◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド
昼食が済んだ。太陽は、私が以前に一度も経験したことがない程度にまで、午後の気温を無慈悲に上昇させる。そもそも、我々は今、赤道からそれほど遠くない緯度にいる。今度ばかりは、インドが活動を助長しない気候に恵まれていることを私はありがたく思った。なぜなら、ほとんどの人が、シエスタをとるために日陰になった木立の中へ姿を消すからだ。そのため、私は、不要な注目や騒ぎもなく、私が好む方法でマハルシに近づくことができた。
私は広い講堂に入り、彼の近くに座った。彼は、寝椅子の上に置かれた白いクッションに、半ばもたれかかっている。付添人が、プンカーを動かす紐をたゆみなく引っ張る。穏やかな縄のきしむ音とうちわが風を切る優しげな音が、蒸し暑い空気の中を進み、私の耳に心地よく響く。
マハルシは、折りたたまれた手書きの本を手に持っている。彼は極めてゆっくりと何かを記している。私が入って数分後、彼は本を脇にやり、弟子を呼んだ。二言三言、彼らの間でタミル語で交わされ、その人は、私が彼らと食事を共にできないことが残念であると彼の師が重ねて述べたいと思っていると私に伝えた。彼は、彼らが質素な生活を送っていて、以前にヨーロッパ人に料理を提供したことが一度もないため、ヨーロッパ人が何を食べるのか分からないと説明した。私はマハルシに感謝し、彼らの香辛料が使われてない料理を彼らと喜んで共にし、その他は町区から食べ物を手に入れると言った。彼の隠遁所に私を連れてきた探求よりも、私が食事の問題をはるかに重要でないとみなしていることを私は言い足した。
賢者は熱心に耳を傾けた。彼の表情は穏やかで、少しも動揺せず、当たり障りのないものだ。
「それは良い目的です」と彼はようやく意見を述べた。
これに励まされ、私を同じテーマについて詳しく述べた。
「師よ、私は西洋哲学と科学を学び、混み合った都市の人々の間で生活し、働き、彼らの楽しみを味わい、彼らの野心の対象に捕らわれるがままに任せていました。しかし、私はまた、孤独な場所へ行き、そこで、深い思索の孤独のただ中をさ迷いもしました。私は西洋の賢者たちに質問しました。今や、私は東洋に顔を向けています。私はさらなる光を探し求めています。」
「ええ、よく分かりました」と言うかのように、マハルシはうなずいた。
「私は多くの見解を聞き、多くの理論に耳を傾けました。あれこれの信条の知的な証拠が、私の周りいっぱいに積み重なっています。私はそれらが嫌になり、個人的体験によって証明できない何にでも懐疑的です。そのように言うことをお許しください。ですが、私は宗教的ではないのです。人の物質的存在を超える何かが存在するのでしょうか。もしそうなら、私はどのようにしてそれを自ら実現できますか。」
我々の周りに集まっていた3、4人の信奉者たちは、驚いて目を見開いた。彼らの師にそのようにぶっきらぼうに、大胆に話しかけることによって、私は隠遁所の微妙な礼儀作法にそむいているのか。私には分からなかった。気にしなかったのかもしれない。長年の望みの蓄積した重みが、思いがけなく私の支配をのがれ、私の口をついて出た。もしマハルシがふさわしい人であるなら、彼は理解し、慣習からの単なる逸脱を払いのけるに違いない。
彼は言葉での返答をせず、何らかの思考の流れに沈んでいるように見えた。他にすべきことが何もなかったため、そして、私の舌は今や軽くなっていたため、私は三たび彼に話しかけた。
「西洋の賢者たち、我々の(国の)科学者は、その利口さのために非常に尊敬されています。けれども、彼らは、自分たちが生命の背後にある隠された真理に少しだけしか光を投げかけることができないと認めています。あなたの国には、我々の西洋の賢者たちが明らかにし損なっているものを与えることができる人がいくらかいると言われています。それは本当でしょうか。あなたは私が悟りを体験するのを手助けできますか。それとも、探求それ自体が、錯覚に過ぎないのでしょうか。」
私は今や会話の目的に達し、マハルシの返答を待とうと決めた。彼は考え深げに私をじっと見続けた。おそらく、彼は私の質問をじっくり考えているのだろう。沈黙の中、10分が経過する。
ついに、彼は口を開き、静かに言った。
「あなたは私と言います。『私は知りたい』と。その私とは誰か、私に教えてください。」
彼は何を言わんとしているのか。彼は今や通訳の奉仕を無視し、私に直接、英語で話しかけた。戸惑いが私の脳にじわじわ広がる。
「申し訳ありませんが、私にはあなたの質問が理解できません」、私は呆然として返答した。
「はっきりしていませんか。もう一度考えてみなさい!」
今一度、彼の言葉に頭を絞った。ある考えが、私の頭にひらめいた。私は私自身を指さし、私の名前に言及した。
「それで、あなたは彼を知っていますか。」
「生まれてこの方ずっと!」、私は彼に微笑み返した。
「しかし、それはあなたの体でしかありません!今一度、問います。『あなたは誰ですか。』」
私は、この並外れた質問への答えを即座に見出せなかった。
マハルシは続けて言った。
「まずは、その私を知りなさい。そうすれば、その時、あなたは真理を知るでしょう。」
私の心は、再び朦朧とした。私は非常に困惑した。この戸惑いを言葉で言い表すことはできた。しかし、マハルシは、どうやら彼の英語の限界に達したようだった。というのも、彼は通訳のほうを向き、回答がゆっくりと私に翻訳されたからだ。
「なすべきことはただ一つです。あなた自身を見つめなさい。これを正しい方法で行いなさい。そうすれば、あなたの一切の問題への答えをあなたは見出すでしょう。」
それは奇妙な返答だった。しかし、私は彼に尋ねた。
「人は何をなさねばならないのでしょうか。どんな方法を私は実行できますか。」
「自分自身の本質の深思を通じて、そして、絶え間のない瞑想を通じて、光は見つかります。」
「私はたびたび真理への瞑想に没頭していましたが、進歩の兆しが見えません。」
「進歩していないと、どうして分かるのですか。靈的領域で人の進歩に気づくことは簡単ではありません。」
「師の助けは必要でしょうか。」
「かもしれません。」
「師は、あなたが提案した方法で、人が彼自身を見つめるのを手助けできますか。」
「師は、この探求に彼が必要とする一切を彼に与えることができます。そういったことは、個人的体験を通じて知ることができます。」
「師の助けによって、何らかの悟りを得るためには、どれぐらいかかりますか。」
「それは全く探求者の心の成熟性しだいです。火薬は一瞬で着火しますが、石炭に火をつけるのには多くの時間を要します。」
賢者が師らと彼らの方法の話題を議論するのを好まないという奇妙な印象を私は受けた。それでも、私の心の粘り強さは、この印象を乗り越えるほど十分に強く、私はこの事柄について彼にさらなる質問をした。彼は無表情な顔を窓に向け、向こうの丘陵の多い景観の広がりをじっと見つめ、答えを与えなかった。私はその意図を感じ取り、その話題を打ち切った。
「世界の未来について見解を示してくださいませんか。我々は危機的な時代に生きているのですから。」
「未来について、どうしてあなたが気を揉まねばならないのですか」と賢者は問いただした。「あなたは現在について正しく知りさえしていません!現在の面倒を見なさい。そうすれば、その時、未来は自分で自分の面倒を見るでしょう。」
さらなるすげない拒絶!しかし、今回、私はそう易々と降参しなかった。というのも、この平和な密林の避難所よりも遥かに重く、人生の悲劇が人々にのしかかっている世界から私は来たのだから。
「世界は、じきに、友好と相互扶助の新たなる時代に入るでしょうか。それとも、混沌と戦争へ陥るのでしょうか」と私は食い下がった。
マハルシは全く嬉しく思っていないようだったが、それでも、彼は返答した。
「世界を統治する一者が存在します。世界の世話をするのは、彼の務めです。世界に命を与えた彼が、世界の世話の仕方もまた知っています。彼が、この世界の重荷を背負っています。あなたではありません。」
「ですが、人が公平な目で周りを見渡すなら、恵み深い配慮の出番がどこにあるのか理解することは困難です」と私は異議を唱えた。
賢者は、より一層、嬉しくなさそうに見えた。だが、彼の答えはやって来た。
「あなたがあるがごとく、世界はあります。あなた自身を理解せずに、世界を理解しようと試みることが何の役に立ちますか。それは真理の探求者が考慮する必要のない質問です。人々は、そういった質問全てに力を浪費します。まずは、あなた自身の背後にある真理を見出しなさい。そうすれば、その時、あなた自身がその一部である、世界の背後にある真理を理解するのにより良い立場にあなたはいるでしょう。」
不意の中断があった。付添人が近づき、別の線香に火をともした。マハルシは青い煙が渦を巻いて上に登るのを見て、その後、彼の手書きの本を手にとった。彼はページを開き、再びそれに取り組み始め、そうして、私を彼の注意領域から退けた。
この彼の再びの無関心は、私の自尊心に冷や水のごとく働いた。私はさらに15分間座って過ごしたが、彼が私の質問に答える気にないことが見て取れた。我々の会話は本当に終わったのだと感じ、私はタイル張りの床から立ち上がり、両手を合わせて別れの挨拶をし、彼のもとを離れた。
南インドの聖なる山、アルナーチャラで生涯を過ごした聖者、バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシについて
外に向かい、己が宗教への愛着から他宗教を論駁するのでなく
内に向かい、真の愛を抱きて修練せよ。いずれの宗教にあなたが信を持とうとも - Guru Vachaka Kovai v.991
2015年3月30日月曜日
2015年3月23日月曜日
『A Search in Secret India』 第9章 ②マハルシとの最初の出会い
◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド
20人の褐色と黒色の顔が、その目を我々にさっと向けた。その目の所有者たちは、赤色のタイル張りの床上に半円状にしゃがんでいる。彼らは扉の右手側に一番離れて位置する角から、控え目に少し離れて集まっている。どうやら我々が入る直前、全ての人がその角に顔を向けていたようだ。私は一瞬そこをちらっと見て、白い長椅子に座っている人物に気づいたが、それは私に、ここにまさしくマハルシがいる、と知らせるに十分だった。
私の案内人は長椅子に近づき、床に平伏し、組まれた手の下に彼の目を隠した。
長椅子は後ろの壁にある幅広の高窓から2、3歩しか離れていない。光が明るくマハルシに降り注ぎ、私は彼の横顔を隅々まで見てとることができた。というのも、我々が今朝やって来た、まさにその方向を窓ごしにじっと見つめながら彼が座っていたからだ。彼の頭は動かなかった。それで、私が果物を差し上げる時に彼の視線を捕らえ、彼に挨拶しようと思い、私は静かに窓のほうへ移動し、彼の前に贈り物を置き、1歩、2歩下がった。
小さな真鍮の火ばちが彼の寝台の前にある。それは燃えている炭で満たされていて、心地よい香りによって、芳香性の粉末が赤々とした燃えさしの上に振りかけられていることが分かる。すぐ側には線香で満たされた香炉がある。青みがかった灰色の煙の筋が立ちのぼっているが、その刺激の強い芳香は全く異なる。
私は薄い綿の毛布を床の上で折り重ね、座り、寝台の上でそのように頑なな態度で沈黙した人物を期待して見つめた。マハルシの体は、薄く狭い腰布を除き、ほとんど裸だったが、これらの地域においてそれは十分に一般的だった。彼の肌は少し赤褐色であるが、それでも平均的な南インドの人々の肌と比べてかなり白い。彼の背は高く、年齢は50代前半ぐらいであると私は判断した。彼の頭は短く刈られた白髪交じりの髪に覆われ、良く整えられている。額の縦横に広い広がりは、彼の人となりに知性的な特徴を加えている。彼の顔の造作はインド人よりもヨーロッパ人のものだ。私の最初の印象はそういったものだった。
寝台は白いクッションで覆われ、マハルシの両足は見事な模様がついた虎の皮の上に置かれている。
水を打ったような静寂が、長い講堂の隅々にまで行き渡っている。賢者は完全に静止して動きなく、我々の到着に全く乱されないままいる。浅黒い弟子が長椅子の向こう側で床に座っている。彼は竹で編まれたパンカー-うちわを動かす紐を引っ張り始めることで、その静けさを破った。うちわは木製の梁に据え付けられ、賢者の頭の真上につるされている。私はそのリズミカルなカラカラと鳴る音に耳を傾け、その間、注意を引こうとして座っている人物の目をまともにのぞきこんだ。それは暗褐色であり、中ぐらいの大きさで大きく開かれている。
もし彼が私の存在に気づいているなら、彼は何の気配も表さず、何の兆候も示していない。彼の体は超自然的に静かであり、彫像のようにびくともしない。一度も、彼は私の視線を捕らえない。彼の目が遠くの、それも無限に遠いように思える空間を見つめ続けているからだ。私はこの光景に妙に見覚えがあることに気づいた。私はどこでそのようなものを見たのか。私は記憶の肖像画の画廊をかき回して探し、「決して話さない聖者」の肖像画を見つけた。私がマドラス近くの孤立した小屋で訪問した、あの隠遁者、あまりに動かなかったために石から切り出されたように思われた体を持つ、あの人である。今、私がマハルシの中に見る、このなじみのない体の静止において、奇妙な共通点がある。
その人の目からその人の魂を見積もることができるというのが、私の古くからの持論である。しかし、マハルシの目を前にして、私は戸惑い、困惑し、面食らった。
1分1分が言いようもない遅さで過ぎてゆく。はじめに1分1分が積み重なり、壁に掛けられたアーシュラムの時計で半時間になる。これもまた過ぎ去り、1時間になる。それでも、誰も講堂の中で身動きするようには見えない。まったく誰もあえて口を開こうとしない。私は視覚的な集中の段階に達し、寝台の上のこの沈黙した人物を除く、一切の存在を忘れていた。私の果物の贈り物は、彼の前にある彫刻された小さな机の上で顧みられないままだ。
私の案内人は、「決して話さない聖者」によって私が迎えられたように、彼の師が私を迎え入れるという何の予告も与えていなかった。完全な無関心によって特徴づけられる、この奇妙な接見、それは不意に私に降りかかった。ヨーロッパ人なら誰の心にも浮かぶであろう最初の思い、「この人は、単に彼の信奉者たちの利益のためにポーズをとっているだけではないのか」が心を一度か、二度よぎったが、私はすぐにそれを考慮から外した。私の案内人は彼の師が忘我の状態にふけるということを私に知らせていなかったが、彼は確かに忘我の状態にいる。私の心を占拠した次なる思い、「この神秘的な黙想の状態は、無意味な放心状態でしかないのか」は、より長く影響力を持ったが、私がそれに答えられないという単純な理由から私はそれ以上追求しなかった。
砂鉄が磁石に引きつけられるように、私の注意を引きつける何かがこの人の中に存在する。私は視線を彼から逸らすことができない。私の最初の当惑、完全に無視されたことによる困惑は、この奇妙な魅力が私をより強く捕らえ始めるにつれ、ゆっくりと消え去った。しかし、この珍しい光景の2時間目になってはじめて、私の心の内で起こっている静かな抗しがたい変化に私は気づくようになった。一つまた一つと、私が列車の中であれほど微に入り細に入り用意した質問が抜け落ちる。というのも、今やそれらが答えられても、られなくても、そして、私を今まで悩ませてきた問題を私が解決しても、しなくても、どうでもいいように思えたからだ。私に分かるのは、静けさの揺るぎない流れが私の近くを流れているように思えること、大いなる安らぎが私の存在の内なる領域を貫通しつつあること、思いに苦しめられた脳がいくぶん落ち着きつつあることだけだ。
私があれほど頻繁に自問していた、あれらの質問が何と小さく思えることか!失われた年月の全景が何と些細なものになるのか!知性が自らの問題を作り出し、その後、問題を解決しようと試みて自らをみじめにしているということを私は唐突にはっきりと知った。これは、今まで知性にあれほど高い価値を置いてきた者の心に浮かんだ、まったく新たな発想であった。
私は着実に深まってゆく安らかさの感覚に自分自身を委ね、ついに2時間が経過した。時間の経過は、今や何の苛立ちも引き起こさない。なぜなら、心が作りだした問題の鎖が断ち切られ、投げ捨てられつつあると感じているからだ。その後、少しずつ、新しい問題が意識の領域を占領した。
「この人、マハルシは、花が花びらから芳香を放つように、霊妙な安らぎの香りを放っているのか。」
私は霊性を理解する資格がある者と自分自身をみなしていないが、私には他の人々に対しての個人的な受け取りかたがある。私の内に生じた謎めいた安らぎは、私が今置かれている地理的状況に帰せられるにちがいないという気づきの芽生えが、マハルシの人となりに対する私の受け取りかただった。魂の何らかの放射性、何らかの知られていないテレパシー的な過程によって、私自身の魂の混乱状態へ入り込んだ静寂が、本当に彼からやって来たのではないかと私は思い始めた。だが、彼は全く感情を表さず、私の存在そのものに全く気付いていないようだった。
最初のさざ波が訪れた。誰かが私に近づき、私の耳元でささやいた。「あなたはマハルシに質問することを望んでいませんでしたか」。
この私の元案内人、彼はしびれを切らしたのかもしれない。もっとありそうなことは、落ち着きのないヨーロッパ人である私が我慢の限界に達したと彼が想像したことだ。ああ、詮索好きな我が友よ!確かに私はあなたの師に質問をしにここに来たが、今は・・・全世界と、私自身と安らかにある私が、どうして質問で頭を悩ませなければならないのか。私の魂の船がその停泊地から逃れ始めつつあることを私は感じている。素晴らしい海が、渡られるのを待っている。しかし、私が大冒険を始めようというちょうどその時に、この世界という騒々しい港へあなたは私を連れ戻そうとする!
