊子(タミル語)をバガヴァーンの許しを得て読み始めました。その献呈の辞はユーモラスであり感動的でもあり、カンヤーダーナが最良の贈り物とみなされるため、詩は結婚のためにバガヴァーンに捧げられる乙女とみなされています。彼ははじめに献呈の辞を書き、後で著作を記したようでした。そのように、彼は娘を生む前に娘婿を選びました。彼の献呈の辞の最後に彼は言います、「あなたはすでにムクティと結ばれています。私のこの娘もめとり、彼女の誤りを正し、彼女の欠点を看過し、彼女を優しく丁寧に扱ってください。あなたは私の娘婿になりましたが、我々の家に来るようあなたに頼むことは私にはできません。とても多くのラージャや他の人々があなたのダルシャンのためいつもここにやって来ているからです」。彼はまた言います、「私のヴィシュヌ派の娘とバガヴァーンのこの結婚によって、アドヴァイタとヴィシシュタードヴァイタは結ばれました」。
(*)ダヌルダーサは、ヴィシシュタードヴァイタの創始者・ラーマーヌジャの教えを受けたようです。

 25日の午後、もう一度献呈の辞を読み、彼の別れの、告別の歌を読み上げました。以下は、その歌の自由訳です。「我々のような者にとって、様々な望みがしばしば生じます。満たされるものあれば、満たされないものもあります。ここで私の全ての望みは満足を得ました。私の望みの一つは韻文でダヌルダーサの人生を記すことであり、もう一つは、友人や親族たちと共にここに来て、私の娘(詩)の手をあなたに捧げることであり、3つめは、上述の結婚の祝宴であなたと共に満足のいくまで食べることであり、4つ目は、ここに数日滞在し、あなたを見て私の目を楽しませることでした。あなたの恩寵のおかげで、この全てを同時に私は得ました。どうぞ私が立ち去ることをお許しください。おぉ、清らかな生涯の方よ!このあなたの姿の中に、それを見た人たちがうっとりするなんて、あなたはどんな魔法を蓄えているのですか。一切の苦悩を追い払えるなんて、あなたはどんな力をこの空間に注ぎ込んだのですか。一切の病を鎮められるなんて、あなたはどんな薬をこの地の水に混ぜたのですか。ここに来る人たちが立ち去ることを嫌がるなんて、どんな魅惑の力をあなたはこの敷地に広げたのですか。あなただけがあなたの偉大さを知ることができます。どれほど長く我々が留まろうとも、足はここを立ち去るために動こうとはしません。私に何ができますか。どうぞ私が立ち去ることをお許しください、プルショーッタマ(最上の人)よ」。

45年3月31日

 数日前の夜、夕食後、バガヴァーンが講堂の東のベランダにある簡易ベッドで休んでいた時、何やら面白いことが起こりました。彼は南に顔を向けていました。チャドウィックは、バガヴァーンの背後に座っていました。バガヴァーンが腰を下ろし、クッションに寄り掛かるとすぐ、チャドウィックは背後からこっそりと気付かれずにバガヴァーンを(うちわで)あおぎました。バガヴァーンが振り返って見ると、チャドウィックはうちわを引っ込め、じっとしていました。バガヴァーンが顔を南に向けると、チャドウィックは再びあおぎ始めました。バガヴァーンが振り返ると、チャドウィックはやめました。バガヴァーンは、どのようにそよ風が彼に当たったのか不思議に思っていました。すると、チャドウィックが笑い出し、バガヴァーンもその笑いに加わりました。このことは、非常に卓抜した師とさえ、どのように信奉者が戯れることができ、両者とも子供のように冗談を楽しめるのかを示しています。

午後

 訪問者、ウッタラ・プラデーシュ州のSivagharのラージャが、彼はバガヴァーンに彼自身を委ねたので、バガヴァーンが彼にジニャーナを与えなければならないとバガヴァーンに言ったようでした。バガヴァーンは、Vision の1937年9月号における、ナーム・デーヴが主の名前の重要性を強調したことに関する文章に言及しました。そこでは、「私」、自我が委ねられた時のみ、主の名前の重要性が理解されるだろうと指摘されていました。私が講堂に入ったとき、上述のラージャと他の訪問者たちのために、アシュターバクラ・ギーターが説かれるようになったいきさつが英語で詳しく話されました。その話が読み上げられた後、バガヴァーンは言いました、「ブラフマ・ジニャーナは、あなたが取りに行けるどこかはるか遠くにある、外側にある何かではないため、それを得るためにはこんなに長い時間がかかるやこんなに短い時間ですむだろうとあなたは言えません。それはいつもあなたと共にあります。あなたはそれです!アシュターバクラ・ギーターの話は、ブラフマ・ジニャーナを得るために必要であること全ては、完全にあなた自身をグルに委ねること、あなたの「私」および「私のもの」という概念を委ねることだと教えることを目的としています。それらが委ねられるなら、残されるものは現実です。その時、ブラフマ・ジニャーナを得るために、さらにどれほど時間がかかるか言うことは不可能になります。人が片足を一つ目のあぶみに置いた後に、もう片足を二つ目のあぶみに置くのに要する時間と同じぐらいかかると言うことは誤りでしょう。自我が完全に委ねられる瞬間に、自らが輝きます」。

 続けて、バガヴァーンは、ヨーガ・ヴァーシシュタからの以下の詩節の終わりの2行を引用しました、「タミル語」、それが言うには、神聖な意識(チダーカーシャ)なる月を覆う「私」、すなわち、「自我意識」なる雲が取り除かれないなら、「私」の感覚(アハンカーラ)をまるで知らないハートなるユリの花は満開に咲かないだろう。

 バガヴァーンはまた言い足しました、「我々は古くから続くサンスカーラと闘わなければなりません。それらは全てなくなるでしょう。ただし、過去にすでにサーダナを行っていた人たちの場合には、比較的すぐになくなり、他の人たちの場合は遅れます」。これに関連して、私は尋ねました、「サンスカーラは徐々になくなるのですか、それとも、ある日突然消え去るのでしょうか。私がこれを尋ねるのは、私はここにかなり長い間留まっているのに、私の中に段階的な変化を何も感じないからです」。バガヴァーンは、「太陽が昇るとき、暗闇は徐々になくなりますか、それとも、突然になくなりますか」と尋ねました。

 別の訪問者が、「どのように感情を征服するのですか」と尋ねました。バガヴァーンは言いました、「その感情が我々の外側にある何かであるなら、我々は武器と弾薬を手に取り、それを征服できます。それは全て我々の内側からやって来ます。もし、それが出てくる源を調べることによって、それが我々から出ていないと知るなら、我々はそれを征服するでしょう。我々の感情をかきたてるのは、世界とその中の対象物です。しかし、世界とその対象物は、我々の心によって創造されているに過ぎません。それは我々の眠りの間存在しません」。

 こういった会話の後、バガヴァーンはカマンダラムから水を少し飲み、付き添い人のほうを向き、彼がすでに水をいくらか飲んでいたか尋ねました(つまり、午後3時30分ごろに彼が講堂に戻った後に)。付き添い人は、「はい」と言いました。するとすぐに、バガヴァーンは(飲んだことを)忘れていたと言い、確かめるために再びいくらか飲みました。そのような体験について彼はめったに言葉にしないのですが、彼はさらに加えて、大体ぼんやりしているとき、時々、朝か正午か夕方かさえ分からず、その日の何時か知る前に時計を見て、思い出そうとしなければならない、と言いました。ある時、彼は私に、我々が寝ている間にひっかくように、以前に湿疹があったところの皮膚をひっかいたと言いました。また、以前、私が彼のある肉体的な痛みについて心配していたとき、彼は私に、その痛みを「タミル語」に感じる、つまり、夢の中の体験のようにぼんやりした束の間の体験だと言いました。これらは、我々がするように行動し、感じるように見えながら、実際は、我々が体験する物事が存在しない彼独自の世界に住んでいる、バガヴァーンが我々の中で送る人生への糸口です。

