2015年12月13日日曜日

バガヴァーン・ラマナの唯一性 ② - ラマナにとって「マラナ」は吉兆である

◇「山の道(Mountain Path)」、1987年4月 p87~90

 バガヴァーン・シュリー・ラマナの唯一性 

 K.スブラマニアン博士 

  マハルシは楽しみに水を差す人ではありませんでした。彼は心地よいユーモア感覚を持っていました。彼の先生が彼に会いにティルヴァンナーマライにやって来た時、マハルシは彼の詩の一つを差し上げました。それに大変に感銘をうけた先生は、その作品の中の詩節について二つ質問を尋ねました。マハルシは他の人々に向けて、「見なさい!学校で質問に答えることを恐れて、私はマドゥライを離れました。彼は再び質問を尋ねにはるばるやって来ました!」と言いました。

 マハルシは並外れた倹約家でした。彼は詩節を記すために新聞の余白を使ったものでした。彼はあまりに多くの花や葉っぱを摘むことをプージャーのためでさえ誰にも許しませんでした。地面に一粒の米を目にした時でさえ、それを拾い、そのあるべき場所に置きました。かつて、腰布が破れた時、彼は近くの茂みに行き、とげを一本取り、それに穴をあけ、針として使いました。彼は破れた腰布から糸を取り、即興で作った針と糸で縫い合わせました。

 どのような詩のはじめにも、マンガラ・スローカ、祈願の詩節を記すことが通例です。作品が無事に完成するために、神の祝福が祈願されています。マンガラは、吉兆を意味します。普通、マンガラ・スローカは一つだけ記されます。マハルシはウッラドゥ・ナールパドゥ(40詩節)に二つのマンガラ・スローカを記しました。最初のものは、「在るそれ」を意味するウッラドゥという言葉で始まります。二つ目は、「死」を意味するマラナという言葉で始まります。最初のスローカは「在るそれ(That which is)」を扱い、二つ目は「存在しないもの(that which is not)」を扱っています。死という言葉は、一般的にアマンガラ、すなわち、「不吉」です。おそらく、マハルシはマンガラ・スローカの中でマラナを使用した最初の人です。なぜなら、彼に彼自身を実現させたのは死の体験であったからです。他の人々にとっての死は、体の死です。しかし、彼の死の体験は体の意識の死、自我の死に帰着しました。彼にとって、死は吉兆でした。それは彼の役に立ちました。マンガラ・スローカの中でそれについて記すことを彼が選んだのも、不思議なことではありません。興味深いことに、「マラナ」という言葉の中には「ラマナ」という言葉があります。我々がマラナについて思う時、ラマナについても思わなければなりません。それは死の恐怖を追い払います。

 マハルシについての他の並外れたことは、言葉によっても、手を掲げることによっても彼が人々を祝福しなかったことです。いつ我々がどのアーシュラムへ行こうとも、アーチャーリヤやグルが人々を祝福していたり、プラサーダムを授けていることに気づきます。バガヴァーンは誰をも祝福せず、またブラサーダムを少しも授けませんでした。彼は人々に来たり、去ったりするよう決して求めませんでした。彼は人々にあれやこれやをするよう決して求めませんでしたが、それでも人々は彼に会いに行きました。彼の面前で彼らが大変な安らぎを享受したからです。シュリー・バガヴァーンは他者の中に彼自身を見、彼自身の中に他者を見ました。それゆえ、祝福する者はおらず、祝福される者はいませんでした。彼はまた、彼は誰にとってもグルではなく、また、誰も彼の弟子ではないと言いました。純粋なアドヴァイタの境地において、他者は存在せず、それゆえに、グルとシシュヤの問題は生じません。彼はそう言っただけでなく、人生の毎秒毎秒をそのように生きました。彼はティルヴァンナーマライに54年間住みました。しかし、彼はどのように彼の遺体を扱うべきか、どこに埋葬すべきか誰にも指示しませんでした。彼の離欲は完全でした。