しかし、魔法は解かれた。あたかもこの不適切な闖入が合図であるかのように、人々が床から立ち上がり、講堂を歩き回り始め、声が私の耳まで漂ってくる。何ということだ、信じられない!マハルシの暗褐色の瞳が、一度、二度揺らぐ。それから頭が回転し、顔がゆっくり、とてもゆっくりと動き、斜め下を向く。さらにわずかの時を経て、私はその視野に連れ行かれる。はじめて賢者の謎めいた視線が私に向けられる。彼が今や長い忘我の状態から目覚めたことは明らかだった。
闖入者はおそらく私の無反応が彼の言葉が聞こえていなかった印であると思い、彼の質問を声に出して繰り返した。しかし、私を優しく見つめている光輝く瞳の中に、口に出されていないが、私は別の問いかけを読みとった。
「あなたは今やもう、あなたと全ての人々が得るであろう深い心の安らぎをかいま見たのに、あなたが気を散らす疑問で今もなお苦しむなんてことがありうるのですか、可能なのですか。」
安らぎが私を圧倒する。私は案内人の方を向き、答えた。
「いえ。今、尋ねたいと思うことは何もありません。別の機会に-」
マハルシ自身からではなく、とても活発に話し始めた小集団から私の訪問の何らかの説明が私に求められていると今や私は感じた。私の案内人の説明から、この人々のほんの一握りが住み込みの弟子であり、他の人々は周辺地域からの訪問者であると知っていた。妙な話だが、この時点で私の案内人その人が立ちあがり、必要とされる紹介を行った。彼は呼び集められた仲間に事情を説明する間、身ぶり手ぶりをふんだんに使い、精力的にタミル語で話した。彼の説明が事実に作り話を混ぜ合わせているのではないかと私は危惧した。というのも、それが驚きの叫び声を引き出したからだ。
20人の褐色と黒色の顔が、その目を我々にさっと向けた。その目の所有者たちは、赤色のタイル張りの床上に半円状にしゃがんでいる。彼らは扉の右手側に一番離れて位置する角から、控え目に少し離れて集まっている。どうやら我々が入る直前、全ての人がその角に顔を向けていたようだ。私は一瞬そこをちらっと見て、白い長椅子に座っている人物に気づいたが、それは私に、ここにまさしくマハルシがいる、と知らせるに十分だった。
私の案内人は長椅子に近づき、床に平伏し、組まれた手の下に彼の目を隠した。
長椅子は後ろの壁にある幅広の高窓から2、3歩しか離れていない。光が明るくマハルシに降り注ぎ、私は彼の横顔を隅々まで見てとることができた。というのも、我々が今朝やって来た、まさにその方向を窓ごしにじっと見つめながら彼が座っていたからだ。彼の頭は動かなかった。それで、私が果物を差し上げる時に彼の視線を捕らえ、彼に挨拶しようと思い、私は静かに窓のほうへ移動し、彼の前に贈り物を置き、1歩、2歩下がった。
小さな真鍮の火ばちが彼の寝台の前にある。それは燃えている炭で満たされていて、心地よい香りによって、芳香性の粉末が赤々とした燃えさしの上に振りかけられていることが分かる。すぐ側には線香で満たされた香炉がある。青みがかった灰色の煙の筋が立ちのぼっているが、その刺激の強い芳香は全く異なる。
私は薄い綿の毛布を床の上で折り重ね、座り、寝台の上でそのように頑なな態度で沈黙した人物を期待して見つめた。マハルシの体は、薄く狭い腰布を除き、ほとんど裸だったが、これらの地域においてそれは十分に一般的だった。彼の肌は少し赤褐色であるが、それでも平均的な南インドの人々の肌と比べてかなり白い。彼の背は高く、年齢は50代前半ぐらいであると私は判断した。彼の頭は短く刈られた白髪交じりの髪に覆われ、良く整えられている。額の縦横に広い広がりは、彼の人となりに知性的な特徴を加えている。彼の顔の造作はインド人よりもヨーロッパ人のものだ。私の最初の印象はそういったものだった。
寝台は白いクッションで覆われ、マハルシの両足は見事な模様がついた虎の皮の上に置かれている。
水を打ったような静寂が、長い講堂の隅々にまで行き渡っている。賢者は完全に静止して動きなく、我々の到着に全く乱されないままいる。浅黒い弟子が長椅子の向こう側で床に座っている。彼は竹で編まれたパンカー-うちわを動かす紐を引っ張り始めることで、その静けさを破った。うちわは木製の梁に据え付けられ、賢者の頭の真上につるされている。私はそのリズミカルなカラカラと鳴る音に耳を傾け、その間、注意を引こうとして座っている人物の目をまともにのぞきこんだ。それは暗褐色であり、中ぐらいの大きさで大きく開かれている。
もし彼が私の存在に気づいているなら、彼は何の気配も表さず、何の兆候も示していない。彼の体は超自然的に静かであり、彫像のようにびくともしない。一度も、彼は私の視線を捕らえない。彼の目が遠くの、それも無限に遠いように思える空間を見つめ続けているからだ。私はこの光景に妙に見覚えがあることに気づいた。私はどこでそのようなものを見たのか。私は記憶の肖像画の画廊をかき回して探し、「決して話さない聖者」の肖像画を見つけた。私がマドラス近くの孤立した小屋で訪問した、あの隠遁者、あまりに動かなかったために石から切り出されたように思われた体を持つ、あの人である。今、私がマハルシの中に見る、このなじみのない体の静止において、奇妙な共通点がある。
その人の目からその人の魂を見積もることができるというのが、私の古くからの持論である。しかし、マハルシの目を前にして、私は戸惑い、困惑し、面食らった。
1分1分が言いようもない遅さで過ぎてゆく。はじめに1分1分が積み重なり、壁に掛けられたアーシュラムの時計で半時間になる。これもまた過ぎ去り、1時間になる。それでも、誰も講堂の中で身動きするようには見えない。まったく誰もあえて口を開こうとしない。私は視覚的な集中の段階に達し、寝台の上のこの沈黙した人物を除く、一切の存在を忘れていた。私の果物の贈り物は、彼の前にある彫刻された小さな机の上で顧みられないままだ。
私の案内人は、「決して話さない聖者」によって私が迎えられたように、彼の師が私を迎え入れるという何の予告も与えていなかった。完全な無関心によって特徴づけられる、この奇妙な接見、それは不意に私に降りかかった。ヨーロッパ人なら誰の心にも浮かぶであろう最初の思い、「この人は、単に彼の信奉者たちの利益のためにポーズをとっているだけではないのか」が心を一度か、二度よぎったが、私はすぐにそれを考慮から外した。私の案内人は彼の師が忘我の状態にふけるということを私に知らせていなかったが、彼は確かに忘我の状態にいる。私の心を占拠した次なる思い、「この神秘的な黙想の状態は、無意味な放心状態でしかないのか」は、より長く影響力を持ったが、私がそれに答えられないという単純な理由から私はそれ以上追求しなかった。
砂鉄が磁石に引きつけられるように、私の注意を引きつける何かがこの人の中に存在する。私は視線を彼から逸らすことができない。私の最初の当惑、完全に無視されたことによる困惑は、この奇妙な魅力が私をより強く捕らえ始めるにつれ、ゆっくりと消え去った。しかし、この珍しい光景の2時間目になってはじめて、私の心の内で起こっている静かな抗しがたい変化に私は気づくようになった。一つまた一つと、私が列車の中であれほど微に入り細に入り用意した質問が抜け落ちる。というのも、今やそれらが答えられても、られなくても、そして、私を今まで悩ませてきた問題を私が解決しても、しなくても、どうでもいいように思えたからだ。私に分かるのは、静けさの揺るぎない流れが私の近くを流れているように思えること、大いなる安らぎが私の存在の内なる領域を貫通しつつあること、思いに苦しめられた脳がいくぶん落ち着きつつあることだけだ。
私があれほど頻繁に自問していた、あれらの質問が何と小さく思えることか!失われた年月の全景が何と些細なものになるのか!知性が自らの問題を作り出し、その後、問題を解決しようと試みて自らをみじめにしているということを私は唐突にはっきりと知った。これは、今まで知性にあれほど高い価値を置いてきた者の心に浮かんだ、まったく新たな発想であった。
私は着実に深まってゆく安らかさの感覚に自分自身を委ね、ついに2時間が経過した。時間の経過は、今や何の苛立ちも引き起こさない。なぜなら、心が作りだした問題の鎖が断ち切られ、投げ捨てられつつあると感じているからだ。その後、少しずつ、新しい問題が意識の領域を占領した。
「この人、マハルシは、花が花びらから芳香を放つように、霊妙な安らぎの香りを放っているのか。」
私は霊性を理解する資格がある者と自分自身をみなしていないが、私には他の人々に対しての個人的な受け取りかたがある。私の内に生じた謎めいた安らぎは、私が今置かれている地理的状況に帰せられるにちがいないという気づきの芽生えが、マハルシの人となりに対する私の受け取りかただった。魂の何らかの放射性、何らかの知られていないテレパシー的な過程によって、私自身の魂の混乱状態へ入り込んだ静寂が、本当に彼からやって来たのではないかと私は思い始めた。だが、彼は全く感情を表さず、私の存在そのものに全く気付いていないようだった。
最初のさざ波が訪れた。誰かが私に近づき、私の耳元でささやいた。「あなたはマハルシに質問することを望んでいませんでしたか」。
この私の元案内人、彼はしびれを切らしたのかもしれない。もっとありそうなことは、落ち着きのないヨーロッパ人である私が我慢の限界に達したと彼が想像したことだ。ああ、詮索好きな我が友よ!確かに私はあなたの師に質問をしにここに来たが、今は・・・全世界と、私自身と安らかにある私が、どうして質問で頭を悩ませなければならないのか。私の魂の船がその停泊地から逃れ始めつつあることを私は感じている。素晴らしい海が、渡られるのを待っている。しかし、私が大冒険を始めようというちょうどその時に、この世界という騒々しい港へあなたは私を連れ戻そうとする!
しかし、魔法は解かれた。あたかもこの不適切な闖入が合図であるかのように、人々が床から立ち上がり、講堂を歩き回り始め、声が私の耳まで漂ってくる。何ということだ、信じられない!マハルシの暗褐色の瞳が、一度、二度揺らぐ。それから頭が回転し、顔がゆっくり、とてもゆっくりと動き、斜め下を向く。さらにわずかの時を経て、私はその視野に連れ行かれる。はじめて賢者の謎めいた視線が私に向けられる。彼が今や長い忘我の状態から目覚めたことは明らかだった。
闖入者はおそらく私の無反応が彼の言葉が聞こえていなかった印であると思い、彼の質問を声に出して繰り返した。しかし、私を優しく見つめている光輝く瞳の中に、口に出されていないが、私は別の問いかけを読みとった。
「あなたは今やもう、あなたと全ての人々が得るであろう深い心の安らぎをかいま見たのに、あなたが気を散らす疑問で今もなお苦しむなんてことがありうるのですか、可能なのですか。」
安らぎが私を圧倒する。私は案内人の方を向き、答えた。
「いえ。今、尋ねたいと思うことは何もありません。別の機会に-」
マハルシ自身からではなく、とても活発に話し始めた小集団から私の訪問の何らかの説明が私に求められていると今や私は感じた。私の案内人の説明から、この人々のほんの一握りが住み込みの弟子であり、他の人々は周辺地域からの訪問者であると知っていた。妙な話だが、この時点で私の案内人その人が立ちあがり、必要とされる紹介を行った。彼は呼び集められた仲間に事情を説明する間、身ぶり手ぶりをふんだんに使い、精力的にタミル語で話した。彼の説明が事実に作り話を混ぜ合わせているのではないかと私は危惧した。というのも、それが驚きの叫び声を引き出したからだ。
2015年3月20日金曜日
『A Search in Secret India』 第9章 ①アーシュラムまでの道のり
◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド
南インド鉄道の終着駅マドラスで、スブラマンヤと私はセイロン連絡列車の客車に乗り込んだ。数時間、我々は非常に変化に富んだ光景の中をゆっくりと進んだ。育ちゆく稲の青々とした広がりが、荒涼とした赤い山々にとってかわり、堂々としたココナッツの木々の日影になった農園の後には、稲田を耕す農夫がまばらに続く。
窓辺に座っていると、素早いインドの夕暮れが景色を隠し始め、私は他のことをじっくり考えるために向き直った。ブラマが私にくれた黄金の指輪を身につけて以来起こった奇妙なことを、私は不思議に思い始めた。というのも、私の計画はその様相を変え始めたからだ。私が意図していたようにさらに東へ行くのではなく、予期せぬ出来事が連続して起こり、私をさらに南へ追いやった。「そんなことがあるのか」と私は自問した。「この黄金のかぎづめが、ヨーギが主張した不可思議な力を本当に有する石をつかんでいるなんてことが」。私は広い心でいようと努めたが、科学的に訓練された考え方をする西洋人なら誰でも、その考えを信じることは困難だった。私は頭から考え事を払いのけたが、私の思考の背後に潜む疑念をうまく追い払うことはできなかった。とても奇妙なことに、旅しつつある山の隠遁所へ私の足が導かれているのは、なぜなのか。私の乗り気でない目をマハルシに向けさせるという点において、共に黄色のローブを着た二人の男性が運命の仲介者として結びつけられているのは、なぜなのか。私は運命という言葉を使ったが、それは一般的な意味においてではなく、より適当な言葉に窮したからである。過去の経験は、一見すると重要でない出来事が、時に人生の青写真を描くことにおいて予期せぬ役割を果たすということを私に十分に教えていた。
我々は列車を降り、それと共に、ポンディシェリ-フランス領インドの哀れを誘う、あの小さな名残り-から40マイル離れた本線を後にした。私たちは内陸へ進む、ほとんど使われない静かな支線へ移り、そっけない待合室の薄暗がりの中でほぼ2時間待った。聖職者は、外のよりそっけないプラットホームをゆっくり歩き、星明りの中で、彼の背の高い姿は半ば幻で、半ば現実のように見える。終に、時間どうりに来ない列車は、たまにポッポと蒸気を吐きながら路線を上へ下へ進み、我々を運び去った。他の乗客は、ほんのわずかしかいない。
私は断続的な、とぎれとぎれに夢を見る眠りに落ち、私の連れ合いが起こすまで、それは数時間続いた。私は小さな沿線の駅で降り、列車は金切り声をあげ、きしらせながら、静寂の闇の中へ消えていく。夜はまだ十分に明けておらず、我々はがらんとしてわびしい小さな待合室に座り、その中の小さな石油ランプを自分たちで点火した。
日光が暗闇に支配権を求めて戦う間、我々は辛抱強く待った。終に淡い夜明けが訪れ、我々の部屋の後ろの横木で囲った小さな窓から少しずつ忍び寄ってきた。目に見えるようになるにつれ、私は周囲の状況のそういった部分をまじまじと見た。朝の薄霧の中から、おそらく数マイル離れたところに、山のかすかな輪郭が一つ浮かび上がる。山麓は見事に広がり、山腹は広大な胴周りであるが、明け方の霧にまだ厚く覆われているため、山頂を見ることはできない。
私の案内人は外へ繰り出し、小さな牛車の中で大きないびきをかいている男を見つけた。1度か2度、大声で呼びかけると、運転手はこのありふれた日常へ連れ戻され、そうして彼は近い将来に待ち受ける仕事に気づいた。我々の目的地を知らされた時、彼はたいそう我々を運びたがっているように見えた。私はいくぶん疑わしげに彼の狭い乗り物-二つの車輪の上で釣り合いを保っている竹製の天蓋-を見た。ともかくも我々はよじ登り、その男は我々の後から荷物を投げ込んだ。聖職者は、おそらくは人間が占めることができる最小限の空間へ何とかして自分自身を押し縮めた。私は足を外にぶら下げ、低い天蓋の下で腰を低くした。運転手は雄牛の間の棒の上にしゃがみ、彼のあごはほとんど彼の膝にふれんばかりだった。こうして、座席の問題は多かれ少なかれ順調に解決され、我々は彼に車を出すように言った。
2頭の強く、小さい、白い雄牛の最善の努力にもかかわらず、我々の進行は決して迅速なものではなかった。このかわいらしい生き物は、馬よりも暑さに耐え、食べ物に関して好みがやかましくないため、インドの内陸で牽引用の動物として大変に役立っている。数世紀の間、内陸の静かな村々と小さな町々はあまり変化していない。紀元前1世紀に旅行者をあちらこちらに運んだ牛車は、二千年後の今でも旅行者を運んでいる。
打ち延ばされたブロンズ色(赤茶色)の顔をした我々の運転手は、彼の動物をたいそう誇りに思っていた。彼らの長く、美しく曲がった角は、恰好のいい金色に塗られた装飾品で飾られ、彼らの細い脚は結んである真鍮の鈴をちりんちりんと鳴らす。彼は、彼らの鼻の穴に通された綱を使って彼らを動かしていた。彼らの足がほこりまみれの道の上を陽気にゆっくり進む間、私は素早い熱帯地方の夜明けが足早にやって来るのを見ていた。
魅力的な景観が、我々の右手側にも左手側にも現れる。つまらない平坦な平原ではない。水平線を見渡す時はいつでも、丘や高地が視界から長く遠ざかることがないからだ。道は、棘を持つ低木が生い茂った地形と明るい新緑色の稲田が少し点在する赤色土の地域を横断している。
労苦に疲れ切った顔をした農夫が我々と行き違う。おそらく、彼は稲田での長い日中の仕事に出かけようとしている。まもなく、我々は頭の上に真鍮の水入れをのせた少女に追いついた。1枚の朱色のローブが彼女の体に巻きつけられていたが、肩はむき出しのままだ。血の色をしたルビーの飾りが一方の鼻の穴につき、青白い朝の陽ざしの中、一組の黄金の腕輪が彼女の腕できらりと光っている。彼女の肌の黒さは、バラモンとイスラム教徒を除き、まさにこの地域の大部分の住民のように、彼女がドラヴィダ人であることを示している。これらドラヴィダ人の少女はたいてい生まれつき陽気で、幸せそうである。私は彼女達が浅黒い同郷の婦人たちよりもおしゃべりで、響きのよい声をしていることを知った。
その少女は本当に驚いた様子で我々を見つめ、ヨーロッパ人は内陸のこの地域をめったに訪れないのではないかと私は推測した。
そうして、我々は小さな町にたどり着くまで乗り続けた。その家々は裕福そうに見え、巨大な寺院の両側に密集する道々に並んでいる。私が間違っていないなら、寺院は4分の1マイルの長さがあった。しばらく後、我々が広々とした入り口の一つに到着した時、私はその建築の巨大さを大体において把握した。我々は1、2分間停車し、私はその場所の束の間の光景を目に刻みつけようと内部を凝視した。その風変わりな様子は、その大きさ同様に印象的である。以前に、このような建物を私は目にしたことがない。広大な四角形の中庭が巨大な内部を囲み、迷宮のように見える。四つの取り囲む高い壁は焦がされ、灼熱の熱帯の陽ざしに数百年間さらされることによって染められていることが分かる。それぞれの壁は一つの門によって貫かれ、その上には巨大な塔からなる風変わりな上部構造がそびえ立っている。奇妙にも、塔は、飾り立てられ、彫刻が施されたピラミッドのように見える。その下部は石で築かれているが、上部は分厚く漆喰が塗られたれんが積みのように見える。塔は多くの階層に分かれるが、表面全体が様々な人物と彫刻でおびただしく装飾されている。この四つの入口の塔に加えて、私は寺院の内部にそびえ立つ塔を他に五つも数えた。輪郭の類似性において、なんとも不思議なことに、それらはエジプトのピラミッドの一つを思い出せるのか!
