2012年11月24日土曜日

ヴィチャーラ・マールガとバクティ・マールガ - 神の必要性、信仰の喪失

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』 

46年3月22日  午後

 昨夜、ボーズ氏、彼の母親のC.V.ラーマン女史、ラーマクリシュナ・ミッションのスワーミー・サンブッダーナンダがここに到着しました。スワーミーは、千人に一人がタットヴァ、もしくは、実体を確かに知るのに成功すると述べている『バガヴァット・ギーター』からの1詩節を引用しました。しばらくの間、バガヴァーンは黙っていました。スワーミーが答えを求めた時、我々の中の何人かは、「あなたの質問は何ですか。どんな答えを期待しているのですか」と言わざるを得ませんでした。マサラワーラー博士は、はっきりと、「あなたのその質問の背後にある動機は何ですか」と尋ねさえしました。そこですぐに、スワーミーは、「私は我々のバガヴァーンが自らの実現を得たと思います。そのような人は歩くウパニシャッドです。それで、私は彼自身の口から、自らの実現の体験を聞きたいのです。あなた方みなはどうして口をはさみ、私の質問の要点と目的から我々の気をそらすのですか」と言いました。

 この後で、バガヴァーンは、「私が自らの実現を得たと思うとあなたは言います。あなたが自らの実現ということによって意味するものを私は知っているはずです。あなたはそれについてどのような考えを心に思っているのですか」と言いました。スワーミーはこの質問返しを快く思いませんでしたが、少し後で、「アートマンがパラマートマンに溶け込むことです」と言い足しました。

(以下では、読みやすくするために「~はこのように言った」などを省略し、対話形式で翻訳しています。)

バガヴァーン:
 我々はパラマートマンや普遍的な魂などについて知りません。我々は、我々が存在することを知っています。人は神の存在を疑うかもしれませんが、誰も自分が存在することを疑いません。ですから、人が自分自身の真理、もしくは、源を見つけ出すなら、それが必要とされる全てです。

スワーミー:
 それゆえに、バガヴァーンは「汝自身を知れ」と言います。

バガヴァーン:
 それさえも正確ではありません。というのも、我々が自らを知ることについて話すならば、二人の自らがいるはずです。一方は、知る自らで、他方は知られる自ら、そして知る過程です。我々が実現(悟り)と呼ぶ境地は、ただ自分自身であることであり、何かを知ることや、何かになることではありません。人が悟るなら、彼は在るそれのみであり、いつも存在しているそれのみです。彼はその境地を言い表せません。ただそれで在ることができるだけです。もちろん、適切な用語の不足のため、我々は大雑把に自らの実現(Self-realization)について話します。ただ現実であるだけのものを、どのように「現実化(real-ise)」、もしくは、現実にする(make real)のですか。我々みながしていることは、非現実であるものを「現実化」する、もしくは、現実とみなすことです。我々のこの癖が放棄されなければなりません。全ての思想体系の下の全てのサーダナは、この目的のためにのみあります。我々が非現実のものを現実とみなすことをやめる時、現実のみが残り、我々はそれであります。

スワーミー:
 その解説は、アドヴァイタに関しては結構なことです。しかし、トリプティス(知識の三つの要因)の消失を自らの実現のための条件として主張しない他の学派もあります。二つの実体や、三つの実体さえ信じている学派があります。たとえば、バクタがいます。バクティ(献身)を行うために神が存在しなければなりません。

バガヴァーン:
 人がそのような分離した神を必要とする限り、崇拝する神を持つことにいったい誰が反対するのですか。 バクティ(献身)を通じて彼は自分自身を高め、神のみが存在し、バクタである彼は重要でないと感じるようになります。彼は「私でなく、あなたです」、「私の意思でなく、あなたの意思です」と言う段階にやって来ます。バクティ・マールガで完全な委ねと呼ばれる、その段階に達する時、人は自我の消失が自らの達成であると気づきます。

 我々は二つの実体があるのか、それ以上あるのか、ただ一つだけなのか言い争う必要はありません。ドゥヴァイティス(*1)によってさえも、バクティ・マールガによっても、完全な委ねが定められています。それを最初に行い、ただ一つの自らのみが存在するのか、二つかそれ以上の実体があるのか、あなた自身で確かめなさい。

 様々な人の様々な能力に合わせて何が言われていようとも、実際は、自らの実現という境地はトリプティスを超えているに違いありません。自らは、ジニャーナやアジニャーナと断言できるものではありません。それは、アジニャーナとジニャーナを超えています。自らは、自らです。それについて言えることは、それが全てです。

