◇『シュリー・ラマナ・マハルシの全集(Collected Works of Sri Ramana Maharshi)』
「ハスターマラカの賛歌」は、サンスクリット語が読めない信奉者のためにバガヴァーン・ラマナがタミル語へ翻訳したものです。英訳は、おそらくアーサー・オズボーン氏のものです(文:shiba)
ハスターマラカの賛歌
シュリー・バガヴァーンによる紹介
世界のグルであるシャンカラが、インドの西の地域を旅をしながら、様々な思想学派の解説者を討論で打ち負かしていた時、ある時、スリヴァリという名の村に到着した。プラバーカラという名前の村に住むバラモンの住民は、シャンカラの来訪を聞くとすぐに彼の十三歳の息子と共にシャンカラのもとへ行った。彼はシャンカラの前で平伏し、息子も平伏させた。その後、彼は少年が子供のころから口がきけず、好き嫌いがなく、名誉や不名誉の意識もなく、全く活発でないと説明した。その後、グルは子供を立たせ、快活な調子で以下のように尋ねた。
本文
1.
「汝は誰か。汝は誰の息子か。いずこに束縛されているのか。汝の名前は何か。汝はどこから来たのか。おお、子よ!私はこれらの問いに対する汝の答えを聞きたい」。このようにシャンカラーチャーリヤは子供に話し、ハスターマラカは以下のように返答した。
2.
私は人間でも、神でも、ヤクシャでも、バラモンでも、クシャトリヤでも、ヴァイシャでも、シュードラでも、ブラフマチャリでも、家住者でも、森住者でも、サンニャーシでもない。私は純粋な自覚のみである。
3.
太陽が世界の全活動を引き起こすのとまさしく同様に、私-常に存在する意識ある
自ら-は、心を活発にさせ、五感を働かせる。また、虚空が遍く行き渡っているが、どの特性も欠くのとまさしく同様に、私は一切の性質を持たない。
4.
私は意識ある
自らであり、常に存在し、いつも熱が火と関わっているのと同様に、万物と関わる。私はかの永遠の、未分化の、揺らぐことなき意識であり、それにより意識なき心と五感がそれぞれの方法で働く。
5.
私はかの意識ある
自らであり、鏡像が映し出される対象から独立しないように、自我はそれから独立しない。
6.
私は制限なき意識ある
自らであり、対象が反射する鏡を取り除いた後でさえ常に同じままにあるのとまさしく同様に、ブッディの消滅の後でさえも存在する。
7.
私は永遠の意識であり、心と感覚から離れている。私は心の中の心、目の中の目、耳の中の耳などである。私は心と五感によって認識しえない。
8.
私は永遠の、唯一の、意識ある
自らであり、太陽が様々な水面に映し出されるのとまさしく同様に、様々な知性の中に映し出される。
9.
私は唯一の、意識ある
自らであり、太陽が同時に全ての目を照らし、それにより目が対象物を知覚するのとまさしく同様に、全ての知性を照らす。
10.
太陽により手助けされる目のみが対象を知覚でき、その他(の目)はできない。太陽がその力を得る源が、私自身である。
11.
揺らめく水面上の太陽の影は割れているように見えるが、静かな水面上では完全なままにあるのとまさしく同様に、私、意識ある
自らも、落ち着いた知性の中に明瞭に輝くが、動揺した知性の中では認識しえない。
12.
愚か者が太陽が厚い雲に覆われる時に全く失われていると考えるのとまさしく同様に、人々は常に自由な
自らが束縛されていると考える。
13.
虚空が遍く行き渡り、接触に影響されないのとまさしく同様に、いかようにも影響されることなく、常に意識ある
自らも万物に行き渡る。私は、かの
自らである。
14.
透明な水晶がその背景にある輪郭を帯びても、それによりいかようにも変化しないのとまさしく同様に、そして、波立つ水面に映し出されるや否や、変わることなき月が揺らぐように見えるのとまさしく同様に、全てに行き渡る神である、あなた(=シャンカラ)もそのようである。
15.