私が最後にちらっと見たのは、屋根付きの長い柱廊、大量の平らな石柱の林立した列、大きな中央の囲い地、薄暗い神殿と暗い廊下と多くの小さな建物だった。遠からず、この興味深い場所を探検するために私は頭の中に留めておいた。
雄牛は早足で駆け、我々は再び広々とした平野に出た。我々が通った光景は、とても快いものだった。道は赤い塵で覆われている。どちら側にも、低木の茂み、時折、高木の木立がある。枝の間には多くの鳥が隠れている。というのも、世界中で彼らの朝の歌である、美しいあの合唱の終わりの調べだけでなく、彼らが羽ばたく音が聞こえるからだ。
道沿いには、かわいらしい小さな路傍の神殿がたくさん点在している。その建築様式の相違は私を驚かせ、ついに私はそれらが時代の転換期に建てられたのだと結論付けた。大変に飾り立てられているものもあれば、いつものヒンドゥー様式で過剰に装飾され、入念に彫刻されているものもあるが、より大きな神殿は南部以外の他のどこでも見たことがない平らな表面の柱で支えられている。ほとんど古代ギリシア様式である、古典的に質素な輪郭をした神殿さえ2、3ある。
私が駅からそのおぼろげな輪郭を見た、山のすそ野に我々が到着した時、今やもう、5、6マイルほど進んだと私は判断した。山は、赤茶色の巨人のごとく、澄んだ朝の陽光の中にそびえ立っている。今やもう、霧は流れ去り、(山は)上空に広い輪郭線を示している。山は赤土と茶色い岩石からなり、大部分はやせた土地で、ほとんど木のない地域が広くあり、岩の塊が大きな巨礫へ割れ、無秩序に転がっている。
「アルナーチャラ!神聖な赤い山!」 私がじっと見る方向に気づき、連れ合いが叫んだ。熱烈な愛慕の表情が彼の顔を横切る。中世の聖者のように、彼は一瞬、歓喜に心奪われていた。
私は彼に、「その名前は何か意味しているのですか」と尋ねた。
「私は今、その意味をあなたに告げたところです」と彼は笑顔で答えた。「その名前は、アルナとアーチャラという二つの言葉から成り立ち、赤い山を意味し、また、寺院の主宰神の名前でもあるので、その全訳は『神聖な赤い山』となるはずです。」
「では、聖なるかがり火はどこからやって来るのですか。」
「あぁ!1年に1度、寺院の司祭たちが主要な祝祭を執り行います。寺院の中で祝祭が催されるや否や、巨大な火が山の頂上で燃え上がり、その炎には大量のバターと樟脳がくべられます。それは何日も燃え、周囲幾マイルまで見ることができます。それを見る人は誰でも、すぐにその前で平伏します。それは、この山が偉大な神によって支配された神聖な地であることを象徴しています。」
山は今や、我々の頭上にそびえ立っている。それは無骨な雄大さを欠くわけではない。赤や茶や灰色の巨礫で模様が付けられた寂しい頂きは、その平らな頭を真珠のような色の空に数千フィート突き出している。聖職者の言葉が私に影響したのか、もしくは何か説明のつかない理由からか、私がその神聖な山の光景について黙想するにつれ、アルナーチャラの急こう配を不思議そうにじっと見上げるにつれ、奇妙な畏敬の念が私の内に生じていることに私は気づいた。
「あなたは知っていますか」と私の連れ合いがささやいた。「この山は聖なる地として尊ばれているだけでなく、地元の言い伝えは、神々が世界の精神的中心地を示すために、それをそこに位置づけたとまで主張していることを!」。
このちょっとした伝説は、私を苦笑いさせた。何とも無邪気なことだ。
ようやく、我々がマハルシの隠遁所に近づきつつあることを私は知った。我々はわき道に逸れ、起伏のある道を下り、ココナッツとマンゴーの木々からなる密集した果樹園へ我々は連れ行かれた。我々がそれを横ぎると、終に、鍵のかかっていない門の前で、突如、道は不意に終わりを迎えた。運転手は降りて、門を押し開き、我々を舗装されていない広い中庭に運んだ。私は押し縮められた手足を伸ばし、地面に降り、周りを見渡した。
マハルシがこもっている場所の正面は、間近に成長する木々と濃密に生い茂った庭によって取り囲まれている。その裏とわきは、低木とサボテンの生け垣で遮られている。西側には、サボテンの密林と深い森のようなものが広がっている。それは山の支脈の低い所に、絵のようにとても美しく位置している。人里離れているため、瞑想の深遠なテーマを追求する人々にとってふさわしい場所であるようだ。
藁ぶき屋根の二つの小さな建物が、中庭の左側を占拠している。それらに隣接して、長い現代的な建造物が立ち、その赤いタイル張りの屋根が、突き出た軒天へ鋭く下に伸びている。小さなベランダが、正面の一部を横切り広がっている。
中庭の中央は、大きな井戸で特徴づけられている。腰まで裸であり、真っ黒といえるほどに黒い肌をした男の子が、きしむ手動巻き上げ機の助けでバケツ1杯の水をゆっくりと表面まで引き上げているのを私はじっと見た。
我々が入ってくる音で、数人の人が建物から中庭に出てきた。彼らの服装は、実に様々である。ある人はぼろぼろの腰布以外何も身にまとわない人もいれば、富裕な人々のように白い絹のローブで正装している人もいる。彼らはいぶかしげに我々をじっと見た。私の案内人は歯を見せてにっこり笑い、明らかに彼らの驚いた様子を楽しんでいる。彼は彼らのもとへ行き、タミル語で何かを話した。たちまち、彼らの顔の表情が変わる。というのも、彼らは一斉ににっこり笑い、うれしそうに私に微笑みかけた。私は彼らの顔つきと振る舞いを気に入った。
「では、マハルシの講堂に入ります」と黄色いローブの聖職者は告げ、私に彼の後に続くように言った。私はむき出しの石造りのベランダの外で少し立ち止まり、靴を脱いだ。贈り物として持ってきた少しの果物をかき集め、私は開いている出入り口の中へ進んだ。
第9章 聖なるかがり火の山
南インド鉄道の終着駅マドラスで、スブラマンヤと私はセイロン連絡列車の客車に乗り込んだ。数時間、我々は非常に変化に富んだ光景の中をゆっくりと進んだ。育ちゆく稲の青々とした広がりが、荒涼とした赤い山々にとってかわり、堂々としたココナッツの木々の日影になった農園の後には、稲田を耕す農夫がまばらに続く。
窓辺に座っていると、素早いインドの夕暮れが景色を隠し始め、私は他のことをじっくり考えるために向き直った。ブラマが私にくれた黄金の指輪を身につけて以来起こった奇妙なことを、私は不思議に思い始めた。というのも、私の計画はその様相を変え始めたからだ。私が意図していたようにさらに東へ行くのではなく、予期せぬ出来事が連続して起こり、私をさらに南へ追いやった。「そんなことがあるのか」と私は自問した。「この黄金のかぎづめが、ヨーギが主張した不可思議な力を本当に有する石をつかんでいるなんてことが」。私は広い心でいようと努めたが、科学的に訓練された考え方をする西洋人なら誰でも、その考えを信じることは困難だった。私は頭から考え事を払いのけたが、私の思考の背後に潜む疑念をうまく追い払うことはできなかった。とても奇妙なことに、旅しつつある山の隠遁所へ私の足が導かれているのは、なぜなのか。私の乗り気でない目をマハルシに向けさせるという点において、共に黄色のローブを着た二人の男性が運命の仲介者として結びつけられているのは、なぜなのか。私は運命という言葉を使ったが、それは一般的な意味においてではなく、より適当な言葉に窮したからである。過去の経験は、一見すると重要でない出来事が、時に人生の青写真を描くことにおいて予期せぬ役割を果たすということを私に十分に教えていた。
我々は列車を降り、それと共に、ポンディシェリ-フランス領インドの哀れを誘う、あの小さな名残り-から40マイル離れた本線を後にした。私たちは内陸へ進む、ほとんど使われない静かな支線へ移り、そっけない待合室の薄暗がりの中でほぼ2時間待った。聖職者は、外のよりそっけないプラットホームをゆっくり歩き、星明りの中で、彼の背の高い姿は半ば幻で、半ば現実のように見える。終に、時間どうりに来ない列車は、たまにポッポと蒸気を吐きながら路線を上へ下へ進み、我々を運び去った。他の乗客は、ほんのわずかしかいない。
私は断続的な、とぎれとぎれに夢を見る眠りに落ち、私の連れ合いが起こすまで、それは数時間続いた。私は小さな沿線の駅で降り、列車は金切り声をあげ、きしらせながら、静寂の闇の中へ消えていく。夜はまだ十分に明けておらず、我々はがらんとしてわびしい小さな待合室に座り、その中の小さな石油ランプを自分たちで点火した。
日光が暗闇に支配権を求めて戦う間、我々は辛抱強く待った。終に淡い夜明けが訪れ、我々の部屋の後ろの横木で囲った小さな窓から少しずつ忍び寄ってきた。目に見えるようになるにつれ、私は周囲の状況のそういった部分をまじまじと見た。朝の薄霧の中から、おそらく数マイル離れたところに、山のかすかな輪郭が一つ浮かび上がる。山麓は見事に広がり、山腹は広大な胴周りであるが、明け方の霧にまだ厚く覆われているため、山頂を見ることはできない。
私の案内人は外へ繰り出し、小さな牛車の中で大きないびきをかいている男を見つけた。1度か2度、大声で呼びかけると、運転手はこのありふれた日常へ連れ戻され、そうして彼は近い将来に待ち受ける仕事に気づいた。我々の目的地を知らされた時、彼はたいそう我々を運びたがっているように見えた。私はいくぶん疑わしげに彼の狭い乗り物-二つの車輪の上で釣り合いを保っている竹製の天蓋-を見た。ともかくも我々はよじ登り、その男は我々の後から荷物を投げ込んだ。聖職者は、おそらくは人間が占めることができる最小限の空間へ何とかして自分自身を押し縮めた。私は足を外にぶら下げ、低い天蓋の下で腰を低くした。運転手は雄牛の間の棒の上にしゃがみ、彼のあごはほとんど彼の膝にふれんばかりだった。こうして、座席の問題は多かれ少なかれ順調に解決され、我々は彼に車を出すように言った。
2頭の強く、小さい、白い雄牛の最善の努力にもかかわらず、我々の進行は決して迅速なものではなかった。このかわいらしい生き物は、馬よりも暑さに耐え、食べ物に関して好みがやかましくないため、インドの内陸で牽引用の動物として大変に役立っている。数世紀の間、内陸の静かな村々と小さな町々はあまり変化していない。紀元前1世紀に旅行者をあちらこちらに運んだ牛車は、二千年後の今でも旅行者を運んでいる。
打ち延ばされたブロンズ色(赤茶色)の顔をした我々の運転手は、彼の動物をたいそう誇りに思っていた。彼らの長く、美しく曲がった角は、恰好のいい金色に塗られた装飾品で飾られ、彼らの細い脚は結んである真鍮の鈴をちりんちりんと鳴らす。彼は、彼らの鼻の穴に通された綱を使って彼らを動かしていた。彼らの足がほこりまみれの道の上を陽気にゆっくり進む間、私は素早い熱帯地方の夜明けが足早にやって来るのを見ていた。
魅力的な景観が、我々の右手側にも左手側にも現れる。つまらない平坦な平原ではない。水平線を見渡す時はいつでも、丘や高地が視界から長く遠ざかることがないからだ。道は、棘を持つ低木が生い茂った地形と明るい新緑色の稲田が少し点在する赤色土の地域を横断している。
労苦に疲れ切った顔をした農夫が我々と行き違う。おそらく、彼は稲田での長い日中の仕事に出かけようとしている。まもなく、我々は頭の上に真鍮の水入れをのせた少女に追いついた。1枚の朱色のローブが彼女の体に巻きつけられていたが、肩はむき出しのままだ。血の色をしたルビーの飾りが一方の鼻の穴につき、青白い朝の陽ざしの中、一組の黄金の腕輪が彼女の腕できらりと光っている。彼女の肌の黒さは、バラモンとイスラム教徒を除き、まさにこの地域の大部分の住民のように、彼女がドラヴィダ人であることを示している。これらドラヴィダ人の少女はたいてい生まれつき陽気で、幸せそうである。私は彼女達が浅黒い同郷の婦人たちよりもおしゃべりで、響きのよい声をしていることを知った。
その少女は本当に驚いた様子で我々を見つめ、ヨーロッパ人は内陸のこの地域をめったに訪れないのではないかと私は推測した。
そうして、我々は小さな町にたどり着くまで乗り続けた。その家々は裕福そうに見え、巨大な寺院の両側に密集する道々に並んでいる。私が間違っていないなら、寺院は4分の1マイルの長さがあった。しばらく後、我々が広々とした入り口の一つに到着した時、私はその建築の巨大さを大体において把握した。我々は1、2分間停車し、私はその場所の束の間の光景を目に刻みつけようと内部を凝視した。その風変わりな様子は、その大きさ同様に印象的である。以前に、このような建物を私は目にしたことがない。広大な四角形の中庭が巨大な内部を囲み、迷宮のように見える。四つの取り囲む高い壁は焦がされ、灼熱の熱帯の陽ざしに数百年間さらされることによって染められていることが分かる。それぞれの壁は一つの門によって貫かれ、その上には巨大な塔からなる風変わりな上部構造がそびえ立っている。奇妙にも、塔は、飾り立てられ、彫刻が施されたピラミッドのように見える。その下部は石で築かれているが、上部は分厚く漆喰が塗られたれんが積みのように見える。塔は多くの階層に分かれるが、表面全体が様々な人物と彫刻でおびただしく装飾されている。この四つの入口の塔に加えて、私は寺院の内部にそびえ立つ塔を他に五つも数えた。輪郭の類似性において、なんとも不思議なことに、それらはエジプトのピラミッドの一つを思い出せるのか!
