2017年5月26日金曜日

フランク・ハンフリーズ- 初の西洋人信奉者となった神秘的な力を持つ警官

◇『ラマナ・ペリヤ・プラーナム(Ramana Periya Puranam)』、p64~66

フランク・ハンフリーズ

V.ガネーシャン

 ある日、一人の男性がヴィルーパークシャ洞窟にいるバガヴァーンに会いにやってきました。彼は一週間だけ滞在しました。その間に、彼はバガヴァーンを称える四つの歌を作り、歌いました。彼はヴェンカトラマ・アイヤルと名乗り、ティルヴァンナーマライに隣接する小さな村、サティヤマンガラム出身であると言いました。後に彼は五つ目の歌、有名な賛歌であるラマナ・サットグルを送りました。バガヴァーンが五つの歌を読んだとき、彼はその美しさに心打たれました。それ以来、タミル語を話す多くのバガヴァーンの信奉者らは、それらを歌い続けています。奇妙なことに、幾人かの古参の信奉者がヴェンカトラマ・アイヤルに会いに行ったとき、村の誰も彼について何も知りませんでした。後に信奉者らがこれについて話し合っていたとき、デーヴァラージャ・ムダリアールが「ヴィルーパークシャ洞窟にいるとき、バガヴァーンはアルナーチャラを称える五つの賛歌を記しました」と発言しました。これに対して、ムルガナールが答えました。「父なる(神)アルナーチャラは感謝の意を表したかったのです。それで、彼はヴェンカトラマ・アイヤルとして人間の姿でやってきて、バガヴァーンについての五つの歌を歌ったのです」(➡ SATURDAY – Sri Ramana Stuti Panchakam)。

 ラマナ・サットグルの詩節の一つは、バガヴァーンが何十億もの生命を解放へと導くために知恵の旗を掲げたと言明しています。十億とは何ですか。多くの0が後に続く1です。実際は何十億もの個々の自我である、存在しない一切の0を取り除くなら、残るものは1のみです。その1がアルナーチャラであり、その1がラマナであり、その1が本来の我々一人ひとりであるものです。我々が我々であると考える、ラム、ラヒームやロナルドたちではありません。

 ラマナーシュラマムで土曜日に歌われている「ラマナ・サットグル」

 バガヴァーンは我々本来の神聖な本質を我々に思い出させるためにやってきました。誰も彼の恩寵から除外されませんでした-男性であれ、女性であれ、獣であれ。今まで、彼の全ての信奉者はヒンドゥー教徒でした。今やその教えが国家や宗教という区分を超えて広がる時でした。そして、世界各地から探し求めにやってきた何千もの人々の信仰を妨げることなく、実際、それはまさしく広まったのです。

 フランク・ハンフリーズは若いイギリス人警察官であり、カトリック教徒でした。イングランドから転任し、彼はボンベイ、今のムンバイに到着しましたが、高い熱があり、病院に収容されざるを得ませんでした。

 神秘的な力を有する霊能者、ハンフリーズは、病院にいる間に彼が被っていた強烈な痛みから解放されるためにその力を使いました。彼はその時、彼が配属されていたティルヴァンナーマライ近くの町、ヴェールールにその微細身を移し、彼に地元のテルグ語を教えることになっていたナラシマイヤという人に会いました。後に、彼がヴェールールに到着したとき、ナラシマイヤは「私はあなたのテルグ語の家庭教師です」と言い、自己紹介しました。「知っています」とイギリス人は答えました。「どうして知っているのですか」と困惑した家庭教師は尋ねました。「あなたはボンベイを訪れたことは一度もありませんが、私はあなたに会っています。私はアストラル体で旅し、あなたに会いました」とハンフリーズは答えました。ナラシマイヤは多くの英国人の家庭教師をしましたが、その大部分は靈的な関心を持っていませんでした。この人は単に頭がおかしいだけだと彼は決めてかかりました。

