2014年11月30日日曜日

シュリー・ラマナ・マハルシのヴェーダンタ的神秘主義への貢献

◇「山の道(Mountain Path)」、1969年7月 p160~166

シュリー・ラマナ・マハルシのヴェーダンタ的神秘主義への貢献


G.V.クルカルニ教授

Ⅰ.導入

 ティルヴァンナーマライの偉大な現代の聖者、シュリー・ラマナ・マハルシは、神秘主義のどのような分野への彼の貢献についてもかかずらうことはありませんでした。16才の少年の時に実現(悟り)を達成して以来ずっと、彼はジニャーニの清浄な人生を送りました。彼はどのような哲学や形而上学にも、机上の学問にも興味はありませんでした。彼が実現したものを彼は簡素な言葉で必要とした人々に伝えました。彼はまた、彼の実現(悟り)へ通じる道を伝えました。仏陀のごとく、聖なる事柄に関して極めて実践的であったため、彼は本質的でないことにかかずらわず、本質的な、それも絶対的に本質的なことにのみ集中しました。彼は多くを記さず、多くを語りませんでした。『シュリー・アルナーチャラへの五つの賛歌』という例外を除き、彼が記し、語ったことは何であれ、弟子や探求者の質問への答えでした。彼はどのような新しい宗教も創設せず、どのような新しい哲学分派や体系も確立しませんでした。何であれ彼が伝えたことは、彼自身のものであり、過去の聖者たちの発言、ヴェーダーンタ及びその他の神秘主義の輝かしい伝統によって裏づけられています。彼はヴェーダーンタの古(いにしえ)の神秘主義的哲学を新たな見地から提示しました。従って、我々はカントやヘーゲルの哲学について語るように、彼の神秘主義的哲学について語ることはできません。ともかく、それは新しい道、人生への新しいアプローチではありましたが、それでも、それは古のものです。彼が説いた道は二つ-①探求の道、そして、②委ねの道です。目的は自我、チット‐ジャーダ‐グランティの完全な消滅です。彼自身の言葉では、「マールガナ・マールガ」(*1)と「マッジャナ・マールガ」(*2)です。『ラマナ・ギーター』では、第三の道、すなわち、呼吸の制御(プラーナ・ニローダ)もまた言及されていますが(*3)、これは「マールガナ・マールガ」の一部です。マハルシは、「はじめに、あなたが誰か見出しなさい、もしくは、委ねなさい」とよく言いました。ある弟子に彼の教えがシャンカラの教えと同じであるのか尋ねられた時、彼は、「人々はそのように言います。全ての実現した人が、その人自身の表現方法を持ちます」と答えました。彼は彼がシヴァの化身とみなしていたシャンカラに大いに敬意を払っており、『ヴィヴェーカチューダーマニ』や『アートマボーダ』のようなシャンカラのあまり重要でない作品をタミル語に翻訳しました。彼はヒンドゥー教徒だけでなく、イスラム教徒やキリスト教徒の古の伝統と過去の聖者も評価し、時には彼らの言葉を引用しました。彼はギーターと聖書は同じであり、「イスラム」という言葉は委ねを意味すると言いました。

Ⅱ.ヴェーダーンタ的神秘主義思想との類似点

 ヴェーダーンタ的神秘主義への彼の貢献や彼の教えの独自性の指摘に進む前に、ヴェーダーンタ的神秘主義思想の顕著な特徴に言及させていただきます。

 シュリー・ラマナはインドのリシの伝統に属しており、ラーダークリシュナン博士が述べるように、アドヴァイタ・ヴェーダーンタの形而上学的立場を採用しています。彼はシュリー・シャンカラのアドヴァイタ的伝統を新たにし、バクティ礼賛の長い間の優位の後に、知の道の卓越性を蘇らせたと言われています。