 それから、スワーミーはジニャーニが自らの実現を達成した後、体と共に留まれるのか尋ねました。

スワーミー:
 自らの実現はとても力強いので、弱い身体は最長でも21日以上は耐えられないと言われています。

バガヴァーン:
 ジニャーニについてのあなたの考えは何ですか。彼は体ですか、それとも、他の何かですか。彼が体から離れている何かであるなら、どのように体によって影響を受けうるのですか。書籍は、(体を持たない)ヴィデーハ・ムクティや、(体を持つ)ジーヴァン・ムクティという様々な種類のムクティについて語ります。サーダナには様々な段階が存在するかもしれません。しかし、実現(悟り)において段階は存在しません。

スワーミー:
 自らの実現のための最良の手段は何ですか。

バガヴァーン:
 「私は存在する」は、全ての人が持つ唯一の永続的で、自明な経験です。他の何も「私は在る」より自明(プラトヤクシャ)ではありません。人々が「自明」と呼ぶもの、すなわち、感覚を通じて得る経験は、自明とはほど遠いのです。自らのみがそれです。プラトヤクシャは、自らの別名です。そのため、自らの検討を行い、「私は在る」であることが、唯一のなすべきことです。「私は在る」が現実です。私はこれそれであるは非現実です。「私は在る」が真理であり、自らの別名です。「私は神である」は真実でありません。

スワーミー:
 ウパニシャッドそのものに「私はブラフマンである」と記されています。

バガヴァーン:
 その聖句はそのように理解されるべきではありません。それは単に、「ブラフマンは『私』として存在する」を意味し、「私はブラフマンである」を意味していません。人が「私はブラフマンである」、「私はブラフマンである」と思いふけるように助言されていると思われるべきではありません。人が「私は人間である」、「私は人間である」と考え続けますか。彼はそれであり、彼が動物であるのか、木であるのかと疑問が生じたとき以外、「私は人間である」と断言する必要はありません。同じように、自ら自らであり、全ての物と全生命の中に、ブラフマンは「私は在る」として存在します。

スワーミー:
 バクタは彼がバクティ(献身)を行える神を必要とします。彼に唯一の自らのみがいて、崇拝する者と崇拝されるものはいないと教えるべきでしょうか。

バガヴァーン:
 もちろん、神はサーダナのために必要です。しかし、サーダナの目的は、バクティ・マールガにおいてさえ、完全な委ねの後にのみ得られます。自我の消滅がいつものようにある自らに帰着すること以外に、それは何を意味しますか。人がどのような道を選択しようとも、「私」は避けられません。それはニシュカーマ・カルマ(*2)をなす「私」であり、それが分離したと感じる神との合一に思い焦がれる「私」であり、それ自身の本質から滑り落ちたと感じる「私」などです。この「私」の源が探し出されなければなりません。その時、一切の疑問は解消されます。『バガヴァット・ギーター』の中では全ての道が是認されていますが、そこにはジニャーニが最良のカルマ・ヨーギ、最良の信奉者(バクタ)、最高のヨーギなどであると記されています。

スワーミー:
 自らの検討がなすべき最良のことであると言うのは結構なことです。しかし、実際には、大部分の人にとって神が必要であると我々は気づきます。

バガヴァーン:
 もちろん、神は大部分の人にとって必要です。彼らと神が異なっていないと見出すまで、彼らは神と共に進むことができます。

スワーミー:
 実際の修練において、真摯なサーダカでさえ、ときどき落胆し、神への信仰を失います。どのようにして彼らの信仰を取り戻すべきしょうか。彼らのために私たちは何をすべきでしょうか。

バガヴァーン:
 人が神を信じられないなら、それは構いません。彼は彼自身、彼自身の存在を信じていると思います。彼がやって来た、その源を彼に見出させましょう。

スワーミー:
 そのような人は、「私がやって来たその源は、私の両親です」と言うだけです。

バガヴァーン:
 すでにあなたが「彼はサーダカである」と言ってこの(話の)流れを始めたので、彼はそのような無知な者ではあるはずがありません。

(*1)ドゥヴァイティス・・・マドヴァチャーリヤにより説かれた神と個々人が分離した実体であるとするヴェーダーンタの学派のドゥヴァイタ(二元論)を信仰する人々。
(*2)ニシュカーマ・カルマ・・・「無欲の行い」

2012年11月22日木曜日

バガヴァーン・ラマナ・マハルシの死の体験 - 新たなる命への目覚め

◇「バガヴァーンの死の体験(Bhagavan's death experience)」

 以下は、デイヴィッド・ゴッドマン氏のブログの投稿「Bhagavan's death experience(*1)の翻訳です。投稿された記事は、もともとは1981年4月号の「Mountain Path」に掲載された文章のようです。(文:shiba)