 次にハンフリーズはナラシマイヤに頼みました。「私は英語でヒンドゥー天文学に関する本を読みたいと思っています。手伝ってくれますか」。ナラシマイヤはこれをまたしても馬鹿げた質問だと決めてかかり、無視しました。これを見て、ハンフリーズは続けました。「ここにマハートマーはいますか」(マハートマーは偉大な魂(人物)を意味します)。この最後の質問はナラシマイヤを驚愕させました。彼はハンフリーズを試してみたいと思いました。彼は何も返答することなく立ち去りました。翌日、彼は数多くの聖者、賢者の写真とともに戻り、ハンフリーズの部屋に行きました。そこで誰にも会わなかったので、彼は机の上に写真を残し、立ち去りました。彼が帰って来たとき、ハンフリーズも戻っていました。(写真の)山から一枚の写真を取り、彼は尋ねました。「ナラシマイヤ、この人があなたのグルですか」。彼はカーヴヤカンタ・カナパティ・ムニの写真を指し示していました。カーヴヤカンタは確かにナラシマイヤのグルでした。感激して、ナラシマイヤは、ハンフリーズは本物だ、そうでなければ、こんなにも多くの驚くべき偶然の一致はありないと結論づけました。ハンフリーズは、「昨晩、あなたのグルが私の夢に現れました。彼はベッドの中の私の隣に座り、私の理解できない言葉で何か言いました」と明らかにしました。これはナラシマイヤを確信させました。

 不運にもハンフリーズはすぐに病気にかかり、避暑地であるウーティに連れ行かれざるを得ませんでした。彼はそこに数か月滞在しました。彼が戻って来た時、彼はナラシマイヤに言いました。「昨晩、夢を見ました。私の言葉による描写をあなたは信じないかもしれないので、私が見たものを描こうと思います」。彼は山、山にある洞窟、洞窟のそばにある小さな滝、そして、そこに立つサードゥを描きました。それはヴィルーパークシャ洞窟とラマナ・マハルシの生き生きとした描写でした。ナラシマイヤは言葉を失いました。「この方は私の師の師です!」。今やハンフリーズについて完全に確信し、彼はハンフリーズをバガヴァーンのもとへ連れて行きたいと思いました。まず、彼はハンフリーズを当時ヴェールールにいたカーヴヤカンタ・ガナパティ・ムニに紹介しました。カーヴヤカンタは、ほんの21才なのにすでに警視だった、このイギリス人に会い驚きました。ティルヴァンナーマライで神智学協会の会議があり、カーヴヤカンタはそれに参加する予定でした。彼ら三人はティルヴァンナーマライに向けて出発しました。

 目的地に着くとすぐ、ハンフリーズは落ち着かなくなりました。彼は夢で見た聖者に会いたくなったのです。彼らはヴィルーパークシャ洞窟に行き、バガヴァーンの正面に腰を下ろしました。長い間、バガヴァーンはハンフリーズを凝視しました。これはハンフリーズがバガヴァーンとの最初の出会いについて書き留めたものです。「午後二時、我々は山を登り、彼に会いに行きました。ヴィルーパークシャ洞窟に着くとすぐ、我々は彼の前で彼の足元に座り、何も言いませんでした。半時間、私はマハルシの目を見つめました。その目は決して深い観想の表情を変えませんでした。私はその体が聖靈の寺院であることをいくぶん理解し始めました。この師の体は人ではないことを感じることができました。それは神の道具、座っている動かない死体に過ぎず、そこからは神が恐ろしいまでに輝いていました。私自身の気持ちは言い表せるものではありませんでした。マハルシはその威厳、柔和さ、自制心、信念の静かなる強さの表れにおいて筆舌に尽くしがたい人です。あなたは彼の微笑みより美しいものを想像できません。奇妙なことです。彼の面前にいたことは、何という変容を人にもたらすのでしょうか」。