 一般的に、ウパニシャッドは共通して神秘主義的思想の傾向を持ちますが、究極的現実への三つの異なるアプローチ、すなわち、宇宙論的、神学的、心理学的方法が存在します。最初の二つは究極的に3番目のもの、心理学的方法へ通じ、それは決定的な方法です。それは「私」という体験と我々が呼ぶものが、人生における我々の経験領域全体の核心であると述べることに存します。これは「私」と呼ばれる自分自身を通じて、究極的現実を達成するためのアプローチです。『ブラフマ・スートラ I. 1. i.』の注釈の中で、シャンカラはとても明確にこれを語ります。我々の純粋で、簡素な「私」という体験はブラフマンと同じであると彼は言います。「このアートマンはブラフマンである」(*4)、「意識がブラフマンである」(*5)、「そが汝なり」(*6)というような偉大なヴェーダーンタ的言明は、「私」としての純粋な意識と究極的現実の間のこの同一性を簡素な言葉で表現します。同じことがウパニシャッドに見出される様々な喩え話によって裏づけられています。例えば、『ブリハダーランヤカ・ウパニシャッド』のヤージュニャヴァルキャと彼の妻との有名な対話(*7)、『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』のインドラとヴィローチャナとの対話(*8)、同じウパニシャッドのブルグとその息子シュヴェータケートゥとの対話(*9)は、まさしくこの真理を指し示しています。

 ヴェーダーンタはさらに、アートマン、もしくは、ブラフマンの本質は、実在、意識、至福であると述べます。それはオームカーラとして知られるものによって象徴されます。『マンドゥキャ・ウパニシャッドとガウダパーダのカーリカ』(*10)は、それが三つ半のマートラー-A+U+Mから成り立つと詳しく述べます。「A」は目覚めの状態に住まう自らを意味します。「U」は夢の状態に住まう自らを、「M」は深い眠りの状態に住まう自らを意味します。第四のもの(トゥリーヤ)はその一切を超越しています。全世界の名と形は、その礎にある、このオームの顕現として、束の間の様相です。言いかえれば、「ブラフマンは現実であるが、現象的世界は非現実である」。これは(その哲学的意味における)「ヴィヴェーカ」と伝統的に呼ばれています。ブラフマンから離れた世界は非現実であり、ブラフマンとしての世界は現実です。

 この教説はヴェーダーンタにおいて二つの方法-①肯定的なもの(アンヴァヤ)、②否定的なもの(ヴヤティレーカ)-で説明されています。「この全てはブラフマンである」(*11)、「この全てはアートマンである」(*12)、「ブラフマンはこの全てである」(*13)、「アートマンはこの全てである(*14)は前者の典型的表現ですが、「これではない、これではない」(*15)などの類は後者を表します。

 ヴェーダーンタの伝統は、現実を実現する二つの方法-①有神論的崇拝(サグナ・ウパサーナ)、②非‐有神論的崇拝(ニルグナ・ウパサーナ)-を定めています。前者はより明敏でない人向けであり、後者はより明敏で、より高度に発達した探求者向けです。これらの道は、しかしながら、相入れず、相反しているわけではありません。両者ともが同じ目的に通じます。

 ウパニシャッドの中のヤージュナヴァルキャとマイトレーイーの対話など(*16)で、我々は自らの探求の道に出会います。ヤージュニャヴァルキャは、「自らが見られ、聞かれ、熟考され、瞑想されねばならない」と言います。シャンカラはこの道を「ヴィチャーラ」(*17)や「ヴィヴェーカ」(*18)と呼び、彼のプラカラナ・グランタスでそれを褒め称えました。後にヴィドヤーラニャのような著者がそれに言及し、論じました。シャンカラは音を追うことに基づいた瞑想(ナーダーヌサンダーナ)(*19)に言及し、それはウパニシャッド的文献の中でも言及されています。『バガヴァッド・ギーター』は、15章の1詩節(*20)の中で、この探求の道に言及しています。

 ヴェーダーンタは、ダハラヴィドヤー(*21)、または、ハールダヴィドヤーにも言及しています。ハートがアートマンの座であり、自らの実現を得るために、人はそこに集中すべきであるとそれは述べます。『バガヴァッド・ギーター』(*22)でさえそれに言及します。

