2014年10月30日木曜日

苦しみからの学び - 苦しみの存在は神の存在と矛盾するか

◇「山の道(Mountain Path)」、2012年7月 p9~14

カルマ、輪廻転生、世界の苦しみ

アラン・ジェイコブス
(イギリス・ラマナ協会会長)

 今日、人々の心は、テロリズム、地域武力紛争、飢餓、病気、自然災害、不景気による地球上で目下のところ経験される苦しみについての多大な苦悩や不安で占められています。多くの現代の福音主義的無神論者や不可知論者は、神の存在についての彼らの懐疑論を「恵み深く、情け深い愛の神はとても存在しえない、そうでなければ、彼はこんなにも多くの世界の苦しみを許さないだろう」という言葉に基礎づけています。

 聖者らによれば、世界の宗教の最上の教えは、我々がみな「一つ」であるという考え、多くの名前が与えられている同一の神聖な源から我々が来たという考えに包含されています。

 シュリー・ラマナは、「神は愛の実際の姿である」(*1)と言いました。それでは、なぜ世界には、そんなにも多くの苦しみが存在するのでしょうか。我々自身の教え、至高なる聖者、シュリー・バガヴァーン・ラマナ・マハルシの教えの立場から、我々ははじめに、「この存在の次元は、人間の進化のための計画が組み込まれたカルマの領域として見られるほうが良い」ということを理解しなければなりません。

 『バガヴァッド・ギーター』やシュリー・ラマナ・マハルシが指摘するように、人間は、自分自身の精神的発達のために、イーシュワラ、全能の神によってあらかじめ定められたカルマ、もしくは、運命をもって、この惑星に生まれます。このことはラマナとポール・ブラントンとの対話の中で彼に述べられ、『Conscious Immortality』と『Be As You Are』に記録されています。

 バガヴァーンは言います。「個人々々が彼らのカルマを経験しなければなりませんが、イーシュワラは彼の目的のために彼らのカルマを最大限うまく活用します。神はカルマの結果を操作しますが、それに加えたり、取り除いたりしません。人の無意識は、善悪のカルマの貯蔵庫です。心地よいものであれ、苦しいものであれ、イーシュワラは各人のその時の精神的進化に最適であると彼が分かるものをこの貯蔵庫から選びます。そのため、勝手気ままなものは何も存在しません」。(*2)

 『バガヴァッド・ギーター』は我々に「誰も実際には死なない」と教えます。主クリシュナはアルジュナに、「嘆くなかれ!」と言いました。合間の休息の後、魂またはジーヴァは新たな命に生まれ変わり、それは過去世において蓄積された潜在的傾向から、彼または彼女の精神的成長のために、再び選ばれます。この循環は、徳のある行為の結果として、恩寵を通じ、自らの実現に然るべく彼らを導く、この教えに最終的に彼らが連れ行かれるまで続きます。その時、カルマ的全計画は崩れ落ち、神の本質、もしくは、現実‐意識‐愛としての実在が実現されます。

 シュリー・ラマナの見解は以下に十分によく表わされています。

信奉者:
 神は完全です。彼はどうして世界を不完全に創造したのですか。御業は創造者の性質を共有しています。しかし、この点で、そうではありません。

マハルシ:
 その質問を提起したのは、いったい誰ですか。

信奉者:
 私-個人です。

マハルシ:
 あなたがこの質問を尋ねる神から、あなたは離れていますか。あなたがあなた自身を体であるとみなす限り、あなたは世界を外側(にある)とみなします。不完全さがあなたにとって現れます。彼の御業もまた完全です。しかし、あなたの誤った同一視のために、あなたはそれを不完全であるとみなします。

信奉者:
 どうして自らが悲惨な世界として顕現したのでしょうか。

マハルシ:
 あなたがそれを探し求めるために。あなたの目は、目そのものを見ることはできません。その前に鏡を置けば、目は目を見ます。創造についても同様です。「まずは、あなた自身を見なさい。その後、全世界を自らとして見なさい」。

