2012年3月31日土曜日

ダクシナームールティと四人の弟子 - シュリー・バガヴァーン独自の解説

◇『シュリー・ラマナ・マハルシと向かい合って(Face to Face with Sri Ramana Maharshi)』

 元々は、『The Silent Power』に収録されたサードゥ・オームによって書かれた文章(p48、49)のようですが、それと以下の文章には多少違いがあります。(文:shiba)

ダクシナームールティ

-偉大なる沈黙のグル、シヴァ神の化身-(付録5)

 シヴァ神は、4人の行者を指導し、真理の光を与えるためにダクシナームールティとして顕現したと言われています。この話の伝統的な形式では、彼はバニヤン樹の下に座っている若い少年の姿で現れました。4人の行者は、ダクシナームールティの沈黙の伝播を受けとった結果、悟りを得ました。アーディ・シャンカラの「シュリー・ダクシナームールティ・ストートラ」からの1詩節では、次のように言われています。「バニヤン樹の下の奇跡を見よ。弟子たちは年をとり、白髪交じりの髪であるが、師は若々しく輝やいている。師の言葉は簡素な沈黙であるが、弟子の疑問はすべて解かれた」。

 ダクシナームールティは「南を向く神」を意味し、この姿の主シヴァは南インドのシヴァの寺院の南の外壁に見られます。シュリー・ラマナの信奉者は、一般的に、マハルシがダクシナームールティの顕現であったと信じています。彼はアルナーチャラ山の南側に居を定め、彼自身をアルナーチャラ・シヴァと同一視し、沈黙を通じて教えるのをいつも好みました。

 マハルシはムルガナールにダクシナームールティについての以下の話を語りました。

 4人の年をとったサナカーディ・リシ(サナカ、サナンダナ、サナトクマーラ、サナトスジャータ)が、バニヤン樹の下に座っている若々しいダクシナームールティをはじめて見た時、彼らは即座に魅了され、彼が真のサッド・グルであると理解しました。

 彼らは彼に近づき、彼のまわりを3回のプラダクシナをし、彼の前で平伏し、彼の足もとに座り、現実の性質とそれを得る手段について、とても鋭く、適切な質問を尋ね始めました。年をとった弟子に大変な憐れみと父親のような愛情(ヴァーツァリヤ)を感じたため、若いダクシナームールティは、彼らの熱意と知恵と成熟性を見て大いに喜び、彼らの質問それぞれに適切な返答をしました。

 彼が次々になされる質問それぞれに答えるにつれ、さらなる疑問が彼らの心に生じ、彼らはさらに質問しました。そのようにして、彼らはダクシナームールティに丸1年質問し続け、彼は慈悲深い答えを通じて疑問を晴らし続けました。

 ついにダクシナームールティは、「私が質問に答え続けても、さらなる疑問が彼らの心に生じ、彼らの無知(アジニャーナ)に終わりはないだろう」と思いました。それゆえに、彼の内に湧き出ていた慈悲の感情と父親のような愛情を抑え、彼自身を至高なる沈黙に溶け込ませました。(サッド・グルとの1年にわたる交際によって成熟した)彼らの優れた成熟性のため、ダクシナームールティが沈黙を帯びるとすぐに、彼らも至高なる沈黙、自らなる真の境地に溶け込みました。

 話を聞いていたムルガナールが、どの本にもダクシナームールティがかつて何か話したという言及がないことを述べると、シュリー・ラマナはそっけなく、「しかし、これが実際に起こったことです」と答えました。シュリー・ラマナが有無を言わせぬ様子で反応したことから、ムルガナールはシュリー・ラマナがダクシナームールティ自身に他ならなかったのだと悟りました。

2012年3月28日水曜日

「ハスターマラカの賛歌(ストートラ)」 ハスターマラカーチャーリヤ作

◇『シュリー・ラマナ・マハルシの全集(Collected Works of Sri Ramana Maharshi)』
 「ハスターマラカの賛歌」は、サンスクリット語が読めない信奉者のためにバガヴァーン・ラマナがタミル語へ翻訳したものです。英訳は、おそらくアーサー・オズボーン氏のものです(文:shiba)
ハスターマラカの賛歌

