H.C.カンナ
V.ガネーシャン
バガヴァーンの注目すべき信奉者、ハリ・チャンド・カンナ、または、H.C.カンナは、カーンプルの大家族の出身でした。彼の両親の10番目の子供であり、彼はとても幼い時にさえ人生の鋭い観察者でした。彼の父親は子供たちの面倒をよく見ました。カンナはとても幸福で、満ち足りた子供でした。しかしながら、世界にはとても不幸である多くの人々がいることに彼は気づきました。彼の限られた経験は、お金を持つ者が幸福であると彼に告げました。それがために、彼はお金をたくさん稼ごうと決心しました。彼は並外れて成功した保険代理人になり、多額のお金を稼ぎました。そのうちに、彼はとても敬虔な女性、プレーマヴァティーと結婚しました。「良く食べ、良く飲み、快適な生活を送っているから、自分は幸福だ」とカンナは確信していました。
彼は仕事のために広く旅しなければなりませんでした。当時、ほとんどホテルはありませんでした。人が泊まれる唯一の場所は、政府のゲストハウスであり、それはほとんどイギリス人のためだけのものでした。インド人はめったに招待されませんでした。カンナは、世才に長けた人であり、どのように金にものをいわせればいいのか知っていました。彼はそこに滞在するためにゲストハウスの管理人か、従業員にわいろを贈ったものでした。ある日、客から多額のお金を集めた後、彼は歓喜に酔った様子でゲスト・ハウスに戻りました。彼の金箱(かねばこ)が溢れかえっていたからです。ゲストハウスに着くや否や、警備員が、「あなたは毎回、私に30ルピーをくれます。私の妻は赤ちゃんを産もうとしています。医者は状況は深刻であり、彼女の命を救いたければ90ルピー払わなければならないと言います。どうかそのお金を私に下さい。次の3回、私はあなたからお金を受け取りません」と言いました。警備員の給料そのものがほんの15ルピー程度であったので、当時、それは大変な金額でした。しかしながら、カンナはおかしな気分でいました。彼は300ルピーを放り出し、「飲み物と手に入れられる最高の菜食でない食べ物を私に持ってきなさい。あなたの嘆願は後にしましょう」と命じました。警備員が言うとおりにした時、カンナは金箱を開け、警備員に見せびらかし、「今日、どれほど多くのお金を私が集めたのか見なさい!」と自慢しました。彼は自分自身の成功に酔いしれ、箱を閉めることを忘れていました。それだけでなく、彼は内側から部屋に鍵をすることさえも忘れていました。
当時、政府のゲストハウスは町の外れにいつもありました。それはたいていとても荒れ果てた地域に位置していました。大酒を飲んだ夜の後、カンナが朝に目覚めた時、扉が閉まっていることに気づきました。警備員はいつものように外で座っていました。カンナは警備員に、「あなたは妻が赤ちゃんを産もうとしていると言いました。どうしてここにいるのですか」と尋ねました。警備員は、「あなたがいた状態であなたを置いていくことが、どうして私にできますか。仮に私が出て行ったなら、泥棒があなたからお金を奪ったでしょう」と答えました。「でも、あなたの妻はどうなんですか」と驚いたカンナは尋ねました。「今、それを確かめに行きます」と警備員は答えました。カンナは返答に驚愕しました。これまでずっと、彼は幸福が自分自身の必要や欲望を満たすことにあると思っていました。しかし、ここには、その人の妻が危機的な状況にいることを知っているのにも関わらず、彼がお金を与えることを拒否した人がいます。彼が酒に酔った状態で横になっている間に、お金を奪おうという考えはその人に思い浮かびさえしませんでした。そのため、人生には個人的満足を超えた重要なことがあったのです。彼はそれが一体何であるのか知りたいと思い、そうして彼の探求が始まりました。