私が最後にちらっと見たのは、屋根付きの長い柱廊、大量の平らな石柱の林立した列、大きな中央の囲い地、薄暗い神殿と暗い廊下と多くの小さな建物だった。遠からず、この興味深い場所を探検するために私は頭の中に留めておいた。
雄牛は早足で駆け、我々は再び広々とした平野に出た。我々が通った光景は、とても快いものだった。道は赤い塵で覆われている。どちら側にも、低木の茂み、時折、高木の木立がある。枝の間には多くの鳥が隠れている。というのも、世界中で彼らの朝の歌である、美しいあの合唱の終わりの調べだけでなく、彼らが羽ばたく音が聞こえるからだ。
道沿いには、かわいらしい小さな路傍の神殿がたくさん点在している。その建築様式の相違は私を驚かせ、ついに私はそれらが時代の転換期に建てられたのだと結論付けた。大変に飾り立てられているものもあれば、いつものヒンドゥー様式で過剰に装飾され、入念に彫刻されているものもあるが、より大きな神殿は南部以外の他のどこでも見たことがない平らな表面の柱で支えられている。ほとんど古代ギリシア様式である、古典的に質素な輪郭をした神殿さえ2、3ある。
私が駅からそのおぼろげな輪郭を見た、山のすそ野に我々が到着した時、今やもう、5、6マイルほど進んだと私は判断した。山は、赤茶色の巨人のごとく、澄んだ朝の陽光の中にそびえ立っている。今やもう、霧は流れ去り、(山は)上空に広い輪郭線を示している。山は赤土と茶色い岩石からなり、大部分はやせた土地で、ほとんど木のない地域が広くあり、岩の塊が大きな巨礫へ割れ、無秩序に転がっている。
「アルナーチャラ!神聖な赤い山!」 私がじっと見る方向に気づき、連れ合いが叫んだ。熱烈な愛慕の表情が彼の顔を横切る。中世の聖者のように、彼は一瞬、歓喜に心奪われていた。
私は彼に、「その名前は何か意味しているのですか」と尋ねた。
「私は今、その意味をあなたに告げたところです」と彼は笑顔で答えた。「その名前は、アルナとアーチャラという二つの言葉から成り立ち、赤い山を意味し、また、寺院の主宰神の名前でもあるので、その全訳は『神聖な赤い山』となるはずです。」
「では、聖なるかがり火はどこからやって来るのですか。」
「あぁ!1年に1度、寺院の司祭たちが主要な祝祭を執り行います。寺院の中で祝祭が催されるや否や、巨大な火が山の頂上で燃え上がり、その炎には大量のバターと樟脳がくべられます。それは何日も燃え、周囲幾マイルまで見ることができます。それを見る人は誰でも、すぐにその前で平伏します。それは、この山が偉大な神によって支配された神聖な地であることを象徴しています。」
山は今や、我々の頭上にそびえ立っている。それは無骨な雄大さを欠くわけではない。赤や茶や灰色の巨礫で模様が付けられた寂しい頂きは、その平らな頭を真珠のような色の空に数千フィート突き出している。聖職者の言葉が私に影響したのか、もしくは何か説明のつかない理由からか、私がその神聖な山の光景について黙想するにつれ、アルナーチャラの急こう配を不思議そうにじっと見上げるにつれ、奇妙な畏敬の念が私の内に生じていることに私は気づいた。
「あなたは知っていますか」と私の連れ合いがささやいた。「この山は聖なる地として尊ばれているだけでなく、地元の言い伝えは、神々が世界の精神的中心地を示すために、それをそこに位置づけたとまで主張していることを!」。
このちょっとした伝説は、私を苦笑いさせた。何とも無邪気なことだ。
ようやく、我々がマハルシの隠遁所に近づきつつあることを私は知った。我々はわき道に逸れ、起伏のある道を下り、ココナッツとマンゴーの木々からなる密集した果樹園へ我々は連れ行かれた。我々がそれを横ぎると、終に、鍵のかかっていない門の前で、突如、道は不意に終わりを迎えた。運転手は降りて、門を押し開き、我々を舗装されていない広い中庭に運んだ。私は押し縮められた手足を伸ばし、地面に降り、周りを見渡した。
マハルシがこもっている場所の正面は、間近に成長する木々と濃密に生い茂った庭によって取り囲まれている。その裏とわきは、低木とサボテンの生け垣で遮られている。西側には、サボテンの密林と深い森のようなものが広がっている。それは山の支脈の低い所に、絵のようにとても美しく位置している。人里離れているため、瞑想の深遠なテーマを追求する人々にとってふさわしい場所であるようだ。
藁ぶき屋根の二つの小さな建物が、中庭の左側を占拠している。それらに隣接して、長い現代的な建造物が立ち、その赤いタイル張りの屋根が、突き出た軒天へ鋭く下に伸びている。小さなベランダが、正面の一部を横切り広がっている。
中庭の中央は、大きな井戸で特徴づけられている。腰まで裸であり、真っ黒といえるほどに黒い肌をした男の子が、きしむ手動巻き上げ機の助けでバケツ1杯の水をゆっくりと表面まで引き上げているのを私はじっと見た。
我々が入ってくる音で、数人の人が建物から中庭に出てきた。彼らの服装は、実に様々である。ある人はぼろぼろの腰布以外何も身にまとわない人もいれば、富裕な人々のように白い絹のローブで正装している人もいる。彼らはいぶかしげに我々をじっと見た。私の案内人は歯を見せてにっこり笑い、明らかに彼らの驚いた様子を楽しんでいる。彼は彼らのもとへ行き、タミル語で何かを話した。たちまち、彼らの顔の表情が変わる。というのも、彼らは一斉ににっこり笑い、うれしそうに私に微笑みかけた。私は彼らの顔つきと振る舞いを気に入った。
「では、マハルシの講堂に入ります」と黄色いローブの聖職者は告げ、私に彼の後に続くように言った。私はむき出しの石造りのベランダの外で少し立ち止まり、靴を脱いだ。贈り物として持ってきた少しの果物をかき集め、私は開いている出入り口の中へ進んだ。
2015年3月17日火曜日
『A Search in Secret India』 第8章 ④スブラマンヤとの再会
◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド
私が家に戻ったのは、ほとんど真夜中だった。私は頭上を最後にちらっと見た。数えきれない無数の星々が、広大な空の丸天井にちりばめられている。このように圧倒的な数の星々は、ヨーロッパのどこでもお目にかかれない。懐中電灯を照らしながら、私はベランダに続く階段を駆け上がった。
暗闇から、うずくまっている人影が立ちあがり、私に挨拶した。
「スブラマンヤ!」 驚いて、ビクッとなり、私は叫んだ。「ここで何をしているのですか」。黄褐色のローブをまとった、そのヨーギは、彼の歯を見せたとても素晴らしい笑顔の1つを、思う存分、浮かべていた。
「あなたを訪問すると約束しなかったでしょうか」。彼はとがめるように私に思い出させた。
「そうでした!」
広い部屋の中で、私は彼に質問を浴びせた。
「あなたの師は-彼はマハルシと呼ばれていますか。」
驚愕して、後ずさりするのは、今度は彼の番だった。
「どうして知っているのですか。どこでそれを知ることができたのですか。」
「まあ、いいじゃないですか。明日、私たち二人は彼の住まいに向けて出発します。私は計画を変更します。」
「それは嬉しい知らせです。」
「それでも、私はそこに長くは滞在しないでしょう。おそらく2、3日です。」
私は次の半時間、彼に質問をもう二つ、三つ浴びせ、その後、疲れきって、床に就いた。スブラマンヤは、床に敷いた一枚のヤシのござの上で眠ることに全く満足していた。彼は自分自身を薄い綿の布でくるみ、それは同時にマットレスとシーツと毛布として役立った。彼は私のもっと快適な寝具の申し出に見向きもしなかった。
気づいてみると、私は突然目覚めていた。部屋は真っ暗だった。私は神経が妙に張りつめているのを感じた。私の周りの空気が、帯電しているように見えた。私は枕の下から時計を引っ張り出し、ラジウムに照らされた文字盤の輝きによって、時間が3時15分前だと知った。私がベッドの足元で光る何かに気づいたのは、その時だった。私はすぐさま起き上がり、それを真っ直ぐ見た。
私の驚愕した目が、聖下シュリー・シャンカラの顔と姿に合う。それははっきりと、間違いなく目に見える。彼はこの世のものではない幽霊のようではなく、むしろしっかりした人間のように見える。その人物の周りには不可思議な輝きがあり、周囲の暗闇からそれを分け隔てている。
いくらなんでも、この光景は不可能なものではないのか。私はチングレプットで彼と別れたのではなかったか。私は問題を吟味するために目を固く閉じた。何ら変わりなく、私は依然として彼を全くはっきりと見た!
私は恵み深く、親しみを感じる(超自然的)存在の実感を得ている、それで十分としよう。私は目を開け、ゆったりした黄色のローブを着た優しそうな人物をじっと見た。
表情が変わった。というのも、口元がにっこりし、次のように言っているようだった。
「謙虚でありなさい。そうすれば、あなたは、あなたが探し求めるものを見出すでしょう!」
どうして私は、生きている人間がそのように私に話しかけていると感じたのか。どうして私は、少なくともそれを幽霊とみなさなかったのか。
その光景は、それがやって来たのと同じように不可思議に消え去った。それは、その超常的性質によって、私を意気揚々と感じるままに、幸福に感じるままに、落ち着きを感じるままにしておいた。夢としてそれを退けたらいいのか。どうだっていいではないか。
その夜、私はそれ以上眠ることができなかった。私は目を覚ましたまま横になり、その日の出会いについて、クンバコナムの聖下シュリー・シャンカラ、南インドの素朴な人々にとっての神の大司教との忘れることのできない対談について思いを巡らした。
私が家に戻ったのは、ほとんど真夜中だった。私は頭上を最後にちらっと見た。数えきれない無数の星々が、広大な空の丸天井にちりばめられている。このように圧倒的な数の星々は、ヨーロッパのどこでもお目にかかれない。懐中電灯を照らしながら、私はベランダに続く階段を駆け上がった。
暗闇から、うずくまっている人影が立ちあがり、私に挨拶した。
「スブラマンヤ!」 驚いて、ビクッとなり、私は叫んだ。「ここで何をしているのですか」。黄褐色のローブをまとった、そのヨーギは、彼の歯を見せたとても素晴らしい笑顔の1つを、思う存分、浮かべていた。
「あなたを訪問すると約束しなかったでしょうか」。彼はとがめるように私に思い出させた。
「そうでした!」
広い部屋の中で、私は彼に質問を浴びせた。
「あなたの師は-彼はマハルシと呼ばれていますか。」
驚愕して、後ずさりするのは、今度は彼の番だった。
「どうして知っているのですか。どこでそれを知ることができたのですか。」
「まあ、いいじゃないですか。明日、私たち二人は彼の住まいに向けて出発します。私は計画を変更します。」
「それは嬉しい知らせです。」
「それでも、私はそこに長くは滞在しないでしょう。おそらく2、3日です。」
私は次の半時間、彼に質問をもう二つ、三つ浴びせ、その後、疲れきって、床に就いた。スブラマンヤは、床に敷いた一枚のヤシのござの上で眠ることに全く満足していた。彼は自分自身を薄い綿の布でくるみ、それは同時にマットレスとシーツと毛布として役立った。彼は私のもっと快適な寝具の申し出に見向きもしなかった。
気づいてみると、私は突然目覚めていた。部屋は真っ暗だった。私は神経が妙に張りつめているのを感じた。私の周りの空気が、帯電しているように見えた。私は枕の下から時計を引っ張り出し、ラジウムに照らされた文字盤の輝きによって、時間が3時15分前だと知った。私がベッドの足元で光る何かに気づいたのは、その時だった。私はすぐさま起き上がり、それを真っ直ぐ見た。
私の驚愕した目が、聖下シュリー・シャンカラの顔と姿に合う。それははっきりと、間違いなく目に見える。彼はこの世のものではない幽霊のようではなく、むしろしっかりした人間のように見える。その人物の周りには不可思議な輝きがあり、周囲の暗闇からそれを分け隔てている。
いくらなんでも、この光景は不可能なものではないのか。私はチングレプットで彼と別れたのではなかったか。私は問題を吟味するために目を固く閉じた。何ら変わりなく、私は依然として彼を全くはっきりと見た!
私は恵み深く、親しみを感じる(超自然的)存在の実感を得ている、それで十分としよう。私は目を開け、ゆったりした黄色のローブを着た優しそうな人物をじっと見た。
表情が変わった。というのも、口元がにっこりし、次のように言っているようだった。
「謙虚でありなさい。そうすれば、あなたは、あなたが探し求めるものを見出すでしょう!」
どうして私は、生きている人間がそのように私に話しかけていると感じたのか。どうして私は、少なくともそれを幽霊とみなさなかったのか。
その光景は、それがやって来たのと同じように不可思議に消え去った。それは、その超常的性質によって、私を意気揚々と感じるままに、幸福に感じるままに、落ち着きを感じるままにしておいた。夢としてそれを退けたらいいのか。どうだっていいではないか。
その夜、私はそれ以上眠ることができなかった。私は目を覚ましたまま横になり、その日の出会いについて、クンバコナムの聖下シュリー・シャンカラ、南インドの素朴な人々にとっての神の大司教との忘れることのできない対談について思いを巡らした。
2015年3月14日土曜日
『A Search in Secret India』 第8章 ③聖下シュリー・シャンカラとの謁見
◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド
私は黙ったまま彼を見た。この背の低い男性は、黄土色の僧衣を身につけ、修道士の杖に体重を預けている。私は彼が40歳手前であると知らされていた。そのため、彼の髪にかなり白髪が混じっていることに気づいて驚いた。
彼の気品ある顔つきは、心の中で灰色と茶色で描かれ、私の記憶の中の長い肖像画の画廊で名誉ある地位を占めている。フランス人がスピリチュエルと適切に呼んだ、あの捉え難い要素が、この顔には存在する。彼の表情は慎み深く、温和であり、その大きな黒い瞳は並外れて穏やかで、美しい。鼻は低く、真っ直ぐで、模範的に均整がとれている。顎にはぼさぼさの小さい髭があり、彼の口元の厳粛さは注目に値する。この人がさらに知性という性質を所有しているという点を除けば、そのような顔立ちは、中世のキリスト教団を輝かしいものにした聖者の一人に属していたかもしない。実際的な西洋に属する我々は彼が夢想家の目をしていると言うだろうと私は思った。どういうわけか、表現できない方法で、彼の厚いまぶたの背後に単なる夢以上の何かがあると私は感じた。
「私を迎え入れて下さり、誠にありがとうございます」と私は前置きとして述べた。
彼は私の連れ合いである作家の方を向き、その土地の言葉で何か話した。私はその意味を正確に推察した。
「聖下はあなたの英語を理解しますが、あなたが彼の英語を理解できないであろうことを大変に懸念しています。ですから、彼は答えを私に翻訳してもらうことを選びます」とヴェンカタラマニは言った。
彼らがここにいるヒンドゥー教の大主教よりも私自身に関心があったために、私はこの対談の初期段階をさっと通り抜けたのだろう。彼はこの国での私の個人的な体験について尋ねた。インドの人々と制度が外国人に与える正確な印象を確かめることに彼はとても興味があった。称賛と批判を自由に、遠慮なく織り交ぜながら、私の率直な印象を彼に伝えた。
その後、会話はより幅の広い水路に流れ入り、彼が日ごろから英字新聞を読み、外の世界の時事に精通していることを知って私はとても驚いた。実際、彼はウエストミンスターでの最近の騒ぎはどうなのか知らないわけではなく、民主主義の厄介な赤ん坊がどれほどの痛々しい陣痛をヨーロッパで経験しつつあるのかもまた十分に知っていた。
シュリー・シャンカラが預言的な洞察力を所有しているというヴェンカタラマニの断固たる確信を私は思い出した。それは世界の未来について何らかの意見を催促するという私の気まぐれな思いを引き起こした。
「政治的、経済的状況が至る所で改善し始めるのはいつだと思いますか。」
「改善が早急に訪れるのは容易なことではありません」と彼は答えた。「それはいくらか時を要さねばならない過程です。国々が一年ごとにいっそう多くのお金を死の武器に費やしている時、どうして物事が改善できますか。」
「しかしながら、この頃は、非武装化についての協議もたくさんあります。それは考慮に値しませんか。」
「あなたが戦艦を解体し、大砲を錆びさせても、それによって戦争は止まらないでしょう。たとえ人々が棒きれを使わざるを得なくても、彼らは戦い続けるでしょう!」
「しかし、事態を改善するために何ができるのでしょうか。」
「国々の間、富める者と貧しい者の間の精神的理解のみが、友好的な態度を作り出し、そうして、本当の平和と繁栄をもたらすでしょう。」
「それは遥か遠いことのように思えます。それでは、我々の展望はまったく明るいものではないのですね?」
聖下は、彼の手をさらに少し重く杖に寄りかからせた。
「神は、それでも、存在します」と彼は穏やかに述べた。
「たとえ存在しても、彼は遥か彼方にいるようです」と私は大胆にも主張した。
「神は、人類に対してただ愛のみを持っています」と柔和な答えがやって来た。
「この頃、世界を苦しめる不幸と悲惨から判断すれば、彼はただ無関心しか持っていません」と声から痛烈な皮肉の響きを締め出すことができずに、私は衝動的に突然叫んだ。聖下は、いぶかしげに私を見た。すぐさま、私は自分の軽率な発言を悔いた。
「忍耐強い人の目は、より深く見ます。神は、定められた時に物事を調整するために人間の道具を使うでしょう。国家間の混乱、人々の間の道徳的邪悪さ、哀れな民衆の苦しみは、反作用として、神から啓示を受けた偉大なる者が助けに来ることをもたらすでしょう。この意味において、あらゆる世紀には、それ独自の救世主がいます。その過程は物理学の法則のように働きます。靈的無知や物質主義によって引き起こされる悲惨さがより大きくなるにつれ、世界を救うために立ち上がる者はより偉大になるでしょう。」
「では、我々の時代にも誰かが立ち上がることをあなたは期待しているのでしょうか。」
「我々の世紀に」と彼は訂正した。「間違いありません。世界の必要性はとても大きく、その靈的暗闇はとても濃いため、啓示を受けた神の子が確かに立ちあがるでしょう。」
「では、あなたの意見では、人はより堕落しつつあるのですか。」
「いいえ、そうは思いません」と彼は寛大に返答した。「人の中には内に住まう神聖なる魂が存在し、最後には、それが彼を必ず神へ連れ戻します。」
「しかし、我々の西洋の都市には、彼らの中に内に住まう悪魔が存在するかのように振る舞う無法者が存在します」と現代のギャングのことを考えながら、私は反論した。
「人々ではなく、むしろ彼らが生まれた環境を責めなさい。彼らの周囲の状況や境遇が、彼ら本来よりも悪くなるように彼らに強いています。それは東洋にも西洋にも当てはまります。社会は、より優れた目的に調和させられねばなりません。物質主義は、理想主義によって釣り合いを保たれねばなりません。世界の困難への本当の解決策は他に存在しません。失敗がたびたび別の道を指し示す道しるべになるのとまさしく同様に、国々が至る所で陥っている問題は、実のところ、この変化を強いる、もがき苦しみなのです。」
