2017年4月24日、バガヴァーンの第67回アラダナ(命日法要)に、その遺徳を偲んで
(文shiba)
チャガンラル・V・ヨーギ、マドラス
生きとし生けるものに最も深く根差した最大の恐怖は、死の恐怖です。死の恐怖を完全に克服した稀有な巨人たちは、片手で数えられるほどです。世事に夢中になっている人々は、死を恐れるあまり、それを口にすることさえ嫌がります。彼らは、死への言及を避けることで、その到来を延期できるという甘やかな幻想を抱いています。そのような人々と対照的に、常に死に立ち向かう覚悟のある人々は、いつも陽気で、恐れを知りません。
死の恐怖を免れていることは、確かに人間にとって崇高な境地です。しかし、その至高の境地は死の征服そのものなのです。アルナギリの賢者、シュリー・ラマナは、弱冠17才で、この靈的高みの頂きに到達し、それ以後、マハー・ニルヴァーナを得るまで、その至高の境地に留まりました。
ヴェンカタラーマン(当時のシュリー・ラマナの名前)が学生としてマドゥライで叔父と一緒に暮らしていた時、彼は17才ぐらいでした。その時期のある日、彼が上の階の床に横になっていたとき、驚嘆すべき体験をしました。彼は実際に死の状態を経験したのです。けれども、彼は心の中で完全に意識があり、生き生きとしていました。彼は体が突如、厚板のように固くなったことに気づきました。彼の手先、足先、四肢全ては不活発になり、その結果、動かすことさえできませんでした。彼は横に向くこともできませんでした。全ての死の兆候が体に存在しましたが、驚くべきは、彼が体に起こっていた全てに完全に気づいていたことでした。そのため、体が死んだという事実について疑いは全くありませんでした。
そして、この死体のような状態で、以下の思いが彼に起こりました。
「親類が来て、この体が死んでいることに気づけば、彼らはそれを火葬場に運び、燃やして灰にするだろう。しかし、それは私の存在を無にするだろうか。私は生きている、そして、確実に生き続けるだろう。私の原初の存在なる、この意識、それこそが私の真の自らだ。自らは永遠に生きている。体はいつでも滅びうる。私は体ではない。私は自ら以外の何物でもない」。
そうこうするうちに体は復活し始め、短い時間で正常になりました。かくして、シュリー・ラマナに、この類い稀な死の体験がやって来ては去ってゆき、後に彼が自ら以外の何物でもないという色あせることのない真理の実現を残しました。
古き時代、ナチケータは死の神、ヤマのもとへ行き、その心をつかむことに成功しました。ヤマは彼を気に入り、自らの真理を彼に明らかにしました。我々の時代には、ヴェンカタラーマン少年もまた死を抱擁し、偉大な真理を得た後、生還しました。ヴェンカタラーマンは死なるライオンのひげをその巣穴の中でつかみました(捨て身で死に立ち向かいました)。この二つの出来事の間の類似はとても明確であるため、シュリー・ラマナの信奉者の多くは、彼が死の主自身から手ほどきを受け、ヤマが彼の師であると信じています。
マハーラーシュトラの偉大なる賢者、聖トゥカーラムは、彼の歌の一つの中で歌います。「私は私自身の目でもって私の死を見た」。このことは彼がシュリー・ラマナのように、生きている間にさえ死の体験を得たことも示しています。どのように聖トゥカーラムがこの素晴らしい体験を得たのか、彼の心と体にそれがどのような影響をもたらしたのかは、それについて彼が何も記していないため、我々の知るところではありません。それ以上の比較は、そのため、不可能です。
最大の恐怖、すなわち、死の恐怖を克服した後、シュリー・ラマナはあらゆる類の恐怖から完全に解放されました。まさしく、彼はシュリー・ラマナ、恐れなき者となりました。それ以来、彼は決して恐れなかっただけでなく、恐れなき心と勇気で他者を満たしました。