彼は『バガヴァッド・ギーター』を読みました。これによって彼は最高の聖なる真理を体験するためにはグルを得ることが必要であると確信しました。夜に家の全ての扉と窓に鍵をかけるのは、カンナの習慣でした。彼は自分の寝室の扉にさえ鍵をかけたものでした。ある夜、真夜中ごろ、彼は奇妙な感覚と共に目覚めました。彼は誰かが部屋にいるように感じました。彼は目を開け、彼が知っているサードゥが彼の前に座っているのに気付きました。サードゥの足は変形していました。サードゥは彼に話しかけ、「朝の4時に私のもとに来なさい」と言いました。カンナは妻を起こし、起こったことを話しました。朝にサードゥを訪問することを彼女に伝えました。その間、サードゥは彼の弟子に、偉大なマハートマーが来つつあり、彼を迎え入れるために、自分が持ちあげられて、門の外に置かれなければならないと告げました。カンナがサードゥを目にした時、彼は身震いし、この人が自分のグルであると思いました。しかしながら、足の不自由なサードゥは、「私はあなたのグルではありません。ラマナ・マハルシがあなたのグルです」と言いました。カンナは驚いて口がきけませんでした。なぜなら、彼は以前にラマナ・マハルシについて耳にしたことがなかったからです。昨晩、彼の部屋に不可思議に現れた、このサードゥに自分自身を委ねる用意をしてやって来たのに、今、その人は自分は彼のグルではないと言っていました。カンナはマハルシについての情報を得たいと思いました。サードゥの弟子のバトナーガル教授は、「私はマハルシについていくらか知っています」と言いました。こう言いながら、彼はカンナにウパデーシャ・サーラムを一冊贈りました。その本には、ラマナーシュラマムの住所も記載されていました。カンナの父は、「私がお前の子供たちの面倒をみよう。私はポール・ブラントンの本の書評を読んだことがある。ラマナ・マハルシは本物の聖者のようだ。行きなさい!」と申し出ました。
それで、1941年に、プレーマヴァティーとカンナはバガヴァーンもとにやって来ました。残りの信奉者と同じように、バガヴァーンは彼を見ました。その様子から、バガヴァーンが自分に「私のもとに来るのに、とても長い時間かかりましたか」と尋ねているようにカンナは感じました。即座に、カンナはこの人が自分のグルであると知りました。彼は頻繁にアーシュラムを訪れましたが、バガヴァーンが「私があなたのグルです」と率直に明言して欲しいとも思いました。彼はバガヴァーンに、「バガヴァーン、私は外側のグルを必要としています。『私があなたのグルです』と私に言って下さい」と言いました。通例のやり方で、バガヴァーンは、「グルは内にいます」と答えました。カンナは容赦なく追求し、「いいえ、バガヴァーン。あなたは私に、『私があなたのグルです』と言わなければなりません」と嘆願しました。その場面の美しさをちょっと見てください!弟子が大変に聡明である時、グルはなおのこと聡明になります!バガヴァーンは、「外のグルが、グルは内にいると言っています!」と続けました。これは単に如才ない答えではありませんでした。バガヴァーンがこのことを彼に述べた時、カンナはそれを体験しました。彼は自分自身の内に脈打つ振動を感じました。バガヴァーンの強烈な、射ぬくような眼差しは、彼の存在を深く貫き、カンナに聖なる目覚めの実感を残しました。確かに、バガヴァーンは外側から彼を見ましたが、体験は内から生じており、内なるグルが彼に「私」の体験を授けていました。バガヴァーンの眼差しの美しさはそのようでした。