2018年7月7日土曜日

ビルヴァの実の物語 - 万物は実在かつ意識なるブラフマンである

◇「山の道(Mountain Path)」、1976年7月、p165~166

『ヨーガ・ヴァーシシュタ』からの物語-Ⅸ


ビルヴァの実の物語

M.C.スブラマニアンによるサンスクリット語からの翻訳

ラーマはヴァーシシュタに言った:
 神酒のごときあなたの言葉に私は飽きることがありません。おお、ブラフマンよ!真理を体現する別の物語をどうか私に教えてください。

ヴァーシシュタは言った:
 何らかのものを所有することで人が感じる喜びは、つかの間のものです。誰がこれを体験していませんか。あるものが魅力的であるのは、人がそれを所有したいと望むうちだけです。子供以外の誰も、それゆえに、つかの間の楽しみを渇望しないでしょう。何かを得ることで人が感じる楽しみは、渇望すること自体から生じます。喜びが続くのは、喜びの欠如が存在するうちだけです。それゆえに、一切の欲望を放棄しなさい。人が何物にも愛着しないとき-欲望は欲望でなくなり、思いは思いでなくなり、心は心でなくなります。
 
 あなたがいかなる類の期待もなく務めを行うなら、あなたはそれによって決して影響されないでしょう。たとえ何百もの混乱の機会が生じても、あなたは空のごとく澄み渡って(安らかで)いるでしょう。心が活動的になる時、サンサーラは始まります。心が乱されなくなる時、それは終わりを迎えます。

 欲望(ヴァーサナ)の流れを阻止することによるか、呼吸を制御することによって、心を静止させられます。どちらでも好むほうを修練しなさい。命の息(プラーナ)の揺れ動きによってもサンサーラは存在するようになり、命の息が揺れ動かなくなる時、それは終わりを迎えます。ですから、修練によってそれを静止させなさい。

 無知が落ち着きのなさを生じさせ、が安らぎを生じさせます。グルの言葉に耳を傾け、聖典の意味を理解し、熱心な努力をするなら、あなたは無知を乗り越えられるでしょう。心が外側に向かうことが妨げられるか、呼吸が制御されるかするなら、心は心でなくなるでしょう。この(無心の)境地が最上の境地です。感覚(五感)がその対象と接触するときに感じる喜びは、実際、自らの喜びでしかありません。

 自らに集中することによって、人は己がブラフマンであることを悟ります。心は、その時、心でなくなります。心が生じないその境地は、至高なる至福の境地です。この境地が継続的に努力なく維持されるとき、心は生じることも沈むこともありません。(ブラフマン)を知った者の心は、もはや心ではありません。それは真理現実)です。無知な者の心は、ブラフマンでなく、多くのものを掴みます。ジニャーニの心は、ブラフマンのゆえに、(錬金術によって)黄金になった銅に似ています。彼の心は、時おり俗事に巻き込まれても、第四の状態(トゥリーヤ)に入り、トゥリーヤを超えている純粋な意識のままあります。

 多様性からなる広大な世界として現れているものは、ブラフマンです。ブラフマンは万物です。他に何ものも存在しません-心さえも(存在しません)。他の一切のものは想像です。これを明確にあなたに理解させるであろう素晴らしい短い物語をあなたに語りましょう。とても大きいために何千マイルにも及ぶビルヴァの実が存在します。計り知れない長い年月の間でさえ、それは汚れなく、腐りません。それははるか古(いにしえ)のものですが、三日月のように新鮮で、魅力的です。カルパの終わりの猛烈な嵐によってさえ、それを動かすことはできません。それはとても大きいため、何百万もの人々によってさえ切ることができません。それは世界の根本原因です。

 (種々の)広大な世界は、その側に置かれるとき、山のふもとの黒からし種のように見えます。それは(木から)落ちるのに十分なほどに決して熟れません。そして、それは(食べられるに)十分熟しており、決して腐りません。全ての実の本質を含む、この大きな実は、その内に素晴らしい知性の力を保持しています。この力のために、それ自身(知性)と同種の(世界)を徐々に創造しようという意思が存在するようになります。これは活動的になり、最初に時間と空間を創造します。その後、この世界と空間のこれら(種々の)方向が引き続いて存在するようになります。それらはそのビルヴァの実の素晴らしい果肉です。

ラーマは言った:
 全知なるバガヴァーンよ!あなたによって描かれたビルヴァの実とは、(ブラフマンである)実在-意識であると私は理解します。この自我も、全てのものも、意識です。それから離れて何も存在しません。ですから、合一や二元性の可能性は存在しません。メール山は、かぼちゃの果肉のように、この世界である、その実の内にあります。この世界は、純粋な意識なるビルヴァの実の果肉です。

2018年5月3日木曜日

シュリー・バガヴァーンとアーシュラムのリスたち - 巣の中に留まれ

◇『シュリー・ラマナーシュラマムからの手紙(Letters from Sri Ramanasramam)』

シュリー・ナーガンマ著
1946年1月3日
(20) リス

 我々の同胞であるリスが、どれほどバガヴァーンに対して勝手気ままに振舞っているか、あなたは知っていますか。二、三年前、リスたちの中に、一匹とても活発ないたずらっ子がいました。ある日、たまたま彼が食べ物を求めてやって来たとき、バガヴァーンは読書か何かで手がいっぱいだったため、彼に食べ物を与えるのが少し遅れました。そのいたずらっ子は、バガヴァーン自身が彼の口にもっていかないと何も食べようとしませんでした。おそらくは遅れたことに怒って、彼は不意にバガヴァーンの指を少し噛みましたが、バガヴァーンはそれでも彼に食べ物を与えませんでした。バガヴァーンは面白がり、言いました。「あなたは悪い子ですね!私の指を噛みました!もうあなたに食べ物をあげません。行きなさい!」 そのように言って、彼はそのリスに数日食べ物を与えるのをやめました。

 その子が静かになんかしているでしょうか。いいえ。彼はあちらこちらをはい回って、バガヴァーに許しを請い始めました。バガヴァーンは窓台とソファーにナッツを置き、彼に自分で食べるように言いました。でも、ダメです。彼はそれに触れようとさえしません。バガヴァーンは無関心を装い、気づかないふりをしました。しかし、彼はバガヴァーンの足にはい上がり、体に飛び乗り、肩によじ登り、注意を引こうとたいそう多くのことを行いました。その時、バガヴァーンは我々みなに言いました。「ほら、この子は私の指を噛んだいたずらを許して、私が手ずから彼に食べさせようとしないことをやめるよう私に頼んでいますよ」。

 「悪い子ですね!どうして私の指を噛んだのですか。もう、あなたに食べものをあげませんよ。これはあなたへの罰です。ほら、ナッツはあそこです。全部食べなさい」と言って、彼はリスを数日間追い払いました。リスもまたその頑固(な態度)をやめようとしませんでした。何日か経ち、信奉者への慈悲ゆえに、バガヴァーンはついに敗北を認めざるをえませんでした。信奉者が救いを得るのは粘り強さを通じてだと、その時、私に思い浮かびました。

 そのリスはそれで終わりませんでした。彼は大勢の仲間を集め、ソファーの真上の講堂の屋根に巣を作り始めました。彼らは梁に糸くずやココナッツ繊維などを詰め込み始めました。風があるときはいつでも、そういったものがよく落ちてきたものでした。そのため、人々は怒り、彼らを追い払い始めました。バガヴァーンは、しかしながら、リスたちが巣を作るための十分な場所がなく、講堂の人々が彼らを追い払っていることを思い、心を痛めていました。そのような存在への彼の愛情の深さを理解するには、ただ我々はそのような機会にバガヴァーンの顔を見さえすればいいのです。