シュリー・バガヴァーンによる紹介

 世界のグルであるシャンカラが、インドの西の地域を旅をしながら、様々な思想学派の解説者を討論で打ち負かしていた時、ある時、スリヴァリという名の村に到着した。プラバーカラという名前の村に住むバラモンの住民は、シャンカラの来訪を聞くとすぐに彼の十三歳の息子と共にシャンカラのもとへ行った。彼はシャンカラの前で平伏し、息子も平伏させた。その後、彼は少年が子供のころから口がきけず、好き嫌いがなく、名誉や不名誉の意識もなく、全く活発でないと説明した。その後、グルは子供を立たせ、快活な調子で以下のように尋ねた。

本文

1.
「汝は誰か。汝は誰の息子か。いずこに束縛されているのか。汝の名前は何か。汝はどこから来たのか。おお、子よ!私はこれらの問いに対する汝の答えを聞きたい」。このようにシャンカラーチャーリヤは子供に話し、ハスターマラカは以下のように返答した。

2.
私は人間でも、神でも、ヤクシャでも、バラモンでも、クシャトリヤでも、ヴァイシャでも、シュードラでも、ブラフマチャリでも、家住者でも、森住者でも、サンニャーシでもない。私は純粋な自覚のみである。

3.
太陽が世界の全活動を引き起こすのとまさしく同様に、私-常に存在する意識ある自ら-は、心を活発にさせ、五感を働かせる。また、虚空が遍く行き渡っているが、どの特性も欠くのとまさしく同様に、私は一切の性質を持たない。

4.
私は意識ある自らであり、常に存在し、いつも熱が火と関わっているのと同様に、万物と関わる。私はかの永遠の、未分化の、揺らぐことなき意識であり、それにより意識なき心と五感がそれぞれの方法で働く。

5.
私はかの意識ある自らであり、鏡像が映し出される対象から独立しないように、自我はそれから独立しない。

6.
私は制限なき意識ある自らであり、対象が反射する鏡を取り除いた後でさえ常に同じままにあるのとまさしく同様に、ブッディの消滅の後でさえも存在する。

7.
私は永遠の意識であり、心と感覚から離れている。私は心の中の心、目の中の目、耳の中の耳などである。私は心と五感によって認識しえない。

8.
私は永遠の、唯一の、意識ある自らであり、太陽が様々な水面に映し出されるのとまさしく同様に、様々な知性の中に映し出される。

9.
私は唯一の、意識ある自らであり、太陽が同時に全ての目を照らし、それにより目が対象物を知覚するのとまさしく同様に、全ての知性を照らす。

10.
太陽により手助けされる目のみが対象を知覚でき、その他(の目)はできない。太陽がその力を得る源が、私自身である。

11.
揺らめく水面上の太陽の影は割れているように見えるが、静かな水面上では完全なままにあるのとまさしく同様に、私、意識ある自らも、落ち着いた知性の中に明瞭に輝くが、動揺した知性の中では認識しえない。

12.
愚か者が太陽が厚い雲に覆われる時に全く失われていると考えるのとまさしく同様に、人々は常に自由な自らが束縛されていると考える。

13.
虚空が遍く行き渡り、接触に影響されないのとまさしく同様に、いかようにも影響されることなく、常に意識ある自らも万物に行き渡る。私は、かの自らである。

14.
透明な水晶がその背景にある輪郭を帯びても、それによりいかようにも変化しないのとまさしく同様に、そして、波立つ水面に映し出されるや否や、変わることなき月が揺らぐように見えるのとまさしく同様に、全てに行き渡る神である、あなた(=シャンカラ)もそのようである。

15.
このストートラは手のひら(ハスタ)に置かれたアマラカの実のように明瞭に自らを表わしたため、それはハスターマラカ・ストートラの名を受けた。さらに、ジニャーナにおいて卓越した少年は、この世界の全ての人によってハスターマラカとして賞賛されるようになった。

