死とジニャーナ
論説
(ルシア・オズボーン)
(ルシア・オズボーン)
死の問題は、二元性の観点からのみ生じ、アドヴァイタのそれ-ジニャーニの観点-どちらからも、何ら現実性を持ちません。
「不死は、我々の本質です」、シュリー・ラマナ・マハルシはよく言ったものでした。ただ我々が我々自身を体と同一視するために、我々は誤ってそれ(不死)を体に帰し、それ(体)が永遠に生きると想像し、本当に不死であるものを見失っています。聖典には、重い荷物を運んでいる労働者がその目的地につき、それを下に降ろすことを待ち望んでいるのとまさしく同様に、ジニャーニは体が脱ぎ捨てられる時を心待ちにしていると記されていますが、厳密に言えば、ジニャーニは体を降ろすことを切望してさえいません。というのも、彼はそれにほとんど気づいていないため、その存在や非存在に等しく無関心であるからです!
死の本質が自覚されるか理解されるまで、死の問題は、この全てに共通の運命に直面する時、人間にとって本質的な関心事です。人が体との誤った同一視という相対的次元に未だいるため、分離した個人的存在として、「私」は、自我の解消を恐れるかもしれません。しかし、サーダナを通じて死の性質は体にのみ属していると理解した後、探求者は最初の死への本能的恐怖に打ち勝ち、平静にそれを待ち望むことが難しいとは感じないでしょう。
サーダナの間、人は死と死の後に生き残るものを体験するかもしれません。世俗の人々でさえ極端な、または、通常の状態において、そのように体験すると知られています(*1)。しかし、これはつかの間の一瞥でしかなく、心が十分に安定し、純粋でなければ、保つことはできません。その記憶と確信だけが残ります。そのような体験をしたテニソンがこの体験を描くには、最も明瞭なものの中で最も明瞭なもの、最も確かなものの中で最も確かなもの、そこでは死がほとんどばかげた不可能なこと-人格の喪失、消滅ではなく、無限の存在、唯一なる真の命の中への解消です!
本格的に心を落ち着け、この最も自然な本来的に至福に満ちた「在る」という境地を実現するために、この地点からサーダナが始まります、あるいは、始まるべきです。
シュリー・ラマナ・マハルシの場合、死の体験は、聖霊であり、あらゆる存在の自らである、普遍的な不死の自らと「私」が一つであるという実現に帰着しました。「体は死ぬが、それを超越する聖霊が死に触れられることはありえない。それは私が不死の聖霊であるということを示している。死の恐怖はこれを最後に消え去りました。自らの中への吸収は、その時以来、途切れることなく続いています」(*2)。これは瞬間的な実現の並外れた事例です!
バガヴァーンはそれについてとても断定的でした。その後にも先にも、どのようなサーダナも行ったことがないと彼は言いました。その体験は必要最小限かつ最終的なものでした。後に覚者の著作を読んだ時、彼の直感的な不断の自覚は確証を見出しました。ある人がシュリー・バガヴァーンの教えはシャンカラーチャーリヤのものと同じであるか尋ねた時、「バガヴァーンの教えは彼自身の体験と実現の表われです。他の人々はそれがシュリー・シャンカラのものに一致すると気づきます」と彼は答えました。
ジニャーニの観点からは、死は現実性を持ちません。迫りくる死を嘆くのは、その真の境地を実現していない人々だけです。禅の第六祖がこの世を去るという彼の決意を宣言した時、僧たちは悲嘆にくれて涙を流しました。「誰のためにあなたたちは泣いているですか」と彼は彼らに尋ねました。「もし私がどこへ行くのか知らないならば、私はこのようにあなたたちを置いて行くことはできないでしょう。私がどこへ行くのか知らないのは、あなたたちです。もしあなたたちが知っているなら、あなたたちは泣かないでしょう。なぜなら、真の自然の境地には生も死もないということをあなたたちはまた知ってもいるだろうからです」。
ある信奉者がバガヴァーンに恵み深くも彼の本当の姿を彼に見せてくださるようにお願いした時、バガヴァーンがもたれかかっていた長椅子が空っぽになりました。その信奉者は恐怖の中に取り残されました。ひと月ほど後に初めて、彼はそのことについてシュリー・バガヴァーンに話しかける勇気を奮い起しました。バガヴァーンはその時、「あなたは私の本当の姿を見せてもらいたいと頼みました。あなたはその消失を見ました。私は形を持ちません!」と説明しました。
あるプラダクシナの間、信奉者の一団がラマナ・サッドグルと歌い始めました(*3)。バガヴァーンはその歌に加わりました。信奉者の中の一人がバガヴァーンが彼自身の賛美を歌うことに驚きを表わしました。バガヴァーンは彼らに言いました。「あなたたちはラマナがこの6フィートであると思いますか。彼は全てに行き渡っています」。
自我から離れて、誕生もなく死もないと彼はよく言ったものでした。自我そのものが、死です。自我を超越することが、死を破壊することです。自我の源の探求が、死を克服し、不死を得るための道です。「自我、世界、個々人は全てその人のヴァーサナーのためです。それが消滅する時、その人の幻は消え去ります」。