1908年、ティルヴァンナーマライはペストの流行に見舞われ、人々は慌てふためき町から逃げました。そのため、町は荒涼たる様相を呈しており、ヒョウたちが白昼堂々と商店街をうろついていました。アルナーチャラ山のふもとに位置するパチャイアンマン女神の寺院に避難する人々もいました。当時、シュリー・ラマナはこの寺院で暮らしていました。彼のダルシャンのためにやって来て、そこに滞在していたランガスワミ・アイエンガーと呼ばれる信奉者は、用を足すために隣接する森に行きました。彼が歩いていると、行く道にヒョウが座っているのを目にしました。彼は追い払おうとしましたが、これはただヒョウを激怒させ、ヒョウは彼にうなり始めました。シュリー・アイエンガーは震え上がり、一目散に逃げ出し、身の安全を図るために寺院に向かって駆け出しました。彼はシュリー・バガヴァーンの名前をこの間中ずっと唱えていました。ヒョウは、その習性と本能に従い、怯えて走るアイエンガーを追いかけました。彼の足が彼を運びうる限界の速さで走っていると、シュリー・バガヴァーンが彼に向ってやって来るのを目にしました。激しくあえぎながら、シュリー・アイエンガーは叫びました。「バガヴァーン!助けてください。ヒョウが私を追いかけてきます」。シュリー・ラマナはただ笑い、彼に尋ねました。「でも、どこにヒョウがいるのですか」。アイエンガーはその頃には後ろを振り返られるほどに回復し、驚いたことにヒョウが全然いないことに気づきました!シュリー・アイエンガーの心から恐怖のわずかの痕跡も除き去るために、シュリー・ラマナは彼に同行して彼が最初にヒョウを見た場所に行きました。しかし、驚いたことにアイエンガーはそこでもヒョウを見ませんでした。これは彼を安心させ、彼は恐怖を免れました。シュリー・ラマナは、そうして、彼自身の恐れを知らない性質を通じて信奉者の恐怖を取り除きました。
続いて起こった別の出来事には、似たような語るべき話があります。ある時、マドラスからの信奉者が、シュリー・バガヴァーンに敬意を表するためにパチャイアンマン寺院にやって来ました。彼は近くの貯水池に沐浴しに行きました。夕闇へと消えゆく黄昏(たそがれ)時でした。シュリー・ラマナは、その時、寺院で誰かと話すのに忙しくしていました。出し抜けに彼は会話を打ち切り、何か急な用事を思い出したかのように、足早に貯水池にまっすぐ向かいました。あわやというところで彼はそこに到着しました。トラが不用心な沐浴者に背後から今にも跳びかからんとしていたのです。信奉者はトラに気づいておらず、とてもくつろいで沐浴していました。しかし、シュリー・バガヴァーンが誰かに「そこのあなた、向こうに行きなさい」と呼びかけているのを見聞きしたとき、彼は振り返り、トラを目にし、ただただ恐怖に襲われました。トラは、もちろん、シュリー・バガヴァーンの命を受るとすぐに体の緊張を緩め、向きを変え、茂みの中に消え去りました。その時になってやっと、信奉者は安堵のため息をつきました。彼の命を救うというシュリー・バガヴァーンのとりなしに大いに感謝して、彼はシュリー・バガヴァーンを前にして地面にひれ伏し、繰り返し感謝の意を表しました。
この出来事はシュリー・バガヴァーンの完全に恐れなき心だけでなく、トラのような獰猛な動物に対してさえ、彼が限りない愛と完全な支配力を持つことを示しています。そのような愛は、最高水準の恐れなき心を得た後にのみ、訪れうるものです。他に何が信奉者にとびかからんとするトラに勝ち得たでしょうか。信奉者もまた、シュリー・ラマナがトラをとても愛情深く、恐れずに扱うのを目にするとすぐに、恐れなき心で満たされました。
