2012年3月25日日曜日

ムダリアール・パーティ (亡くなる日まで40年間食事の布施をした女性)の思い出

◇『シュリー・ラマナ・マハルシと向かい合って(Face to face with Sri Ramana Mharshi)』

61.
ムダリアール・パーティと彼女の家族は、ある聖者をとても信奉していました。その聖者は死の前に、ムダリアール・パーティと彼女の息子のスッバイアーに、ティルヴァンナーマライで彼らを大きな幸運が待っており、そこで彼らはジニャーニのダルシャンと彼に仕える偉大な機会を得ると告げました。
    スッバイアーがバガヴァーンの前で平伏して立ち上がると、彼は今までに得たことのない安らぎと至福を経験しました。1909年に、家族はティルヴァンナーマライに家を借り、ムダリアール・パーティはバガヴァーンに毎日、食事を届けはじめした。1949年に彼女が亡くなる時まで、40年間、一日も欠かすことなく継続的にバガヴァーンに食事を持っていくか、届けました。アーシュラムが、毎日、何百もの食事を調理できるまでに大きくなっても、彼女は応分の寄付をしました。そして、バガヴァーンは彼のお皿にそのいくらかをのせるようにいつも強く言い、パーティの贈り物が届くまで食べようとしませんでした。

 ある時、マハルシはムダリアール・パーティに自分が食べられる以上の食事を給仕していると言いました。彼女は非常に親しげに、そのようなことは全くしてませんと言い返し、「それは全て心の問題ではないでしょうか」と言いながら、バガヴァーンのお皿にもうひとつかみ押し付けました。笑いながら、マハルシは敗けを認め、「私の方法で、彼女は私にやり返しています」と言いました。

 パーティは目が見えなくなった後、バガヴァーンに会いたいと望みました。信奉者がバガヴァーンの前に彼女を連れていくと、近くにいたある人が、「おばあちゃん、あなたはバガヴァーンを見る視力がないのに、どうしてやって来たのですか」と尋ねました。彼女の信念に満ちた答えをしました。「バガヴァーンの体を見ることができなくても問題ありません。私の体は彼によって見られます。それは私にとって十分以上です。」

 彼女の死後、バガヴァーンの要望により、彼女の体は火葬場に送られず、アーシュラムから遠くない彼女の家の敷地内に埋葬されました。サンニャーシの体になされるように、彼女の体はパドマアーサナ(蓮華座)で足を交差するように座らされました。花輪で飾られ、聖なる灰と樟脳をふりかけられて、埋葬されました。他のどの信奉者が亡くなった時でも、バガヴァーンがこのように干渉した場合はありませんでした。

 彼女の死後何年もたって、ある人が彼女の家を買いました。敷地内のサーマディ(お墓)は不吉であるという助言を受け、新しい所有者はパーティの体を掘り起こし、その残りを切りきざみ、彼の土地から遠く離れたところにばらまきました。それから後のある時、新しい所有者は列車の事故で亡くなりました。その衝撃は非常に激しく、彼の体は複数の部分へと切断されました。

◇『ラマナ・ペリヤ・プラーナム(Ramana Periya Puranam)』、p47~48

ムダリアール・パーティ

 ムダリアール・パーティという名前の別の美しい女性がいました(パーティは「祖母(おばあさん)」を意味します)。彼女は息子とその嫁と一緒に村に住んでいて、そこでサードゥに仕えていました。彼がまさに亡くなろうとする時、彼女は彼らが今何をするべきか尋ねました。彼は「アルナーチャラに行きなさい。そこに聖者がいます。彼に仕えなさい。あなたの人生の目的が果たされます」と彼女に告げました。

 ムダリアール・パーティは、彼女がバガヴァーンのもとへ来た時でさえ、とても年をとっていました。彼女は1910年にヴィルーパークシャ洞窟でバガヴァーンを見ました。バガヴァーンを見た、まさにその最初の一目で、彼女は気持ちを鼓舞する聖なる体験をしました。その場で、彼女は、「私の最後の日までバガヴァーンに食事を給仕しよう」と誓いを立てました。彼女ができる時はいつでも、村からお金や食糧をもらったものでした。バガヴァーンに給仕するために、彼女は徐々に自分の持ち物すべてを売り払いました。残ったものが何もない時、彼女は市場でゴマを買い、潰して油にして、市場で売りました。彼女のもうけがどれほど少なくても、それはバガヴァーンのための食事を作るための食糧に費やされました。