信奉者:
 では、つまりはこういうことです-私はいつも内を見なければなりません。

マハルシ:
 ええ。

信奉者:
 私は世界をまったく見るべきではないのでしょうか。

マハルシ:
 あなたは世界から目を閉ざすように教えられているわけではありません。あなたはただ、「まずは、あなた自身を見て、その後、全世界を自らとして見る」べきです。あなたがあなた自身を体とみなすなら、世界は外側にあるように見えます。あなたが自らであるなら、世界はブラフマンとして現れます。(*3)

 バガヴァーンは簡潔に、より高い視点からは、世界、神、個人という三つ組に関する質問は心の作りごととしてみなされるべきであると述べました。より低い視点からは、世界について思い悩まずに、我々は「それを創造した彼にその面倒を見」させておくべきです。

 このことが受け入れられるなら、人々が忍受する苦しみは、それが魂の精神的発達のためにあらかじめ定められたカルマであるという意味において、恵み深いものです。バガヴァーンはスワーミー・ヨーガーナンダに、「なぜ神はこの世の苦しみを許すのですか。彼はその全能の力でもって一遍にそれを取り除き、神の普遍的な実現を定めるべきではありませんか」と尋ねられました。バガヴァーンは、「苦しみは神の実現のための道です」(*4)と答えました。魂の高潔さやとても多くの美徳は、ただ苦しみのみから生まれます。浄化と清めの時である、このサンサーラは、退廃的で堕落した文化の享楽主義の中にぐずぐず居残るのではなく、その子供たちを真の価値観へ立ち帰らせるために苦しみを活用します。

 ハーフィズが記すように、「とても柔らかく、棘のないバラを摘んだ、最も偉大な者は決して生まれなかった。我々は対立する二極の法則にもとづく世界に住んでおり、我々はそれを乗り越えねばならない」。

 地球上には苦しみがいつも存在しています。二つの世界大戦において忍受された苦しみと比較すれば、現代の苦しみはほとんどごく僅かなものです。同時に、我々は決してどんな苦しみにも無情で、無関心でいるべきではなく、いつも慈悲を持って行動しなければなりません。バガヴァーンが説くように、苦しみが我々の行く手にやって来るなら、我々はそれを和らげるために最大限のことをしなければなりません。ジニャーニは全く慈悲深くあり、それは人間にとってだけでなく、動物や植物についても同様です。我々が人類にもたらすことのできる最大の助けは、我々自身の自らの実現であり、それは信仰者と無信仰者いずれもの間のこの世の苦しみを和らげます。

  よく尋ねられる質問は、「苦しみが起こった時、それにどう対処すればいいのか」です。まずはじめに、人は何であれそれを「受け入れ」なければならず、結局は、それが一番良い結果になります。人間の心はより優れた知恵を理解できません。この委ねの形と共に、人は苦しみから学ぶことになっていた教訓を徐々に理解します。毎日の生活は緊張、不安、喪失、失望でいっぱいです。私が述べた受容の後、委ねの行為として、我々は我々の人生の全ての重荷を神、もしくは、我々のハートの中のサット‐グルに手渡さなければなりません。その後、彼が我々の重荷を運び、我々の心配はすべて彼のものです。

 最終的に、銀河系から原子に至るまでに起こる、あらゆることは神の御心の許しなくして動かないということを我々は受け入れなければなりません。個人的な心地よい満足に基づき、取るに足りない自己中心的な人間的な認識でもって、遠目に推し量ることさえも我々の知性を超えている全世界の主の行為を問う資格が我々にありますか。

 シュリー・バガヴァーンが苦しみの問題について尋ねられた時、彼はそれを取り除く方法を提案しました。他のたいていの人は枝を刈り取ります。シュリー・バガヴァーンは問題の根に取り組みました。どれほど苦しみが重大なものであっても、深い眠りの中ではそれを意識しないと彼は言いました。ひどく歯が痛む時、その痛み以外何も考えられません。しかし、痛みは深い眠りの中で感じられません。深い眠りの中で、我々は体を意識せず、それゆえに、痛みも存在しません。心が自らに溶け込む時、体の意識は存在せず、それゆえに、痛みは存在しません。シュリー・バガヴァーンは身体的苦痛は体の意識の後にだけ起こると言いました。それは体の意識と楽しみがない時にありえません。痛みは自我に依存しています。それは「私」なくしてありえませんが、「私」はそれなくして存続できます。