このストートラは手のひら(ハスタ)に置かれたアマラカの実のように明瞭に
自らを表わしたため、それはハスターマラカ・ストートラの名を受けた。さらに、ジニャーナにおいて卓越した少年は、この世界の全ての人によってハスターマラカとして賞賛されるようになった。
少年の父親はそれらの言葉に驚き、口がきけなかった。しかし、アーチャーリヤは彼に、「彼は未完成の苦行のために、あなたの息子になりました。これはあなたの幸運です。彼はこの世であなたの何の役にも立ちません。彼を私と共にいさせましょう」と言った。アーチャーリヤは父親に帰るように命じ、少年を同伴して道を進んだ。それから、弟子は彼に、「(師の教えの)聴聞などなしに、この少年はどうしてブラフマンの境地を得ることができたのでしょうか」と尋ねた。グルは、「彼の母親は、数人の女性と共に川へ沐浴に行く間、ヤムナ川の岸で苦行を行っていた偉大な卓抜したヨーギに二歳の子供の世話を任せました。子供はよちよち歩いて川に向かい、溺れました。絶望した母親を哀れに思って、サードゥは体を捨て、その子供の体に入りました。そのために、この少年はこの優れた境地を得たのです」と答えた。
◇「山の道(Mountain Path)」、1994年、ジャヤンティ
「Mountain Path」(94年)に「ハスターマラカの賛歌」の英訳が掲載されていたのですが、「シュリー・バガヴァーンによる紹介」と第15詩節の内容が、上述の『Collected Works~』にある英訳のものと異なっており、また、後書きもありませんでした。以下には、その紹介と第15詩節の日本語訳を記します。(文:shiba)
シュリー・バガヴァーンによる紹介
バラモンの女性がジャムナ川へ沐浴に行った。土手でヨーギが瞑想して座っているのを目にし、彼女は一人っ子の二歳の男の子を彼のそばにおいて、彼女が沐浴から戻るまで面倒を見てくれるように頼んだ。戻って来ると、彼女はヨーギが瞑想に没頭している間に子供が溺れ死んだことに気づき、ひどくうろたえた。先立たれた母親が彼の死をとても大きな声で嘆き悲しんだため、ヨーギは目を覚ました。何が起こったのかを理解し、彼は哀れに思い、気の毒な母親を慰めるため、ヨーガの力によって彼自身の体を捨て、死んだ子供の体に入った。子供が生き返ったのを見て、母親は大喜びし、彼の奇跡的な復活の秘密をわざわざ見つけ出そうとはせず、彼を連れて家に戻った。
少年は普通の子供のようには成長しなかった。彼はあまりに黙想的であり、学んだり、舌足らずに話したり、遊んだりせず、いかようにも両親を楽しませなかった。そのため、彼らは彼が耳が聞こえなく、言葉を話せないに違いないと思った。
数年後、アーディ・シャンカラーチャーリヤが近隣を旅していた。両親は子供を彼のところに連れてゆき、どうかあなたのその聖なる力によって子供を健康な状態に戻してくださいますように、と祈った。アーチャーリヤは一目で様子を見て取って、少年にいくつもの質問を投げかけた。少年は番に当たって即座に答え、その知恵の崇高さにより聴衆を驚嘆させた。
両親は息子についての真実を知った後すぐ、彼をアーディ・シャンカラに託した。彼はその時からハスターマラカとして知られ、偉大なる師の四人の主導的な弟子の一人となった。
第15詩節
この賛歌は
自らという現実を手(ハスタ)の中のアマラカの実のように明瞭に表したため、それは「ハスターマラカ・ストートラ」と知られるようになった。ジニャーナ(知恵)の完熟した果実であるこの少年は、その少年時代からさえ、「ハスターマラカン」として知られるようになり、全ての人から敬われた。