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シスタ・スッバ・ラオ教授(1909-1980)は、アーンドラ・プラデーシュ州、マチリパトラムのヒンドゥー大学で英語を教えていました。彼は回想記をテルグ語で、後に英語で著しました。1936年の初めごろ、靈的な道における私の最初の案内人であるラーマラオ・パントゥルから、私はバガヴァーンについて初めて知るようになりました。彼はアーシュラムでのある出来事を話し、それはよって私はバガヴァーンの神秘的な力を確信しました。1匹のコブラが部屋に這い入って来ました。何人か集まって、追い出そうとしていた時、バガヴァーンがその場面に出くわしました。彼はその蛇に呼びかけ、「どうぞ立ち去ってください。あなたがいることで、この人たちが怖がっていますよ」と言いました。その蛇はすぐに出て行きました。パントゥルは、私がバガヴァーンの祝福を求めるなら、私の衰えつつある視力の問題が治るかもしれないと示唆しました。
1936年6月3日、私はバガヴァーンの前で平伏し、私の状況を説明しました。バガヴァーンは、私が内なる視力を得るなら、外の視力は良くなるでしょうと述べました。私は理解できず、さらに明確な説明をお願いしました。彼の答えは、「外の視力を持たないということは、内なる視力を持つということです」でした。それから、私は内なる視力を発展させるということに関して私を教え導いてくださいと彼に請い、彼はそうしました。これは私の人生の転換点でした。その瞬間まで、衰えゆく視力は私の頭にこびりついて離れない問題でした。しかし、マハルシのウパデーシャ(教え)は私の見かたに変化をもたらしました。そのときから、視力の回復に関する問題は背景に後退し、私は内なる眼を開くために真剣にサーダナをし始めました。
ある午後、私は瞑想中に奇妙な体験をしました。私の息が長く、音が響くようになり、蛇のシューという音に似るぐらいになりました。私の体は軽くなり、太ももの上におかれていた両手は空中をぶらぶら揺れはじめました。私は体全体が振動しているのを感じ、一種の表現できない至福を経験しました。しかしながら、私は外の意識を失っていませんでした。私の奇妙な経験はすぐに講堂で座っている人たちの注目を集めました。私の妻は水を持ってくるように頼まれ、私の顔に水が振りかけられました。しばらくして、私の体と呼吸は通常に戻りました。私は講堂から出て、家に帰りました。私が出発してから、信奉者たちはバガヴァーンに私に何があったのか尋ねたようでした。私が内側でサーダナの激しさをこらえることができなかったので、外側に表れたのだと彼は答えたようでした。これは、次の日の朝、私がアーシュラムに来たときに伝えられました。
私たちは非常に質素な生活をしていたにもかかわらず、家計は苦しくなってきました。私の身体的な目には、改善の兆しが全くありませんでした。見通しはとても暗く見えました。完全に視力を失う可能性が十分にありました。いったいどうして生計を立てればいいのでしょうか。さらに、私は妻という扶養家族がいました。自殺の思いがよく私に押し寄せてきました。丘の周りや上には池がたくさんありました。私たちは闇にまぎれて、どの池にでも簡単に身を投げることができました。
私はバガヴァーンに事実を申し上げ、解決策を請おうと思いましたが、勇気がでませんでした。第一に、バガヴァーンはいつも講堂で多くの信奉者に囲まれて座っていたためでした。私が彼に会える場所にはプライバシーがありませんでした。第二に、バガヴァーンを世俗的な個人的問題で煩わせることをためらっていたためでした。しかし、選択肢はありませんでした。ある日の午後、私の経済的、身体的、精神的状況の話を紙に書き、彼の恩寵を請い願いました。私は彼にその紙を手渡し、彼のそばに立ちました。彼はそれを読み、私に返しましたが、何も言いませんでした。私は座に戻りました。