 自らの知と並んで、ヴェーダーンタはバクティの教説も褒め称えます。我々はこの教説への言及を特に『カタ・ウパニシャッド』(*23)と『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』(*24)に見出します。シャンカラは彼のストートラの中でそれを褒め称え、ラーマーヌジャは『ブラフマ・スートラ』の彼の注釈書の中でそれを「プラパッティ」と呼びます。『バガヴァッド・ギーター』と『バーガヴァタ』はそれを雄弁に賞賛することで良く知られています。

 ヴェーダーンタは行為は必要であると述べますが、行為の放棄をより好みます(*25)。シャンカラは行為は知恵(ジニャーナ)の正反対であると述べます(*26)。『バガヴァッド・ギーター』では、しかしながら、統合が存在します。

 最後に、ヴェーダーンタは実現のためのグルの重要性を強調します。グルは尊敬すべきブラフマニシターであるべきであり(*27)、マントラにより、眼差しにより、触れることにより、沈黙により、探求者を導くことができます(*28)。彼の恩寵が実現のために不可欠です。『バガヴァッド・ギーター』は、「グルへの奉仕」をジニャーナを構成する美徳の中の一つであると称賛し(*29)。ジニャーニへの奉仕と交際を勧めます(*30)。ヴェーダーンタは、スルティと四つのマハーヴァーキャの権威をその中軸として認めています。

Ⅲ.ラマナ・マハルシと彼の教えの独自性

 実現(悟り)に関する限り、伝統的なアドヴァイタ的ヴェーダーンタとマハルシの教えに何らの違いもありません。上で言及されたヴェーダーンタの顕著な特徴の大部分は、マハルシの作品の中に居場所を見つけます。現実とそれへ通じる道が、両者によって扱われています。それへの心理学的方法が受け入れられ、好まれ、自らとブラフマンの同一性(ブラフマートマイキャ・バーヴァ)は当然のこととされ、肯定的表現法と否定的表現法の両者が承認され、(時には)有神論的方法と(常に)非‐有神論的方法が導きとして指し示され、探求と委ねの方法が定められ、自らは「ハート」に存していると言われています。尊敬すべきグルと彼の恩寵は実現に不可欠であるとみなされます。しかし、この全ての類似性を認めても、両者の表現法や方法論はいくらかの点において異なります。ラマナ・マハルシのメッセージには、いくらかの相違と顕著な特徴があり、ある点でそれは独特のものです。「同じ実現(悟り)を表現するのに、他の方法で言い表わすことはできますか」という質問へ答えて、彼が言い表わすように、「実現した人は、彼自身の言葉を使います」(*31)

 彼の言葉づかいが独特であっただけでなく、彼の人格もまた独特でした。あるいは、彼の人格が独特であったために、彼の言葉づかいもまた独特であったのかもしれません。我々が彼の伝記や彼自身によって述べられる説明を読む時、彼が16才の時に死と直面した時、ジニャーニ、完全に実現した(悟った)人になったことを見出します。そして、彼は、「誰が死につつあるのか」、「私は誰か」と内に問い、「体は死ぬかもしれないが、『私』(が死ぬの)ではない」と決定的に悟りました。これは彼の中に完全な変容をもたらしました。死はもはや彼を脅かさず、生は新たな意味を獲得しました。このように、この全ては聖典の学習でも、グルの足下でのどのような規律やサーダナの結果でもありませんでした。質問が尋ねられた時はいつでも、彼自身の体験を拠り所として、内から自然と彼にやって来たものを答えとして言いました。そのために、彼の質問への答えと彼の作品の中で、彼はいつも「私」の本質を強調しました。