 私がいつもの手紙の中でリスたちについてあなたに書いたことをバガヴァーンに伝えると、彼はいかにも楽しそうに言いました。「そのリスたちについては壮大な物語があります。しばらく前、彼らは私の上の梁の近くに巣を持っていたものでした。彼らは子、孫をもうけ、そうして彼らの家族のメンバーはとても多くなりました。彼らは好きなようにこのソファーの上で遊びまわっていたものでした。私がいつもの散歩に出かけたとき、枕の下に隠れる子供のリスたちがいました。私が戻り、枕にもたれたとき、彼らが押しつぶされることがありました。我々はこの光景に耐えることができなかったので、マーダヴァはリスたちを巣から追い出し、その上に木の板を打ち付けてふさぎました。人が彼らのことを書きたいと思うなら、彼らに関する多くの出来事があります」。

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バガヴァーン・ラマナ・マハルシとリスたち

上記の訳文と重複しない部分のみ

   バガヴァーンは動物を愛していて、アーシュラムでは、どのような種類(の動物)も彼によって尊重され、歓迎されました。彼らは人間と同等に扱われ、いつも名前で呼ばれていました。病気の動物がバガヴァーンのもとに連れてこられると、彼の寝椅子の上か、彼のそばの床の上で良くなるまで彼に保護されました。多くの動物が彼の腕の中で亡くなりました。彼は動物たちの善良さについて話をすることが好きでした。

 ジャダ・バーラタ賢者は、亡くなる際に彼の飼っていた鹿への束の間の思いに襲われ、最後に残った愛着を払いのけるために鹿として再び生まれなければならなかったとプラーナに記されています。

 バガヴァーンは、運命によって彼と触れ合うよう導かれた動物たちに対して、人々に対するのと同じ気遣いを示しました。そして、動物たちは人間に劣らず彼に魅了されました。

 食事時には、アーシュラムの犬たちに最初に食べ物が与えられ、次にやって来た物乞いたち、最後に信奉者たちというのが正規のアーシュラムの規則でした。彼は決して動物を「それ」と呼ばず、いつも「彼」や「彼女」と呼びました。「若い衆に食べ物をあげましたか」-彼が言及していたのはアーシュラムの犬たちだったでしょう。「すぐ、ラクシュミーにお米をあげてください」-彼が意図したのは牝牛のラクシュミーでした。

 クリシュナ・ビクシュという信奉者がかつて彼に尋ねました。「我々が夕食の葉っぱをそんなに几帳面に片づけてしまったら、犬や猫、サルやネズミやアリが飢えてしまうでしょう」。
 バガヴァーンは答えました。「なるほど、あなたがそれほど慈悲深いのなら、あなた自身が食事をとる前に動物たちに食べ物を与えてはいかがですか。彼らがあなたのこそげ落としたものをおいしく食べると思いますか」。

 バガヴァーンは言いました。「我々はどのような魂がこれらの体に居住しているのか、どの部分の彼らの終わっていないカルマのために彼らが我々との交際を求めたのか知りません」。

 バガヴァーンが旧講堂にいたとき、彼は文字通りリスたちに囲まれていました。彼らは彼の寝椅子じゅうを、彼の体の上を、彼の枕の下さえも駆け回ったものでした。
 バガヴァーンは、彼の体の体重で押しつぶされるリスがいないように、座ったり、もたれたりする前に非常に気を付けなければなりませんでした。

 旧講堂の屋根に、リスたちは巣を作ったものでした。かつて、生まれたばかりのリスたちがバガヴァーンのソファーの上に落ちました。彼らの目はまだ開いておらず、それぞれの赤ちゃんの大きさは1インチ(2.54cm)以上ではなかったかもしれません。彼らは真新しい肉体で真っ赤な色をしていて、触れるには全く華奢でした。母リスは彼らを無視しました。さあ、どうしたらいいのですか。そのように華奢な生き物にどうやって食べ物をやって世話すればいいのですか。
 赤ちゃんリスは、バガヴァーンの手のひらにいました。バガヴァーンの顔は彼らへの愛情で輝きました。バガヴァーンを取り囲む人々の顔にはクエスチョン・マークがありましたが、彼自身はうれしそうで、朗らかでした。彼は綿をいくらか持ってくるよう頼みました。彼は彼らのために柔らかいベッドを作りました。彼はまた少しの綿を手に取り、先がとても細くなるまでひねり、先端部分は鋭い針のように見えました。
 彼はそれを牛乳に浸し、その小さな口にそれを絞り出しました。一定の時間ごとに、バガヴァーンはこの慈悲の行いを繰り返しました。彼らが成長し、走り回るまで、彼は大変な気遣いと愛情をもって彼らを世話しました。彼らは逃げ出さず、ただ彼らの「母親」の周りを走っていました-彼ら自身の母親よりもはるかに優しい(母親の)!

 バガヴァーンの講堂で、ダルシャンは人間の独占物ではありませんでした。決まった時間に、リスたちは講堂のそばの大きな木から降りてきて、その正当な分け前を要求しました。美しい孔雀もまたその後に続きました。バガヴァーンはとても優し気に彼らのほうを見ました。「あぁ、お腹が空きましたか!」と彼は言い、いくらかナッツと穀物を彼らに与えました。母親に食べ物を与えられた後の子供のように、その後、彼らは幸せそうに立ち去ったものでした!

 時々、リスたちは寝椅子をよじ登りってきました。バガヴァーンは彼らを優しくなで、手に入るものをなんでも彼らに与え、リスたちは誰の邪魔をすることもなく立ち去ったものでした。

 かつて、猫が若いリスたちの母リスを食べました。再び、バガヴァーンは若者たちの世話をする仕事を引き受けました。彼は信奉者たちに教えるために日常の出来事を使うことを好んだため、彼らに言いました。
 「この小さい子たちは、知恵が巣の中に留まることにあることを知りません。彼らは外に出ようとし続けます。一切の苦しみは外にあるのですが、彼らは内に留まれません。同様に、心が外に向かわず、ハートの中に沈んだままでいるなら、その時、幸福のみがあるでしょう。しかし、心は出て行き続けます」。
 ランガスワーミーが、「心を内に保つための道は何ですか」と尋ねた時、バガヴァーンは言いました。
 「私が今していることと全く同じです。若いリスが出ていくたびに、私は巣の中に戻し続けています。私がそれをし続けるなら、彼は巣の中に留まる幸福を学びます」。

 リスたちは、カシュー・ナッツを求めてバガヴァーンのソファーの方にやって来ました。バガヴァーンの近くの缶の中によくあったナッツは空になっていました。代わりに、ピーナッツが与えられました。リスたちはそれを食べようとせず、ありとあらゆる方法で不満を表し始めました。「私たちは持ってないんですよ、皆さん。どうしたらいいのですか」とバガヴァーンは言い、彼らをなだめました。ダメです。彼らはなだめられようとはしませんでした。不満の印として、彼らはバガヴァーンの手足をはい回り続けました。
 そのため、バガヴァーンは、貯蔵庫にカシュー・ナッツの蓄えがあるのか行って、見つけてくるようクリシュナスワーミーに頼みました。クリシュナスワーミーは行って、ナッツを2、3個持ってきました。「それで全部ですか」とバガヴァーンは尋ねました。クリシュナスワーミーは、彼らがその夜パヤサムの支度をしていて、それだけしかあげられないと言いました。バガヴァーンはムッとして、言いました。
 「なるほど。カシュー・ナッツの量がいつもより少し減れば、パヤサムは味わいが減るでしょうね。かわいそうに。このリスたちは(カシュー・ナッツ)以下のものを好まず、私にせがみ続けています。倉庫の管理人はパヤサムに入れなければならないと言って、カシュー・ナッツをあげるのを断りました。パヤサムの中にカシュー・ナッツがなければ、誰が迷惑するのでしょうか。カシュー・ナッツがないために、この子供たちがどれほど気をもんでいるのか御覧なさい!」
 そうして、パヤサムに入るべきカシュー・ナッツは、リスたちの腹の中に入り、また、(将来、リスたちに食べさせるために)彼のそばの缶に入りました。
 その日の夕方、アナンタナーラーヤナ・ラオ医師がマドラスから2ヴィサ(約4.5kg)のカシュー・ナッツを持ってきて、リスたちのために持ってきたと言いました。微笑んで、バガヴァーンはクリシュナスワーミーに向かって言いました。
 「これを御覧なさい。彼らは欲しいものをなんでも得ます。あなたに懇願する必要はありません。このカシュー・ナッツは彼らの所有物です。注意深く保管しておいてください。貯蔵庫に引き渡されないように注意してください」。