 これがその若者の初めてのバガヴァーンの体験でした。後に、カーヴヤカンタは師に質問をしてはどうかと彼に提案しました。とても若く、情熱的であり、世界に奉仕したいと思っているハンフリーズは、直ちに同意しました。彼のまさにその最初の質問は、「師よ、私は世界を助けられますか」でした。バガヴァーン:「あなた自身を助けなさい。そうすれば、あなたは世界を助けるでしょう」。ハンフリーズ:「私は世界を助けたいのです。私は役に立たないのでしょうか」。バガヴァーン:「いいえ。あなた自身を助けることによって、あなたは世界を助けます。あなたは世界にいます。あなたは世界です。あなたは世界と異なりません。世界もあなたと異なりません」。少し間をおいて、ハンフリーズ:「師よ、シュリー・クリシュナやイエス・キリストが行ったのとちょうど同じように私は奇跡を起こせますか」。バガヴァーン:「彼らの内の誰かが、奇跡を行ったとき、奇跡を行っているのは自分であると感じましたか」。ハンフリーズ:「いいえ、師よ」。これはバガヴァーンが彼に与えた、彼がその神秘的な力と行為者性の感覚に心奪われるべきでないという最初のヒントでした。

 彼はヴェールールにあまり長くは留まることができませんでした。彼は戻れるときはいつでも戻り、熱い夏の太陽の下をオートバイに乗って50マイル旅しました。彼がヴィルーパークシャ洞窟に着いたとき、バガヴァーンが必ずも彼に尋ねた最初のことは、「ご飯を食べましたか。お腹が空いていませんか」でした。ハンフリーズはたいていお腹を空かせていました。バガヴァーンは直ちに食べ物を用意して、彼に与えました。バガヴァーンは西洋人がスプーンを使って食べることを知っていました。それで、彼はココナッツの殻でできたスプーンをハンフリーズのためにこしらえました。これはハンフリーズをさらにいっそう感激させました。ある時、ハンフリーズは食事を終えた後、まだお腹が空いていました。バガヴァーンは、「あなたはまだ空腹を感じていますね」と述べました。そのあとすぐ、バガヴァーンは彼にもっと食べ物を与えるよう誰かに頼みました。昼食後、焼けるような熱帯の熱気のおかげで、若いイングランド人はとても喉が渇いたと感じました。しかし、彼の持って生まれたイギリス人的慎みのため、彼は何も要求することができませんでした。これを知って、バガヴァーンは直ちに他の信奉者の一人を見て、「彼にレモネードをあげて下さい。とても喉が渇いています」と言いました。この全ては、バガヴァーンの愛は靈的な師としてのそれのみならず、子を育てる母のそれでもあることを彼に印象付けました。洞窟で、何度も彼は見ました-話しもせず、遊びもせず、安らかにただ座っている小さな子供たちを。彼は困惑しました。彼は子供たちがそんなにも静かに、そんなにも安らかに、そんなにも長い間座っているのを見たことがありませんでした。その真相は、子供たちもまたバガヴァーンの靈的な安らぎを感じることができ、同様の方法で応えていたということです。

 バガヴァーンはハンフリーズの神秘学への傾倒について知っており、彼を思い留まらせました。「全ての神秘的な力よりも優れたものを追求しなさい」と彼に言いました。「あなたの目的はそれより高くあるべきです。より高いだけでなく、最高のものであるべきです。最高のものとは、あなたが真理であると認識することです。この全ての神秘的な力はあなたを惑わすでしょう。捨て去りなさい!」。バガヴァーンはハンフリーズに神秘的な力を使うのをやめさせる手助けしました。ハンフリーズはとても力強い人でした。神秘的な力を獲得する能力があったのとちょうど同じように、彼はまた師の教えを実践する力もありました。彼がその天賦の才である神秘学を放棄した時、バガヴァーンは彼を自らの探求と委ねの教えでもって導き、内に進むよう彼に教えました。