 普段でさえ、痛みが心の持ちように関連していることに我々は気づきます。何かの激しい痛みがあり、好感を持つ人が入って来るなら、痛みはある程度和らぎます。好きではない人が入って来るなら、痛みはひどくなります。言いかえれば、特定の瞬間の心の状態に応じて、痛みは増減します。シュリー・バガヴァーンは、痛みをまったく感じないように、心を完全に取り除くよう求めます。彼は言います。「ですから、内に向き、自らを探求しなさい。そうすれば、世界とその苦しみは共に終わります... 体の意識が去る時、苦しみも去ります。祈りは、それが至高の存在への観想の中に我々自身を失わさせるという点において、良いのです。心が観想の中に失われる時、少なからぬ痛みの軽減が起こります。しかし、祈りは苦しみを完全に取り除きません。心が祈りに従事していない時、個人は苦しみを感じます。プージャー、ジャパ、祈りは、それらが心から一時的に苦しみを取り除いてくれる点において、全て良いのです」。(*5)

 それらは一時的な手段として全て良いのですが、苦しみを取り除くことは体の意識の排除を通じてのみ可能です。シュリー・バガヴァーンは、「もしそのように苦しみのないままにあるなら、どこにも苦しみは存在しません。今の問題は、あなたが世界をあなた自身の外側に見て、その中に苦しみがあると考えるためです。世界と苦しみは共にあなたの内にあります。あなたが内に向かうなら、苦しみは存在しません」(*6)と言います。

 そのように苦しみを排除する人たちは利己的であり、他者を気に掛けないという非難に対して、シュリー・バガヴァーンは、「世界はあなたの外側にありません。あなたが誤ってあなた自身を体と同一視しているため、あなたは世界をあなたの外側に見て、その苦しみがあなたにとって明らかになります。しかし、世界とその苦しみは現実ではありません。現実を探求し、この非現実の感覚を取り除きなさい。自分自身の理解が、苦しみの終焉です。その境地において、自らのみがあらゆる人、あらゆるものの中に見られるため、利己性についての質問は起こりません」(*7)と言います。

 しかし、シュリー・バガヴァーンは我々が他者の苦しみに無関心でいるべきだとは言いません。我々が体の意識を持つ限り、我々は我々の苦しみと他者の苦しみを意識し、それを取り除くことに関心があるでしょう。慈悲とは、実際、私の心の中のあなたの痛みです。我々が他者の苦しみを取り除く時、我々はより自分中心でなくなります。しかし、この方法では、我々は世界の一切の苦しみを取り除けません。苦しみは自我に依存しているため、シュリー・バガヴァーンは自我を取り除くことを勧めます。そして、苦しみもまた消えます。

 これは単なる理屈ではありません。シュリー・バガヴァーンは彼が述べたことの良い例となりました。彼が癌を患った時、彼はそれが他人のものであるかのように振る舞いました。彼は相変わらず落ち着いていて、まさにその最後の時まですべての人にダルシャンを与えました。彼の表情にはかすかな痛みの痕跡もありませんでした。彼の体への無執着は完全でした。

 原注:
(*1)Muruganar、『Guru Vachaka Kovai』、652、p277。T.V. Venkatasubramanian,、D. Godman、R. Butler訳。
(*2)Brunton Paul、『Conscious Immortality』(1996)、p130。David Godmanは、「この引用の一部は、不注意にも出版されたバージョンから取り除かれています。ここに記載される引用は直接この本の原稿から取られたものです」と記しています。『Be As You Are』(Penguin Books India, 1992)、21章、注釈3、p237参照のこと。
(*3)Venkataramiah, M.(編集)、『Talks with Sri Ramana Maharshi』(1996)、§. 272、1936年10月23日、p226~228
(*4)同書、§.107、1935年11月29日、p103
(*5)Subrahmanian, K、『Uniqueness of Sri Bhagavan』(2007)、p58
(*6)同書、p58
(*7)同書、p58