 シュリー・バガヴァーンは時間と空間を超えていましたが、彼は最も時間に正確でした。食堂の鐘が鳴った時はいつでも、たとえシュリー・バガヴァーンが何かを話していても、彼は急に(話を)中断したものでした。彼は誰も待たされていないことを願っていました。たいていの時、彼は沈黙していました。しかし、不断の言葉と彼が言った、彼の力強い沈黙を通して、彼は通じ合いました。このコミュニケーションは、アーシュラムにやって来た人々だけに、また、人間だけに限ったものではありませんでした。彼はモウナ、つまり、沈黙を通して一切の疑いを晴らしたシュリー・ダクシナームールティでした。沈黙とは、シュリー・バガヴァーンによれば、舌の沈黙ではなく、心の沈黙です。

 マハルシに何度か会ったダンカン・グリーンリーズは記します。「ただ居るだけで、そのように、それ(人(格))が属する無の深遠の中に人(格)を沈み込ませることを私に可能にする人を私は他に知らない。普通の人から心を奪い去り、無時間の遍在する存在の歓喜の中に深く沈められるほどに、その恩寵を放つ人間は他に見当たらない」。

 シュリー・バガヴァーンは、サマーディにいるとも、それから出ているとも決して言いませんでした。彼は自らから決して逸れることなく、常にその中にいました。彼はその境地の中に常に留まりながら、様々なことを行いました。彼は「アヴィチュタ・スティタプラジニャ」でした。サマーディは彼の自然な境地でした。

 少年時代と青年時代に、私は何度かマハルシのもとを訪れたことがあります。行くたびに、私は表現しえない安らぎを感じました。あらゆる渇望と疑問は、彼の面前で消え失せました。彼は私に来るようにとも、去るようにとも求めませんでした。彼は完全に自由であり、この自由を全てのものに与えました。しかし、彼のもとを離れるたびに、私は全くもって嫌々ながら彼のもとを離れました。私は王子や農夫が彼の前で平伏しているのを目にしました。彼は彼らを皆同じように扱いました。

 マハルシの人生と教えは不可分です。シュリー・バガヴァーンがマドラスを離れ、ティルヴァンナーマライに向かった時、彼の兄の大学の学費を払うために兄から渡されていた5ルピーの内の3ルピーだけを持っていきました。バガヴァーンは、マドゥライからティンディヴァナムまでの列車の運賃だと彼が思った額だけを取りました。彼はアルナーチャラにその身を完全に委ねており、アルナーチャラに全てのことを任せていました。我々ならば誰もが、仮に状況が好ましくないなら、家に帰るお金を持っていなければならないと考え、5ルピー全額を取ったでしょう。バガヴァーンには、アルナーチャラが彼を受け入れてくれないのではないかというわずかの疑念さえありませんでした。ティルヴァンナーマライに到着するとすぐに、シュリー・バガヴァーンは真っ直ぐ寺院に行き、到着を報告しました。その後、彼はアイヤンクラム貯水池に行き、キウラーのムトゥクリシュナ・バガヴァタールの妻が彼に差し上げたお菓子を捨てました。彼にティルヴァンナーマライの知り合いは誰もいませんでした。いつ、どこで次の食事を得るのか、そもそも得るのかどうか彼は知りませんでしたが、アルナーチャラにその身を完全に委ねており、アルナーチャラが必要なことを行うと感じていたので、それについて心配しませんでした。また、彼は腰布に必要である布の分だけドーティをちぎり、残りを捨てました。彼は余分のカウピーナに興味はなく、残りの布をタオルとして使うことも考えませんでした。彼は絶対的最小限をとりました。