 それは彼のメッセージのキーワードです。精神的な幸福に本当に関心がある人にとって、彼のメッセージは単純明快です。それは形而上学、専門用語、激しい議論、論争、机上の学問という棘のある密林へ通じません。実際のところ、人は学んだことを忘れなければなりません。それはヴェーダーンタ的作品の中で言及される、ブラフマンへの探求のための四つの必須条件(サーダナ・チャトゥシュタヤ)(*32)にこだわりません。必要とされることは、「私は誰か」知りたいという燃えるような熱望です。実を言えば、あらゆる人が、子供でさえも「私」を知っています。それは我々の活動と知識全ての中心です。しかし、我々が持つ「私」についての知識は、表面的なものでしかありません。これが表面的なものであるなら、本当の知識とは何でしょうか。他の何についても思うことなく、人がそれを絶えず吟味するなら、より深く深くに進み、この「私」の背後、その源へ行き、表面的な「私」は抜け落ち、ハートの中で、我々の内に遍く行き渡る「私‐私」の意識が感じられます。これが本当の「私」であり、神、アートマン、ブラフマンなど(どんな名前を使うのであれ)として知られています。そのため、人は現実または神を探して遠くに行く必要はありません。それは我々の非常に近くにあり、愛しいものであり、我々のまさにハートに存しています。マハルシは、これに関連して、二人の「私」は存在しないと注意します。「私」はただ一人です。体との誤った関わりのため、本当の「私」は、自我‐アハンカーラとして知られる表面的な、もしくは、偽の私として感じられます。私‐アハムは神、真のアートマンですが、接尾辞の「カーラ」が意味するように、アハンカーラは作りものです。

 マハルシは我々のこの「私」を吟味し、それに集中し、それを超越するように求めます。この探求の助けとして、心を静めるために、彼は呼吸の制御、または、呼吸を見守ることを勧めます。この道は彼によって「探求の道」、ヴィチャーラまたはマールガナ・マールガと呼ばれています。それが我々を一直線に現実へ導くため、彼はまたそれを「真っ直ぐな道」とも呼びます。他の一切の道は、究極的に、この道に通じます。

  マハルシは、ヴェーダンタ的文献の中で勧められる瞑想とヴィチャーラの間の相違をこのように指摘します。「瞑想は瞑想する対象を必要としますが、ヴィチャーラ、または、内観では、対象を持たない主体だけが存在します。瞑想はこのようにヴィチャーラと異なります。ヴィチャーラは過程であり、目的でもあります。『私は在る』は目的であり、究極の現実です。この純粋な存在に努力してつかまることが、ヴィチャーラです。それが自発的で、自然になる時、それが実現(悟り)です」(*33)

 同様に、ヴィチャーラは、「私はブラフマンである」(*34)や「私はアートマンである」という瞑想とは異なります。後者は心によるものか、知的なものでしかありません。マハルシは、「私はブラフマンである」というウパニシャッド的格言を説明し、それは「私はブラフマンである」ではなく、ブラフマンが「私」として存在することを意味し、「私はブラフマンである」「私はブラフマンである」と思いふけるように勧められていると思われるべきでないと述べました。

 「アートマンが見られねばならない!」などのウパニシャッド的言明は人々に正しく理解されていないとシュリー・ラマナは言います。彼は、「それはアートマンに、『私』という本当の自覚に、完全にのみ込まれることを意味します」(*35)と説明します。

 ヴェーダーンタの中で言及される単なるヴィヴェーカだけでは自らの実現のために十分ではないと彼はさらに指摘します(*36)。それは離欲(ヴァイラーギャ)を生じるため、役立ちます。しかし、解放のために最も不可欠なものとは、「アートマニシター」-自らに住まうことです。分別(ヴィヴェーカ)は、我々を放棄する者にすることによって、見せかけ(アーバーサ)を束の間のものとして捨て去り、永遠の真理であり存在のみにしっかりつかまるよう駆り立てることによって、我々を一歩だけ前に導けます(*37)

 シャンカラに帰せられる、ヴェーダーンタの中で多く引用される言明、「ブラフマンは現実であるが、世界は非現実である」は頻繁に誤解されています。シュリー・ラマナはこれに関連して、「アドヴァティンやシャンカラの学派が世界の存在を否定したり、彼らがそれを非現実とみなすと言うことはまったく正しくありません。それどころか、彼らにとってそれは他の人々よりも現実的なのです。彼らの世界は常に存在しますが、他の学派の世界は起源・成長・衰退を持ち、それゆえに現実になりえません。ただ、彼らが言うことは、世界は世界として現実でないが、世界はブラフマンとして現実であるということです。全てはブラフマンであり、ブラフマン以外何も存在せず、世界はブラフマンとして現実です。シャンカラはマーヤーが存在しないと言います。マーヤーの実在を否定し、それをミティヤや、非実在と呼ぶ彼をマーヤー・ヴァーディと呼ぶことはできません」(*38)と言います。