2014年10月19日日曜日

真理への様々な道のり - 全ての道は「私は誰か」に通ず

◇『シュリー・ラマナーシュラマムからの手紙(Letters from Sri Ramanasramam)
      
1947年11月29日

(159)自らの探求という道


 今日の午後、ある信奉者がバガヴァーンに、「スワーミー、実現(悟り)を得るためには、『私は誰か』という探求が唯一の道でしょうか」と尋ねました。
 
 バガヴァーンは彼に答えました。「探求が唯一の道ではありません。聖なる名の復唱(ジャパ)やどのような方法でも、不屈の決意と忍耐をもって、名と形を伴う靈的修練(サーダナ)を行うなら、人はそれになります。各人の素質に応じて、ある靈的修練が別のものよりも優れていると言われていて、その様々な微妙な相違やバリエーションが与えられています。ティルヴァンナーマライから遠く離れている人々もいて、とても近くにいる人々もいます。また、ティルヴァンナーマライにいる人々もいますが、バガヴァーンの講堂自体に入る人々もいます。講堂に入る人々にとって、彼らが足を踏み入れる時に『ここにマハルシがいます』と告げるなら、それで十分であり、彼らは即座に彼に気づきます。他の人々には、どの道筋をとるのか、どこで乗り換えるのか、どの道に向かうのか教えなればなりません。同様に、修練者(サーダカ)の素質に応じて、採るべき特定の道が定められなければなりません。これらの靈的修練は、全てに行き渡る自分自身の自らを知るためではなく、ただ欲望の対象を取り除くためだけにあります。その全て(の欲望の対象)が捨て去られる時、在るがままに留まります。いつも存在しているそれは、自らです-あらゆるものが自らから生まれます。人が自分自身の自らを実現する時にのみ、それは知られるでしょう。人がその知を持たない限りは、この世界で見られる全ては現実のように見えます。この講堂で眠っている人がいるとしましょう。寝ている間に彼はどこかに行く夢を見て、道に迷い、村から村へ、山から山へさ迷い、その間、何日かの間ずっと、食べ物も水もなく探し求めます。彼は大いに苦しみ、何人かに尋ね、終に正しい場所を見つけます。彼はそれにたどり着き、この講堂に足を踏み入れつつあると思い、大変に安心して、驚いた表情で目を開けます。この全ては短い間に起こったのでしょうが、目覚めてはじめて、彼は自分がどこにもいなかったということを理解しました。我々の現在の人生もまたこのようです。知の目が開かれる時、人は自分が常に自分自身の自らの中に変わらずにいることを悟ります。」

 質問者はさらに、「全ての靈的修練が、よく言われるように、自らの探求という道に溶け込むというのは本当ですか」と尋ねました。

 「ええ」とバガヴァーンは答えました。「『私は誰か』という探求はヴェーダーンタの始まりであり、終わりです。四種類の靈的修練の長所を持つ者だけが、ヴェーダーンタ的な探求に適していると言われています。修練の四つの範疇の中で、最初のものは自ら(アートマ)と自らならざるもの(アナートマ)についての知識です。それは自らが永遠(ニティヤ)であり、世界が非現実(ミティヤ)であるという知識を意味します。これをどうやって知るのかが問題です。『私は誰か』や、私自身の本質とは何かに関する探求によって、これを知ることが可能です!いつも、この手順は靈的修練の最初に提案されますが、一般的にそれは説得力がありません。そのため、あらゆる類の他の靈的修練が頼られ、修練者が自らの探求に取り組むのは、ただ究極的に、最後の拠り所としてだけです。A、B、C、D、Eなどのアルファベッドは若いころに習います。これらの文字が全ての教育の根本であり、文学士や文学修士のために勉強する必要がないと言われるなら、人々はそのような助言を聞き入れますか。勉強し、それらの試験を通ってはじめて、学んだ全てがA、B、Cなどの根本的な文字に含まれていることが理解されます。全ての聖典は初歩的なものごと、アルファベットに含まれてはいませんか。そうであることは、全ての聖典を暗記した後にだけ知られます。多くの川があり、真っ直ぐに流れるものもあれば、うねり、ジグザグに曲がっているものもありますが、その全てが究極的には大海に溶け込みます。同じように、全ての道が自らの探求に溶け込みます。全ての言語が沈黙(モウナ)に溶け込むのとまさしく同様です。モウナとは途切れのない会話です。それは空白であるということを意味しません。それは自らの言葉であり、自らと一体となっています。それは自ら光り輝いています。あらゆるものが自らの内にあります。タミル・ナードゥでは、ある偉大な人が、「我々はスクリーンのようであり、全世界はその上の映像のように映る。沈黙は完全であり、全てに行き渡っている』という趣旨の歌を作り、歌いました。「om purnamadah purnamidam purnatpurnauduchyate」という言葉のように、あらゆるものは真理を悟った人にとっては同じように映ります。たとえ彼が何かを見ても、彼はそれを見ていないも同然です。」