バガヴァーンはかつて、「私は二人の人-ラーマナータ・ブラフマチャリとムダリアール・パーティ-を恐れています。」と言いました。この恐れとは何でしょう。本当は、それは恐れではありません。バガヴァーンは、無私の奉仕、完全な委ね、限りない献身の奴隷でした。この二人はその部類に入ります。ムダリアール・パーティの人生には、彼女の深い献身を表わした多くの例があります。バガヴァーンが現在のラマナーシュラマムに下りてきた後でさえ、彼女は自分の手でバガヴァーンに食べ物を給仕すると言って聞きませんでした。彼女は年のために半盲になりました。ある日、バガヴァーンの食事を給仕している時、彼女は彼の食事が給仕される葉っぱを踏みました。そばに立っている付添人は、「ちょっと!あなたはそんなに目が悪いのに、どうしてやって来たのですか。あなたがバガヴァーンを見られないなら、どうしてみんなの邪魔をしに来るのですか」と彼女を叱りました。ムダリアール・パーティは、「私が彼を見れなくたって、かまいません。バガヴァーンが私を見ます。彼の恩寵は私にあります。それで十分です」と答えました。

 最初の手術の後、バガヴァーンの健康状態が衰えつつあるということを耳にして、彼女は彼に会いたいと思いました。彼女は今では全盲になっていましたが、それでもバガヴァーンを見ると言って聞きませんでした。彼女が講堂に連れて来られた時、彼女は目を凝らしてみようとしました。バガヴァーンは彼女を慰め、「パーティ、私は大丈夫です。私の体は大丈夫です」と言いました。彼女は十分に満足しませんでした。彼女は外に行き、行動の入り口のそばに立ちました。バガヴァーンが出てきた時、彼女は、「バガヴァーン、止まって!」と言いました。それから、彼女は手をバガヴァーンの体の隅々まで走らせました。彼女はバガヴァーンがそのようにするのを許した唯一の女性です。彼女がバガヴァーンを心ゆくまで「見た」後、バガヴァーンは彼女に「もう満足しましたか」と尋ねました。

 この驚くべき女性は、人生の最後の日々をラマナーシュラマムから少し離れたラマナ・ナガルで過ごしました。 クンジュ・スワーミ、ヴィシュワナータ・スワーミー、シュリー・ナーガンマが、パーティとその健康状態の世話をするために、バガヴァーンによって送られました。彼らは彼女のためにラマナ・ナガルに小屋を建てました。バガヴァーンは毎日、彼女のことを尋ねました。1949年までには、ムダリアール・パーティはとても年をとり、盲目になり、息子の嫁を、一切のものを失いました。しかし、彼女はバガヴァーンのために料理することを続けました。彼女の最後の日においてさえ、彼女は食事を作り、バガヴァーンにそれが持って行かれたか確かめました。彼女はバガヴァーンが彼女の食事を食べ終わった時に知らせるようにと言って聞きませんでした。それが伝えられた時、彼女はこの上なく幸せな様子で目を閉じ、体をおろしました。バガヴァーンはクンジュ・スワーミーらに、(以前、セシャドリ・スワーミーと母アラガンマルの場合に彼が行ったのとまさに同じように)彼女は覚者のように埋葬されるべきであるという指示を与えました。前の機会、エチャンマルが亡くなった日に、バガヴァーンは、「まだ、ムダリアール・パーティがいます」と発言しました。ムダリアール・パーティが亡くなった時、バガヴァーンは、「肩から大きな荷が下りました」と述べました。

 万物の母は、母アラガンマルの姿をとり、バガヴァーンに体を与えました。ラトナンマル、メーナクシアンマル、デースランマル、エチャンマル、ムダリアール・パーティの姿で、万物の母はバガヴァーンの体を養い、育てました。バガヴァーンもまた彼女達に悟りを授けることによって感謝の気持ちを表しました。ムダリアール・パーティが体をおろしたすぐ後、バガヴァーンの健康状態はさらに衰えました。数か月の内に、彼もまた体をおろしました。

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