すぐに私の人生の見かたに変化がありました。私は心の中で思いました。「苦しみは今世や過去世の罪深い行為の結果であり、全ての人が誤った行為の罰を受けねばならない。なぜなら、全ての行為にはその独自の反作用があるのだから。今世を終わらせることで、我々は元金に利息を加えている。過去の罪が元金であり、自殺はその利息になるだろう。全てのカルマの負債は一文残らず清算されねばならない。人生の困難な現実から逃げようとすることは臆病だ」。このように人生への態度が変化したことにより、以前、心に押し寄せていた自殺についての一切の思いは消えました。私は人が変わり、なんとしてでも、どのような境遇であっても人生という戦を戦い抜く覚悟ができました。
この出来事によって、私はマハートマーの方法をおぼろげに理解しました。彼らは身体的な奇跡や物質的な奇跡をいつも起こすわけではありませんが、信奉者の心の状態に奇跡的な変化をもたらします。
1940年か1941年のバガヴァーンのジャヤンティ(誕生祭)の数日前、私はバガヴァーンについてのサンスクリット語の詩節を作るための一種の閃きを得ました。私は作詩して、アーシュラムのサルヴァーディカーリー(管理人)にそれを送りました。返事のなかで彼は、詩節はジャヤンティの日に読み上げられ、信奉者たちに非常に高く評価されたと述べました。その詩節は、「アルナーチャラのふもとに住むシュリー・ラマナ、智慧の太陽であり、至福の具現者は、アートマ・ヴィドヤーを苦もなく教えた。私はこの比類なき、量ることのできないグルを絶えず思っている」です。
しばらく後で、私は王座のような気品ある場所に座したバガヴァーンを夢で見ました。彼の体は溶けた状態の黄金のように輝いていました。彼の前に立って、私は視力を求め懇願しました。彼は、「それは私にはできません。誰か他の人のもとへ行かなければならないかもしれません」と答えました。夢は終わりました。
信奉者である私の兄弟は、弁護士でした。彼の依頼人はとてもわずかしかいませんでした。彼はもっとうまくいくように業務を別の場所へ移したいと思いました。彼はそれについてバガヴァーンの意見を求めました。バガヴァーンは、「そうですか。それについて占星術師に相談してはどうですか」とやさしく答えました。我々は笑いをこらえられませんでした。
ある信奉者が、「私は心の平安を得ることができません。それを探しにヒマラヤ行こうと計画しています」と不満を言いました。バガヴァーンは、「あなたはマドゥライから250マイル旅して、ここにやって来ました。どのぐらい心の静けさを得ましたか。そこに行くことであなたが得るであろう幸福を測るために、それ(ここで得た心の静けさ)にここからヒマラヤまでの距離を掛けなさい」と答えました。質問者さえも笑いをこらえられませんでした。
「私はこれらの家族の問題に飽き飽きしました。私の唯一の頼みの綱はサンニャーサ(遊行期)です」と述べた訪問者への答えとして、バガヴァーンは、「あなたは今、家庭内の悩み事を嘆いています。次に、あなたはサンニャーシ(出家)の問題の分け前をもらうことになります。単に衣を変えても何の助けにもなりません。苦しみがある者は誰か見出しなさい」と述べました。
心の源に留まろうとする私のあらゆる努力が無駄だと分かったという理由で、ある時、私はバガヴァーンの恵みを求めました。バガヴァーンが、「何が障害ですか」と尋ねた時、私は、「私の深く根付いた傾向です。あなたの恩寵が必要です」と答えました。彼の答えは、「あなたが繰り返し努力することで、必ずそれは消えます。全てのサーダナは、その目的のためだけにあります」でした。彼はさらに述べました。「修練を続けなさい。神に我々の幸福にいつも目を注ぐという彼の仕事を思い出させる必要はありません。犯しやすい間違いは、神の恩寵がないという誤った印象のもとに努力を放棄することです。しかし、怠るべきではありません。なぜなら、神の恩寵は、機が熟す時に必ず働くからです。」