2012年7月26日木曜日

意図的な努力から無努力へ、人の努力(プルシャーカーラム)の必要性

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』 

46年1月11日 (後略)

コロンボ出身の若者:
 J・クリシュナムルティは、意図的な集中の方法とは違って、無努力で無選択の自覚の方法を教えます。どのように瞑想を行うのが最良なのか、そして瞑想の対象がどのような形をとるべきか、シュリー・バガヴァーンは説明してくださるでしょうか。

バガヴァーン:
 無努力で無選択の自覚は、我々の本質です。我々がそれを得られるか、または、その状態にいられるならば結構です。しかし、人は努力、意図的な集中の努力なくして、それに到達できません。古くからある一切のヴァーサナーは、心を外に運び、外側の対象物に向けます。そのような一切の思いは放棄され、心が内に向けられねばなりません。そのためには、大部分の人にとって努力が必要です。

 もちろん、全ての人が、全ての本が「スンマ・イル(*1)」、つまり、「静かにありなさい、または、じっとしていなさい」と言います。しかし、それは簡単ではありません。ですから、この一切の努力が必要なのです。「スンマ・イル」で示されるマウナ、または、至高の境地を即座に達成した人がいても、必要な努力がすでに前世で終わっていたのだと考えられます。

 したがって、無努力で無選択の自覚は、意図的な瞑想の後のみに到達されます。その瞑想はあなたが最も気に入るどんな形をとってもよいのです。他の一切の思いを近づけないために何があなたの助けになるか見つけ、その方法をあなたの瞑想として採用しなさい。

 これに関連して、バガヴァーンは聖者ターユマーナヴァル(*2)の「ウダル・ポイ・ユラヴ(タミル語)」から5詩節と52詩節を、「パヤプ・プリ(タミル語)」から36詩節を引用しました。要旨は次のようになります。

 「あなたがじっとしていれば、至福が付き従う。しかし、あなたが心に何度この真理を伝えても、心は静かにしていない。静かにしようとしないのは、この心である。『静かにありなさい、そうすればあなたは至福を得る』と心に言うのは心である。全ての聖典がそれを言い、我々は毎日、偉大な人々からそれについて耳にし、我々のグルでさえもそれを言うが、我々は決して静かにおらず、マーヤーと感覚の対象物の世界へさ迷い入る。それゆえ、意識的で意図的な努力が、マウナの境地、すなわち、静かに在る境地を得るために必要とされる。」

(*1)スンマ・イル・・・タミル語。スンマは「静かに、動かないで」、イルは「在れ、留まれ」を意味する。
(*2)ターユマーナヴァル・・・18世紀前半に生きたタミルの詩聖。シャイヴァ・シッダーンタ(聖典シヴァ派)の哲学を表した。

◇『シュリー・ラマナーシュラマムからの手紙(Letters from Sri Ramanasramam)』

1947年2月12日 (後略)

(93)グルの面前でのサーダナ 

 今日、私は午後3時ごろに講堂に到着しました。バガヴァーンは手が空いており、信奉者に尋ねられた質問に答えていました。質問の中の一つが次のものでした。

 「スワーミー、バガヴァーンの面前で行われたジャパとタパ(*1)は通常より大きな結果を生じると言われています。そうであるなら、あなたの面前で行われた悪い行為についてはどうですか。」

 バガヴァーンは、「良い行為が良い結果を生じるなら、悪い行為は悪い結果を生じるに違いありません。ベナレスでの牝牛の贈り物が贈り主に大きなプニャ(徳)を生じるなら、そこで牝牛を殺すことは大きなパーパ(罪)になります。あなたが神聖な場所で行われた小さな徳のある行為が多大な利益を生み出すというなら、罪深い行為は同じく多大な害を生み出すはずです。自分が行為者であるという感覚がある限り、良い行為であれ、悪い行為であれ、あなたは自分の行為の結果に向き合わねばなりません」と答えました。

 その人が続けて、「悪い癖を捨て去りたいという望みがあるのですが、ヴァーサナーの力がとても強いのです。我々は何をすべきでしょうか」と言いました。

 バガヴァーンは、「それを捨て去るためには、人の努力がなければなりません。良い仲間、良い交際、良い行為、そのような全ての良い習慣がヴァーサナーを除去するために獲得されなければなりません。努力し続けるにつれ、心の成熟と神の恩寵と共に、終にはヴァーサナーは消滅し、努力が実ります。それはプルシャーカーラム(人の努力)(*2)と呼ばれています。それを求めて励むことなくして、神があなたに対して好意的であることをどうして期待できるでしょうか」と言いました。

 別の人が話の穂を継ぎ、「全世界は神のチドヴィラーサム(*3)で、一切のものはブラフマーマーヤム(*4)であると言われています。それでは、我々はどうして悪い癖や悪い習慣を捨て去らねばならないのですか」と言いました。

 バガヴァーンは、「なぜでしょうか?あなたに言いましょう。人間の体があります。その中に何らかの傷があると仮定しなさい。それが体の小さな部分に過ぎないという前提の下に、あなたがそれを無視するなら、それは体全体に痛みを引き起こします。一般的な治療でそれが治らないならば、医者がやってきて、メスで傷のある箇所を切り取り、汚れた血液を取り除かねばなりません。病気にかかった部分が切り取られなければ、それは膿みます。術後にそれを包帯しなければ、膿がでます。それは行いに関して同じことです。悪い癖と悪い行いは、体の中の傷のようです。人がそれらを捨て去らなければ、彼は奈落の底に落ちます。ですから、全ての病気に適切な治療が与えられねばなりません」と答えました。

(*1)タパ・・・タパス(苦行、宗教的修練・訓練)と同じ意味。
(*2)プルシャーカーラム・・・プルシャは「人、もしくは自ら」、カーラムは「行い、努力」。
(*3)チドヴィラーサム・・・「心の想像、遊び、暇つぶし」。
(*4)ブラーマーマーヤム・・・「ブラフマンの力、エネルギー」。

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