私(V.ガネーサン)は彼を深く慕っていました。以前に、アーシュラムでの私の仕事の一つはその維持のためのお金を集めることであったと私は述べました。カンナは資産家であったので、私が資金を求めて彼に近づいた時はいつでも私を手助けしました。しかし、その間じゅう、彼はまた私に、「目覚めさない、ガネーサン!これはあなたがなさなければならない唯一の務めではありません!これはあなたの務めの一部に過ぎません。自らの実現を達成することが、我々の最上の義務です」と忠告しました。私が親しみをこめてヒンドゥー語で父を意味するピタジと呼んだ、この高貴な人に私は大変に世話になっています。私がとてもピタジと近しかったので、私は彼に、「どれぐらいあなたはここに来ましたか。その手ほどきを受けた後、あなたがバガヴァーンのもとに来る必要がどこにありますか」と思いきって言いました。彼は、「グルによって明らかにされた真理は至高であるため、染み込み、完全に自分のものになるには時間を要します。外のグルの近くにいることは、不可欠です。それゆえ、私は出来る限り多くやって来ました。私の一切の疑いはぬぐい去られ、深まって行く内なる安らぎ-疑いが確かにぬぐい去られたという証拠-がありました」と答えました。
それから、私はピタジに、「あなたがバガヴァーンとの間で交わした対話のいくつかを語ってはいただけませんか」と尋ねました。彼は、「それは『Day by Day with Bhagavan』という本の中にすでにあります」と答えました。間をおいて、彼は言いました。「私はバガヴァーンに私の苦悩を記した紙切れを手渡しました。それを読んだ後、バガヴァーンは、『これは不満です。彼は、「私はあなたのもとへやって来ています。今回、私はあなたの足元にほぼ一か月留まりました。私の状況にはまったく改善が見られません。私のヴァーサナーは以前のように強いままです。私が帰る時、私の友人たちは私を笑い、滞在して何か良かったのか尋ねるでしょう」と記しています』と意見を述べました」。カンナに向き直り、バガヴァーンは慈悲深く、「ジニャーナがまだやって来ていないや、ヴァーサナーが消えていないと考えて、どうしてあなたの心を苦しめるのですか。思いに余地を与えないように。聖者ターユマーナヴァルが、彼の詩節の一つの中で、この紙に書かれていることとほとんど同じことを述べています」と言いました。それから、バガヴァーンはデーヴァラージャ・ムダリアールにその詩節を読み、タミル語が分からない人たちのために英語に翻訳するように頼みました。これがその詩節の翻訳です。「心が私をあざ笑う。私があなたに千回教えても、あなたは無関心だ。それでは、私はどのようにして安らぎと至福を得ればいいのか」。デーヴァラージャ・ムダリアールはカンナに、「あなたはそのようにバガヴァーン不満を述べた唯一の人ではありません。私は同じように一度ならず不満を言い、いまだに言います。それでも、私は自分自身に何の改善も見られません」と言いました。これに対して、カンナは、「何の改善も見られないだけでなく、より悪くなったように思います。ヴァーサナーは今、より強くなっています。私にはそれが理解できません」と言いました。
それから、カンナは、「輝きに心を加えたものが、ジーヴァートマ、個々人であり、輝きのみがパラマートマン、究極の真理である。正しいでしょうか、バガヴァーン?」と尋ねました。バガヴァーンはうなずいて同意しました。彼は白いタオルを指さし、「我々はこれを白い布と呼びます。しかし、布とその白さは分離できません。結合して自我を形作る輝きと心についても同じです」と述べました。次に、彼は、「よく本の中で示される例もまた、あなたの役に立つでしょう。劇場の中のランプがパラマートマン、もしくは、あなたが述べたような輝きです。それは、それ自身と舞台と役者を照らします。我々は舞台と役者をその光によって見ますが、劇が上演されていない時に、その光は依然として続きます。別の例は、心と比較される鉄の棒です。火がそれに加わり、赤熱します。それは真っ赤になり、火のようにものを燃やせるにもかかわらず、火と違い、それは明確な形を持ちます。我々がそれを叩くなら、その打撃を受けるのは棒であり、火ではありません。棒はジーヴァートマであり、火は自ら、または、パラマートマンです」と付け加えました。