 彼は手紙に師についての彼の描写を書き留め、イングランドの友人に送り、それは『国際霊能誌(The International Psychic Gazette)』に次のように掲載されました。「我々が見る現象は興味深く、驚くべきものです-しかし、全ての中で最も驚嘆すべきものを我々は理解していません。それは我々が見る全現象、および、それを見る行為の原因である、かの唯一無二の無限なる力です。生と死、現象の中のこれら全ての変わりゆく物事にあなたの注意を定めないように。それらを見る、つまり、それらを知覚するという実際の行為についてさえ思うことなく、これら全ての物事を見るそれ、その全ての原因となるもののみを思いなさい。最初、これはほとんど不可能なのように思えますが、次第にその結果が感じられるでしょう。それは長年にわたる学習と日々の修練を要しますが、そのようにして師は作られるのです。一日に15分割り当てなさい。見るそれに心を揺ぎなく定め続けるよう試みなさい。それはあなたの内にあります。その『それ』が心を簡単に定められる何か確固としたものであると分かることを期待しないように。そうではないでしょう。その『それ』を見つけるのに何年もかかりますが、この集中の結果は-あらゆる類の意識されない千里眼として、心の安らぎとして、問題事に対処する力として、全面的な力、常に意識されない力として-四・五か月後に速やかに現れるでしょう。師が親しい弟子に授けるのと同じ言葉で、私はこれらの教えをあなたに授けました。今より、瞑想の中でのあなたの全ての思いを、見る行為でなく、あなたが見るものでもなく、断固として見るそれに向けましょう」。

 なんという力強い教えでしょうか!この教えを授かるとは若きハンフリーズはなんと恵まれていたのでしょうか!ハートに打ち立てれてた後、ハンフリーズは全てのものを受け取りました。彼は仕事を処理し、その上瞑想にも従事することが困難であると気づきました。彼はバガヴァーンのもとに行き、バガヴァーンは彼にもう少し職に留まるよう助言しました(師はいつ人が完全に準備できているのか見分けられます。最上の料理人であるバガヴァーンは、もうしばらく彼を「調理」する必要がありました)。数か月後、彼は再びバガヴァーンのもとへやって来ました。今度は、バガヴァーンは、「もう行ってかまいません」と言いました。ハンフリーズは、「私はより良い、より深みのあるカトリック教徒として帰って来ました」と書き留めています。彼の中に矛盾はまるでありませんでした。

 しばらく後、彼は全ての俗事に背を向けて、修道院に入り、修道士になりました。ハートに打ち立てられた後、ヒンドゥー教徒もキリスト教徒もイスラム教徒もいませんでした。男性も女性もおらず、ただ純粋な存在のみありました-まさにイエスが一人の従者にそうなるよう望んだであろうように。

2017年5月15日月曜日

バガヴァーンの甥の息子、ガネーサンによる回顧録① - 神々しきラマナ

◇「山の道(Mountain Path)」、1982年7月、p193~196、Moment Remembered

 神々しきラマナ

 V.ガネーサン
 この寄稿に古参の信奉者たちとの会話から集められた公にされていない逸話を記録することは、共に探求する者たちに行われる奉仕であると私は考えます。私は各号に寄稿を続けたいと思います。 
 シュリー・バガヴァーンの恩寵によって私は、1956年以降ずっと、の古参の信奉者たちをお世話するという誇るに足る名誉と彼らの回顧談に耳を傾けるという莫大な利益を得ていました。これらの談話は決まった型にも年代順にも従いません。主要な目的は、折に触れ様々な信奉者から私が耳にしたことを志を同じくする友と共有することです。
    詩聖であり、シュリー・バガヴァーンの忠実なバクタ、シュリー・ムルガナールは、いつも喜んで熱心な探求者を手助けし、導いていました。彼は「ラマナ」という名前が挙がるだけでうっとりとしたものでしたが、しかしの教えのことになると彼は岩のように断固たるもので、揺るぎませんでした。彼の中に、人はバクティとジニャーナの完全な混合を見出しました。シュリー・バガヴァーンという人物に関する限り、彼はまったく盲目的に身を捧げ、「バガヴァーンの影」という名を博するほどでした!探求者を導き、バガヴァーンの教えを説き聞かせることにおいて、彼は厳格で、妥協しませんでした。

 かつて私が彼のもとへ行き、ヴィチャーラ・マールガに従うのは私にとって難しく、それゆえ、他のより簡単な方法を取り、成熟したそののちに探求の方法を試みるほうが良いと報告しました。彼はほとんど私に怒鳴らんばかりに、即座に返答しました。「それは全くの現実逃避です。バガヴァーンのもとに来て、の教えを知っているなら、自らの探求に身を投じるべきです。バガヴァーンに引き寄せられている者は、すでに直通路上にいます。バガヴァーンが他の方法を進めるとき、それはその質問者だけに向けられていて、あなたに向けらていません。バガヴァーンの道が、あなたに向けられた唯一の道です。のもとにやって来て、どうしてふらふらさ迷うのですか」。