 そのように言い、バガヴァーンは再び沈黙しました。

イーシャー・ウパニシャッド


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『イーシャ-・ウパニシャッド』のはじめの祈りの詩節

om purnamadah purnamidam purnatpurnamuduchyate
オーム プールナマダ プールナミダム プールナープールナムダッチャテー
purnasya purnamadaya purnamevavasisyate
プールナッシャ プールナマーダヤ プールナメーヴァーヴァシッシャテー 
om shanti shanti shantih
オーム シャーンティ シャーンティ シャーンティ

オーム、あれは完全である。これは完全である。完全から完全が生じる
完全から完全を取り除くなら、残るものは完全である
オーム、安らかでありますように(×3)

2014年10月8日水曜日

D.S.シャーストリ - 妹ナーガンマからの手紙の受取人、ジャパの速度

◇「山の道(Mountain Path)」、1971年7月 p181~183

シュリー・バガヴァーンとの若かりし日々の思い出

D.S.シャーストリ

 1941年にアーシュラムをはじめて訪れた際に、私はビクシャーの手配をしました。アーシュラムに住む人全員にご馳走する費用がかかるため、それを行う訪問者はほとんどいませんでした。そのために私は尊大な気持ちを持っていました。午後、しかしながら、私が他の二人の信奉者とお茶を飲んでいた時、彼らの内の一人、副登記官のシュリー・ナーラヤナ・アイヤルが弁護士のシュリー・T.P.ラーマチャンドラ・アイヤルに、「今朝、誰が我々全員にご馳走したのか知っていますか。我々のそばにいるシュリー・シャーストリですよ」と言いました。これに対して、シュリー・ラーマチャンドラ・アイヤルは、「誰がビクシャーを与えたかの何が重要なのですか。シュリー・バガヴァーンがその日の我々の食事を与えています。それが我々にとって重要なことです」と述べました。それは謙虚さについての良い教訓となり、自己中心主義というヒドラの首を切り落とすために様々な手段を使う、真のジニャーニの常に存在する注意深さを私に深く悟らせました。

 私はヒンドゥー教の聖典や哲学についてあまりよく知りませんでした。私はそれらをパンディットの助けによって学びたいと思い、『ヨーガ・ヴァーシシュタ』か『バガヴァッド・ギーター』のどちらから始めるべきかバガヴァーンに尋ねました。以前に、誰かが私に前者はバガヴァーンのマールガであるジニャーナ・マールガを扱っているので、その本から始めるべきだと言っていました。バガヴァーンは、しかしながら、ギーターを勧めました。私はそれについて全然うれしくありませんでした。翌日、私が去った後、バガヴァーンは私の妹のナーガンマに、初心者はヒンドゥー教の教義と哲学の根本について理解するために、はじめにギーターを読むべきであり、『ヨーガ・ヴァーシシュタ』は後で考えてもいいと言いました。それはいつもの通りに私に伝えられました。それゆえ、私はあるパンディットにギーターについて講演をしてもらうように手配しましたが、始める前にバガヴァーンの祝福を得るために私たちはアーシュラムにやって来ました。バガヴァーンは私たちに、ギーターは注意深く、むやみに急がないで学ばれるべきであると言いました。それに応じて、講演には私自身の他に、信奉者の小集団が出席し、20か月以上続きました。