 少年の父親はそれらの言葉に驚き、口がきけなかった。しかし、アーチャーリヤは彼に、「彼は未完成の苦行のために、あなたの息子になりました。これはあなたの幸運です。彼はこの世であなたの何の役にも立ちません。彼を私と共にいさせましょう」と言った。アーチャーリヤは父親に帰るように命じ、少年を同伴して道を進んだ。それから、弟子は彼に、「(師の教えの)聴聞などなしに、この少年はどうしてブラフマンの境地を得ることができたのでしょうか」と尋ねた。グルは、「彼の母親は、数人の女性と共に川へ沐浴に行く間、ヤムナ川の岸で苦行を行っていた偉大な卓抜したヨーギに二歳の子供の世話を任せました。子供はよちよち歩いて川に向かい、溺れました。絶望した母親を哀れに思って、サードゥは体を捨て、その子供の体に入りました。そのために、この少年はこの優れた境地を得たのです」と答えた。

◇「山の道(Mountain Path)」、1994年、ジャヤンティ 
 「Mountain Path」(94年)に「ハスターマラカの賛歌」の英訳が掲載されていたのですが、「シュリー・バガヴァーンによる紹介」と第15詩節の内容が、上述の『Collected Works~』にある英訳のものと異なっており、また、後書きもありませんでした。以下には、その紹介と第15詩節の日本語訳を記します。(文:shiba)
シュリー・バガヴァーンによる紹介

 バラモンの女性がジャムナ川へ沐浴に行った。土手でヨーギが瞑想して座っているのを目にし、彼女は一人っ子の二歳の男の子を彼のそばにおいて、彼女が沐浴から戻るまで面倒を見てくれるように頼んだ。戻って来ると、彼女はヨーギが瞑想に没頭している間に子供が溺れ死んだことに気づき、ひどくうろたえた。先立たれた母親が彼の死をとても大きな声で嘆き悲しんだため、ヨーギは目を覚ました。何が起こったのかを理解し、彼は哀れに思い、気の毒な母親を慰めるため、ヨーガの力によって彼自身の体を捨て、死んだ子供の体に入った。子供が生き返ったのを見て、母親は大喜びし、彼の奇跡的な復活の秘密をわざわざ見つけ出そうとはせず、彼を連れて家に戻った。

 少年は普通の子供のようには成長しなかった。彼はあまりに黙想的であり、学んだり、舌足らずに話したり、遊んだりせず、いかようにも両親を楽しませなかった。そのため、彼らは彼が耳が聞こえなく、言葉を話せないに違いないと思った。

 数年後、アーディ・シャンカラーチャーリヤが近隣を旅していた。両親は子供を彼のところに連れてゆき、どうかあなたのその聖なる力によって子供を健康な状態に戻してくださいますように、と祈った。アーチャーリヤは一目で様子を見て取って、少年にいくつもの質問を投げかけた。少年は番に当たって即座に答え、その知恵の崇高さにより聴衆を驚嘆させた。

 両親は息子についての真実を知った後すぐ、彼をアーディ・シャンカラに託した。彼はその時からハスターマラカとして知られ、偉大なる師の四人の主導的な弟子の一人となった。

第15詩節

この賛歌は自らという現実を手(ハスタ)の中のアマラカの実のように明瞭に表したため、それは「ハスターマラカ・ストートラ」と知られるようになった。ジニャーナ(知恵)の完熟した果実であるこの少年は、その少年時代からさえ、「ハスターマラカン」として知られるようになり、全ての人から敬われた。