「では、あなたは人々が彼らの世俗的な関係に靈的な道徳律を導入することを望んでいるのでしょうか。」
「まさしくそうです。それは実践不可能ではありません。なぜなら、それは最終的に全ての人を満足させ、そして、足早に消え去らないであろう結果をもたらす唯一の方法だからです。そして、仮に靈的な光を見出した人がより多く世界に存在するなら、それは一層素早く広がるでしょう。インドは、名誉あることに、その靈的な人々を支え、尊敬しています-前の時代より、そうではなくなっていますが。仮に全世界が同じことをするなら、そして、靈的な見識を持つ人々から導きを受けるなら、全世界はすぐに平和を見出だし、次第に繁栄するでしょう。」
我々の会話は長引いた。シュリー・シャンカラが、彼の国の実に多くの人々がするように、東洋をほめそやすために西洋をけなそうとはしないことに私はすぐに気づいた。それぞれ地球の半分が、それ独自の美徳と悪徳一式を所有しており、その点において、それらは大体等しいと彼は認めた!より賢明な世代がアジアとヨーロッパ文明の最良の点を融合させ、調和のとれた、より優れた社会計画を作ることを彼は望んでいた。
私はその話題を中断し、プライベートな質問の許可を求めた。それは難なく許された。
「聖下は、どれぐらいの間、その称号を保持しているのでしょうか。」
「1907年以来です。当時、私はたった12歳でした。任命から4年後、私はカーヴィリ川沿いの村へ隠遁し、そこで3年間、瞑想と勉学に専念しました。その後に初めて、私の公的な務めが始まりました。」
「あなたはクンバコーナムの本山にほとんど留まらないと私は理解していますが。」
「その理由は、1918年にネパールのマハーラージャにしばらく彼の客人となるように私が求められたからです。私は受け入れ、その時以来、はるか北にある彼の県に向かってゆっくり旅し続けています。しかし、見て下さい!-その何年もの間中に、私はせいぜい2、3百マイルしか進むことができていません。なぜなら、私の役目の伝統が、あまりにも遠く離れていなければ、私が向かう途中で通るか、もしくは、私を招待する全ての村や町に滞在することを求めるからです。私は地元の寺院で靈的な講話を話し、何らかの教えを住民に授ければなりません。」
私は私の探求の問題を切り出し、聖下は私がこれまで出会った様々なヨーギや聖者について質問した。その後、私は率直に彼に言った。
「ヨーガにおける優れた達成を得ていて、その何らかの類の証拠を提示できるか、実演できる人に私は会いたいのです。あなたの(国の)聖者の多くは、この証拠を求められると、話をさらにもう一つすることしかできません。私はあまりに多くを求めているのでしょうか。」
穏やかな目が私の目と合わさった。
丸々1分間、沈黙があった。聖下はあご髭を指で触った。
「あなたが高度な類の真のヨーガへの手ほどきを求めているのなら、あなたはあまりに多くを求めているわけではありません。あなたの熱意が、あなたを手助けするでしょう。私はあなたの決意の力を感じることができます。ですが、光があなたの内で目覚め始めています。それは、疑いなく、あなたが欲するものへあなたを導くでしょう。」
私は私が彼の言うことを正しく理解したのかどうか分からなかった。
「これまで、指針として私は自分自身に頼って来ました。あなたの(国の)古の賢者たちの何人かさえも、我々自身の内にいる神より他に神は存在しないと言います」と私は思い切って言った。
すると、答えは速やかにやって来た。
「神はあらゆる所にいます。どうして彼を自分自身に限定することができますか。彼は全世界を支えています。」
私の手にあまりつつあると私は感じ、すぐさま、このやや神学的な調子から会話をそらした。
「私が進むべき最も実践的な道とは何でしょうか。」
「あなたの旅を続けなさい。あなたが旅を終えた時、あなたが出会った様々なヨーギや聖者について考えなさい。その後、あなたに最も訴えかける人を選び出しなさい。彼のもとへ戻りなさい。そうすれば、彼が必ずや彼の手ほどきをあなたに授けるでしょう。」
私は彼の穏やかな横顔を見て、その並外れた落ち着きに感心した。
「しかし、仮に、聖下、彼らの誰もが十分に私に訴えかけなければ、その時は、どうすれば。」
「その場合、神自身があなたを手ほどきするまで、一人で進まねばならないでしょう。日ごろから瞑想を修練しなさい。あなたの心の中で、愛を持って、高尚な事柄を観想しなさい。魂についてよく思いなさい。そうすれば、そのことが、あなたを魂へ連れゆく助けになるでしょう。修練する最良の時間は、目覚める時です。次に最も良い時間は、薄明(はくめい)の時です。それらの時間に世界はより穏やかになり、あなたの瞑想を妨げることが少なくなるでしょう。」
彼は慈愛深く私を見つめた。彼の髭のある顔に住まう、聖者にふさわしい安らぎを私はうらやましく感じ始めた。本当に、彼の心は、私の心に傷跡を残している破壊的な混乱を一度も経験したことがないのか。私は衝動的に彼に尋ねるように駆り立てられた。
「もし私が失敗すれば、その時は、あなたの援助を仰いでもよろしいでしょうか。」
シュリー・シャンカラは静かに首を振った。
「私は公的機関の指導的立場にあり、時間がもはや自分自身のものではない人間です。私の活動は、私のほぼ全ての時間を要求します。数年間、毎晩、私は睡眠に3時間だけ費やしています。どうして私が個人的な弟子をとれますか。あなたは自分の時間を弟子に注いでいる師を見つけねばなりません。」
「しかし、真の師はめったにおらず、しかも、ヨーロッパ人が見つけ出すことはありそうもないと私は伺っています。」
彼はうなずいて私の発言に同意したが、言い添えた。
「真理は存在します。それは見出せます。」
「そのような師、私に高次のヨーガが実在する証拠を示す力のある者への道を私に教えることはできませんか。」
長引く沈黙の間の後、聖下はようやく答えた。
「ええ。あなたが望むものをあなたに与えられるであろう師を、私はインドで二人だけ知っています。彼らの一人はベナレスに住んでいて、大きな家の中に人目を離れ隠され、家自体が広大な庭園の中に隠されています。彼に近づくことを許される人はほとんどいません。もちろん、彼の隠遁所に立ち入ることのできたヨーロッパ人は未だにいません。私はあなたを彼のもとへやることはできますが、ヨーロッパ人が入ることを彼が拒むのではないかと危惧しています。」
「では、もう一人は-?」 私の興味は妙にかき立てられた。
「もう一人の人は内陸に、さらに南に住んでいます。私は彼を一度訪れたことがあり、彼が崇高な師であると知っています。私はあなたが彼のもとへ行くことを勧めます。」
「彼は誰ですか。」
「彼はマハルシと呼ばれています。私は彼に会ったことはありませんが、彼が崇高な師であると知っています。あなたが彼を発見できるように、詳しい指示をあなたに提供しましょうか。」
私の心の目の前に、ある心象がさっと浮かんだ。
私は黄色のローブをまとった修道士を見た。彼は彼の先生のもとへ同行するように私を説得したが、無駄だった。私は彼が山の名前をささやくのを聞いた。それは、「聖なるかがり火の山」だった。
「どうもありがとうございます、聖下」と私は答えた。「ですが、私にはその場所からやって来た案内人がいます。」
「では、あなたはそこへ行くのですか。」
私はためらった。
「明日、南部から発つための全ての手はずが整えられています」と曖昧につぶやいた。
「もしそうなら、あなたに一つお願いがあります。」
「喜んで。」
「あなたがそのマハルシに会わないうちは、南インドを離れないと私に約束して下さい。」
私を助けたいという真摯な願いを彼の目に私は読みとった。約束は結ばれた。
慈愛深い笑顔が、彼の顔を横切った。
「心配しないで。あなたはあなたが探し求めるものを発見するでしょう。」
路上にいる群衆からの不満のつぶやきが、家を貫いた。
「私はあなたの貴重な時間をあまりにも取りすぎてしまいました」と私は謝罪した。「誠に申し訳ありません。」
シュリー・シャンカラの厳粛な口元が緩んだ。彼は私の後について控えの間に入り、私の連れ合いの耳に何かささやいた。私はその文の中に私の名前を聞き取った。
別れの挨拶にお辞儀をするため、玄関で私は振り返った。聖下は私を呼び戻し、(私は)別れのメッセージを受け取った。
「あなたはいつも私を思い起こすでしょう。そして、私はいつもあなたを思い起こすでしょう!」
そうして、この謎めいた、まごつかせる言葉を聞き、幼少期から神に全人生を捧げている、この興味深い人の前から私はしぶしぶ引き下がった。彼は世俗的な権力を求めない管長だった。なぜなら、彼は一切を放棄し、一切を断念していた。物質的なものが何であれ彼に与えられても、彼はそれを必要とする人々に再びすぐに与える。彼の美しく、温和な人格は、きっと私の記憶の中に留まり続けるだろう。
私は夕方までチングレプットをぶらつき、その芸術的な、古風の美を探索し、それから、家に帰る前に、最後に一目見ようと聖下の姿を探した。
私はその町で最も大きい寺院で彼を見つけた。ほっそりした、慎み深い、黄色のローブをまとった人物が、男性と女性と子供からなる大群衆に教えを説いている。大勢の聴衆の中に、全くの静寂が行き渡る。私は彼の現地の言葉を理解できないが、知的なバラモンから文字の読み書きができない農夫まで、参加者すべての注意を彼は深く引きつけている。私には分からなかったが、彼が最も深遠な話題について最も簡単な方法で話していると私は大胆に推測した。私が彼の中に読み取った性格が、そういうものだったからだ。
それでも、私は彼の美しい魂を高く評価していたが、膨大な聴衆の素朴な信仰心を私はうらやましく思った。人生は、見たところ、彼らに深い疑惑の気分を少しももたらしていないようだ。神は存在する。それで、一見落着である。世界が残酷な弱肉強食の闘争の現場のように見える時に、神がぼんやりした無へ後退する時に、そして、人間の存在自体が、我々が地球と呼ぶ、全宇宙のこのはかない小さな断章を横切る断続的な一節に過ぎないように思える時に、魂の暗い夜を経験するとはどういうことなのか彼らは知らないようだ。
星がちりばめられた藍色の空の下、我々はチングレプットから車を走らせた。突然のそよ風の中、水辺の上でその枝を雄大に揺らすヤシの木々に私は耳を傾けた。
私の連れ合いが突然に我々の間の沈黙を破った。
「あなたは実に幸運です!」
「どうしてですか。」
「なぜなら、これは聖下がヨーロッパ人の作家に許した最初の会談だからです。」
「では-?」
「それはあなたに彼の祝福をもたらします!」
私は黙ったまま彼を見た。この背の低い男性は、黄土色の僧衣を身につけ、修道士の杖に体重を預けている。私は彼が40歳手前であると知らされていた。そのため、彼の髪にかなり白髪が混じっていることに気づいて驚いた。
彼の気品ある顔つきは、心の中で灰色と茶色で描かれ、私の記憶の中の長い肖像画の画廊で名誉ある地位を占めている。フランス人がスピリチュエルと適切に呼んだ、あの捉え難い要素が、この顔には存在する。彼の表情は慎み深く、温和であり、その大きな黒い瞳は並外れて穏やかで、美しい。鼻は低く、真っ直ぐで、模範的に均整がとれている。顎にはぼさぼさの小さい髭があり、彼の口元の厳粛さは注目に値する。この人がさらに知性という性質を所有しているという点を除けば、そのような顔立ちは、中世のキリスト教団を輝かしいものにした聖者の一人に属していたかもしない。実際的な西洋に属する我々は彼が夢想家の目をしていると言うだろうと私は思った。どういうわけか、表現できない方法で、彼の厚いまぶたの背後に単なる夢以上の何かがあると私は感じた。
「私を迎え入れて下さり、誠にありがとうございます」と私は前置きとして述べた。
彼は私の連れ合いである作家の方を向き、その土地の言葉で何か話した。私はその意味を正確に推察した。
「聖下はあなたの英語を理解しますが、あなたが彼の英語を理解できないであろうことを大変に懸念しています。ですから、彼は答えを私に翻訳してもらうことを選びます」とヴェンカタラマニは言った。
彼らがここにいるヒンドゥー教の大主教よりも私自身に関心があったために、私はこの対談の初期段階をさっと通り抜けたのだろう。彼はこの国での私の個人的な体験について尋ねた。インドの人々と制度が外国人に与える正確な印象を確かめることに彼はとても興味があった。称賛と批判を自由に、遠慮なく織り交ぜながら、私の率直な印象を彼に伝えた。
その後、会話はより幅の広い水路に流れ入り、彼が日ごろから英字新聞を読み、外の世界の時事に精通していることを知って私はとても驚いた。実際、彼はウエストミンスターでの最近の騒ぎはどうなのか知らないわけではなく、民主主義の厄介な赤ん坊がどれほどの痛々しい陣痛をヨーロッパで経験しつつあるのかもまた十分に知っていた。
シュリー・シャンカラが預言的な洞察力を所有しているというヴェンカタラマニの断固たる確信を私は思い出した。それは世界の未来について何らかの意見を催促するという私の気まぐれな思いを引き起こした。
「政治的、経済的状況が至る所で改善し始めるのはいつだと思いますか。」
「改善が早急に訪れるのは容易なことではありません」と彼は答えた。「それはいくらか時を要さねばならない過程です。国々が一年ごとにいっそう多くのお金を死の武器に費やしている時、どうして物事が改善できますか。」
「しかしながら、この頃は、非武装化についての協議もたくさんあります。それは考慮に値しませんか。」
「あなたが戦艦を解体し、大砲を錆びさせても、それによって戦争は止まらないでしょう。たとえ人々が棒きれを使わざるを得なくても、彼らは戦い続けるでしょう!」
「しかし、事態を改善するために何ができるのでしょうか。」
「国々の間、富める者と貧しい者の間の精神的理解のみが、友好的な態度を作り出し、そうして、本当の平和と繁栄をもたらすでしょう。」
「それは遥か遠いことのように思えます。それでは、我々の展望はまったく明るいものではないのですね?」
聖下は、彼の手をさらに少し重く杖に寄りかからせた。
「神は、それでも、存在します」と彼は穏やかに述べた。
「たとえ存在しても、彼は遥か彼方にいるようです」と私は大胆にも主張した。
「神は、人類に対してただ愛のみを持っています」と柔和な答えがやって来た。
「この頃、世界を苦しめる不幸と悲惨から判断すれば、彼はただ無関心しか持っていません」と声から痛烈な皮肉の響きを締め出すことができずに、私は衝動的に突然叫んだ。聖下は、いぶかしげに私を見た。すぐさま、私は自分の軽率な発言を悔いた。
「忍耐強い人の目は、より深く見ます。神は、定められた時に物事を調整するために人間の道具を使うでしょう。国家間の混乱、人々の間の道徳的邪悪さ、哀れな民衆の苦しみは、反作用として、神から啓示を受けた偉大なる者が助けに来ることをもたらすでしょう。この意味において、あらゆる世紀には、それ独自の救世主がいます。その過程は物理学の法則のように働きます。靈的無知や物質主義によって引き起こされる悲惨さがより大きくなるにつれ、世界を救うために立ち上がる者はより偉大になるでしょう。」
「では、我々の時代にも誰かが立ち上がることをあなたは期待しているのでしょうか。」
「我々の世紀に」と彼は訂正した。「間違いありません。世界の必要性はとても大きく、その靈的暗闇はとても濃いため、啓示を受けた神の子が確かに立ちあがるでしょう。」
「では、あなたの意見では、人はより堕落しつつあるのですか。」
「いいえ、そうは思いません」と彼は寛大に返答した。「人の中には内に住まう神聖なる魂が存在し、最後には、それが彼を必ず神へ連れ戻します。」
「しかし、我々の西洋の都市には、彼らの中に内に住まう悪魔が存在するかのように振る舞う無法者が存在します」と現代のギャングのことを考えながら、私は反論した。
「人々ではなく、むしろ彼らが生まれた環境を責めなさい。彼らの周囲の状況や境遇が、彼ら本来よりも悪くなるように彼らに強いています。それは東洋にも西洋にも当てはまります。社会は、より優れた目的に調和させられねばなりません。物質主義は、理想主義によって釣り合いを保たれねばなりません。世界の困難への本当の解決策は他に存在しません。失敗がたびたび別の道を指し示す道しるべになるのとまさしく同様に、国々が至る所で陥っている問題は、実のところ、この変化を強いる、もがき苦しみなのです。」
「では、あなたは人々が彼らの世俗的な関係に靈的な道徳律を導入することを望んでいるのでしょうか。」
「まさしくそうです。それは実践不可能ではありません。なぜなら、それは最終的に全ての人を満足させ、そして、足早に消え去らないであろう結果をもたらす唯一の方法だからです。そして、仮に靈的な光を見出した人がより多く世界に存在するなら、それは一層素早く広がるでしょう。インドは、名誉あることに、その靈的な人々を支え、尊敬しています-前の時代より、そうではなくなっていますが。仮に全世界が同じことをするなら、そして、靈的な見識を持つ人々から導きを受けるなら、全世界はすぐに平和を見出だし、次第に繁栄するでしょう。」
我々の会話は長引いた。シュリー・シャンカラが、彼の国の実に多くの人々がするように、東洋をほめそやすために西洋をけなそうとはしないことに私はすぐに気づいた。それぞれ地球の半分が、それ独自の美徳と悪徳一式を所有しており、その点において、それらは大体等しいと彼は認めた!より賢明な世代がアジアとヨーロッパ文明の最良の点を融合させ、調和のとれた、より優れた社会計画を作ることを彼は望んでいた。
私はその話題を中断し、プライベートな質問の許可を求めた。それは難なく許された。
「聖下は、どれぐらいの間、その称号を保持しているのでしょうか。」
「1907年以来です。当時、私はたった12歳でした。任命から4年後、私はカーヴィリ川沿いの村へ隠遁し、そこで3年間、瞑想と勉学に専念しました。その後に初めて、私の公的な務めが始まりました。」
「あなたはクンバコーナムの本山にほとんど留まらないと私は理解していますが。」
「その理由は、1918年にネパールのマハーラージャにしばらく彼の客人となるように私が求められたからです。私は受け入れ、その時以来、はるか北にある彼の県に向かってゆっくり旅し続けています。しかし、見て下さい!-その何年もの間中に、私はせいぜい2、3百マイルしか進むことができていません。なぜなら、私の役目の伝統が、あまりにも遠く離れていなければ、私が向かう途中で通るか、もしくは、私を招待する全ての村や町に滞在することを求めるからです。私は地元の寺院で靈的な講話を話し、何らかの教えを住民に授ければなりません。」
私は私の探求の問題を切り出し、聖下は私がこれまで出会った様々なヨーギや聖者について質問した。その後、私は率直に彼に言った。