 1946年9月の50周年記念式典の数日前に、私は偶然アーシュラムにやって来ました。私が到着して1日後、事務仕事のため、私は朝に車でヴェールールに出発しました。アーシュラムの管理人たちは、ヴェールールにいるある人から50周年記念式典のために必要な袋一杯の野菜と他の品物を途中で受け取って、一緒に持って帰るように私に頼みました。ティルヴァンナーマライを離れる前にバガヴァーンに告げることは信奉者にとって一般的なことでした。何かの理由で、私はこの機会にそのようにし忘れました。そのため、バガヴァーンはアーシュラムの管理人たちが私をヴェールールにお使いにやったと思い、信奉者がアーシュラムに安らぎと落ち着きを求めてやってきたのに、雑多な用事に煩わされるのをバガヴァーンは好まないため、アーシュラムの事務所にいる人たちを叱責することによって不満の色を示しました。私の妹のナーガンマは、私が予定通りに自分の事務仕事のためだけに出かけたのだとバガヴァーンに請け負いましたが、彼は納得しませんでした。夜の7時30分ごろにアーシュラムに戻るとすぐに、私は真っ直ぐバガヴァーンのもとへ行き、私がしたことを説明するように頼まれました。彼の心遣いはそのようでした!

 信奉者みなによくあることですが、サーダナに関して疑問がある時はいつでも、私はバガヴァーンに尋ね、疑問を解消しました。私が早朝に行うことを習慣にしていたガーヤトリー・ジャパをゆっくりと行うべきか、それとも素早く行うべきか、かつて私は尋ねました。バガヴァーンは、「それはジャパが行われている目的によります」と言いました。「それがシャクティ(力)を達成するためならば、素早く行われるべきです。マントラが繰り返し唱えられる回数が、必要とされる力を与えるからです。しかしながら、主要な目的が瞑想状態に入ることならば、マントラがゆっくり繰り返されても、素早く繰り返されてもほとんど重要ではありません。復唱は目的への手段でしかないからです」。しばらく後で、マントラをゆっくり繰り返している間にその流れを見失っていき、何とかそれを思い出した時だけ、それを再開することに気づきました。そのような逸脱が忘却や眠気によるのかどうか、そして、ジャパの継続性を保つために、それについて私はどうすべきかバガヴァーンに尋ねました。ジャパの流れを見失うことと瞑想に入り込むことは、忘却でもなく眠気でもなく、サーダナにおける好ましい特徴であり、何の恐れも疑いもなく、この修練を続けるべきであるとバガヴァーンは私に請け負いました。

 私は『Bankers' Advance Against Goods』という題名の銀行業務に関する本を記し、ボンベイのM/s. Thacker & Co. Ltdから出版されました。私はその本の最初の2冊をアーシュラムに持って行きました。1冊はアーシュラムの図書館のためであり、1冊は私が個人的に使うためであり、私の本にバガヴァーンのサインを得たいと思いました。アーシュラムの事務所はその両方にゴム印を押し、バガヴァーンのもとへ送りました。いつものように、バガヴァーンはそれらを熟読し、脇におきました。私はサインを頼みましたが、断られました。バガヴァーンは、アーシュラムの印がすでに上に押してあり、それで十分なはずですと指摘しました。そこで、シュリーやオームというように、バガヴァーンが少なくともアクシャラム(文字)を一つだけでもその上に書いたらどうかという提案が直ちになされました。再び断りながら、バガヴァーンは、「存在するもの(全存在)は一つのアクシャラムであり、それを書きとめることは不可能です」と言いました。私は困惑し、立ち去るときに気落ちせずにはいられませんでした。翌日、バガヴァーンは紙切れに「Ekamaksharam hri di nirantaram bhasate svayam likhyathe katham」(原注)という、この有名な詩節をサンスクリット語で記し、私のもとへ送るようにそれをナーガンマに手渡し、それによって私は落ち着きを取り戻しました。