我々は体に関連する現象を自らと混同しています。人が「私」という思い、もしくは、自我が生じる源を探求するなら、我々の原初の真の境地を隠す全ての混乱は消失し、自らがそれが常にあるがごとくに顕されるでしょう。「『私』の源を追跡すれば、原始の『私‐私』が残ります。しかし、それは表現しえないものです!」探求は内にあり、探求者はそれを彼の外側の対象物として見出すことはできません。かの源は至福であり、全ての存在の核心であり、死によって触れられず、永遠です。
人が日々眠っている時と目覚めている時に体験することを理解するために、どうして誕生と死に向かうのか、シュリー・ラマナ・マハルシは尋ねます。「あなたが眠る時、あなたにとって、目覚めている間に今存在する同じあなたにとって、この体と世界は存在しません。それは死と同じです。あなたが目覚めと眠りを適切に理解するなら、あなたは生と死を理解します」。我々は不死です。擦り切れた衣服のように捨て去られるのは、体だけです。相対的な観点からは、眠る時、体は修復され、死の時、新たなものに取り換えられます。夢と目覚めの状態はともに心の産物であり、唯一の相違はその持続期間にあります。
ラマナ・マハルシはその信奉者たちに語る時、体の幻想的な性質を強調しました-「私が病気であるとあなたたちが思うなら、私はかえって病気になるばかりです。私が元気であるとあなたたちが思うなら、私は元気になるでしょう」。全く奇妙なことに、1950年4月14日-シュリー・バガヴァーンのブラフマ・ニルヴァーナの日に、ある信奉者は彼の健康を祈るための夜通しの2倍のプラダクシナの後、そのようにすることができず、代わりに「御身の御心が行われますように-あなたが最善をご存知です」と身を委ねました。その朝に、彼女は、まさに最後のダルシャンの間に彼が輝かんばかりの健康体で同意して微笑みながら長椅子に座っているのを目にしました。彼の目は名状しがたい恩寵で光り輝いていました。その一方で、その列の真後ろに続く信奉者は、まさにその同じ瞬間に、彼がすでに苦しみ悶えているのを目にしました!
シュリー・ラマナ・マハルシは死を前にして言ったものでした。「彼らはこの体をバガヴァーンだとみなし、苦しみを帰し、彼の死を恐れます。何と気の毒なことですか!バガヴァーンが彼らを後に残し、去ろうとしていると彼らは気落ちしています。どこに彼が行けるのですか、それに、どうやって?・・・・『私』は決して死にません。体が抜け落ちても、『私』にとって喪失はありません。誕生と死は、体に属します。あなたたちは自らを体と同一視しています。それは誤った同一視です。誕生と死は、その問題をあなたに探求させ、誕生もなく死もないということを見出すためだけに言及されています・・・・」
それでも、自分自身を体と同一視する錯覚と非現実を現実だとみなす混乱を超えて、人はおぼろげながらも永遠の自らに気づいています。なぜなら、それが真理であるからです。体の中の命がいかなる瞬間にも終わるかもしれないということを忘れ、人々はあたかも永遠に生きるつもりであるかのように行動し、計画します。人はとても多くの人々が死んでいくのを目にするが、それでも彼自身が永遠であると信じている、バガヴァーンは言いました。世俗の人々にとってさえ、その自然の真理は現れ出ます。我々を源へ戻るように導くためのおとりのごとく、人間の姿でしばし現れた師-全ての者のハートの中の一者であるサッド・グル-に導かれる探求者にとっては、なおのことそうです。人がなさねばならない全ては、彼が我々に示した、その全くの簡素さゆえに困難に感じる人がいるかもしれない、最も直接的な道をたどることによって、誕生と死という、サンサーラ(浮世の人生)という、この夢から目覚めることです!
シュリー・バガヴァーンは、導きが彼の身体的消失の後にも継続することを我々に請け負いました。「私は去ろうとしていません。どこに私が行けるというのですか。私はここにいます」。「私はここにいるでしょう」でさえなく、「私はここにいます」!彼、生ける内なるグルは、彼の途切れのない存在と彼の継続する導きを確言しました。なぜなら、ジニャーニにとって、永遠の「今」しかないからです。彼は体をあまり重要視しないように我々に注意しました。彼は体ではありませんでした。信奉者たちは、彼らがどこにいようとも、彼の恩寵と支え、彼の内なる存在が、以前よりも今、さらにいっそう力強いことに気づきます。そして、外部の強制なしに、内なる規律が、あらゆる思いの純粋性が問題であるという段階にまで厳密になりうるかもしれません!
原注
(*1)「The Mountain Path」の1970年号10月に、そのような体験のいくつかの描写があり、このテーマを広範に扱っています。
(*2)Arthur Osbornによる「Ramana Maharshi and the Path of Self-Knowledge」、第二章、p18
(*3)「The Mountain Path」、1971年1月、p5を参照のこと