 年齢とリューマチのために、バガヴァーンは杖の助けを借りて歩き始めなければなりませんでした。ある日、彼がアーシュラム敷地へと2、3段(階段を)降りようとしていると、アーシュラムの犬に追われるリスが彼の足元を走り抜けました。
 彼は犬に呼びかけ、杖を彼らの間に投げました。その際、彼は足を滑らせ、倒れたことで鎖骨を折りました。犬は気を散らされ、リスは助かりました。
 信奉者を保護するとき、バガヴァーンは己の身の安全を気にかけませんでした。それは一匹のリスでしかないかもしれませんが、彼にとって一番の関心事は彼の友人であるリスを守ることでした。彼自身の身の安全には全く関心がありませんでした。

 別の機会に、ペットのリスたちの一匹が外に走り出す機会を待ち構えていました。バガヴァーンは述べました。
 「皆が外に駆け出したいと思います。際限なく外に出て行きます。幸福は内にあり、外にはありません」。

2018年4月5日木曜日

風変わりな陳情者 - 賢者は物言わぬ動物の訴えを聞く

◇『シュリー・ラマナーシュラマムからの手紙(Letters from Sri Ramanasramam)』

シュリー・ナーガンマ著
1946年1月2日
(19) 私の無言の訴えを聞いてくれませんか

 あなたはジャガディーシャ・シャーストリ()に会ったことがありましたよね。彼がここにいたとき、彼と一緒に犬が講堂によく入って来ました。とりわけ賢い犬でした。シャーストリや彼の奥さんがバガヴァーンの講堂にやって来たとき、犬が入ってきて、行儀のよい子供のように座り、彼らと一緒に出て行ったものでした。人々は犬が講堂に入らないようにするためにできることを何でもしましたが、無駄でした。

 かつて、その年配の夫婦がマドラスに行ったとき、彼らは犬を誰かに預け、15日間帰ってきませんでした。最初、はじめの四、五日の間、犬は講堂の中を探し、見て回り、その後、彼らがよく訪れていた全ての場所を歩き回りました。疲れて、おそらくはその甲斐のない努力に嫌気がさして、ある朝の10時ごろ、犬はバガヴァーンのソファーにやって来て、バガヴァーンをじっと見つめながら、そこに立っていました。その時、私は最前列に座っていました。バガヴァーンは新聞を読んでいました。クリシュナスワーミーたちは犬を脅して追い出そうとしましたが、無駄でした。私も犬に出ていくようにお願いしました。だめです、犬は動こうとはしませんでした。この騒ぎはバガヴァーンの注意をそらし、彼はそちらを見ました。バガヴァーンは犬と我々の興奮した様子をしばらく観察しました。その後、彼は新聞をわきにやり、あたかも彼の沈黙によって犬の言葉を理解したかのように、犬に向かって手を振り、言いました。「おや、どうかしましたか。あなたの家族がどこに行ったのか尋ねているのですね。ああ、なるほど、分かりました。彼らはマドラスに行っています。一週間後に戻るでしょう。怖がらないでいいですよ。心配いりません。落ち着きなさい。大丈夫ですか。さあ、行きなさい」。

 バガヴァーンが説明を終えるが早いか、犬は向きを変え、その場所を離れました。そのすぐ後、バガヴァーンは私に述べました。「あれを見ましたか。犬は家族がどこに行ったのか、いつ帰ってくるのか私に尋ねていました。どれほどここの人々が追い払おうとしようとも、私がその質問に答えるまで動こうとしませんでした」。

 かつて、奥さんが何かの理由でムチで犬に罰を与え、部屋に半日閉じ込めたようでした。外に出るのを許された後、彼女に不満を言うかのように、犬はバガヴァーンのもとにまっすぐに来て、アーシュラムに滞在し、四、五日、彼らの家に行きませんでした。バガヴァーンは犬の食事を用意し、女性を次のように叱りました。「あなたは犬に何をしたのですか。一体どうして犬はあなたに怒っているのですか。犬は私に不満を言いにやって来ました。どうしてですか。何をしたのですか」。ついに、彼女はバガヴァーンの面前で自分の非を認め、たいそうなだめすかして、犬に家に帰ってもらいました。

2018年3月5日月曜日

自動的な神聖な活動 - ただ賢者の目に留まれば、即ち、救いがある

◇「山の道(Mountain Path)」、1966年4月、p160

自動的な神聖な活動

G.V.スッブラマイヤ教授

 1937年10月31日、私の2歳の娘インディラが小児性けいれんに2回かかり、2回目は最初のものより深刻でした。突然、彼女は意識を失い、全ての生命維持に必要な器官は機能を停止し、彼女は死んだも同然のように見えました。アロパシー(≒現代医学)の医者はどうすることもできないとはっきり言い、アーユルヴェーダの治療を勧めました。老人が彼のタバコのパイプで両目の間に焼き印を押すことで、子どもは弱弱しくうめき、わずかに生活機能が再開しました。依然、彼女は回復せず、瀕死の状態で横たわっていました。あいついで二人のアーユルヴェーダの医師が呼びにやられましたが、見つかりませんでした。この危機に、シュリー・バガヴァーンの写真が目に留まり、私はひれ伏し、心の中で言いました。「おお、バガヴァーン、人の手による助けは全て失敗したため、ただあなただけが救わなければなりません」。起き上がり、私は機械的に戸棚を開け、電報の用紙を取り出し、子供へのシュリー・バガヴァーンの恩寵を懇願する急信を書きました。電報局は、電報は午後7時にアーシュラムにつくだろうと私に伝言しました。ちょうど午後7時にアーユルヴェーダの医師が二人同時に到着し、またシュリー・V.V.ナーラーヤナッパもやってきて、私の手に私宛の封筒を置き、言いました。「さあ、シュリー・バガヴァーンの子供へのプラサーダムをどうぞ」。その時、それは、私の祈りに対するシュリー・バガヴァーンの奇跡的な応答のように思われました。シュリー・ナーラーヤナッパは、それは昨年、彼が病気だった時に私が彼のために手に入れ、彼が同じ封筒の中に保存しておいたプラサーダムだと説明しました。今や、患う子供のためにそれを役立てようと彼は思いました。二人の医者は、互いに相談しながら子供を治療し、彼女が危機を脱したことを私に請け負いました。その夜、私は子供のそばで眠りながら、驚くべき夢を見ました。私はシュリー・バガヴァーンの講堂にいました。いつものように、シュリー・バガヴァーンは長椅子にもたれていました。彼の前には黒ずんだ、恐ろしい顔つきをした巨人のような背の高さの人が立っていました。シュリー・バガヴァーンは、講堂を去るよう三たび人差し指で彼に指示しました。それに応じて、その見知らぬ人は第一出入口から出ていきました。そして、シュリー・バガヴァーンは私のほうに向き、私をそばに呼び、尋ねました。「子供の具合はどうですか」。私は答えました。「バガヴァーン、あなたの恩寵によって、彼女は元気になっています」。そして、シュリー・バガヴァーンは、「彼女は大丈夫でしょう。心配いりません」と言い、その手を私の背中に置きました。彼が触れることで、私の心は躍り、そして、夢は終わりました。翌朝、私はアーシュラムから以下のような返答を受け取りました。「昨晩、午後7時にあなたの電信を受け取り、それはシュリー・バガヴァーンに閲覧されました。その子が回復せんがために、我々は彼女へのシュリー・バガヴァーンの恩恵をあなたに保証します。どうか心配なさらないように」。