バガヴァーンはカンナだけでなく、彼の妻プレーマヴァティーもまた手助けしました。ある午後、講堂にいる時、プレーマヴァティーはバガヴァーンに書面で懇願しました。「私は聖典に学んでいませんし、自らの探求の方法は私にとってあまりに難し過ぎます。私は女で、7人の子どもがいて、家庭の世話がたくさんあります。そのため、瞑想のための時間がほとんどありません。バガヴァーンが、何かより複雑でない、簡単な方法を私に授けて下さることを願います」。バガヴァーンは大変な慈悲の気持ちを持ってプレーマヴァティーを見て、「誰も自分自身を見るために鏡を必要としないように、聖典の学習や知識は自らを知るために必要ではありません。一切の知識は、自らでないとして、終には、ただ放棄されなければなりません。家庭内の仕事や子供の世話もまた、必ずしも障害ではありません。あなたがそれ以上何もできないならば、どのような仕事をしていても、座っていたり、立っていたり、歩いているのであれ、『私は誰か』の中で勧められているように、少なくとも『私、私』と心の中でその間ずっと思い続けなさい。『私』とは神の名です。それは全てのマントラの中で最も偉大な最初のマントラです。オームでさえ、それに次ぐものです」と言いました。
ピタジは信念と根気の人でした。かつて、彼がバガヴァーンの面前において講堂で昼食をとっていた時、バガヴァーンのプラサードを家族全員に自分が持って運ばなければならないというとても強い衝動を感じました。そのための最良の方法は、バガヴァーンが食事をしたお皿を運ぶことだと彼は思いました。(グルが食べたものの残りものを食べるなら、魂(心)を精神的に高めるということを信じているヒンドゥー教徒もいます。)特にその日、バガヴァーンは、とても柔らかいバナナの葉っぱの上で食事をしました。彼は心の中で、「私がバガヴァーンの空の葉っぱを盗むのを目撃する人が食堂に誰もいないように私を祝福して下さい」とバガヴァーンに祈りました。彼は目を閉じて祈り、目を開けた時、驚き、安堵したことに、食堂に他に誰もいませんでした。彼は座席から飛び上がり、バガヴァーンの空の葉っぱを手にとり、それを上着の内側に包み、山に向かって駆け出しました。大きな岩の後ろに隠れ、彼は柔らかい葉の小さなかけらをとり、それを神聖なプラサードとして食べました。彼は長い葉っぱのバランスを保ち、カーンプルに運びました。彼は泊っていた共有のゲストハウスに戻り、それを注意深くうまく包装した後、スーツケースの底に隠しました。彼は誰も彼を見ていないことを確かめました。彼の中に溜まっていく緊張に打ち勝つために、彼は町に出かけました。
彼が午後にアーシュラムに戻った時、取り調べが彼を待ち受けていました。サルヴァーディカーリーは盗まれた葉っぱについて知らされ、誰が禁じられた行為を行ったのかについて幅広く取り調べを行っていました。昼食を給仕した郵便局長のラージャ・アイヤルは、最後に食堂に残っていたのはカンナであったとチンナ・スワーミーにすでに知らせていました。カンナは事務所に呼び出されました。彼は心の中でバガヴァーンと不平を言い始めました。「ああ、バガヴァーン、あなたは恵み深く他の人に気づかれずに葉っぱを盗むという私の願いを叶えてくれました。今や、あなたは私を暴露しようというのですか。これがあなたの恩寵ですか。チンナ・スワーミーに私を暴露しないことで、私が盗みを無事に完了するまで果たすように手助けして下さい」。チンナ・スワーミーはカンナを迎え入れ、ずうずうしい葉っぱ泥棒の非道について彼に語りました。カンナは彼に同意し、犯人を見つけだし、十分に罰するべきであると言い、その間中ずっと、それが起こらないようにバガヴァーンに祈っていました。彼はバガヴァーンの講堂に走って行き、平伏しました。バガヴァーンは彼にいたずらっぽく微笑み、それはカンナにバガヴァーンの恩寵が自分にあるという保証を明確に示しました。