 この全ては、ヴェーダーンタのなかで暗示されているものが、彼自身の実現(悟り)の観点から、彼によって明示され、詳説されているということを明確に示しています。彼はまた、ヴェーダーンタの中の古い概念や用語と彼が使った新しい概念や用語の区別を大胆に指摘しました。

 例えば、彼が自らの探求に関連して使った「フリダヤム」という言葉は、古いヨーガ的文献の中で使われる胸の(アナーハタ・)チャクラと異なります。それは左側の身体的なハート(心臓)とも異なります(*39)。「フリダヤム」(ハート)はハート(心臓)と呼ばれる身体的器官とは異なると彼は説明します。「フリダヤム」は「アヤム」と「フリット」の二語からなり、「これが中心である」を意味します。そのように、フリダヤムまたはハートは自らの表現であると言われています。胸部のその場所は、右側であり、左側ではありません。それは自らの座であるということもできますが、これはただ理解のためだけに言われています。自らはあらゆる場所にいて、それを位置づけるのは正しくありません。しかし、ただ我々が体の意識であるから、我々はそれをそのように説明しなければなりません。この「フリダヤム」は、古いヴェーダンタ的およびタントラ的文献の中の「フリダーカーシャ」と異なります。ダハラヴィドヤーやハールダヴィドヤーへの言及はすでになされていますが、カパリ・シャーストリは、『サッド・ダルシャナ・バシャヤ』への紹介の中で、ダハラヴィドヤーとシュリー・ラマナの「サッドヴィドヤー」の違いを指摘しています(*40)。前者においては、「瞑想の目的のために、人は想像力豊かな心によって、サグナ・ブラフマンまたは人格神の概念を形作らねばならず、それをフリド・グーハ、ハートの空洞と呼ばれる場所に据え、それに瞑想します。サッドヴィドヤーでは、人格神や非人格神いづれについての知性的な知識を持つことは不可欠ではなく、プルシャの特別な象徴や、プルシャの住まう場所としてどのような空洞を心に抱いたりする必要もありません。想像上のダハラ・アーカーシャ、ハート‐中心の空洞の中にサグナ・ブラフマンが据えられ、そこで瞑想されねばならないと勧められてもいません。遍く行き渡るブラフマンは、あらゆる人のハートの中の自らであり、不滅の私なる意識として光り輝き、自分自身の存在の起源であり支えの真剣な探求は、自然と生命力(生気)を駆り立て、もしくは、心を刺激し、それ自体の活動の起源に向けさせます。この自らの探求において、ハートの中の無知の結び目(フリダヤ‐グランティ)は緩められ、最終的には断ち切られます。人(魂)は身体的なもつれから解放され、その真実の境地を取り戻します。『私という思い』、または、自我意識の起源であり支えは、そのように、ハートの中で自分自身の自らとして実現されます」と彼は言います。

 シュリー・ラマナが強調した別のことは、ヴェーダーンタ的作品やシャンカラによってもまた言及されるように(*41)、人は深い眠りの中で自らの本質である至福を無意識に享受しているということです。あなたも私も、世界とその問題も、死も存在しません。自我は自らに溶け込んでいます。人々は眠りが無知であると言いますが、そうではありません。我々はこの教えを深い眠りから学ぶべきです。我々の本質の探求は、深い眠りの中の我々のこの体験で始まるべきです。

 シュリー・ラマナはこの道をマハー・ヨーガと呼びます。他のヨーガでは、ヴィヨーガ、つまり、神または自らからの分離が含意されます。はじめに、分離が当然のこととされ、それから、合一のための手段が勧められます。しかし、この真っ直ぐな道においては、我々は自らであるので、すでに自らとの合一が存在しています。我々は我々が自らであるとただ知らねばならないだけです。そのため、この道は他の一切のヨーガに勝っています。それはそれら全てを結びつけます(*42)。このマハー・ヨーガでは、すでに詳述されたように、自我の源の探求が存在し、その消滅に帰着します。マハルシは我々がすでに実現されていると強調します。重要であるのは、我々が実現されていないという偽りを取り除くことです。実現(悟り)は獲得されるべき新たな何ものでもありません。仮にそうであるなら、価値はないでしょう。その考えはヴェーダーンタ的ですが、マハルシはそれを非常に明示的に発展させました。