 上の出来事と夢を説明している私の手紙への返答に、アーシュラム当局は記しました。「シュリー・バガヴァーンの恩寵を通じて、あなたの子供がほとんど危機的な状態から回復したことが分かり、我々はとても喜ばしく思います」。

 その後のクリスマス休暇の間に、再びアーシュラムを訪ねた時、私はシュリー・バガヴァーンに電報を読むやいなや彼が何を思ったのか尋ねました。彼はただこう言いました。「ええ、あなたの伝言を読みましたし、時計がその時、7時を打っていることにも気づきました」。

 私は再び繰り返し言いました。「バガヴァーン、あなたは子供を救うために何かしなければならないと思わなかったのでしょうか」。

 一直線に、シュリー・バガヴァーンの答えがやって来ました。「子供を救おうという思いでさえ、サンカルパ(望み)です。何のサンカルパも持たない者がジニャーニです。実際、そのような思いは不要です。あることにジニャーニの目がとまる瞬間に、それ自体が最高の善に通じる自動的な神聖な活動が始まるのです」。バガヴァーンが英語で述べた「自動的な神聖な活動(the automatic divine activity)」という語句を除き、会話は全てテルグ語でした。

(原注)『Sri Ramana Reminiscences』より、シュリーラマナーシュラマムから入手可能

2018年2月26日月曜日

神と運命 - 神(カルタ)は業(カルマ)よりも強し

◇「山の道(Mountain Path)」、1967年4月、p113~116

神と運命

A.デーヴァラージャ・ムダリアール
デーヴァラージャ・ムダリアールは、最古参の信奉者の一人です。彼は小誌の1964年10月号で、我々のために「マハルシと献身の道」という記事を記しました。主に衰えつつある視力のために、彼は1965年の終わりにアーシュラムを離れました。1966年1月号で、我々はアーシュラム広報にお別れの手紙を記しました。今、デーヴァラージャはすでに片目の白内障の手術を受け、再び字を書ことができます。我々は彼からのこの新たな記事をとても喜んで歓迎したいと思います。
(運命なる)動き続ける指は記し、記され
先へと進む。汝のあらん限りの祈りも、知恵も
それを呼び戻し、半行取り消させることあたわず
汝の全ての涙でも、その一語も洗い流せぬ
-ウマル・ハイヤームによるルバイヤートより

 私見では、これを記した時、ウマルは冷笑家ではなく、宿命の貫き通せない壁に出くわした熱心な探求者でした。大多数のヒンドゥー教徒もまた、運命に打ち勝つことはできないと信じています。彼らは、神が彼らのひたいに人生における彼らの運命を記し、その結果、全ての出来事は、心地よいものも痛々しいものも、定められたように彼らのもとにやって来るだろうと話します。しかしながら、カルマの問題を学んだ人々は、運命とは独断的な神によって彼らに課されたものではなく、因果法則の結果であり、各人がその過去の行為が引き起こした経験を経なければならないと言明します。人の各々の行為には、心地よいものであろうとも痛々しいものであろうとも、その結果が後に続き、誰もそれから逃れることはできません。一回の人生で行為の全ての結果を使い尽くすことが可能でないなら、カルマを使い尽くすために相次いで人生を経験しなればならないかもしれません。

 この教説は思慮深い思想家たちによって歓迎されてきました。なぜなら、それが我々が世界で見出す人と人との間の大きな相違にいくらかの理性的な説明を与えるからです。さもなければ、公明正大な愛情深い神によって創造され、統治された世界における膨大な相違をどうして説明しうるでしょうか。カルマの教説はヒンドゥー教にとってとても基本的なものであるため、我々はそれ抜きにヒンドゥー教を考えることはできせん。

 カルマは三つのカテゴリー-プラーラブダ、アーガーミ、サンチッタ-に分類されます。人が生まれるとき、この人生で片づけられる予定の蓄積したカルマの量が、プラーラブダ・カルマと呼ばれ、その残りがサンチッタです。今世で蓄積したものは、アーガーミと呼ばれます。少なくともプラーラブダは全ての人によって経験されなければならず、それからは逃れようがないと一般的に考えられています。私はここで、この事柄に関するバガヴァーンの教えを提供しようと思います。

 シュリー・クリシュナがアルジュナに語ること-「マーヤーによって惑わされ、あなたは戦うことを拒むが、あなた自身の本質があなたを戦うように強いるだろう*1」-に関して、ある信奉者がバガヴァーンに我々がいったい自由意志を持つのかどうか尋ねました。バガヴァーンは答えました。「あなたには、体とそのプラーラブダとしてそれにやって来る苦楽とあなた自身を同一視しない自由が常にあります」。これに続いて、私は言いました。「私は人の人生の重要な出来事があらかじめ定められていることは理解できますが、まさか人生のあらゆること-例えば、私が手に持つこのうちわを床の上に置くというような、どれほどささいな事でも、すでにあらかじめ定められているということであるはずがありません。まさかあなたは、これこれの日付の一日のこの特定の時間に私があなたの前で床の上にうちわ置くことが私の生まれる前に定められていたと言うのではないでしょうね」。バガヴァーンはためらうことなく答えました。「ええ(、言います)」。

 私が彼と交わした他の様々な会話から、これがバガヴァーンの教えであることを私は確信しています。私はここで、彼が若き賢者として彼の母親の一緒に家に戻るようにという涙ながらの願いを断ったときに、彼女に与えた返答にだけ言及しようと思います。「命じる彼が、プラーラブダに応じて各々の人生を形作っている。起こらないと運命づけられていることは、どれほどあなたが試みようとも、起こらないだろう。起こると運命づけられていることは、人がそれを阻止しせんと試みようとも、起こるだろう。これは確実である。そのため、最良の道は、静かにいることである」。

 しかしながら、もし純粋な原因と結果としてのカルマの法則が絶対的に不可侵かつ無慈悲なほどに至高であるなら、人は宗教や神や祈りが何の役に立つのか尋ねるかもしれません。人が彼を罪と苦しみから救い、安らぎと祝福を与えられる全てを愛する全能の神を頼らなかった時代は存在していなかったようです。ヴェーダの時代に始まり、シヴァ派とヴィシュヌ派両方の偉大なバクタたちの時代を通じて、わりあい近代に至るまで、どのような罪を人が犯そうとも憐み深き神が彼を救うことができると全く明確に述べる大量の宗教文献があります。火によって綿が燃やされるように、神の恩寵によって、プラーラブダを含め、全てのカルマを破壊することができるとも彼らは述べています。西洋の聖者と神秘家は同じことを言っていて、神が公平、公明正大であるから、罪びとを救うことができず、その罪のためにまずは彼を罰しなければならないという考えをからかっています。というのも、もしそうであるなら、憐み父性母性といった神の他の属性はどうなるでしょうか。ヴィシュヌ派の信奉者は、神の中のヴァーッサリャ、つまり、慈愛の性質を強調し、牝牛のヴァーッサリャによって説明しています。子牛が生まれるやいなや、牝牛はその全身をなめ始め、子牛が不潔であるという事実を気に留めません。彼らは言います。神は罪びとを救いうるに先立って、彼が清らかになるのを待たず、見つけるとすぐに彼を救う-ただ人が救いを望み、それを求めて叫び、哀願するなら。苦しんでいる人が、「神は私を助けることができる」と十分に信頼して、助けと安らぎを求めて神を頼りとするなら、彼は確かに救われる。それが聖典の言うことであり、無数の聖者が言明することです。キリストは言いました。「労苦し、重荷を背負う汝ら皆よ、のもとに来きなさい。そうすれば、私はあなた方に安息を与えよう。恐れるなかれ」。主クリシュナはほぼ同じことを言いました。アルジュナが、解放を手に入れうる全ての異なる種類のヨーガについてクリシュナが話さなければならなかったこと聞いた後、これら全ての指導で混乱し、それらに従うことができないと感じたと彼が不満を言ったとき、クリシュナは言いました。「では、全てのダルマを放棄し、だけに寄る辺を求めなさい。嘆くなかれ。私があなたの全ての罪からあなたを救いましょう*2」。ここで要求されるものは、神への完全な委ねです。しかし、自分自身を完全に神の憐みに身を委ね、自分自身のために何も望まず、あらゆることを全てを愛する全知なる神に託すことは、思われるほど簡単ではありません。しかしながら、ここで私が主張したいことは、恩寵は全能であり、いかなる例外もなく人は蒔いたものを刈り取らねばならないと言われるカルマの法則にさえ打ち勝つことができるということです。私は気質的にこれを強く信じる傾向にあり、バガヴァーンが私のためにそれを裏付けてくれたと信じています。私はここで、私の小さな本 My recollections of Bhagavan Sri Ramana の101、102ページ上に、そのテーマに関して私が記したことを引用しようと思います。