2012年3月25日日曜日

ムダリアール・パーティ (亡くなる日まで40年間食事の布施をした女性)の思い出

◇『シュリー・ラマナ・マハルシと向かい合って(Face to face with Sri Ramana Mharshi)』

61.
ムダリアール・パーティと彼女の家族は、ある聖者をとても信奉していました。その聖者は死の前に、ムダリアール・パーティと彼女の息子のスッバイアーに、ティルヴァンナーマライで彼らを大きな幸運が待っており、そこで彼らはジニャーニのダルシャンと彼に仕える偉大な機会を得ると告げました。
    スッバイアーがバガヴァーンの前で平伏して立ち上がると、彼は今までに得たことのない安らぎと至福を経験しました。1909年に、家族はティルヴァンナーマライに家を借り、ムダリアール・パーティはバガヴァーンに毎日、食事を届けはじめした。1949年に彼女が亡くなる時まで、40年間、一日も欠かすことなく継続的にバガヴァーンに食事を持っていくか、届けました。アーシュラムが、毎日、何百もの食事を調理できるまでに大きくなっても、彼女は応分の寄付をしました。そして、バガヴァーンは彼のお皿にそのいくらかをのせるようにいつも強く言い、パーティの贈り物が届くまで食べようとしませんでした。

 ある時、マハルシはムダリアール・パーティに自分が食べられる以上の食事を給仕していると言いました。彼女は非常に親しげに、そのようなことは全くしてませんと言い返し、「それは全て心の問題ではないでしょうか」と言いながら、バガヴァーンのお皿にもうひとつかみ押し付けました。笑いながら、マハルシは敗けを認め、「私の方法で、彼女は私にやり返しています」と言いました。

 パーティは目が見えなくなった後、バガヴァーンに会いたいと望みました。信奉者がバガヴァーンの前に彼女を連れていくと、近くにいたある人が、「おばあちゃん、あなたはバガヴァーンを見る視力がないのに、どうしてやって来たのですか」と尋ねました。彼女の信念に満ちた答えをしました。「バガヴァーンの体を見ることができなくても問題ありません。私の体は彼によって見られます。それは私にとって十分以上です。」

 彼女の死後、バガヴァーンの要望により、彼女の体は火葬場に送られず、アーシュラムから遠くない彼女の家の敷地内に埋葬されました。サンニャーシの体になされるように、彼女の体はパドマアーサナ(蓮華座)で足を交差するように座らされました。花輪で飾られ、聖なる灰と樟脳をふりかけられて、埋葬されました。他のどの信奉者が亡くなった時でも、バガヴァーンがこのように干渉した場合はありませんでした。

 彼女の死後何年もたって、ある人が彼女の家を買いました。敷地内のサーマディ(お墓)は不吉であるという助言を受け、新しい所有者はパーティの体を掘り起こし、その残りを切りきざみ、彼の土地から遠く離れたところにばらまきました。それから後のある時、新しい所有者は列車の事故で亡くなりました。その衝撃は非常に激しく、彼の体は複数の部分へと切断されました。

◇『ラマナ・ペリヤ・プラーナム(Ramana Periya Puranam)』、p47~48

ムダリアール・パーティ

 ムダリアール・パーティという名前の別の美しい女性がいました(パーティは「祖母(おばあさん)」を意味します)。彼女は息子とその嫁と一緒に村に住んでいて、そこでサードゥに仕えていました。彼がまさに亡くなろうとする時、彼女は彼らが今何をするべきか尋ねました。彼は「アルナーチャラに行きなさい。そこに聖者がいます。彼に仕えなさい。あなたの人生の目的が果たされます」と彼女に告げました。

 ムダリアール・パーティは、彼女がバガヴァーンのもとへ来た時でさえ、とても年をとっていました。彼女は1910年にヴィルーパークシャ洞窟でバガヴァーンを見ました。バガヴァーンを見た、まさにその最初の一目で、彼女は気持ちを鼓舞する聖なる体験をしました。その場で、彼女は、「私の最後の日までバガヴァーンに食事を給仕しよう」と誓いを立てました。彼女ができる時はいつでも、村からお金や食糧をもらったものでした。バガヴァーンに給仕するために、彼女は徐々に自分の持ち物すべてを売り払いました。残ったものが何もない時、彼女は市場でゴマを買い、潰して油にして、市場で売りました。彼女のもうけがどれほど少なくても、それはバガヴァーンのための食事を作るための食糧に費やされました。