「怖がらなくてよろしい。全て大丈夫です」。ピタジは1970年代に大変な敬意をもってこの出来事を語り、「その神聖なプラサードを携え、私はその日にカーンプルに出発しました。私は家族それぞれ全員にそれを分け与えました。バガヴァーンを同じぐらい深く信奉している子供たちは、我々それぞれが私にそのプラサードを盗むことを可能にしたバガヴァーンに深い感謝の気持ちを抱いていることをよく知っていました。それはすべてシュリー・バガヴァーンの恩寵です!」と締めくくりました。
「ある日、カーンプルで、バガヴァーンの病気の最後の日々の間-1950年3月-私はバガヴァーンが私を呼んでいるという感覚と共に突然目覚めました。私は赤ん坊の娘と共に妻を連れ、アルナーチャラに到着しました。私がバガヴァーンの前に立った時、彼は歓迎するほほ笑みを浮かべ、彼の付添人に不思議なまなざしを送りました。後で、私はその付添人にそれについて尋ねました。彼は、『今朝、バガヴァーンは私にカーンプルのカンナがここにいるのか尋ねました!そして、あなたはここにいます!』と言いました。私が今日いるのは、全く、バガヴァーンの私への的を得た気遣い、バガヴァーンが私に恩寵を注いで下さるおかげです」と目に涙を浮かべ、ピタジは言いました。
バガヴァーンが体を下ろした時、彼がアーシュラムにいたのかどうか私は彼に尋ねました。「ええ!バガヴァーンは彼の近くにいるように私を祝福して下さりました。あの運命の夜、その出来事が起こった後、バガヴァーンの体は信奉者がダルシャンを持てるように新講堂に安置されました。師の体の周りにつけるための大きな花輪を買いに、私は町に走って行きました。生涯、私は私の贈り物が一番初めになるように言い張る癖がありました。そのような考えから、私は町から花輪を急いで持って行き、付添人の助言のもとに、恭しくそれを指示された角に置きました。付添人は、翌朝、花輪が捧げられる時、私のものが最初になることを私に請け負いました。翌朝、私が新講堂にやって来た時、私は衝撃を受けました。私の花輪は最も底にあり、その上によく似た大きな花輪が山と積まれていました。私は強くバガヴァーンに祈りました。『バガヴァーン!あなたが体の中で光り輝く時、あなたはいつも私の内なる願いを心ゆくまで満たしてくれました。今、私は祈ります。どうぞこの私の単純な願いを満たして下さい。私の花輪があなたの体を飾る最初のものになりますように!』」。間をおいて、彼は、「適当な時に、付添人が全ての花輪を運びました。見てください、何という恩寵ですか!彼が花輪をバガヴァーンの体の近くに置いた時、花輪の山を裏返し、私の花輪が一番上に現れました!バガヴァーンは私の子供っぽい願いも同様に満たして下さいました。普遍的な真理であるバガヴァーンは、彼に捧げられた願いをいつも満たしてきましたし、(これからも)いつも満たします!バガヴァーンはまさしく恩寵の大海です!」と付け加えました。
カンナには多くの責務がありました。数百万ルピーに関係する財産争議のために、かつて彼はデリーに行きたいと思いました。私たちは親しい間柄になっていたので、彼はよく私に相談しました。ある日、彼は、「デリーに行きたいのですが、私はアルナーチャラで死にたいのです」と言いました。私は彼に、「ピタジ、あなたがアルナーチャラから離れたら、ことによると、何かのはずみで、そこで亡くなるかもしれませんよ」といいました。翌朝、彼は私を抱擁し、「私は旅行を取りやめました。ここにいます。どのような危険も冒したくありません。訴訟とお金は駄目にさせましょう。私はここに居続けます。私はアルナーチャラだけで体を下ろしたいのです」と言いました。次に、彼は私に質問をしました。「あなたの母親が亡くなる時、あなたは彼女のそばにいましたね、そうですか?あなたの母親がどのように亡くなったのか、どうぞ教えて下さい」。私は彼に、「私の母は完全に意識のある幸福な状態で全く見事に亡くなりました。彼女の最後の瞬間に、彼女の目は閉じたままでしたが、認識の兆候があり、我々みながバガヴァーンのアクシャラマナマーライを歌った時、献身の表情で応じました」と言いました。それを熱心に聞いた後、ピタジは、「私もそのように亡くなるでしょう」と言いました。