 ある時、私はアーシュラムがひと月か3か月おきに機関誌を発行してはどうかと提案しました。アーシュラムの関心はその編集上の側面にあったので、私はその一部始終を作りあげ、印刷、発行、発送とあらゆる付随する仕事を監督すると申し出ました。(当時、全ての通信と出版を扱っていた)サルヴァーディカーリーとモウニは、これは望ましく、うまくいきそうだ云々と確信し、ある夜の9時頃、信奉者みなが去った時、我々3人はバガヴァーンに許可を求めるために近づきました。モウニは計画について詳細に説明し、バガヴァーンの同意を繰り返し懇願しました。しかしながら、バガヴァーンは熟慮された沈黙を保ち、どれほど我々がバガヴァーンから何らかの指示を得ようと試みても、うまくいきませんでした。それゆえ、計画は取りやめになりました!

 ナーガンマは、シュリー・バガヴァーンが信奉者と共に座っていた旧講堂で起こる興味深いことについて何でも私に(テルグ語で)手紙を書いたものでした。彼女は彼女が語る話をバガヴァーンの生き生きとした存在で満たすことができました。彼の質問への答えや発言は、いつも非常に興味深く、大きな価値がありました。ジニャーニの言葉は、探求者を変容しうる力を放っています。

  そのように、我々がシュリー・バガヴァーンから物理的に遠く離れていても、彼女の手紙は精神において彼のダルシャンを我々にもたらします。

 それらの手紙は偶然に読んだ他の信奉者にもたいへん高く評価され、より多くの人々に届くために、彼らはそれらをテルグ語から英語に翻訳するように私にしきりに促しました。これを私は奉仕として行い、それらは『Letters from Sri Ramanasramam』という題名のもとで発行されています。(バガヴァーン存命時)より短い、もしくは、より長い期間、我々はシュリー・ラマナーシュラマムを訪れつづけており、バガヴァーンの存在と導きと気遣いを以前のように感じています。

(原注)
「自ら光輝いている、ただ一つの不滅なるものが、常にハートの中にある。どのようにそれを書きとめればいいのか」-(アクシャラは「文字」だけでなく、「不滅の」も意味します)。

2014年10月6日月曜日

G.ラクシュミー・ナラシンハム (ラマナの詩のテルグ語への翻訳者)の思い出

◇『シュリー・ラマナ・マハルシと向かい合って(Face to Face with Sri Rmana Maharshi)』

106.
法学士、G.ラクシュミー・ナラシンハムは、1930年代と40年代にアーシュラムの運営にたいへん尽力しました。彼はシュリー・ラマナの作品、「Five Hymns to Aruna chala」、「Reality in Forty Verses」をテルグ語に翻訳しました。
  バガヴァーンと私の交際は1930年に始まり、シュリー・ラマナーシュラマムで3年間にわたり過ごしました。それは大変な幸運でした。

 私は理学部の卒業生でした。私は万物の原子構造について、どのように物質が最終的にエネルギーに解消されるのかについて学び、心もまたエネルギーの一つの形であると学びました。そのため、心と物質からなる全世界は、その源までたどる時、どのようにあなたがそれを呼ぼうと決めるのであれ、均一な一つのエネルギー、または、神です。

 これが私がはじめてシュリー・ラマナーシュラマムに来た時の私の態度でした。バガヴァーンはその時、「Ulladu Narpadu」をテルグ語に翻訳していました。それを仕上げた後、彼は私に原稿を渡し、「あなたはアーンドラ人ですね。その中に文法上の誤りがあるのか確かめてください」と言いました。私の心を内に向け、正しい道に向かわせたのは、この翻訳でした。

 バガヴァーンが私との対話の中で述べたことの要約は以下になります。「あなたは『最終的な分析において私が見たり、考えたり、行ったりする全ては一つである』と言います。しかし、それは実のところ二つの概念を含んでいます。見られる全て、そして、見る、考える、行うということをなし、『私』と言う、『私』です。これら二つのどちらがより現実的で、真実で、重要ですか。明らかに、見る者です。なぜなら、『見られるもの』はそれに依存しています。ですから、あなたの注意を見る者に、あなたの『私』の源に向け、それを実現しなさい。それが本当の務めです。今まであなたは主体ではなく、対象について学んできました。今や、この『私』がどのような意味を表すのか見出しなさい。『私』という表れの源である実体を見つけなさい。それが自ら、私たち自身みなの自らです」。