バガヴァーンはかつて、「私は二人の人-ラーマナータ・ブラフマチャリとムダリアール・パーティ-を恐れています。」と言いました。この恐れとは何でしょう。本当は、それは恐れではありません。バガヴァーンは、無私の奉仕、完全な委ね、限りない献身の奴隷でした。この二人はその部類に入ります。ムダリアール・パーティの人生には、彼女の深い献身を表わした多くの例があります。バガヴァーンが現在のラマナーシュラマムに下りてきた後でさえ、彼女は自分の手でバガヴァーンに食べ物を給仕すると言って聞きませんでした。彼女は年のために半盲になりました。ある日、バガヴァーンの食事を給仕している時、彼女は彼の食事が給仕される葉っぱを踏みました。そばに立っている付添人は、「ちょっと!あなたはそんなに目が悪いのに、どうしてやって来たのですか。あなたがバガヴァーンを見られないなら、どうしてみんなの邪魔をしに来るのですか」と彼女を叱りました。ムダリアール・パーティは、「私が彼を見れなくたって、かまいません。バガヴァーンが私を見ます。彼の恩寵は私にあります。それで十分です」と答えました。

 最初の手術の後、バガヴァーンの健康状態が衰えつつあるということを耳にして、彼女は彼に会いたいと思いました。彼女は今では全盲になっていましたが、それでもバガヴァーンを見ると言って聞きませんでした。彼女が講堂に連れて来られた時、彼女は目を凝らしてみようとしました。バガヴァーンは彼女を慰め、「パーティ、私は大丈夫です。私の体は大丈夫です」と言いました。彼女は十分に満足しませんでした。彼女は外に行き、行動の入り口のそばに立ちました。バガヴァーンが出てきた時、彼女は、「バガヴァーン、止まって!」と言いました。それから、彼女は手をバガヴァーンの体の隅々まで走らせました。彼女はバガヴァーンがそのようにするのを許した唯一の女性です。彼女がバガヴァーンを心ゆくまで「見た」後、バガヴァーンは彼女に「もう満足しましたか」と尋ねました。

 この驚くべき女性は、人生の最後の日々をラマナーシュラマムから少し離れたラマナ・ナガルで過ごしました。 クンジュ・スワーミ、ヴィシュワナータ・スワーミー、シュリー・ナーガンマが、パーティとその健康状態の世話をするために、バガヴァーンによって送られました。彼らは彼女のためにラマナ・ナガルに小屋を建てました。バガヴァーンは毎日、彼女のことを尋ねました。1949年までには、ムダリアール・パーティはとても年をとり、盲目になり、息子の嫁を、一切のものを失いました。しかし、彼女はバガヴァーンのために料理することを続けました。彼女の最後の日においてさえ、彼女は食事を作り、バガヴァーンにそれが持って行かれたか確かめました。彼女はバガヴァーンが彼女の食事を食べ終わった時に知らせるようにと言って聞きませんでした。それが伝えられた時、彼女はこの上なく幸せな様子で目を閉じ、体をおろしました。バガヴァーンはクンジュ・スワーミーらに、(以前、セシャドリ・スワーミーと母アラガンマルの場合に彼が行ったのとまさに同じように)彼女は覚者のように埋葬されるべきであるという指示を与えました。前の機会、エチャンマルが亡くなった日に、バガヴァーンは、「まだ、ムダリアール・パーティがいます」と発言しました。ムダリアール・パーティが亡くなった時、バガヴァーンは、「肩から大きな荷が下りました」と述べました。

 万物の母は、母アラガンマルの姿をとり、バガヴァーンに体を与えました。ラトナンマル、メーナクシアンマル、デースランマル、エチャンマル、ムダリアール・パーティの姿で、万物の母はバガヴァーンの体を養い、育てました。バガヴァーンもまた彼女達に悟りを授けることによって感謝の気持ちを表しました。ムダリアール・パーティが体をおろしたすぐ後、バガヴァーンの健康状態はさらに衰えました。数か月の内に、彼もまた体をおろしました。