 同じムルガナールは、彼の形彼の名の中の調べの魅力について私が数日後に彼に話しかけたとき、目に涙をあふれさせ、堰を切ったように話し出しました。「そう、そうです。バガヴァーンのそのものが我々にとって十分です。彼の姿は我々をに引き寄せ、ただ我々をの中に吸収することになります。彼の名は全てを包み込んでいます!彼の形は全てを焼き尽くします!」
 
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 プラバヴァティ・ラジェ王女は、結婚の直後、バガヴァーンからの祝福をいただきに夫を伴いやって来ました。彼女は二本の美しいバラの花輪を持ってきていて、彼女自身と夫がシュリー・バガヴァーンの首にかけたいと願いました。そのようなことは厳格に禁じられていました。それでも、その熱烈な愛情から、彼女はあくまでお願いし続け、長椅子に座るバガヴァーンに花輪を持って行きました。バガヴァーンは、花輪を拒みながら、「母の神殿にかけなさい」と提案しました。彼女はがっかりし、立ち去る前に、平伏しようとかがんだ時、長椅子に花輪をそっと置きました。彼女は立ち上がり、花輪を手に取り、泣きじゃくって講堂を去りました。しばらく後、シュリー・クンジュ・スワーミーが慰めるために遠くから彼女に驚くべき光景を見せました。バガヴァーンは長椅子の上の花輪から落ちた花びらを一枚一枚つまみ、ゆっくりとその口に次々と入れていたのです!クンジュ・スワーミーは王女に言いました。「御覧なさい!あなたはなんと幸運なのですか!あなたはバガヴァーンがバラの花輪を受け取らなかったとがっかりしていました。でも、今やあなたのバラはの食べ物として役立てられています。これが本当に受け取ったことではありませんか」。彼女ははなはだ満足し、苦悶の涙は歓喜の涙へと変わりました!

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 アーシュラムのイドゥリーはとても有名なため、何かまれな機会にイドゥリーはグジャラート州のサバルマティ・アーシュラムで出され、ガーンディーは「ラマナーシュラマム・イドゥリー!」と言ったものでした(「インドのナイチンゲール」、サロージニー・ナーイドゥは、しばらくバガヴァーンと共にいて、アーシュラムのイドゥリーをたいそう気に入ったため、それをガーンディーに説明していたのです!)。アーシュラムでイドゥリーがどのように作られるようになったのか思い起こすことは興味深いかもしれません。当時、バガヴァーンは朝とても早くに起床し、野菜を切り、時にはウップマの調理を手伝ったものでした。かつてローカンマルは、彼女の村、テンカシ近くのパッタクリチからかなり大量の最高品質のパーボイルド米を送りました。別の調理アシスタント、サンタンマは、半分ゆでた米の活用法を知らなかったため(アーシュラムでは生米のみが調理されています)、バガヴァーンと相談し、その日の朝食にイドゥリーをこしらえました。それは全ての人にたいそう気に入られました。その時以来、イドゥリーは主要な朝食になりました。今日でさえ、アーシュラムのイドゥリーは大きさ、柔らかさ、味において称賛を浴びており、その全ての功績ははローカンマ・パーティに帰せられるべきです!

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 「ティルヴァンナーマライで夏は10か月続く」は、アーシュラムの信奉者の間でのお気に入りの冗談でした!五月、六月の間、太陽は最も苛烈になります!言うなれば、大地全てが燃えます。バガヴァーンはその生涯で決して靴を使いませんでした。昼食の後、毎日、12時と1時半の間にはパラコットゥに歩いて行ったものでした。むき出しの砂の道を裸足で歩くことは不可能でしたが、バガヴァーンは、雨が激しく降っていても太陽がじりじり照り付けていても、歩くペースを決して変えませんでした。はゆっくりと歩きましたが、の後に従う付添人には「走って、走って。あの木の下に避難しなさい。上着を足の下において、しばらくその上に立ちなさい」と言ったものでした。付添人がそのようにするよう強く求める一方で、彼自身は着々とゆっくり歩いていました!