 「私が一度ならずバガヴァーンと論じ合った別の点は、恩寵がプラーラブダ、つまり、運命をくつがえすことができる程度です。徹頭徹尾、私の言い分の主だった趣旨は、神は全能であり、にとって不可能なことは何もなく、もし人がそのために努力し、値するものだけを得るなら、得ることができるなら、恩寵まるで居場所はないだろうということでした(そして、それは相変わらず私の今の確信です)。自分一人でか、他の人々と私がそのような議論に携わっていた時-私に味方する人いれば、反対する人もいました-、バガヴァーンは黙っていました。しかし、彼がいろいろな機会にした様々な発言や所見から、私は以下がこの事柄に対する彼の態度であるという結論に至りました-『もちろん、神に不可能なことは何もありません。しかし、あらゆることが神の意志、または、計画によって定められた秩序に従って、起こり、例外はほとんどありません。我々のプラーナにマールカンデーヤが何人いますか』」。

 他方で、多くの権威ある書籍では、ジニャーニからの一目が、過去、現在、プラーラブダを含めた我々の全てのカルマの結果から我々を救うことができると明確に述べられています。そして、シュリー・ジャナキ・マータ*3が彼女のタミル語の日記の中で公表したことですが、彼女がこの疑問をかつてバガヴァーンと議論し、恩寵が人がプラーラブダに打ち勝つ手助けさえすると主張したとき、彼は彼女に言いました。「あなたがそのような信仰をもっているなら、そうなるでしょう」。

 私はこの引用に何も有益な付け加えができないことを分っていますが、マールカンデーヤへの言及を説明すべきかもしれません。プラーナに書かれていることですが、マールカンデーヤは16年間しか生きられないよう運命づけられていて、彼はシヴァに祈り、永久に16歳であるという恩恵を授かりました。バガヴァーンはそれに言及し、神聖なる恩寵の明白で劇的な介入はとても例外的であるという彼の趣旨を強調しました。

 いつ、なぜ、誰に恩寵が訪れるか人は言うことはできないとウパニシャッドの中で述べられています。それが選ぶ者にだけそれは到来すると言われています。百人が努力するかもしれませんが、その中の一人か二人だけが選ばれるのかもしれません。恩寵について、それが予測不可能であるということ以外、誰も何も予測できません。

 ここで、私の本 Day by Day with Bhagavan に記載されたポール・ブラントンからの以下の引用文に目を向けるのは興味深いでしょう。

 「神聖なる恩寵とは、活動中の広大無辺な自由意志の一つの顕現です。一切の自然法則に優越し、自然法則を相互作用にによって変更しうる、それ独自の未知の法則を通じ、それは物事の成り行きを不可思議な方法で変更できます。それは宇宙の中で最も力強い力です。」

 「それは完全な自らの委ねによって発動されたときにのみ、降りてきて、働きます。神は全ての存在のハートに住んでいるため、それは内から働きます。そのささやきは、自らの委ねと祈りによって清められた心の中でのみ聞くことができます。」

 上の二つの引用文は、D.C.デーサーイーという人による Divine Grace through total self-surrender と名づけられた本の中に含まれ、バガヴァーン自身が、その本に通読するとすぐ、それらを我々に読み上げました。

 神の恩寵は予測不可能であり、罪を免じ、カルマを消す力を持つという私の発言は、この恩寵が努力なしに得ることができること意味すると受け取られるべきではありません。逆に、大変な努力が必要です。人は、独力で自分自身を高めることができないことを認め、神の御足にくずれ落ち、叫ばなければなりません。「主よ、私は弱く、無力です。あなただけが私を救えます。私はあなたを寄る辺とします。あなたが私に望むことを行ってください」。これがなすべき努力です。我々自身のちっぽけな努力の無益さを理解した後の無努力の達成に向けての努力です。タゴールが言うように、「おぉ、汝自身の肩に汝自身を担わんとする、愚か者よ!おぉ、汝自身の門戸に物乞いをしに来る、乞食よ!一切を担うことができ、後悔して後ろを振り返ることのないの手に汝の一切の重荷を委ねよ」。我々がこれをするとき、神が責任をとるとタゴールは言います。「私が舵(かじ)を手放すとき、御身がそれを手にする時期が来たことを私は知る。なすべきことは即座になされるだろう。このあがきは無駄である」。

 宗教とは、私見では、人間の心に狼狽と絶望でなく、慰めと安堵をもたらすものであるべきです。もしそれができないなら、他の点においてどれほどあっぱれなものでも、知識人の称賛を勝ち取るためにどれほど哲学的思索にふけっていても、私はそれに用はありません。もし信奉者が神に保護を求めて近づくなら、「親愛なる息子よ、私はあなたを愛してますが、あなたを抱き上げ、私の保護下にあなたをかくまってあげたいのはやまやまなのですが、私の王国のおきては、あなたが戻ってきて、あなたの罪を取り除くか、もしくは、カルマを使い果たすまで、あなたを助けられないというものなのです」と言う神なるものに私は用はありません。むしろ私は神のことをキリストの放蕩息子のたとえ話の父親、道に迷った息子を絶えず注意深く捜していて、彼が引き返し、家路につくのを見た瞬間に、彼がまだ遠くにいるときでさえ、彼のもとに駆け寄り、抱擁し、家に連れ帰って、彼を洗い、真新しい衣服を与え、ごちそうのために太った子牛を屠った父親のようにみなすことを好みます。私は神がそのようであると本当に信じています。フランシス・トンプソンが The Hound of Heaven の中で言うように、神の恩寵こそが我々を追い求めていて、我々こそが逃げていっているのです。我々が世界の安っぽい目を引く飾りから背を向け、(「放蕩息子」のたとえのように)豚たちとの付き合いと我々が豚たちと分かち合ってきたもみ殻や皮の食事を断ち、神の方に向くのなら、その時、我々が神に向かって歩む一歩ごとに、神が我々に向かって十歩歩むと言われています。キリストと他の霊性の師たちはこう述べており、私はカルマの法則のもとに肉を一ポンド要求するシャイロックよりもむしろ彼らを信じることを好みます。バガヴァーンは Who am I? の中で言いました。「どれほど人が罪深くても、『あぁ、私は罪びとだ。どうして私が解放を得られるのか』と悲しみに沈んで泣き叫ぶのをやめ、自分が罪びとであるという思いすら捨て去り、熱心に自らへ瞑想を続けるなら、彼は間違いなく改められます」。

映画「ナザレのイエス」から放蕩息子のたとえ話

 私の信条は次のようです。「神聖なる恩寵を信じなさい。完全に自らを委ねて、それを請い求めなさい。そうすれば、あなたは救われるでしょう。一切の哲学的論争をいたずらに学識ある人々に任せなさい。あなたがただのほうに向き、を寄る辺とするなら、あなたを迎え入れたいと切に願っている神に満足しなさい」。

