どのようにして私はバガヴァーンのもとへ行ったのか
R. O. アミヌ著
私は52年前に生まれたイスラム教徒であり、私の生まれついた信仰の熱心な信者として両親は私を育てました。このことは、神の恩寵により、15歳までにコーランの暗唱をやり遂げるという私の能力によって表わされました。コーランを終える当時の標準的な年齢は25から30歳の間でしたから、これは当時でさえ稀なことでした。
後の人生において、中等教育の後、「あなたたちはこれこれ規則を守らならければならない。そうでなければ、死後、あなたたちは地獄送りになり、そこで体は火に焼き尽くされる」と我々に話す、イスラム教の指導者たちの主張について深く考えるようになりました。マッラム(*1)たちのこれらの発言により、私は彼らの説教の真実性について幻滅し、私がコーラン全てをそらで唱えることができたにもかかわらず、その意味を理解していなかったという事実によって、これはさらに悪化しました。実際、当時、ヨルバ語(*2)や英語へのコーランの翻訳は存在しませんでした。ナイジェリアの数百万もの人々はイスラム教徒ですが、アラビア語を理解する人は10パーセントを下回ります。これは盲目的信仰と名付けられるであろうものですが、その効き目はあります。
シュリー・マハルシの恩寵により、私は光栄にも1959年に一冊の本に出会いました。それはヨーギ・ラーマチャラカ(*3)によって記され、『Fourteen Lessons of Yoga』という題名でした。これらの教えの内容-特に、植物と動物と人間が一つの「生命の力」、または、神を所有しているという理解-は、私の心に甚大な影響を与えました。その時以来、私は様々なヨーガの本を読み始めました。それから、私は伝統的な宗教、イスラム教徒、キリスト教徒、ヒンドゥー教徒のそれが、同一の真理を教えていると知り始めました。それは、神の王国が彼らの内にあり、空高い雲の中になく、我々は我々自身の罪、もしくは、カルマによって罰され、神によってでは全くないということです。
しかしながら、生命についてさらに知りたいという私の望みによって、私は1964年にThe Infinite Wayの生徒になり、ジョエル・ゴールドスミス(*4)の教えを学びました。『Contemplative Life』という本を通して、私はThe Infinite Wayに惹きつけられました。月報の定期購読と継続的な瞑想によって、我々全てが探し求めている真理が我々自身の意識の内にあるということを初めて私は理解しました。
1964年、The Infinite Wayの月報の中で私は「The Mountain Path」について読み、即座に私は終身購読者になり、その時以来、1964年の初期の冊子を含め、定期的に「The Mountain Path」を受け取っています。
私がその中で読む記事はとても啓発的ではありましたが、バガヴァーンの教えと「私は誰か」という探求の方法に従うことはとても困難であると感じました。1965年、私はA.オズボーン氏の著書、『The Teaching of Ramana Maharshi in His Own Words』(*5)を注文し、彼の教えに従うためにそれを学び、私がその主旨を理解したいと望んだ分だけは知りましたが、依然、私はThe Infinite Wayの方法を好んでいました。
私は定期的な瞑想を続け、「私と私の父(なる神)は一つである、私が立つ地は聖なる地である、父(なる神)が持つもの全ては私のものである」と唱えることによって、The Infinite Wayの師が教えるようにマントラを使うことにより内なる声に耳を傾けました。この期間中に、私は人生に対する私の態度に改善を認めました。これは私を喜ばせましたが、目覚めと深い眠りの間に私が全身に奇妙な震える感覚を感じ、「いかなる力によってでもなく、私の恩寵によって」と私に告げるはっきりした声を聞いた四年後まで、私はその小さな声を聴きそこなっていました。この状態はとても奇妙であり、意気揚々とさせるものでした。私が起き上がった時、大きな重荷が私から取り除かれているように感じ、数日間、私はとても幸福で満ち足りた気分でいました。そのような体験をさらに持てれば良かったのですが、不運にも、The Infinite Wayの方法による定期的な瞑想にもかかわらず、再び起こることはありませんでした。
2年ほど前、スワーミー・チンマヤーナンダ(*6)がインドから私の町、ナイジェリアのラゴスを訪問し、『バガヴァッド・ギーター』の第12章と13章についての2週間の講習を行い、それに私の妻と私自身も参加し、楽しみました。その講習の終わりに、彼は我々に別の瞑想法を教え、以前のThe Infinite Wayの方法にかわり、私はそれを使い始めました。
昨年、私は休みを取り、研究休暇のためにイギリスに旅行しました。それは2か月ほどで、その間、毎日のジャパにもかかわらず、私は落ち着きのなさと不満足を経験しました。実際、私は夜にほとんど眠れませんでした。不幸にも、私が休暇から家に戻る前に、10年前に治った病気がぶり返しました。つまるところ、自分の精神的進歩について私は不満足を感じ、幻滅しはじめ、何か他の教えに頼ることに決めました。ある日、突然、私はアーサー・オズボーンの『The Teaching of Ramana Maharshi in His Own Words』を再び読みたいという衝動に駆られ、それを注意深く読み直しました。驚いたことに、その時、私は悟りました-私がずっと探し求めていた教えはこれだと。私は一週間の内にその本を隅々まで読み、メモを取り、瞑想において「自らの探求」の方法を修練し始めました。
数か月後、正確には4か月ほど前、私はバガヴァーンを夢で見ました。私は彼の前に座り、今や彼の教えに従う準備はできているか私に尋ね、私は(間違いないと)確かめました。その夢は短いものでしたが、目覚めた時、終にバガヴァーンに手ほどきされ、受け入れられたことを私はとてもうれしく感じました。
過去数年間、The Infinite Wayの生徒だった私の妻もまた、突然、バガヴァーンの教えに魅かれました。我々は今や二人ともが「The Mountain Path」の過去の冊子全てを通読しつつあり、その記事と読者からの「編者への手紙」が我々の心の中の質問や疑問のいくつかを晴らしていることに気づきます。また、我々は「どのようにして私はマハルシのもとへ行ったのか」という記事がとても啓発的であることに気づきます。
上に述べられた私の体験が私にはっきり示すことは、最上であるマハルシの教えを信奉者の魂が心から受け入れるほど十分に成熟するまで、マハルシがその信奉者をゆっくり導くということです。どうぞシュリー・バガヴァーンの恩寵が我々を導き続けますように。
我々が互いに連絡を取り合い、そして、可能であれば、会って、ジャヤンティを地元で祝うために、私の国、ナイジェリアや西アフリカの他の国々に「The Mountain Path」の定期購読者やバガヴァーンの信奉者がいるのかどうか知りたいと私は思っています。
(*1)マッラム・・・mallam、アフリカのイスラム学者に与えられる敬称。
(*2)ヨルバ語・・・西アフリカのナイジェリア、ペナン、トーゴのヨルバ人によって話される言語。
(*3)本名ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン(1862-1932)、アメリカ人、セロン・Q・デュモンなど他にも様々なペンネームがある。
(*4)ジョエル・ソロモン・ゴールドスミス(1892-1964)、アメリカ人、The Infinite Way運動の創始者。
(*5)『The Teaching of Ramana Maharshi in His Own Words』→pdf
(*6)Swami Chinmayanada Saraswati(1916-1993)、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ系の人で、1965年に日本を訪れているようです。