 この直接的で、簡潔な教えは、私にとって強壮剤のようでした。それはその時まで私の心に絶えずつきまとっていた不安と混乱と一掃しました。それは、もちろん、「Ulladu Narpadu」の真髄であり、バガヴァーンの全著作の中心となるテーマです。その簡潔さは私に、「では、バガヴァーン、あなたがアートマ・ヴィドヤーの詩の中で述べた通りに、自らの実現はとても簡単です!」と急に大きな声を出させました。

 バガヴァーンは微笑み、「ええ、ええ。はじめはそのように思えますが、困難は存在します。あなたはあなたの現在の誤った価値観と間違った同一視に打ち勝たなければなりません。その探求は集中した努力と、(源に)達する時、源に堅固に留まることを必要とします」と言いました。しかしながら、私に注意を与えながら、彼はまた慰めの言葉を付け加えました。「しかし、そのことで止めようとしないように。『私』を探求しようとする衝動が起こること自体が、人が願い求めなければならない神の恩寵の働きです」。

 かつて、私の母がバガヴァーンに、「あなたは神です。どうぞ私をお助け下さい」と言いました。彼は、「私、神-私はただ神の存在を信じる者です。私が神であると言わないでください。それでは、全ての人が私の髪の毛を抜き取ろうとします」と答えました。

 急性の肝臓病を患っていた私の3才の息子は、数日間、アーシュラムに連れて行かれましたが、2か月後に亡くなりました。その出来事はバガヴァーンの知るところとなりました。バガヴァーンがある近親者の夢に現れた時、彼はバガヴァーンに、「子供はあなたのもとへ連れて行かれたのに亡くなりました」と尋ねました。バガヴァーンは、「とても多くの顧客があなたの家の弁護士にやってきます。彼はいつも、『最善を尽くします』と言いませんか。彼はいつも訴訟に勝ちますか。神の場合もまた同様です」と答えました。

 ある信奉者が娘にふさわしい花婿を得ようとする試みに失敗した時、彼はバガヴァーンの助けを求めました。彼は毎日一定回数、朗唱するためのタミル語の詩節を与えられました。詩節はパールヴァティーを妻として娶るシヴァへの祈りの文句でした。ひと月かふた月後、その信奉者はうまく娘の結婚式を挙げることができました。

 私の娘もまた年頃であり、私は同じ方策に従おうと考えました。バガヴァーンの許可を得るために、私は紙切れにその詩節を記し、「この中に間違いはありませんか」と言って、それを彼に見せました。バガヴァーンはそれに目を通し、「どうしてこれが必要なのですか。あなたはこの全てを行う必要はありません。時が来れば、花婿自身がやって来て、その手で彼女を連れて行きます」と尋ねました。私はあきらめました。そして、私の娘はバガヴァーンが予言したように結婚しました。

 1930年12月、私の兄弟の生まれたばかりの娘が、バガヴァーンに名づけていただくために、アーシュラムに連れて行かれました。彼に親しみのある二つの名前は、ラクシュミーとサラスワティーでした。それで、赤ん坊を見ながら、バガヴァーンは、「彼女にサラスワティーの名を与えてはどうですか」と言いました。すでに一人サラスワティーがいると告げられた時、彼は彼女をバーラ・サラスワティーと名付けました(バーラは「年下の」を意味します)。

 バガヴァーンはパーラーヤナ(聖典の復唱)を強調しました。彼は最初はそれらを理解することができなくても、徐々にその究極的な意味が自然と閃くだろうと考えました。バガヴァーンはまた、1回書くことは10回読むことに相当すると言いました。

 1930年代初期に、ジャッキーという名前の犬が病気にかかりました。バガヴァーンは犬のために柔らかいベッドを講堂に用意し、愛情こめて世話していました。数日後、犬の病気はひどくなり、悪臭を発しはじめました。バガヴァーンの犬への世話に何の変わりもありませんでした。終に、犬は彼の手の中で息を引き取りました。犬はアーシュラム構内に埋葬され、その上には小さなお墓が伴っています。