 バガヴァーンは救いへの一つの確かな道として完全な自らの委ねの道を推薦し、献身を「ジニャーナの母」と呼んでいます。かのよく知られた初期のバガヴァーンの信奉者、シヴァプラカーシャム・ピッライ-彼のために Who am I? が書かれたのですが-は、彼の詩の一つの中で言います。「あなたと私、他の全てを動かす力があります。あなたの自我をそのの足元に置きなさい」。バガヴァーンの様々な行為と発言から、委ねの道を私にとって最良の方法だと彼がみなしていたことにわずかの疑いもありません。解放は自ら-それは、自らでいることです、なぜなら、知ることとはいることだからですーを通じてのみ可能であると彼がはっきりと明言したことは真実です。けれども、それがもたらされるのは、必ずも、完全に委ねた者に、です。

(原注)
*1 バガヴァッド・ギーター、18章、59詩節
*2 同上、18章、66詩節
*3 彼女に関する記事について、小誌の1966年6月号、p105参照

2018年2月9日金曜日

マハルシと献身の道 - 「労苦し、重荷を背負う汝ら皆よ、私のもとに来たれ」

◇「山の道(Mountain Path)」、1964年10月、p206~209

マハルシと献身の道

A.デーヴァラージャ・ムダリアール
デーヴァラージャ・ムダリアールは、バガヴァーンの最古参の信奉者の一人です。弁護士を職業とし、彼は言葉が正確で、表現が明確であり、それゆえ、しばしばバガヴァーンに頼まれ、西洋の訪問客の質問に答える折に通訳を務めました。数年間、彼はアーシュラム日記をつけ、Day by Day with Bhagavan という題名で二冊出版されています。彼はまた My Recollections of Bhagavan Sri Ramana も記しています。両方ともアーシュラムから出版されています。上の説明は彼を理知的に思わせるかもしれませんが、以下の文章が示すように、彼の心根は純粋なバクタです。
    インドだけでなく、全ての宗教において、献身または委ねの道は、神に到達する、または、解放を得るための一つの方法として重んじられてきました。ヒンドゥー教で推奨される四つの主要な道は、カルマ、バクティ、ヨーガ、ジニャーナ-行為、献身、ヨーガに関する発達、知識であり、人間の人生における務めとは、それらの中の一つまたは複数の道によって神に達せんとすることであると考えられています。上の四つは、様々な人々が霊的に進化し、完成を得ることを願って修練する多様な技法を含みます。バガヴァーン・ラマナはよく、それら全ては良く、全て難しいが、大志を抱く者の気質や能力に応じてのみ、いずれかが彼に最も魅力的に映り、最も簡単に見えるかもしれないと言いました。彼はまた、どのような方法を修練しようとも、人は最終的にジニャーナに、つまり、絶対者自らなる神聖な知に到達しなければならないと言いました。

 自らの実現を得るための最短かつ最も直接的な道は、「私は思う」「私は欲しい」「私はする」などのように我々が毎度言及する、この「私」または自我とは本当は誰か、どこからそれは生じるのか探求することであるとバガヴァーンが説いたことはよく知られています。この「私」とは心の別名であり、再び心とは思いの塊に過ぎません。心が外に出て、世界に関する思いに耽溺するのを許さずに、心が飛び出すところの源を見つけるために、絶え間なく、断固として心自体に心を引き戻すなら、心は我々を自らに連れ行くだろうと彼は説きました。この方法はヴィチャーラ、探求として知られており、ジニャーナ・マールガの部類に入ります。

 しかしながら、バガヴァーンが彼自身、ジニャーニと同じぐらいバクタである、知の人であるのと同じぐらい献身の人であったことは、あまりよく知られていません。私はこのテーマに関して詳細に記せますが、それはほとんど必要ありません。Five Hymns to Arunachala を一読すれば、彼がどれほど真摯で熱心な信奉者であったかを証明するのに十分です。私がここで明らかにしたいと望むことは、自らの探求を推薦し、質問者に「私は誰か」彼自身に問うように言うとき、バガヴァーンはしばしば次のように言って終えました-「もしあなたがそうする力がないと言うのなら、全ての面倒を見る唯一なる偉大なに身を委ねなさい」。私は彼がこれを言うのを一度だけでなく、何度も聞きました。彼の最初期の本、かの偉大な短い著作 Who am I? の中でさえ、彼は言います-「神は、どれほど重くとも、全ての重荷を担う用意ができています。あなたの全ての重荷もに委ね、自由になってはどうですか。鞄を網棚に置かずに膝や肩に乗せている鉄道列車の乗客のような馬鹿な真似はよしなさい」。カルマ・マールガであれ、ヨーガであれ、私は彼が自発的にこのように推奨するのを聞いたことがありません。

 これに関連して、バガヴァーンの最古参の信奉者の一人であり、バガヴァーンの教えについて語る権威を疑い難く持つであろう方、故シヴァプラカーシャム・ピッライによるタミル語の詩からの一節を引用したいと思います。「全ての者にあなたはこの教えのみを授けた-あなたは誰か熟慮し、見つけ出しなさい。その後、もし、さらに誰かが従順にそれ以上を望むなら、あなたは最後の助言として言う-あなたや私、全てを動かす力(シャクティ)が存在します。そのの足元にあなたの自我を引き渡しなさい」。

 我々の国の多くの古の聖者たちだけでなく、二人だけ言及するなら、シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサとシュリー・ラームダースのような近代の聖者たちも、委ねというバクティの道を推奨しています。プラーナはさらに踏み込んで、この霊的暗黒時代、カリ・ユガの間は、バクティの道が最も適しており、最も修練しやすいと断言しています。何もかもを神に任せ、の足元に身を委ね、ただ御名をいつも唱え続けなさい。他の何もする必要はありません-あなたは救われるでしょう。それが彼らの言うことです。

 しかし、誰が何と言おうとも、どれほどその方法が一見簡単に見えても、一たびあなたがそれを熱心に修練し始めるなら、委ねは、完全な本当の委ね、全く心に疑念を抱くことのない委ね、良いものであれ悪いものであれ、可もなく不可もないものであれ、あなたに降りかかる全てのものを神からもたらされるとして喜んで受け入れる委ねは、全くもって非常に困難なです。しかし、委ねが完全でないなら、効き目はないだろうと我々は教えられています。二つの物語があります-一つは偉大な叙事詩、マハーバーラタから、もう一つはシュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサによって語られたもので、これを例示しています。最初のものは、ドラウパディーの力強い夫たちが当時自由を失っていて、彼女が無防備になっていた時、邪悪なドゥルヨダーナとその友人たちが宮殿で彼女の衣服を脱がせようとし、彼女が最後の唯一の寄る辺としてシュリー・クリシュナに祈ったものです。しかし、彼女がサリーにしがみつき、腰からサリーを脱がされまいとする自然で、ほとんど無意識的な努力を放棄して初めて、彼からの助けがやって来ました。彼女が自分自身を助けようと苦闘する限り、神聖なる恩寵が彼女を助けるために湧き出ることはできませんでした。ラーマクリシュナによって語られる物語は、さらにいっそう力強いものです。洗濯人が衣類を洗っていた時、ある人がいちゃもんをつけ、彼をたたき始めました。洗濯人はヴィシュヌに助けを求めて叫びました。ヴィシュヌはその時、配偶者のラクシュミーとともに天界で興じていました。洗濯人の哀れを誘う叫び声を聞くや否や、彼は立ち上がり、地上に向かって駆け出しました。しかしながら、少しして、ラクシュミーは彼がのんびりぶらぶら歩いて帰って来るのを見ました。「どうしたんですか」と彼女は尋ねました。「どうしてあんなに突然、出て行ったのですか。それに、どうして今や急がずに戻って来たのですか」。
 
 主はそこで直ちに説明しました。「ある信奉者がたたかれて、私に助けと保護を願い求めました。それで、私は彼の救助に駆けつけなければなりませんでした。しかし、私がそこにつく前に、彼が自分自身を守るために棒を手に取りました。だから、どうして私が構う必要がありますか」。