 17歳の少年は躍進を遂げ、浮世の塵をふるい落としました。これがヴァイラーギャであり、これが隠遁であり、これが完全な委ねです。

 彼は自らの知を強調し、それへ向かう道として自らの探求を強調しました。自らの探求は難しいと言った人々には、マハルシは神への完全な委ねを提案しました。委ねた時、大抵の人々は、委ねたのだから、あらゆることが自分たちの望み通りに進むだろうと期待します。マハルシは、完全な委ねは良いことと悪いことを平静に受け入れることを当然伴うと言いました。そのような委ねにおいて、幸せや不幸せを感じる自我は存在しません。実際、完全な委ねにおいて、自我は自らに溶け込んでいます。自分自身の意思は存在しません。マハルシは宗教と儀式を超えていました。彼の教えは、最も簡素であり、最も科学的です。探求する者を探し求めなさい。あなたは誰か見出しなさい。あなたは至福です。しかし、あなたの苦しみは、あなたが自分自身を体と同一視するためです。万物の源は自らです。自らの探求を通して、あなたの心を自らに溶け込ませなさい。その時、あなたはこの世界で幸せに役目を果たすことができます。自我が自らの中に失われる時、自らはその全き光輝と栄光において輝きます。

 シュリー・ラマナ・マハルシは新しいことを何も言いませんでしたが、彼はアドヴァイタを生きました。ガーンディーは、気落ちしている誰にでもシュリー・ラマナーシュラマムに行き、精神的なバッテリーを充電するよう求めたものでした。世の中に嫌気がさした人にとって、マハルシは元気をつけさせる強壮剤です。彼は純粋な意識である自らへの道を指し示しています。宗教に関係なく、彼は全ての人の心に訴えかけます。家住者であれ、サンニャーシであれ、彼の方法は全ての人が修練できます。それはどのような類の儀式もなく、最も科学的で、直接的です。その人生とその教えを通して、自我に心動かさずにいる時(dead to ego)、人は自らに気付く(alive to Self)ということを確証しています。真理の探求者は、ティルヴァンナーマライのアーシュラムへ行きます。そこでは、彼の存命時と同じように力強く、今、彼の活気に満ちた存在が感じられます。

 『Der Weg Zum Seibst(自らへの道)』の中で、有名な心理学者、カール・ユングはマハルシについて語ります。「我々がシュリー・ラマナの人生と教えの中に見つけるものは、インドの中で最も純粋なものです。その息遣いは世界から解放され、世界を解放する人のものであり、それは千年王国の聖歌です。この歌はただ一つの偉大な主題の上に築き上げられ、色とりどりの千の反射において、インドの精神の内にそれ自身を若返らせます。そして、その最も新しい化身がシュリー・ラマナ・マハルシその人です。・・・シュリー・ラマナの人生と教えは、インド人だけでなく、西洋人にとっても重要です。それは非常に興味深い記録を形づくるだけでなく、無自覚と自制の喪失という混沌のなかに自らを見失う恐れのある人類にとって警告するメッセージでもあります」。

 実現(悟り)は、求められずに、シュリー・バガヴァーンのもとへやって来ました。彼が実現を得た時、彼はヴェーダ、ウパニシャッドなどの知識を持っていませんでした。彼はペリヤ・プラーナム、63人の聖典シヴァ派の聖者の人生に関するタミル語の著作だけを読んでいました。16歳の時に彼が死に真っ向から向き合った時、自らの知という宝物は彼のもとへやって来ました。大変な決意と驚くべき勇気を持って、彼は一人で死と向き合いました。その言葉の意味を知ることなく、彼はブラフマンを体験しました。我々は皆、(知識として)それについてたいそう知っていますが、(体験として)それを知りません。

 1950年4月14日、午後8時47分、マハルシは普遍的な精神(遍在する聖霊)に溶け込みました。流星が一つ、空を照らし、それは国の様々な場所で見られました。ティルヴァンナーマライのアーシュラムで、マハルシの存在は今でさえ力強く感じられます。彼を探し求める全ての人にとって、彼が以前にそうであったのと同じく今も、彼に気軽に会うことができます。彼は周辺のない中心になっています。

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