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 シュリー・バガヴァーンの信奉者、シュリー・シャンカラーナンダは、マドラスの郵便局に勤めていました。マントラ・ジャパを長い間修練した結果、彼はマノー・ラヤ、心の静止を達成しました。彼は全ての俗事に興味を失い、事務所でも家でも務めにもはや専念できませんでした。彼は四六時中ラヤ・サマーディにいました。6か月の休暇を取り、彼がバガヴァーンのもとへやって来たのは、この時期でした。彼はバガヴァーンと共に旧講堂に座り、すぐに一切の外的な意識を失いました。昼食の鐘が鳴った後でも、彼は動かずに座っていました。バガヴァーンはその足で軽く押すことで彼に意識を取り戻させ、彼を食堂に連れて行きました。

 マノー・ラヤ・サマーディは人を究極の真理に導こうとはしないため、バガヴァーンはシュリー・クンジュ・スワーミー、シュリー・ヴィシュヴァナータ・スワーミーなどにシャンカラーナンダを朝は寺院に、夕方はスンダラム池に連れて行き、彼を日中ずっとあれやこれやに従事させるよう頼み、そうして彼がラヤに逆戻りするのを妨げました。彼が眠りに圧倒されるまで、彼を日中目覚めさせておくというこの措置は何日も続きました。しばらく後、シュリー・バガヴァーンの恩寵によって、シャンカラーナンダは正常になりました。休暇の終わりに彼は家に戻り、普段どおりに生活を続け、昇進を勝ち取りもしました。

 マトゥルブーテーシュワラ寺院の建設のためのチーク材を手に入れるために、後にシュリー・ニランジャーナンダ・スワーミーをビルマに連れて行ったのは、このシャンカラーナンダでした。

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 夜でさえ、バガヴァーンは信奉者に囲まれていました。彼の長椅子の周り一面で、人々は眠ったものでした。犬もまたそうでした。

 アーシュラムの入居者、シュリー・ソーマスンダラム・スワーミーは、猿を追い払い、信奉者を妨害から救ったものでした。彼は他の信奉者とともに講堂で眠ったものでした。時々、真夜中に彼は夢の中で猿を追い払うことになっている妙な音を立てました。シュリー・ラーマクリシュナ・スワーミーは、「よし、よし!猿は立ち去りました。寝なさい」と言ったものでした。彼の心が夢に住まわないように、バガヴァーンはラーマクリシュナ・スワーミーに彼を起こすように言ったものでした。バガヴァーンは、人は夢をみることなく直接眠りに入るべきであり、同様に目覚めに関しては、目覚めの最初の衝動の直後に起き上がるべきだと言いました。

 バガヴァーンがかつて眠ったことがあるのか誰もわかりませんでした。朝の2時か3時に、バガヴァーンは長椅子の上で身を起こしていたものでした。眠っている間、バガヴァーンは決して誰も妨げようとはしませんでした。しかし、目覚めた後、誰かが再び眠ろうとするなら、バガヴァーンは、目覚めた後に眠りを延長し、夢に耽溺しないよう彼らに言ったものでした。は彼らを起こす合図を送るために彼らを杖でつつきました。バガヴァーンはまさしく信奉者の母親でした!

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 アルナーチャラへのシュリー・バガヴァーンの熱烈な信愛はよく知られていますが、次の事実を知る人はわずかです。バガヴァーンが新しいペンを手に入れたり、ペンに(インクを)充填したり、鉛筆をとがらせたりする時はいつも、ちゃんと書けているかどうか試すために紙切れに走り書きしたものでした。そのような機会にはいつも決まって、シュリー・バガヴァーンは(タミル語で)「アルナーチャラム」という言葉を記しました。

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 我々は過去の号の中で、シュリー・クンジュ・スワーミーのノートの中のシュリー・バガヴァーン自身によって描かれたアルナーチャラ山のスケッチを掲載しました。別の近しい付添人、シュリー・シヴァーナンダ・スワーミーが、ごく最近、バガヴァーンがアルナーチャラ山の絵を描いたノートを私に手渡しました。それを以下に複写します。