「ヨーガにおける優れた達成を得ていて、その何らかの類の証拠を提示できるか、実演できる人に私は会いたいのです。あなたの(国の)聖者の多くは、この証拠を求められると、話をさらにもう一つすることしかできません。私はあまりに多くを求めているのでしょうか。」
穏やかな目が私の目と合わさった。
丸々1分間、沈黙があった。聖下はあご髭を指で触った。
「あなたが高度な類の真のヨーガへの手ほどきを求めているのなら、あなたはあまりに多くを求めているわけではありません。あなたの熱意が、あなたを手助けするでしょう。私はあなたの決意の力を感じることができます。ですが、光があなたの内で目覚め始めています。それは、疑いなく、あなたが欲するものへあなたを導くでしょう。」
私は私が彼の言うことを正しく理解したのかどうか分からなかった。
「これまで、指針として私は自分自身に頼って来ました。あなたの(国の)古の賢者たちの何人かさえも、我々自身の内にいる神より他に神は存在しないと言います」と私は思い切って言った。
すると、答えは速やかにやって来た。
「神はあらゆる所にいます。どうして彼を自分自身に限定することができますか。彼は全世界を支えています。」
私の手にあまりつつあると私は感じ、すぐさま、このやや神学的な調子から会話をそらした。
「私が進むべき最も実践的な道とは何でしょうか。」
「あなたの旅を続けなさい。あなたが旅を終えた時、あなたが出会った様々なヨーギや聖者について考えなさい。その後、あなたに最も訴えかける人を選び出しなさい。彼のもとへ戻りなさい。そうすれば、彼が必ずや彼の手ほどきをあなたに授けるでしょう。」
私は彼の穏やかな横顔を見て、その並外れた落ち着きに感心した。
「しかし、仮に、聖下、彼らの誰もが十分に私に訴えかけなければ、その時は、どうすれば。」
「その場合、神自身があなたを手ほどきするまで、一人で進まねばならないでしょう。日ごろから瞑想を修練しなさい。あなたの心の中で、愛を持って、高尚な事柄を観想しなさい。魂についてよく思いなさい。そうすれば、そのことが、あなたを魂へ連れゆく助けになるでしょう。修練する最良の時間は、目覚める時です。次に最も良い時間は、薄明(はくめい)の時です。それらの時間に世界はより穏やかになり、あなたの瞑想を妨げることが少なくなるでしょう。」
彼は慈愛深く私を見つめた。彼の髭のある顔に住まう、聖者にふさわしい安らぎを私はうらやましく感じ始めた。本当に、彼の心は、私の心に傷跡を残している破壊的な混乱を一度も経験したことがないのか。私は衝動的に彼に尋ねるように駆り立てられた。
「もし私が失敗すれば、その時は、あなたの援助を仰いでもよろしいでしょうか。」
シュリー・シャンカラは静かに首を振った。
「私は公的機関の指導的立場にあり、時間がもはや自分自身のものではない人間です。私の活動は、私のほぼ全ての時間を要求します。数年間、毎晩、私は睡眠に3時間だけ費やしています。どうして私が個人的な弟子をとれますか。あなたは自分の時間を弟子に注いでいる師を見つけねばなりません。」
「しかし、真の師はめったにおらず、しかも、ヨーロッパ人が見つけ出すことはありそうもないと私は伺っています。」
彼はうなずいて私の発言に同意したが、言い添えた。
「真理は存在します。それは見出せます。」
「そのような師、私に高次のヨーガが実在する証拠を示す力のある者への道を私に教えることはできませんか。」
長引く沈黙の間の後、聖下はようやく答えた。
「ええ。あなたが望むものをあなたに与えられるであろう師を、私はインドで二人だけ知っています。彼らの一人はベナレスに住んでいて、大きな家の中に人目を離れ隠され、家自体が広大な庭園の中に隠されています。彼に近づくことを許される人はほとんどいません。もちろん、彼の隠遁所に立ち入ることのできたヨーロッパ人は未だにいません。私はあなたを彼のもとへやることはできますが、ヨーロッパ人が入ることを彼が拒むのではないかと危惧しています。」
「では、もう一人は-?」 私の興味は妙にかき立てられた。
「もう一人の人は内陸に、さらに南に住んでいます。私は彼を一度訪れたことがあり、彼が崇高な師であると知っています。私はあなたが彼のもとへ行くことを勧めます。」
「彼は誰ですか。」
「彼はマハルシと呼ばれています。私は彼に会ったことはありませんが、彼が崇高な師であると知っています。あなたが彼を発見できるように、詳しい指示をあなたに提供しましょうか。」
私の心の目の前に、ある心象がさっと浮かんだ。
私は黄色のローブをまとった修道士を見た。彼は彼の先生のもとへ同行するように私を説得したが、無駄だった。私は彼が山の名前をささやくのを聞いた。それは、「聖なるかがり火の山」だった。
「どうもありがとうございます、聖下」と私は答えた。「ですが、私にはその場所からやって来た案内人がいます。」
「では、あなたはそこへ行くのですか。」
私はためらった。
「明日、南部から発つための全ての手はずが整えられています」と曖昧につぶやいた。
「もしそうなら、あなたに一つお願いがあります。」
「喜んで。」
「あなたがそのマハルシに会わないうちは、南インドを離れないと私に約束して下さい。」
私を助けたいという真摯な願いを彼の目に私は読みとった。約束は結ばれた。
慈愛深い笑顔が、彼の顔を横切った。
「心配しないで。あなたはあなたが探し求めるものを発見するでしょう。」
路上にいる群衆からの不満のつぶやきが、家を貫いた。
「私はあなたの貴重な時間をあまりにも取りすぎてしまいました」と私は謝罪した。「誠に申し訳ありません。」
シュリー・シャンカラの厳粛な口元が緩んだ。彼は私の後について控えの間に入り、私の連れ合いの耳に何かささやいた。私はその文の中に私の名前を聞き取った。
別れの挨拶にお辞儀をするため、玄関で私は振り返った。聖下は私を呼び戻し、(私は)別れのメッセージを受け取った。
「あなたはいつも私を思い起こすでしょう。そして、私はいつもあなたを思い起こすでしょう!」
そうして、この謎めいた、まごつかせる言葉を聞き、幼少期から神に全人生を捧げている、この興味深い人の前から私はしぶしぶ引き下がった。彼は世俗的な権力を求めない管長だった。なぜなら、彼は一切を放棄し、一切を断念していた。物質的なものが何であれ彼に与えられても、彼はそれを必要とする人々に再びすぐに与える。彼の美しく、温和な人格は、きっと私の記憶の中に留まり続けるだろう。
私は夕方までチングレプットをぶらつき、その芸術的な、古風の美を探索し、それから、家に帰る前に、最後に一目見ようと聖下の姿を探した。
私はその町で最も大きい寺院で彼を見つけた。ほっそりした、慎み深い、黄色のローブをまとった人物が、男性と女性と子供からなる大群衆に教えを説いている。大勢の聴衆の中に、全くの静寂が行き渡る。私は彼の現地の言葉を理解できないが、知的なバラモンから文字の読み書きができない農夫まで、参加者すべての注意を彼は深く引きつけている。私には分からなかったが、彼が最も深遠な話題について最も簡単な方法で話していると私は大胆に推測した。私が彼の中に読み取った性格が、そういうものだったからだ。
それでも、私は彼の美しい魂を高く評価していたが、膨大な聴衆の素朴な信仰心を私はうらやましく思った。人生は、見たところ、彼らに深い疑惑の気分を少しももたらしていないようだ。神は存在する。それで、一見落着である。世界が残酷な弱肉強食の闘争の現場のように見える時に、神がぼんやりした無へ後退する時に、そして、人間の存在自体が、我々が地球と呼ぶ、全宇宙のこのはかない小さな断章を横切る断続的な一節に過ぎないように思える時に、魂の暗い夜を経験するとはどういうことなのか彼らは知らないようだ。
星がちりばめられた藍色の空の下、我々はチングレプットから車を走らせた。突然のそよ風の中、水辺の上でその枝を雄大に揺らすヤシの木々に私は耳を傾けた。
私の連れ合いが突然に我々の間の沈黙を破った。
「あなたは実に幸運です!」
「どうしてですか。」
「なぜなら、これは聖下がヨーロッパ人の作家に許した最初の会談だからです。」
「では-?」
「それはあなたに彼の祝福をもたらします!」
2015年3月9日月曜日
『A Search in Secret India』 第8章 ②いざ、第66代シャンカラのもとへ
◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド
軽食、つまり、お茶とビスケットの時間ぐらいに、使用人が大声で訪問者を知らせた。訪問者はインクのしみがついた同業者仲間の一員、すなわち、作家のヴェンカタラマニであると分かった。
数枚の紹介状が、私がそれらを放った所、トランクの底に置いてあった。私はそれらを使いたいとは思わなかった。これは、そこにいる神々がどんなものでも、彼らに最良を-もしくは、最悪を-尽くす気にさせたほうがいいかもしれないという奇妙な気まぐれに答えたものだった。しかしながら、私の探求を始めるための準備として、一通をボンベイで使い、もう一通をマドラスで使った。それと共に個人的な伝言を伝えるように指示されていたからだ。そのようにして、この第二の手紙はヴェンカタラマニを私の扉まで連れて来た。
彼はマドラス大学の評議会の一員であるが、村の生活についての優れた随筆と小説の著者としてより良く知られている。彼は英語媒体を使うマドラス管区で最初のヒンドゥー人の作家であり、文学への貢献を理由に、彫刻された象牙の盾を国から授与されている。彼はインドのラビンドラナート・タゴールとイングランドのホールデン卿の高い称賛を得るほどに価値ある繊細な文体で著述する。彼の散文には美しい隠喩が山と積まれているが、彼の小説は見捨てられた村々の物悲しい人生を伝えている。
彼が部屋に入る時、彼の背が高く細い体、とても小さい髪の毛の房がついた小さな頭、小さな顎と眼鏡をかけた目を私は見た。思想家と理想主義者と詩人が合わさった目をしている。それでいて、苦しむ農夫の悲哀がその悲しげな虹彩に映し出されている。
我々は共通の興味の対象となる様々な道の上いることにすぐに気づいた。我々がたいていの物事についての原稿を比べた後、我々が政治をさんざんに非難し、我々の大好きな著者の前で敬意のつり香炉を振った後、私は唐突に心動かされ、彼に私のインド訪問の本当の理由を明らかにしたくなった。まったく率直に、私の目的が何であるか彼に告げた。私は証明しうる技能を持つ本物のヨーギの所在について彼に尋ねた。汚れまみれの苦行者や曲芸を演じるファキールに特に興味はないと私は彼に注意した。
彼は頭を垂れ、その後、それを否定的に振った。
「インドは、もはやそのような人々がいる国ではありません。我々の国のますます増大する物質主義、一方でのその広汎な堕落、他方での非靈的な西洋文化の衝撃によって、あなたが探している人々、偉大な師らはほとんどいなくなりました。それでも、いくらかは隠所に、おそらくは人里離れた森に存在すると私は固く信じていますが、あなたが全人生をその探求に捧げなければ、彼らを見つけることは困難を極めるでしょう。私と同じインド人があなたがするような探求に着手するなら、今日では彼はほうぼうを放浪しなければなりません。それでは、ヨーロッパ人にとっては、どれほどいっそう大変になるでしょうか。
「では、あなたはほとんど希望を抱かせてはくれないのですね」と私は尋ねた。
「う~ん、何とも言えません。あなたは幸運かもしれませんし。」
何かが私に唐突な質問をするよう駆り立てた。
「北アルコットの山々に住む師について聞いたことがありますか。」
彼は頭を振った。
我々の会話は横道にそれ、文学の話題に戻った。
私は彼にたばこを勧めたが、彼は喫煙を辞退した。私が自分でたばこに火をつけ、トルコ産の刻みたばこの香りのよい煙を吸いこむ間、ヴェンカタラマニは急速に消えつつある古きヒンドゥー文化の理想を情熱的に褒め称えて彼の心情を吐露した。彼は生活の簡素さ、共同体への奉仕、余裕のある生活、靈的目的というような考えに言及した。彼はインド社会の主要部で成長する寄生的な愚かな行いを取り除きたいと思っていた。しかしながら、彼の心の中の最大の問題は、インドの50万の村々が工業化された大都市の貧民街にとっての単なる求人センターになることから救うという彼の未来像だった。この脅威は現実からは遠いものであったが、彼の預言的な洞察と西洋産業史の記憶はこれを現代的風潮の一定の結果とみなしていた。ヴェンカタラマニは、彼が南インドの最古の村の一つの近くの資産ある家庭に生まれたと私に言い、村の生活が陥った文化的退廃と物質的貧困を大いに嘆いていた。彼は素朴な村の人々の(暮らしの)改善のための計画を立てることを好み、彼らが不幸でいるのに幸福でいることを彼は拒否していた。
彼の見解を理解しようとして私は静かに聞いていた。ついに、彼は立ちあがって去り、背が高く細い彼の姿が道を下って消えてゆくのを私はじっと見ていた。
翌日の早朝、私は彼の予期せぬ訪問を受けて驚いた。彼の馬車があわてて門まで押し寄せてきた。というのも、彼は私が外出するかもしれないと危惧していた。
「昨晩遅く、私の最大の後援者がチングレプットに一日滞在するという伝言を私は受け取りました」と彼は唐突に言い出した。
呼吸を整えた後、彼は続けた。
「クンバコーナムの聖下シュリー・シャンカラ・アーチャールヤは南インドの靈的指導者です。何百万の人々が神の教師の一人として彼を敬っています。偶然にも彼は私に大変興味を持ち、私の文芸活動を奨励しました。もちろん、彼は私が靈的な助言を求める人です。昨日、私が言及を避けたことを今やあなたに話してもいいでしょう。我々は彼を最高の靈的達成をなした師とみなしています。しかし、彼はヨーギではありません。彼は南部ヒンドゥー世界の大主教、真の聖者、偉大な宗教哲学者です。彼は我々の時代の靈的潮流の大部分に十分気づいているために、そして、彼自身の達成のため、おそらく彼には本物のヨーギについて並外れた知識があります。村から村へ、都市から都市へと、彼はたいそう旅します。その結果、彼はそのような事柄にとりわけ精通しています。彼がどこへ行こうと、聖者が敬意を表するために彼のもとへやって来ます。彼はおそらくあなたに何らかの有益な助言を与えられるでしょう。彼を訪問してはいかがですか。」
「とてもご親切にありがとうございます。喜んで参ります。チングレプットはどれぐらいの距離ですか。」
「ここからたったの35マイルです。でも、待って下さい-」
「何でしょうか。」
「聖下があなたの謁見を許すかどうか疑わしく思えてきました。もちろん、私は彼を説得するようできる限りのことをするつもりです。ですが-」
「私はヨーロッパ人です!」 私は彼にかわって文を完成させた。「分かっています。」
「あなたはすげない拒絶の危険を冒すのですね?」 彼は少し心配そうに尋ねた。
「もちろんです。行かせてください。」
軽い昼食の後、我々はチングレプットへ出発した。私は私の文筆仲間に私が今日会いたいと望む人についての質問を浴びせた。シュリー・シャンカラが食事と衣服に関してほとんど苦行者のような質素な生活を送っているが、彼の崇高な役目の品位によって、旅する時、彼は壮麗な装いで移動するように求められていることを私は知った。たいてい、彼にはその時、人が乗った象とらくだ、パンディットとその弟子たち、お触れ役と支持者のお供が伴っている。彼がどこに行っても、周辺地域からの大勢の訪問者を引きつけることになる。彼らは靈的、精神的、身体的、経済的援助を求めてやって来る。毎日、お金持ちから何千ルピーものお金が彼の足元に置かれるが、彼は清貧の誓いを立ているため、この収入は価値ある目的に充てられる。彼は貧しい者を救援し、教育を援助し、朽ちゆく寺院を修繕し、南インドの川のない地域でとても役立つ寺院の人工の天水池の状態を改善する。しかしながら、彼の使命は、主に靈的な事柄に関する。立ち寄る場所すべてで、彼は人々の心を高めるだけでなく、人々にヒンドゥー教の彼らの遺産をより深く理解するように鼓舞する。彼はたいてい地元の寺院で教えを説き、その後、彼のもとに集まる大勢の探求者に個人的に応じる。
初代シャンカラからの直系継承において、シュリー・シャンカラがその称号の第66代目の担い手であることを私は知った。頭の中で彼の役目と力を正しい視点から把握するため、私はヴェンカタラマニにその系列の創始者についていくつか質問を尋ねざるをえなかった。初代シャンカラは千年以上前に活躍し、彼は歴史上のバラモンの賢者の中で最も偉大な人の一人であったようだ。彼は理性的な神秘主義者として、そして、一流の哲学者として評されるかもしれない。彼の時代のヒンドゥー教が混乱し、老朽化した状態で、その靈的活力が急速に衰えつつあることに彼は気づいた。彼はある使命のために生まれたようだ。18歳の時から、彼はインドをくまなく放浪し、彼が通り過ぎる、あらゆる地方の知識階級や僧侶と論じ合い、彼自身が創始した教説を説き、相当の支持者を得た。彼の知性はとても鋭かったため、たいてい彼は彼が会った人々の手に余る相手だった。彼は、彼の喉から命が消えた後でなく、存命時に預言者として受け入れられ、敬われるという幸運に恵まれた。
彼は多くの目的を持った人だった。彼は彼の国の主要な宗教を擁護したが、それを口実にして発達した有害な慣習を強く非難した。彼は人々を徳行の道に連れてこようと試み、飾り立てた儀式に頼るだけの無益さを暴いた。彼は実の母の死に際して葬儀を行うことによってカーストの決まりを破り、そのために僧侶たちは彼を破門した。この恐れを知らない若者は、最初の有名なカーストの破壊者である仏陀の後継者にふさわしかった。僧侶たちに反対し、彼は全ての人が、カーストや肌の色に関係なく、神の恩寵に、そして、最高の真理の知に達することができると説いた。彼は特殊な教義を創設せず、誠実に守られ、その神秘主義的な内なる本質まで辿られるなら、全ての宗教が神への道であると考えた。彼はその論点を証明するために完全で、精緻な哲学体系を念入りに作りあげた。彼は多くの文学的遺産を残し、それは国中の聖典を学ぶ全ての都市で敬われている。パンディットたちは彼の哲学的、宗教的遺産を非常に大切にしている。当然ながら、彼らはその意味についてつまらない議論をし、言い争っているが。
シャンカラは、黄土色のローブを身につけ、巡礼の杖を携え、インドをくまなく旅をした。彼は賢明な方策の一つとして、周囲四地点に四つの巨大な施設を設立した。北部のバドリーナートに一つ、東部のプリーに一つ、という具合に。総本山は、寺院と僧院と共に、彼が務めをはじめた南部に設立された。今日まで、それはヒンドゥー教の至聖所のままある。これらの施設から、雨季が終わると、訓練された僧の一団が出て、シャンカラの教えを伝えるために国を旅したものだった。この驚嘆すべき人物は32歳という若さで亡くなったが、ある伝説は彼はただ消え去ったと表現している。