1896年9月1日、シュリー・バガヴァーンがティルヴァンナーマライに到着した後、しばらく彼は巨大なアルナーチャレーシュワラ寺院に住みましたが、なにがしかの理由で彼は寺院の敷地自体の中で数回住まいを変えました。その時、彼は住むための全く人が訪れることのない場所を探し求めました。千本の柱のある広々としたマンダパムの中に、そのような場所が片隅にありました。それは放置された地下寺院であり、その中にはシヴァ・リンガが安置されていました。それは地表面より下にあったため、誰かがそれをパーターラ・リンガムとふさわしく名づけました。内部は真っ暗闇であったため、それは崇拝されないままで、地下室も掃除されないままでした。そのため、人々は踏み段を下りて行くのを怖がっていました。しかし、シュリー・ラマナの場合は異なりました。彼は完全に恐れを知らなかっため、この寂しい地下室を滞在地に選びました。彼は下りて行き、都合のいい姿勢で座り、すぐに深いサマーディに入りました。心に恐怖の高まりが生じることさえなく、何か月か彼はその恐ろしい地下牢のような場所に住みました。
バガヴァッド・ギーターの以下の一節に描かれるように、まさしくシュリー・バガヴァーンは賢者、シュティタプラジニャでした。
その心が情欲、恐怖、怒りから解き放たれた者は、賢者、シュティタプラジニャと呼ばれる
1922年にシュリー・ラマナーシュラマムが開かれる前、シュリー・バガヴァーンは、アルナーチャラ山の斜面に位置するスカンダーシュラムと呼ばれる素敵な洞窟で長年暮らしていました。1922年に彼の崇敬される母、シュリー・アラガンマルがこの世の煩わしさを捨て去った(亡くなった)のは、ここでした。シュリー・バガヴァーンと数人の信奉者は、このアーシュラムの前壁を建てるために力仕事を行っていました。壁が建設中のとき、ある日、ヘビがそこにやって来ました。それを目にするや否や信奉者たちは怯え、仕事を投げ出し、右往左往の大わらわでした。シュリー・ラマナは彼らがたいそう怖がっているのを目にし、ただ笑い、そのヘビに呼びかけ、言いました。「そこのあなた、向こうに行きなさい。この友人たちがあなたをたいそう怖がってますので」。ヘビは即座にシュリー・バガヴァーンの要請に従い、すぐに視界から消えました。このようにして、彼自身に備わっている恐れなき心によって、シュリー・バガヴァーンは恐れなき心と勇気で信奉者を満たしました。
1924年に、強盗団がシュリー・ラマナーシュラマムを襲撃し、窓ガラスを打ち壊し、戸棚をこじ開け、アーシュラムに火をつけるぞと脅したとき、シュリー・バガヴァーンは動じず、全く恐れないままでした。強盗団は、居住者たち、そしてバガヴァーンさえも、強(したた)かに打ちつけるまでに及びました。その時でさえも、シュリー・バガヴァーンは全く恐れませんでした。泥棒たちが戸棚と他の箱のカギを要求したとき、ある居住者がアーシュラムのカギ束をもって町に出ていたため、彼らに渡すことは不可能でした。シュリー・ラマナは泥棒たちにこの事実を穏やかに伝えましたが、それでも彼らは暴れまわり、彼を殺すぞと脅しました。この一連の出来事と襲撃の間のシュリー・ラマナの穏やかで冷静な態度は、いかにシュリー・バガヴァーンが生きとし生けるものの根元的な性向、すなわち、死の恐怖を超越しているかを明確に示しています。
これら全てとシュリー・ラマナの人生の他の多くの出来事は、人も獣も彼に恐怖心を抱かせることができず、彼の完全に恐れなき心が勇気と大胆さで他者を満たしたということを示しています。それは全ての信奉者に教訓を教え込む彼の方法でした。彼は惜しげなく彼が持つもの全てを与え、幸運にもその一部でさえ吸収できた人々は救われ、高められました。
恐れなき者、シュリー・ラマナに恭しくお辞儀いたします。
ラマナーシュラマムでのバガヴァーンの第67回アラダナ(命日法要)の様子