 伝統的ヴェーダーンタはスルティを固く信仰しており、それを権威あるものとみなしています。シャンカラはこの点をとても強調し、ウパニシャッドの中のこれらの優れた発言を熟考するよう我々に求めました。彼はこれをヒンドゥー教を復活させるという目的で行いました。しかし、シュリー・ラマナは、ヴェーダやヴェーダーンタへの彼の堅固な信仰にもかかわらず、それらに頼り、それらを熟考するように我々に求めません。宗教を持つかもしれない、あるいは、持たないかもしれない現代人のために、彼は「私は誰か」という探求を定め、それは机上の学問も、儀式を行うことも要求せず、極めて重大で、直接的な探求になりえます。「人は知恵の目によってその自らを知るべきです。自らは五つの覆いの内にありますが、書籍はそれらの外にあります」(*43) と彼は言いました。

 この道は、それへの盲目的信仰を持つように求めないため、現代人に魅力的です。人は自ら実験し、真理を確かめ、見出さねばなりません。そのように、それは完全に科学的で、理性的です。なぜなら、科学は、ただ誰それがそれを言うという理由だけで何も受け入れられるべきでないということを要求します。人の誤りえない体験が、ここでの真の導き手です。それはどのような教義、教説からも自由であり、形骸化した伝統に妨げられず、どのようなカースト、信条、(肌の)色にも制限されないため、それは普遍的であり、全ての人に向けられています。

 シュリー・ラマナは、探求の道をたどることができない人々に委ねの道を定めました。この道では、人はどのような外側の仲介者にではなく、自分の真の自らに、自分の思い、心配などを含めたあらゆるものを委ねばなりません。両方にとって自らにのみ込まれることが共通するため、マハルシはこれら両方の道が根本的には一つであると述べます。

 これらの道における困難は、人間の姿をとる必要のない尊敬すべきグルの導きと恩寵によって取り除かれます。真のグルは内におり、慈悲心から、探求者を導くために彼は人間の姿をとります。グルは体ではありません。グルの視点からは、師‐弟子の関係性は存在せず、弟子の視点からは、そのような関係性が存在します。グルとの内なる接触は、身体的接触より価値あるものです。

 行為と知識(ジニャーナ)に関して、シュリー・ラマナの考えはシャンカラのものとは異なるように見えます。彼は結果への望みを持たない無私の行為と神への委ねを勧めます。そのような行為は救いに通じます。行為と知識は相反しません。手は忙しいかもしれませんが、頭は穏やかで、冷静であり、自らに没頭しています。行為には感覚がないため、束縛も、解放もできません。「私が行っている」という概念が束縛です。人は自らの実現を得るために世捨て人になる必要はありません。家庭生活から離れ、森に隠遁する必要もありません。「私はサンニャーシンである」という思いも同様に有害です。我々がどこにいようとも、心を静めようと試み、自らの知に達することができます。この時代の人々にとって、そのような教えは非常に適し、価値あるものです。

 自分の実現(悟り)に照らして、彼はヴェーダーンタ的およびヨーガ的文献の中で多用される古い用語に新たな定義を与えました。
ディヤーナ-瞑想者、瞑想、瞑想対象という三つ組の存在しない、自らなる自然な無心の境地
ウパサーナ-瞑想時の(自らという)自然な(無努力の)境地
シュラバナ-ヴェーダーンタ的文献やグル自身の言葉を聞くこと、もしくは、私という思いの源が体などと異なると直観的に知ること
マナナ-自らの探求
ニディディヤーサナ-自らへの内在
プラーナーヤーマ-心によって呼吸を見守ること 
  • 呼気(吐く息)=私はこれではない(ナーハム)  
  • 吸気(吸う息)=私は誰か(コーハム)  
  • 呼吸の停止=私は彼である(ソーハム)
独居-心を静めること
   要約すれば、二つの道についての彼の洞察力に富む詳細な論じ方、ヴェーダーンタ的真理への彼の再解釈と拡充、理性的で科学的なアプローチを伴う、自らの知(ジニャーナ)への彼の独占的かつ包括的な強調と現代人の必要性への理解-彼の最高の聖なる悟りに由来する、この全ては、ヴェーダーンタ的神秘主義への彼独自の貢献を成しています(*44)