 これがバガヴァーンが説いたことです-委ねは完全でなければならず、そうでなければ、効果的ではなくなるでしょう。あなたが霊的境地において何らかの進歩を期待しうる前に、あなたが持つもの全て、体、所有物、魂をグルに捧げる、差し出さければならないと我々の宗教文学の中で明確に説かれています。神、グル、自らは同等視されていることを我々はまた覚えておかなければなりません。そのような委ねは、我々の霊的目標、それをムクティ、モークシャ、ニルヴァーナ、解放や何とあなたが呼ぶのであれ、その達成のための十分かつ確実な手段として説かれてきています。アッラーフの意思への服従は、イスラム教の基本的な命令です。イエスは言いました。「労苦し、重荷を背負う汝ら皆よ、のもとに来きなさい。そうすれば、私はあなた方に安息を与えよう」。クリシュナは言いました。「あなたの一切の義務を放棄し、のみに寄る辺を求めよ。私はあなたを一切の罪から解放する。嘆くなかれ」。

 シュリー・クリシュナは、の御足に寄る辺を求め、完全に委ねるなら、他の何もする必要はない、他の何の義務にも気をもむ必要はないと明確に断言しました。この全き献身、自らの委ねの道は、全インド中の多くのバクタによって、特に、タミル地方の偉大なシヴァ派とヴィシュヌ派の詩聖たちによって、マハーラーシュトラのトゥカーラム、エークナート、ナームデーヴなど、そして、ベンガルのチャイタンヤによって、宣言され、従われてきました。私がすでに引用した、バガヴァッド・ギータのいわゆる「チャラナ・スローカ」で説かれるように、特にヴィシュヌ派は委ねの道を大変に重要視してきました。彼らはこの委ねをプラパッティと呼び、その教説をきわめて詳細に発展させ、その分枝がどれほど遠くまで及ぶか示しています。

 この「プラパッティ」の道の特に私にとって魅力的である一つか二つの側面にのみ言及しようと思います。例えば、他の道では神は目的であり、様々な他の物事が手段として使われるが、委ねの道では、手段と目的の両方が神であると彼らは言います。彼らが言う別のことは、他の道では二つ以上の手段がとられるかもしれないが、委ねの道では他の手段は必要ないか、許容さえされないということです。なぜなら、それは委ねへのあなたの信頼が完全でなく、それゆえにあなたの委ねそれ自体が存在しないことを暗示するだろうからです。彼らがこの論拠のために引用する一つの例示があります。ラーマーヤナで、インドラジットは「ブラフマー・アストラ」と呼ばれる強力な武器を使い、その神聖な力によってハヌマーンの手足をしばりました。ラークシャサたちは、しかしながら、念には念を入れようとして、彼を縄と鎖でも縛り始めました。するとすぐに、神聖なる武器は彼らのそれへの信頼の欠如のために働くのをやめました。完全に神に身を任せ、の愛と慈悲と力に安心し、恩寵意思による以外は何かなすことができると夢にも思わないことが、ヴィシュヌ派の信者によって説かれるプラパッティの方法であり、それは本当に熱心な信奉者にとって大変な価値があります。

 近代の聖者たちでさえ、グルに完全に委ねるなら、他の何もする必要はないと幸運な弟子たちに慈悲深くも言いました。かつてギリシュ・チャンドラ・ゴーシュがラーマクリシュナの前で涙を流し、どれほど単純で短くても、どの修練にも彼が従うことができないと言明したとき、ラーマクリシュナは喜んで彼に言いました。「では、私に委任状をください」-その意味することろは、「委ねなさい、そうすれば、後のことは私が行います!」。

 私はかつてバガヴァーンに言いました。「私はもう一人のギリシュです。あなた自身が私を救わなければなりません。全ての聖者にギリシュがいるはずです」。

 バガヴァーンは答えました。「でも、彼は委任状を渡しました」。

 「私も私に可能な程度、委ねました」と言いました。「それ以上、私に何ができますか」。

 バガヴァーンは何も言いませんでした。

 「委ねなさい、そうすれば、私があなたの面倒を見ます」と言うのは、バガヴァーンのやり方ではありませんでした。しかしながら、その点に関して以下の出来事は意義深いものです。バガヴァーンが体を離れる一年ほど前、ある午後、私は彼に言いました。「バガヴァーン、私はシヴァプラカーシャム・ピッライによる詩から3詩節歌います。なぜなら、それは私よりも上手く私が言いたいことを表せるからです」。そして、私は歌いました。その意味は次のとおりです。「私はあなたの教えにも指導にも従ってきませんでした。しかし、救いがたい獣だとして信奉者に愛想をつかし、見放すことはグルにとってふさわしいことですか。あなたがこのように私に我が道を行かせるのなら、何が私に起こることになるでしょうか。私は改心しませんし、あなたは私を正しも、変えもしないでしょう。我が主よ、あなた以外に今世や来世において他の助けが何か私にあるのでしょうか。では、どうお思いなのですか。これはあなたにとって正しい振る舞いですか」。

 バガヴァーンはすぐには返答せず、それは私にいくらか失望をもたらしました。一、二分後、彼は言いました。「私が何をしてもしなくても、あなたの務めは、ただ委ね、じっとしていることだけです」。

 幾人かの友人は、私がこれを「心配しないでいいです。私は何をすべきか知っているし、それを行うでしょう」ということを意味すると受け取ってかまわないと私に言いました。逆に、それは「あなたが本当に委ねるなら、不平を言う権利はありません。ですから、信奉者が不平をいうなら、それは委ねていないという印です」ということを意味するだけかもしれません。いずれにせよ、私は楽観主義者でいるのを好み、どれほど私の委ねが不完全であろうとも、彼の恩寵が完全である限り、彼が私の面倒を申し分なく見てくれるであろうと信じています。

 私は最近、Bhavan's Journal の中で、ヴァジュレシュワリに30年ほど住み、数年前に亡くなったスワーミー・ニティヤーナンダ()の教えのいくらかを読みました。弟子が彼に尋ねました。「私は何をすべきでしょうか」。彼は返答しました。「あなたは何もする必要ありません」。私はそれを「何もかもをグルに委ね、託す以外何も」ということを意味すると受け取ります。

 知識人はバクティの道を見下したくなるかもしれませんが、そのような態度は正当化されないということを十分に示すほど私は記したと思います。これを例示するための物語をもう一つして終わりにしましょう。トータープリーは、ラーマクリシュナが、タントラ教徒のグルをすでに得ていた後、グルとみなしたアドヴァイタの唱道者です。彼は人々が人格神を崇拝することに我慢ならず、ラーマクリシュナが始終カーリーについて話し、彼女を崇拝し、「」と呼んでいることをからかっていました。彼は以前に一度も健康を損ねたことがありませんでしたが、突如、深刻で痛みがひどい種類の赤痢に襲われました。それはとてもひどかったため、数日後、彼はガンジス川に身を投げようと決意しました。彼は川に入り、対岸に向かっておそらく半マイルかそこら歩いたところで、水が膝よりも決して深くならないことに気づきました。ついに、ラーマクリシュナの「」、カーリーが彼の前に現れ、そのようにして奇跡的に彼を改心させました。

 それゆえ、幾人かの哲学者や聖者さえもが委ねの道を非難するとしても、謙虚な信奉者をがっかりさせないようにしましょう。プリンの味は食べてみなければわかりません。それはあまねく世界中で、インドのバクタだけでなく、ペルシャのスーフィ、西洋東洋双方の神秘主義者に対して、うまくいき、成果を上げてきました。とりわけ、シュリー・クリシュナは、彼のもとに来て、彼の足元に寄る辺を求める全ての者を彼が救うという保証を与えています。疑うのはよして、委ね、永遠の安らぎ至福を達成しようではありませんか。