2017年2月1日水曜日

バガヴァーンのドヴァーダクシャラ・マントラ - その由来と意味

◇「山の道(Mountain Path)」、1971年7月、p168 & 「THE MAHARSHI」、2005年3/4月 etc

そのマントラはどのように私のもとにやって来たのか

T.K.S

 オーム・ナモー・バガヴァテー・ヴァースデーヴァヤというマントラは、若かりし頃、私を大変に魅了していました。それは私を大いに喜ばせたため、私は主ヴァースデーヴァについて絶えず考えていました。私にはこの体が40代に死ぬだろうという予感があり、その時までに主のダルシャンを得たいと望んでいました。私は断食し、絶え間なく主ヴァースデーヴァへの献身を修練しました。私は『シュリー・バガヴァッド・ギーター』と『シュリー・バーガヴァタム』を大いに喜んで読みました。その時、ギーターの中で、Jnani tu atmaiva me matam(私の見解では、ジニャーニは私自身の自らである)を読み、それはストレートに私の心に響き、次の思いが私に浮かびました。「ヴァースデーヴァ自身である、バガヴァーン・シュリー・ラマナが身近にいるのに、どうして私は別にヴァースデーヴァを崇拝すべきなのか」。留意されるべきは、この全てが、シュリー・バガヴァーンと共に彼のアーシュラムに居を定める前の私の若かりしころのことだということです。そのため、忠誠心に矛盾がないように、私はただ一つのマントラ、ただ一人の神(デーヴァタ)、ただ一冊の聖典が欲しかったのです。容易にシュリー・ラマナ・パラマートマンは崇拝すべき神に、彼の『Collected Works』は福音になりました。マントラに関しては、オーム・ナモー・バガヴァテー・シュリー・ラマナーヤが、オーム・ナモー・バガヴァテー・ヴァースデーヴァヤにきっちり対応するということが直感的に閃きました。この新たなマントラの文字を数えたのですが、それが(サンスクリット語で)12文字含んでいることに気づき、私はとてもうれしく思いました。私はこの全てをシュリー・バガヴァーンに伝え、彼はそのマントラを承認して下さいました。

 進んだ修練者(サーダカ)はこれを笑い、「直接浸(ひた)るべき至福の大海がそこにあるのに、どうしてマントラが必要なのか」と言うかもしれません。実を言えば、その中で私は伝統的な修練の方法(ウパサーナ)に従おうとしていたのです。それはバクティ(献身)の主要な要素の一つを形成しています。シュリー・バガヴァーンは彼の本質が全ての目撃者であることを明らかにしました。それでも、アドヴァイタは態度の中にのみあるべきであり、外の行為に決して示されてはならないという明確な訓令があります。

心中、常に不二の感覚を保て
しかし、決してそれを行為に表すな
我が息子よ、不二の感覚はたとえ三世界に適用されても
グルに対して用いられるべきでない

-シュリー・バガヴァーンのSupplement to the Forty Verses on Reality

 このようにして、オーム・ナモー・バガヴァテー・シュリー・ラマナーヤなるマントラが私のもとにやって来たのです!


Gayathri Girishによる「オーム・ナモー・バガヴァテー・シュリー・ラマナーヤ」


オーム・ナモー・バガヴァテー・シュリー・ラマナーヤ

T.S.ヴァイダヤナタン

 このマントラは、熱心な信奉者、シュリー・T.K.スンダレーサ・アイヤルに明らかにされ、続いて、バガヴァーンに承認され、彼の存在を希求します。それはバガヴァーンのドヴァーダクシャラ・マントラとして知られており、それが12文字であることを意味します。

 ヒンドゥー教では、実際のマントラを隠しておくことが一般的であり、実際にそのマントラを言うことなく、それを5か6文字のマントラと呼びます。これはそのマントラの高潔さ、純粋さを守るためになされ、手ほどきを受けてない人がそれを誤用しないためです。我々がシュリー・ナーガンマの『Letters from Sri Ramanasramam』の中で、ドヴァーダクシャラ・マントラが牝牛のラクシュミーの前でその臨終の日に唱えられていたということを読むとき、これが彼女が言及していたマントラです。実際の意味は、手短には、以下になります。

・オーム
 これは主シヴァのビジャ・マントラであり、その起源をジーヴァとシヴァの合一を表す、ソーハムに由来します。それはまた、主シヴァの内在的な形のことを指しています。それは時にプラナヴァと呼ばれ、全創造の背後の根源的な音であると信じられています。

・ナモー
 サンスクリット語のマナは、心を意味します。ジーヴァの心は世界に向かって出ていきます。言葉を逆さにすると、マナはナマになり、神もしくは内なる自らを頼りにすることを意味します。ナマハは非常に神聖な名前の共通の結びであり、「私はあなたを頼りにする」を意味します。上のように、ナモーは文法上強制されています。

・バガヴァテー
 バガを所有する者。神性を示す六つのバガがあります。神かその真の化身のみ、それらを所有できます。その特質とは、万能の力、ダルマ、名声、繁栄、知識、離欲です。

・シュリー
 いくつか意味がありますが、この文脈では、「恵み深い」を意味します。

・ラマナーヤ
 自らに楽しむ者

 そのため、マントラの意味は、「恵み深き神聖な主ラマナに帰依します」です。


Kali Dasによる「ラマナ・サッグル」、リズミカルで誰でも歌えるシンプルさ

ラマナ・サッグルx8
オーム・ナモー・バガヴァテーx3 シュリー・ラマナーヤ x2
アルナーチャラ・シヴァx6


-サーダナに関するバガヴァーンとの対話-

私が見た彼 - No.3

クンジュ・スワーミー

 約12年間、バガヴァーンに直接仕えて過ごした後、私はひたすらサーダナに専念したいという衝動を感じ始めました。しかしながら、バガヴァーンへの直接の奉仕を放棄することに私はたやすく甘んじられませんでした。私は数日間その問題をじっくり考えていたのですが、答えは奇妙な方法でやってきました。

 ある日、私が講堂に入ると、バガヴァーンが、彼への本当の奉仕とは彼の体に必要なものを世話することではなく、彼の教えの本質を追及すること、すなわち、自らを実現することに集中することであるとそこにいた他の人々に説明しているのを耳にしました。言うまでもなく、それは自動的に私の疑問を晴らしました。

 それゆえ、私はアーシュラムの務めを放棄しましたが、その時、どのように、実際、丸一日を実現の探求に費やすべきか決めるのが困難であると気づきました。私はその問題をバガヴァーンに委ね、彼は自らの探求を私の最終目標とし、自らの探求、瞑想、ジャパ、聖典の読誦をかわるがわる修練し、行っているものに飽きたり、困難であると感じるや否や、別のものへ変えるよう私に助言しました。やがて、サーダナは自らの探求、純粋な意識、または、実現(の探求)に安定するでしょうと彼は言いました。

 どのような道を熱望者に勧める前にも、バガヴァーンは初めに、どのような側面、形、または道に彼が自然と惹かれるのか彼から聞き出そうとし、その後、その人にそれに従うよう勧めたものでした。彼は時に、プージャから、ジャパ、ディヤーナ、そして最後にヴィチャーラへと進む、サーダナの伝統的な段階を是認したものでした。しかしながら、これらのどの方法でも、途切れのない厳しい修練は、それ自体、実現へ導くに足ると彼はよく言いました。
(THE MAHARSHI、1991年7/8月、抜粋)

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