今日、私が会うであろう彼の後継者が同じ務めと同じ教えを継承していることを私が知った時、この情報の価値は明白となった。これに関連して、奇妙な伝統が存在する。初代シャンカラは、彼の心が弟子たちの所に今までどおり留まるだろうこと、そして、彼の後継者に「影を投げかける」不可思議な過程によってこれを達成するだろうことを彼らに約束した。いくぶん似たような理屈は、チベットのダライ・ラマの役目にも結びつけられている。役目の前任者は、彼の死の最後の瞬間に、彼の後を継ぐにふさわしい者を指名する。選ばれる者は、たいてい幼い子供であり、得られうる最良の教師たちから指導され、彼の高い地位に彼をふさわしくするために徹底した訓練が行われる。彼の訓練は宗教的および知的なだけでなく、高度なヨーガと瞑想の系統に従ってもいる。この訓練の後には、彼の信徒たちに奉仕する非常に活動的な人生が続く。この系列が打ち立てられていた何世紀もの間中ずっと、この称号の保持者で、最も気高く、最も無私なる人格を持つと知られていない人は今まで誰一人としていない。
ヴェンカタラマニは、第66代シャンカラが保持する驚くべき天分についての物語で彼の語りを潤色した。彼自身の従弟の奇跡的な治癒についての話がある。従弟はリューマチのために不自由な体になっており、何年も床に伏せっていた。シュリー・シャンカラは彼を訪れ、彼の体に触れ、3時間の内に病人はずっと良くなり、床を離れた。すぐに彼は全快した。
さらなる主張では、聖下は他者の考えを読む力を持つと信じられている。いずれにせよ、ヴェンカタラマニはこれが真実であると完全に信じていた。
ヤシの木に囲まれた公道を通り、我々はチングレプットに入り、しっくい塗りのもつれ合った家々、乱雑に密集した赤い屋根、細い道々を見た。我々は下車し、大群衆が集まっている都市の中心部へ向かって歩いた。私はある家に連れて行かれ、そこでは秘書の一団がクンバコーナムの本山から聖下に伴ってきた膨大な書状の処理に忙しそうに携わっていた。ヴェンカタラマニが秘書の一人にシュリー・シャンカラへの伝言を渡す間、私は椅子のない控えの間で待った。半時間以上たって、その人は私が求める謁見は許されないという答えを持って帰って来た。聖下がヨーロッパ人を歓迎できるように思えない。その上、2百人の人が会見を待っている。多くの人が会見の約束を取り付けるために町に泊まりがけで滞在している。秘書はしきりに弁明した。
私は諦観して状況を受け入れたが、ヴェンカタラマニは特権を持つ友人として聖下の面前に出られるよう努力してみると言い、その後、私の理由を訴えた。群衆の数人は、あこがれの家に順番ぬかしで入ろうとする彼の意図に気づくと、不愉快な様子でぶつぶつ言った。たいそう話し、ぺちゃくちゃ説明した後、彼は成功を収めた。微笑み、勝ち誇って、ついに彼は戻って来た。
「あなたの場合に、聖下は特別の例外をもうけます。1時間ほど後、彼はあなたに会います。」
主要な寺院へと延びる、絵のように美しい小道をあてもなくぶらついて、私はその時間をつぶした。灰色の象と黄褐色がかった茶色の大きならくだの行列を水飲み場まで連れてゆく、従者たちに出会った。旅する時に南インドの靈的指導者を運ぶ見事な動物を、誰かが私に指し示した。彼は壮麗な装いで乗り、背の高い象の背中の上の豪華絢爛な天蓋つきの御輿に空高く支えられている。それは豪華な装飾、高級な織物、黄金の刺繍に美しく覆われている。年老いた威厳ある生き物が道沿いに歩を進めるのを私はじっと見ていた。それが通り過ぎる時、その鼻は巻き上がり、再び垂れ下がった。
靈的な人物を訪問する時に、果物や花や砂糖菓子の捧げ物を少し持って行くことを人に要求する古びれた慣習を思い出し、私は威厳ある主人の前に置くための贈り物を手に入れた。オレンジと花が目に映る唯一のものであり、私は便利に運べる精一杯の量を集めた。
聖下の仮住まいの外に押し掛ける群衆の中で、私はもう一つの重要な慣習を忘れていた。「靴を脱いで」とヴェンカタラマニは即座に私に思い出させた。私は靴を脱ぎ、通りに置いていった。私が戻った時に、まだそこに靴があることを願いながら!
私は小さな玄関口を通りぬけ、がらんとした控えの間に入った。突きあたりに薄暗く照らされた囲いがあり、そこで私は影の中に立つ背の低い人物を見た。私は彼に近づき、私の小さな捧げ物を置き、低くお辞儀をして挨拶した。この儀式には、敬意の表現として、そして、害のない礼儀としての必要性と別に、私の心に強く訴えかける芸術的な価値があった。私はシュリー・シャンカラが教皇的存在ではないことを良く知っていた。ヒンドゥー教にそういったものは存在しないからだ。しかし、彼は莫大な規模の宗教的集団の教師であり、鼓舞する人である。南インド全土が、彼の指導に従う。
軽食、つまり、お茶とビスケットの時間ぐらいに、使用人が大声で訪問者を知らせた。訪問者はインクのしみがついた同業者仲間の一員、すなわち、作家のヴェンカタラマニであると分かった。
数枚の紹介状が、私がそれらを放った所、トランクの底に置いてあった。私はそれらを使いたいとは思わなかった。これは、そこにいる神々がどんなものでも、彼らに最良を-もしくは、最悪を-尽くす気にさせたほうがいいかもしれないという奇妙な気まぐれに答えたものだった。しかしながら、私の探求を始めるための準備として、一通をボンベイで使い、もう一通をマドラスで使った。それと共に個人的な伝言を伝えるように指示されていたからだ。そのようにして、この第二の手紙はヴェンカタラマニを私の扉まで連れて来た。
彼はマドラス大学の評議会の一員であるが、村の生活についての優れた随筆と小説の著者としてより良く知られている。彼は英語媒体を使うマドラス管区で最初のヒンドゥー人の作家であり、文学への貢献を理由に、彫刻された象牙の盾を国から授与されている。彼はインドのラビンドラナート・タゴールとイングランドのホールデン卿の高い称賛を得るほどに価値ある繊細な文体で著述する。彼の散文には美しい隠喩が山と積まれているが、彼の小説は見捨てられた村々の物悲しい人生を伝えている。
彼が部屋に入る時、彼の背が高く細い体、とても小さい髪の毛の房がついた小さな頭、小さな顎と眼鏡をかけた目を私は見た。思想家と理想主義者と詩人が合わさった目をしている。それでいて、苦しむ農夫の悲哀がその悲しげな虹彩に映し出されている。
我々は共通の興味の対象となる様々な道の上いることにすぐに気づいた。我々がたいていの物事についての原稿を比べた後、我々が政治をさんざんに非難し、我々の大好きな著者の前で敬意のつり香炉を振った後、私は唐突に心動かされ、彼に私のインド訪問の本当の理由を明らかにしたくなった。まったく率直に、私の目的が何であるか彼に告げた。私は証明しうる技能を持つ本物のヨーギの所在について彼に尋ねた。汚れまみれの苦行者や曲芸を演じるファキールに特に興味はないと私は彼に注意した。
彼は頭を垂れ、その後、それを否定的に振った。
「インドは、もはやそのような人々がいる国ではありません。我々の国のますます増大する物質主義、一方でのその広汎な堕落、他方での非靈的な西洋文化の衝撃によって、あなたが探している人々、偉大な師らはほとんどいなくなりました。それでも、いくらかは隠所に、おそらくは人里離れた森に存在すると私は固く信じていますが、あなたが全人生をその探求に捧げなければ、彼らを見つけることは困難を極めるでしょう。私と同じインド人があなたがするような探求に着手するなら、今日では彼はほうぼうを放浪しなければなりません。それでは、ヨーロッパ人にとっては、どれほどいっそう大変になるでしょうか。
「では、あなたはほとんど希望を抱かせてはくれないのですね」と私は尋ねた。
「う~ん、何とも言えません。あなたは幸運かもしれませんし。」
何かが私に唐突な質問をするよう駆り立てた。
「北アルコットの山々に住む師について聞いたことがありますか。」
彼は頭を振った。
我々の会話は横道にそれ、文学の話題に戻った。
私は彼にたばこを勧めたが、彼は喫煙を辞退した。私が自分でたばこに火をつけ、トルコ産の刻みたばこの香りのよい煙を吸いこむ間、ヴェンカタラマニは急速に消えつつある古きヒンドゥー文化の理想を情熱的に褒め称えて彼の心情を吐露した。彼は生活の簡素さ、共同体への奉仕、余裕のある生活、靈的目的というような考えに言及した。彼はインド社会の主要部で成長する寄生的な愚かな行いを取り除きたいと思っていた。しかしながら、彼の心の中の最大の問題は、インドの50万の村々が工業化された大都市の貧民街にとっての単なる求人センターになることから救うという彼の未来像だった。この脅威は現実からは遠いものであったが、彼の預言的な洞察と西洋産業史の記憶はこれを現代的風潮の一定の結果とみなしていた。ヴェンカタラマニは、彼が南インドの最古の村の一つの近くの資産ある家庭に生まれたと私に言い、村の生活が陥った文化的退廃と物質的貧困を大いに嘆いていた。彼は素朴な村の人々の(暮らしの)改善のための計画を立てることを好み、彼らが不幸でいるのに幸福でいることを彼は拒否していた。
彼の見解を理解しようとして私は静かに聞いていた。ついに、彼は立ちあがって去り、背が高く細い彼の姿が道を下って消えてゆくのを私はじっと見ていた。
翌日の早朝、私は彼の予期せぬ訪問を受けて驚いた。彼の馬車があわてて門まで押し寄せてきた。というのも、彼は私が外出するかもしれないと危惧していた。
「昨晩遅く、私の最大の後援者がチングレプットに一日滞在するという伝言を私は受け取りました」と彼は唐突に言い出した。
呼吸を整えた後、彼は続けた。
「クンバコーナムの聖下シュリー・シャンカラ・アーチャールヤは南インドの靈的指導者です。何百万の人々が神の教師の一人として彼を敬っています。偶然にも彼は私に大変興味を持ち、私の文芸活動を奨励しました。もちろん、彼は私が靈的な助言を求める人です。昨日、私が言及を避けたことを今やあなたに話してもいいでしょう。我々は彼を最高の靈的達成をなした師とみなしています。しかし、彼はヨーギではありません。彼は南部ヒンドゥー世界の大主教、真の聖者、偉大な宗教哲学者です。彼は我々の時代の靈的潮流の大部分に十分気づいているために、そして、彼自身の達成のため、おそらく彼には本物のヨーギについて並外れた知識があります。村から村へ、都市から都市へと、彼はたいそう旅します。その結果、彼はそのような事柄にとりわけ精通しています。彼がどこへ行こうと、聖者が敬意を表するために彼のもとへやって来ます。彼はおそらくあなたに何らかの有益な助言を与えられるでしょう。彼を訪問してはいかがですか。」
「とてもご親切にありがとうございます。喜んで参ります。チングレプットはどれぐらいの距離ですか。」
「ここからたったの35マイルです。でも、待って下さい-」
「何でしょうか。」
「聖下があなたの謁見を許すかどうか疑わしく思えてきました。もちろん、私は彼を説得するようできる限りのことをするつもりです。ですが-」
「私はヨーロッパ人です!」 私は彼にかわって文を完成させた。「分かっています。」
「あなたはすげない拒絶の危険を冒すのですね?」 彼は少し心配そうに尋ねた。
「もちろんです。行かせてください。」
軽い昼食の後、我々はチングレプットへ出発した。私は私の文筆仲間に私が今日会いたいと望む人についての質問を浴びせた。シュリー・シャンカラが食事と衣服に関してほとんど苦行者のような質素な生活を送っているが、彼の崇高な役目の品位によって、旅する時、彼は壮麗な装いで移動するように求められていることを私は知った。たいてい、彼にはその時、人が乗った象とらくだ、パンディットとその弟子たち、お触れ役と支持者のお供が伴っている。彼がどこに行っても、周辺地域からの大勢の訪問者を引きつけることになる。彼らは靈的、精神的、身体的、経済的援助を求めてやって来る。毎日、お金持ちから何千ルピーものお金が彼の足元に置かれるが、彼は清貧の誓いを立ているため、この収入は価値ある目的に充てられる。彼は貧しい者を救援し、教育を援助し、朽ちゆく寺院を修繕し、南インドの川のない地域でとても役立つ寺院の人工の天水池の状態を改善する。しかしながら、彼の使命は、主に靈的な事柄に関する。立ち寄る場所すべてで、彼は人々の心を高めるだけでなく、人々にヒンドゥー教の彼らの遺産をより深く理解するように鼓舞する。彼はたいてい地元の寺院で教えを説き、その後、彼のもとに集まる大勢の探求者に個人的に応じる。
初代シャンカラからの直系継承において、シュリー・シャンカラがその称号の第66代目の担い手であることを私は知った。頭の中で彼の役目と力を正しい視点から把握するため、私はヴェンカタラマニにその系列の創始者についていくつか質問を尋ねざるをえなかった。初代シャンカラは千年以上前に活躍し、彼は歴史上のバラモンの賢者の中で最も偉大な人の一人であったようだ。彼は理性的な神秘主義者として、そして、一流の哲学者として評されるかもしれない。彼の時代のヒンドゥー教が混乱し、老朽化した状態で、その靈的活力が急速に衰えつつあることに彼は気づいた。彼はある使命のために生まれたようだ。18歳の時から、彼はインドをくまなく放浪し、彼が通り過ぎる、あらゆる地方の知識階級や僧侶と論じ合い、彼自身が創始した教説を説き、相当の支持者を得た。彼の知性はとても鋭かったため、たいてい彼は彼が会った人々の手に余る相手だった。彼は、彼の喉から命が消えた後でなく、存命時に預言者として受け入れられ、敬われるという幸運に恵まれた。
彼は多くの目的を持った人だった。彼は彼の国の主要な宗教を擁護したが、それを口実にして発達した有害な慣習を強く非難した。彼は人々を徳行の道に連れてこようと試み、飾り立てた儀式に頼るだけの無益さを暴いた。彼は実の母の死に際して葬儀を行うことによってカーストの決まりを破り、そのために僧侶たちは彼を破門した。この恐れを知らない若者は、最初の有名なカーストの破壊者である仏陀の後継者にふさわしかった。僧侶たちに反対し、彼は全ての人が、カーストや肌の色に関係なく、神の恩寵に、そして、最高の真理の知に達することができると説いた。彼は特殊な教義を創設せず、誠実に守られ、その神秘主義的な内なる本質まで辿られるなら、全ての宗教が神への道であると考えた。彼はその論点を証明するために完全で、精緻な哲学体系を念入りに作りあげた。彼は多くの文学的遺産を残し、それは国中の聖典を学ぶ全ての都市で敬われている。パンディットたちは彼の哲学的、宗教的遺産を非常に大切にしている。当然ながら、彼らはその意味についてつまらない議論をし、言い争っているが。
シャンカラは、黄土色のローブを身につけ、巡礼の杖を携え、インドをくまなく旅をした。彼は賢明な方策の一つとして、周囲四地点に四つの巨大な施設を設立した。北部のバドリーナートに一つ、東部のプリーに一つ、という具合に。総本山は、寺院と僧院と共に、彼が務めをはじめた南部に設立された。今日まで、それはヒンドゥー教の至聖所のままある。これらの施設から、雨季が終わると、訓練された僧の一団が出て、シャンカラの教えを伝えるために国を旅したものだった。この驚嘆すべき人物は32歳という若さで亡くなったが、ある伝説は彼はただ消え去ったと表現している。
今日、私が会うであろう彼の後継者が同じ務めと同じ教えを継承していることを私が知った時、この情報の価値は明白となった。これに関連して、奇妙な伝統が存在する。初代シャンカラは、彼の心が弟子たちの所に今までどおり留まるだろうこと、そして、彼の後継者に「影を投げかける」不可思議な過程によってこれを達成するだろうことを彼らに約束した。いくぶん似たような理屈は、チベットのダライ・ラマの役目にも結びつけられている。役目の前任者は、彼の死の最後の瞬間に、彼の後を継ぐにふさわしい者を指名する。選ばれる者は、たいてい幼い子供であり、得られうる最良の教師たちから指導され、彼の高い地位に彼をふさわしくするために徹底した訓練が行われる。彼の訓練は宗教的および知的なだけでなく、高度なヨーガと瞑想の系統に従ってもいる。この訓練の後には、彼の信徒たちに奉仕する非常に活動的な人生が続く。この系列が打ち立てられていた何世紀もの間中ずっと、この称号の保持者で、最も気高く、最も無私なる人格を持つと知られていない人は今まで誰一人としていない。
ヴェンカタラマニは、第66代シャンカラが保持する驚くべき天分についての物語で彼の語りを潤色した。彼自身の従弟の奇跡的な治癒についての話がある。従弟はリューマチのために不自由な体になっており、何年も床に伏せっていた。シュリー・シャンカラは彼を訪れ、彼の体に触れ、3時間の内に病人はずっと良くなり、床を離れた。すぐに彼は全快した。
さらなる主張では、聖下は他者の考えを読む力を持つと信じられている。いずれにせよ、ヴェンカタラマニはこれが真実であると完全に信じていた。
§
ヤシの木に囲まれた公道を通り、我々はチングレプットに入り、しっくい塗りのもつれ合った家々、乱雑に密集した赤い屋根、細い道々を見た。我々は下車し、大群衆が集まっている都市の中心部へ向かって歩いた。私はある家に連れて行かれ、そこでは秘書の一団がクンバコーナムの本山から聖下に伴ってきた膨大な書状の処理に忙しそうに携わっていた。ヴェンカタラマニが秘書の一人にシュリー・シャンカラへの伝言を渡す間、私は椅子のない控えの間で待った。半時間以上たって、その人は私が求める謁見は許されないという答えを持って帰って来た。聖下がヨーロッパ人を歓迎できるように思えない。その上、2百人の人が会見を待っている。多くの人が会見の約束を取り付けるために町に泊まりがけで滞在している。秘書はしきりに弁明した。
私は諦観して状況を受け入れたが、ヴェンカタラマニは特権を持つ友人として聖下の面前に出られるよう努力してみると言い、その後、私の理由を訴えた。群衆の数人は、あこがれの家に順番ぬかしで入ろうとする彼の意図に気づくと、不愉快な様子でぶつぶつ言った。たいそう話し、ぺちゃくちゃ説明した後、彼は成功を収めた。微笑み、勝ち誇って、ついに彼は戻って来た。
「あなたの場合に、聖下は特別の例外をもうけます。1時間ほど後、彼はあなたに会います。」
主要な寺院へと延びる、絵のように美しい小道をあてもなくぶらついて、私はその時間をつぶした。灰色の象と黄褐色がかった茶色の大きならくだの行列を水飲み場まで連れてゆく、従者たちに出会った。旅する時に南インドの靈的指導者を運ぶ見事な動物を、誰かが私に指し示した。彼は壮麗な装いで乗り、背の高い象の背中の上の豪華絢爛な天蓋つきの御輿に空高く支えられている。それは豪華な装飾、高級な織物、黄金の刺繍に美しく覆われている。年老いた威厳ある生き物が道沿いに歩を進めるのを私はじっと見ていた。それが通り過ぎる時、その鼻は巻き上がり、再び垂れ下がった。
靈的な人物を訪問する時に、果物や花や砂糖菓子の捧げ物を少し持って行くことを人に要求する古びれた慣習を思い出し、私は威厳ある主人の前に置くための贈り物を手に入れた。オレンジと花が目に映る唯一のものであり、私は便利に運べる精一杯の量を集めた。
聖下の仮住まいの外に押し掛ける群衆の中で、私はもう一つの重要な慣習を忘れていた。「靴を脱いで」とヴェンカタラマニは即座に私に思い出させた。私は靴を脱ぎ、通りに置いていった。私が戻った時に、まだそこに靴があることを願いながら!