1984年6月末ごろのある日、突然、彼は自分が亡くなりつつあると感じました。彼は妻に、「プレーマヴァティー、ガネーサンを呼んで。彼にすぐ来るように頼んで」と大声で叫びました。その後、カンナは椅子を手にとり、バガヴァーンの大きな写真の前にそれを置きました。彼は椅子に座り、意識を保ち、息を引き取りました!私が到着した時には、彼はもう亡くなっていました。彼が即座に亡くなったという医者の判断は、私にとっては、亡くなる時、ピタジが完全に意識があったという十分な証拠です。私個人にとって、ピタジは英雄でした。彼は体の要求に屈することを拒み、彼の注意を完全にバガヴァーンに向けることによってその苦しみを克服しました。彼はそのように絶対的にバガヴァーンを信頼していたので、師は彼を完全な意識の中に吸収しました!彼は家庭を持つ人でしたが、ピタジの体はアーシュラムの敷地内に埋葬されるあらゆる権利を持っていると強く感じました。私はこれに反対する人々を何とか説得しました。ピタジの体はチャドウィックとコーエンのサマーディの隣に埋葬され、信奉者は今日でさえそれに敬意を表します。彼はラマナーシュラマムに埋葬された聖者やサンニャーシの中で唯一のグリハスタです。
真理とは、追い求められなければならない単なる概念ではありません。あなた自身が真の真理なのです。バガヴァーンは、ジャコウジカの香りについて語るヴェーダーンタの聖典によく言及したものでした。鹿は自分自身の体から来る香りに気づかず、そのため、その素晴らしい芳香を探して走ります。その素晴らしい芳香を探して死ぬまで走る鹿もいると言われています。ジャコウジカのように、どうして我々が真理を追い求めなければならないのでしょうか。我々が真理です。どうして出てゆくのですか。我々をハートの内なる真理ままにあらせてください。バガヴァーンの恩寵によって、アルナーチャラが我々を吸収します。真理に留まることとは、アルナーチャラに吸収されていることです。
かつて、バガヴァーンは誰がディーラであるのか尋ねられました。バガヴァーンは、「自分が誰であるか知る者」と答えました。ディーラの文字通りの意味は、勇敢です。真理のままにあることが、勇猛果敢の最高の形です。バガヴァーンの古くからの信奉者たちみなが、この性質を持っていました。自分たちもまた常に、ただディーラでしかないということを自分たち思い出させるために、我々はこれらの信奉者たちと人生を共にせねばなりません。この没入の境地は、いつでも-今この時にも、起こります。
我々はアルナーチャラに溶け込むためにアルナーチャラのもとへ来ました。バガヴァーンはこれを「aikiam akkikol」と言及しました。バガヴァーンが「彼女をあなたの自らに吸収しなさい」と言った時、彼は母親のためだけに祈っていたのではありません。彼は我々一人ひとりのために祈っていました。我々は目覚めなければなりません。それは我々を目覚めさせる呼びかけです。ジャコウジカのように我々に無益に真理を追い求めさせないでください。我々に真理は我々の内にあると理解させてください。かの実現の境地は没入です。それはアルナーチャラでもあります。内に潜り、自らに留まることとは、アルナーチャラに吸収されることです。この境地は時間や空間の中に起こりません。それは永遠の今の中にあり、我々は永遠にその今の中にいます。
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