 これだけではなく、これらの真理を深く悟らせるために彼がとった方法も同様に独自のものでした。彼は沈黙を通じ雄弁に話しました。「沈黙は途切れのない言葉です」と彼は言いました。彼が話した時はいつでも、彼の答えは短く、実際は、しばしばユーモアに富み、質問者を内に向けるように意図されていました。それは真っ直ぐなアプローチでした。彼の独特の人格、彼の慈悲に満ちた射抜くような神聖な眼差し、とりわけ彼の沈黙は、探求者の心を落ち着ける影響を持ち、彼らの疑問や問題を晴らしました。

 彼の人生と作品を学ぶ人々にとって、ヴェーダーンタ的神秘主義だけでなく、世界の神秘主義への彼の多大な貢献は、比類ないものに映ります。

原注:
(*1)『Sri Ramana Gita』(1996) II, 9.
(*2)同上
(*3)同上
(*4)『ブリハダーランヤカ・ウパニシャッド』., IV. 4. 5 ; II. 5. 3.
(*5)『アイタレーヤ・ウパニシャッド』., V. 3
(*6)『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』., VI. 8. 7.
(*7)『ブリハダーランヤカ・ウパニシャッド』., II. 4. 1-4. IV. 5. 1.
(*8)『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』., VIII. 7. 1.
(*9)『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』., VI. 8. 7.
(*10)『マーンドゥーキャ・ウパニシャッド』., I. 1.
(*11)『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』., III. 14. 1.
(*12)『ブリハダーランヤカ・ウパニシャッド』., II. 4. 6.
(*13)『マーンドゥーキャ・ウパニシャッド』., II. 2. 11.
(*14)同上., V I I . 25. 2.
(*15)『ブリハダーランヤカ・ウパニシャッド』., III. 9. 26.
(*16)『カタ・ウパニシャッド』., II .1.
(*17)『ヴィヴェーカチューダーマニ』, 124.
(*18)同上
(*19)『プラボーダ・スダーカラ』, 13.
(*20)『バガヴァッド・ギーター』., XV . 4.
(*21)『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』., VIII. 1. 2. 3.
(*22)『バガヴァッド・ギーター』.,  XVIII . 61.
(*23)『カタ・ウパニシャッド』., II. 23.
(*24)『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』., VI. 23 ; 18, 14.
(*25)『マーンドゥーキャ・ウパニシャッド』., I. 2. 11.
(*26)『ケーナ・ウパニシャッドへのシャンカラの注釈』
(*27)『カタ・ウパニシャッド』., II. 9 ; 『マーンドゥーキャ・ウパニシャッド』., 1. 2. 12 ; 『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』., IV. 14. 2.
(*28)『バガヴァッド・ギーター』., XV . 38.
(*29)同上., XIII. 7.
(*30)同上., IV. 34.
(*31)『Talks with Sri Ramana Maharshi』, (1958) p. 182.
(*32)『ブラフマ・スートラへのシャンカラの注釈』, I. 1. 1.
(*33)『Thus Spake Ramana』, (1967) pp. 48-9.
(*34)同上., pp. 72-3.
(*35)『Sad Barsana Bhashya』, 23.
(*36)『Ramana Gita』, (1966) I, 5.
(*37)『Talks with Sri Ramana Maharshi』, (1958) p. 39.
(*38)『Thus Spake Ramana』, (1967) pp. 75-76.
(*39)『Ramana Gita』, (1966) V, 10.
(*40)『Sad Barsana Bhashya』: Introduction, p. 27.
(*41)『ブラフマ・スートラへのシャンカラの注釈』, II. 1. 6.
(*42)『Upadesa Sara』, (1965) 10.
(*43) 『Who am I?』, (1968) p. 10.
(*44) 『The Mountain Path』, January 1966, Editorial参照