私は小さな玄関口を通りぬけ、がらんとした控えの間に入った。突きあたりに薄暗く照らされた囲いがあり、そこで私は影の中に立つ背の低い人物を見た。私は彼に近づき、私の小さな捧げ物を置き、低くお辞儀をして挨拶した。この儀式には、敬意の表現として、そして、害のない礼儀としての必要性と別に、私の心に強く訴えかける芸術的な価値があった。私はシュリー・シャンカラが教皇的存在ではないことを良く知っていた。ヒンドゥー教にそういったものは存在しないからだ。しかし、彼は莫大な規模の宗教的集団の教師であり、鼓舞する人である。南インド全土が、彼の指導に従う。
2015年3月5日木曜日
『A Search in Secret India』 第8章 ①アルナーチャラへの誘い
◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド
マドラスへと我々を連れ行く道の終わりに到着する前に、誰かが私のそばに近づいた。私は顔を向けた。私に歯を見せる堂々とした笑い顔で報いたのは、黄色いローブをまとったヨーギ、彼だったからだ。彼の口はほとんど耳から耳まで広がり、彼の目はしわが寄って狭い隙間となっている。
「私と話をしたいのでしょうか」と私は尋ねた。
「ええ、そうです」と良いアクセントの英語で彼はすぐに答えた。「あなたが私たちの国で何をしているのか伺ってもよろしいでしょうか」。私は彼のこの詮索好きな様子にとまどい、あいまいな答えをしようと決めた。
「あぁ!ただ旅してまわっているだけですよ。」
「あなたは私たちの聖者に興味があるのではと思うのですが。」
「ええ-少し。」
「私はヨーギです」と彼は私に知らせた。
彼は私が今まで見た中で最も屈強そうなヨーギだった。
「どれぐらいヨーギでいるのですか。」
「三年です。」
「うーん、こう言っては何ですが、あなたは全然やつれていないようですね!」
彼は誇らしげに身を正し、気をつけの姿勢で立った。彼は素足だったので、彼のかかとのコツンという音を当然のことと思った。
「7年間、私は王‐皇帝陛下の兵士でした!」と彼は声をあげました。
「どうりで!」
「そうです。私はメソポタミアの戦いの間、インド軍の兵士に所属していました。戦争の後、私は知的に秀でていたため、軍の会計課で働きました!」
私は彼自身へのこの頼まれてもいない賛辞の言葉に苦笑した。
「私は家族の問題のために軍を辞め、大変苦しい時期を過ごしました。それが私に聖なる道に専念する気にさせ、ヨーギとなっています。」
私は彼に名刺を手渡した。
「名前を交換しませんか」と私は提案した。
「私の個人名はスブラマンヤで、私のカースト名はアイヤルです」と彼はすぐに名乗った。
「では、スブラマンヤさん、私はあなたが沈黙の賢者の家でささやき述べたことの説明を待っているのですが。」
「私もあなたに説明する時を今まで待ち続けていたんです!あなたの疑問を私の師へ持って行きなさい。なぜなら、彼はインドでもっとも賢明な人であり、ヨーギさえよりも賢明だからです。」
「では、あなたはインド全土をくまなく旅行したのですか。そのような発言ができるということは、あなたは優れたヨーギ全員に会ったのでしょうか。」
「私は彼らの内の数人に会いました。私はこの国をケープ・コモリンからヒマラヤまで知っています。」
「なるほど。」
「私は彼のような人に会ったことがありません。彼は偉大な人物です。それで、私はあなたに彼に会って欲しいのです。」
「どうしてですか。」
「彼が私をあなたのもとへ導いたからです!あなたをインドに引き寄せたのは、彼の力です!」
この大げさな発言は私にはあまりにも誇張したものに感じられ、私は彼から身を引き始めた。私はいつも感情的な人々の美辞麗句の誇張した表現を恐れていて、黄色のローブをまとったヨーギがとても感情的であるのは明らかだった。彼の声、仕草、風采、雰囲気は明らかにそれを示している。
「私には分かりません」が私の冷やかな答えだった。
彼はさらなる説明を始めた。
「8か月前、私は彼を知るようになりました。5か月間、私は彼と共にいることを許され、その後、私は再び旅に送り出されました。私はあなたが彼のような別の人に会いそうだとは思いません。彼の精神的恩恵は大変に偉大なため、彼はあなたの口に出さない思いに答えるでしょう。彼の崇高な精神的段階を理解するために、あなたは少しの間、彼と共にいさえすればいいのです。」
「本当に彼は私の訪問を歓迎するのでしょうか。」
「あぁ、そうです!もちろんです。私をあなたのもとへ寄こしたのは、彼の導きです。」
「彼はどこに住んでいますか。」
「アルナーチャラ-聖なるかがり火の山に。」
「では、それはどこにありますか。」
「さらに南方にある北アルコット地方に。私があなたの案内人を買って出ましょう。私にあなたをそこへ連れて行かせてください。私の師はあなたの疑問を解決し、あなたの問題を取り除くでしょう。なぜなら、彼は最高の真理を知っているからです。」
「それはとても興味深く聞こえますが」と私はしぶしぶ認めた。「でも、その訪問が今のところ不可能であることを残念に思います。私のトランクは荷造りされ、私はすぐに北東部へ出発します。守らなければならない二つの重要な約束がありますからね。」
「しかし、これはもっと重要です。」
「残念です。私たちは会うのが遅すぎました。私の支度は終わり、容易に変更することはできません。私は後で南部に戻るかもしれませんが、私たちは差し当たりこの旅を取り止めなければなりません。」
そのヨーギは明らかにがっかりした。
「あなたは好機を逃そうとしています。それに」
私は無用な議論を予感し、彼の言葉を遮った。
「私はもうあなたと別れなければなりません。とにかく、ありがとう。」
「私はあなたの拒絶を受け入れることを拒否します」と彼は頑固に言い放った。
「明日の午後、あなたのもとを訪れましょう。その時、あなたが心変わりしたということを聞きたいと思います。」
我々の会話は唐突に終了した。私は強健な、引きしまった、黄色いローブをまとった彼の姿が道の向こう側へ歩き出すのをじっと見ていた。
私が家に着いた時、判断を誤ったということもありうると感じ始めた。もし師が弟子の主張の半分の価値があるなら、半島の南端への面倒な旅に彼は値する。しかし、私はいくぶん熱狂的な信奉者たちに疲れていた。彼らは師らの賛歌を歌うが、師らは西洋のより批判的な基準には残念ながら達していないということが調べてみると分かる。さらに、眠れない夜々と蒸し暑い日々は私の神経を本来よりも落ち着きのないものにしていた。それゆえ、旅が無駄な努力となるやもしれない可能性は、本来よりも大きく立ちはだかった。
それでも、議論は意見を変えることに失敗した。奇妙な直観が、彼の師への独特の主張をヨーギが熱心に強調したことには何らかの本物の根拠があるかもしれないと私に警告していた。私は自分への失望感を遠ざけることが出来なかった。
第8章 南インドの精神的指導者と共に
マドラスへと我々を連れ行く道の終わりに到着する前に、誰かが私のそばに近づいた。私は顔を向けた。私に歯を見せる堂々とした笑い顔で報いたのは、黄色いローブをまとったヨーギ、彼だったからだ。彼の口はほとんど耳から耳まで広がり、彼の目はしわが寄って狭い隙間となっている。
「私と話をしたいのでしょうか」と私は尋ねた。
「ええ、そうです」と良いアクセントの英語で彼はすぐに答えた。「あなたが私たちの国で何をしているのか伺ってもよろしいでしょうか」。私は彼のこの詮索好きな様子にとまどい、あいまいな答えをしようと決めた。
「あぁ!ただ旅してまわっているだけですよ。」
「あなたは私たちの聖者に興味があるのではと思うのですが。」
「ええ-少し。」
「私はヨーギです」と彼は私に知らせた。
彼は私が今まで見た中で最も屈強そうなヨーギだった。
「どれぐらいヨーギでいるのですか。」
「三年です。」
「うーん、こう言っては何ですが、あなたは全然やつれていないようですね!」
彼は誇らしげに身を正し、気をつけの姿勢で立った。彼は素足だったので、彼のかかとのコツンという音を当然のことと思った。
「7年間、私は王‐皇帝陛下の兵士でした!」と彼は声をあげました。
「どうりで!」
「そうです。私はメソポタミアの戦いの間、インド軍の兵士に所属していました。戦争の後、私は知的に秀でていたため、軍の会計課で働きました!」
私は彼自身へのこの頼まれてもいない賛辞の言葉に苦笑した。
「私は家族の問題のために軍を辞め、大変苦しい時期を過ごしました。それが私に聖なる道に専念する気にさせ、ヨーギとなっています。」
私は彼に名刺を手渡した。
「名前を交換しませんか」と私は提案した。
「私の個人名はスブラマンヤで、私のカースト名はアイヤルです」と彼はすぐに名乗った。
「では、スブラマンヤさん、私はあなたが沈黙の賢者の家でささやき述べたことの説明を待っているのですが。」
「私もあなたに説明する時を今まで待ち続けていたんです!あなたの疑問を私の師へ持って行きなさい。なぜなら、彼はインドでもっとも賢明な人であり、ヨーギさえよりも賢明だからです。」
「では、あなたはインド全土をくまなく旅行したのですか。そのような発言ができるということは、あなたは優れたヨーギ全員に会ったのでしょうか。」
「私は彼らの内の数人に会いました。私はこの国をケープ・コモリンからヒマラヤまで知っています。」
「なるほど。」
「私は彼のような人に会ったことがありません。彼は偉大な人物です。それで、私はあなたに彼に会って欲しいのです。」
「どうしてですか。」
「彼が私をあなたのもとへ導いたからです!あなたをインドに引き寄せたのは、彼の力です!」
この大げさな発言は私にはあまりにも誇張したものに感じられ、私は彼から身を引き始めた。私はいつも感情的な人々の美辞麗句の誇張した表現を恐れていて、黄色のローブをまとったヨーギがとても感情的であるのは明らかだった。彼の声、仕草、風采、雰囲気は明らかにそれを示している。
「私には分かりません」が私の冷やかな答えだった。
彼はさらなる説明を始めた。
「8か月前、私は彼を知るようになりました。5か月間、私は彼と共にいることを許され、その後、私は再び旅に送り出されました。私はあなたが彼のような別の人に会いそうだとは思いません。彼の精神的恩恵は大変に偉大なため、彼はあなたの口に出さない思いに答えるでしょう。彼の崇高な精神的段階を理解するために、あなたは少しの間、彼と共にいさえすればいいのです。」
「本当に彼は私の訪問を歓迎するのでしょうか。」
「あぁ、そうです!もちろんです。私をあなたのもとへ寄こしたのは、彼の導きです。」
「彼はどこに住んでいますか。」
「アルナーチャラ-聖なるかがり火の山に。」
「では、それはどこにありますか。」
「さらに南方にある北アルコット地方に。私があなたの案内人を買って出ましょう。私にあなたをそこへ連れて行かせてください。私の師はあなたの疑問を解決し、あなたの問題を取り除くでしょう。なぜなら、彼は最高の真理を知っているからです。」
「それはとても興味深く聞こえますが」と私はしぶしぶ認めた。「でも、その訪問が今のところ不可能であることを残念に思います。私のトランクは荷造りされ、私はすぐに北東部へ出発します。守らなければならない二つの重要な約束がありますからね。」
「しかし、これはもっと重要です。」
「残念です。私たちは会うのが遅すぎました。私の支度は終わり、容易に変更することはできません。私は後で南部に戻るかもしれませんが、私たちは差し当たりこの旅を取り止めなければなりません。」
そのヨーギは明らかにがっかりした。
「あなたは好機を逃そうとしています。それに」
私は無用な議論を予感し、彼の言葉を遮った。
「私はもうあなたと別れなければなりません。とにかく、ありがとう。」
「私はあなたの拒絶を受け入れることを拒否します」と彼は頑固に言い放った。
「明日の午後、あなたのもとを訪れましょう。その時、あなたが心変わりしたということを聞きたいと思います。」
我々の会話は唐突に終了した。私は強健な、引きしまった、黄色いローブをまとった彼の姿が道の向こう側へ歩き出すのをじっと見ていた。
私が家に着いた時、判断を誤ったということもありうると感じ始めた。もし師が弟子の主張の半分の価値があるなら、半島の南端への面倒な旅に彼は値する。しかし、私はいくぶん熱狂的な信奉者たちに疲れていた。彼らは師らの賛歌を歌うが、師らは西洋のより批判的な基準には残念ながら達していないということが調べてみると分かる。さらに、眠れない夜々と蒸し暑い日々は私の神経を本来よりも落ち着きのないものにしていた。それゆえ、旅が無駄な努力となるやもしれない可能性は、本来よりも大きく立ちはだかった。
それでも、議論は意見を変えることに失敗した。奇妙な直観が、彼の師への独特の主張をヨーギが熱心に強調したことには何らかの本物の根拠があるかもしれないと私に警告していた。私は自分への失望感を遠ざけることが出来なかった。
登録:
投稿 (Atom)