デイヴィッド・ゴッドマン氏の解説

 バガヴァーンの実現(悟り)についての最も詳細な記述は、B.V.ナラシンハ・スワーミーの伝記『Self Realization』に見出されます。それは初めて書かれた本格的な伝記であり、その後の記述はそれをそのまま引用するか、その内容をまとめるのであれ、彼の説明に大きく依拠しています。その本の記述はバガヴァーンの言葉を直接的に写し取ったものでなく、著者はその本のほとんどの版にある脚注でそれを明らかにしています。彼は1930年の6週間にわたりバガヴァーンと交わした一連の会話を彼自身の言葉で要約していただけであると言いました。以下の記述には、彼の最終的な記述がもとにした二つの対話が現れます。それらは未だ存在している会話の唯一の記録ですが、幸いにも体験の知られている全ての側面に及んでいて、それよりいっそう価値のある資料が失われていることはなさそうです。最初の対話は1930年1月8日に行われ、次の対話は数週間後の2月5日に行われました。

 この記述には、出版されたバージョンには記載されていない二つの重要な点があります。一つ目は、バガヴァーンがアーヴェーサム(*2)という言葉を繰り返し使い、彼の体験の最初の認識を説明していることです。その言葉はタミル語で霊に乗っ取られるという意味における「憑依」を意味します。最初の数週間は、バガヴァーンは彼の体に居を定めた霊に乗っ取られているように感じました。二つ目の関連する点は、その感覚が彼が家を離れるすぐ前まで続いたということです。アーヴェーサムが自らであり、彼の体に住む何らかの外的存在でなかったという彼の発見は、家を去るという彼の決断に寄与する要因であったかもしれません。

 この記述はバガヴァーンの言葉から作られていて、訳者の文体と好みの用語の強い痕跡は見られますが、すべての出版された伝記に記載されている説明よりいっそう正確なものです。

バガヴァーンとの対話① 

 死の恐怖は、私がマドゥライを永遠に離れる約6週間前に起こりました。それは、ある日の短い時間だけに起こりました。その時、突然の気持ちの高ぶりがありました。それは大さっぱに「熱」と言えるかもしれませんが、体に高い熱があったのかははっきりとせず、発汗もありませんでした。何らかのアーヴェーサム、何らかの霊が私に取り憑いたかのようでした。そのことは私の心の態度と習慣を変えました。以前、私には食べ物の好みがあり、他人への嫌悪がありました。この傾向は抜け落ち、すべての食べ物は、新鮮なものでも腐っているものでも、おいしいものでもまずいものでも、等しく無関心に飲み込まれました。勉強と義務は私にとってまるでどうでもよくなり、見ている人に私が読んでいると思わせるためだけに機械的にページをめくって勉強をやり過ごしました。実際のところ、私の注意は本には全く向けられず、結果、その内容を全く理解していませんでした。同じように、いつもこのアーヴェーサムに取りつかれて、つまり、私の心はそれらの義務にはなく、私自身の自らに魅了されている状態で、その他の社会的義務を行いました。全ての侮辱を謙虚と寛容を持って忍耐しながら、私は家で課される全ての重荷に耐えました。自らへの関心と自らへの内観が、定期的に他の一切の感覚と興味を飲み込みました。

 その恐怖は最初の日、つまり、目覚めた日だけにありました。突然、死の恐怖が起こり、それは外的な物事への無関心を発達させただけではありませんでした。それにより、二つの新しい習慣がはじまりました。一つ目は内観、つまり、絶え間なく私の自らへ注意を向ける習慣、二つ目はマドゥライの寺院を訪れる時に感じ入って涙を流す習慣です。その変化のまさに最初の日に、「私は誰か」という実際の探求と発見は終わりました。その時、直観的に私は息を止め、私自身の本質への探求によって考え始める、もしくは、内に潜り始めました。

 「この体は死につつある」-粗大な物質的な体を指して、私は心の中で思いました。私は人間の中にスークシュマ・シャリーラ(微細な体)があるのを知りませんでした。心のことさえ考えませんでした。体という言葉を使った時、私は粗大な物質的な体について考え、それが死に硬直する時(これをじっと考えながら、2階で死後硬直した死体のように大の字に伸びた時、実際に体が硬直したようでした)、は死んでいないという結論に達しました。それとは逆に、私は生きていて、存在しているのを意識していました。それで、私の中に「この『私』は何だったのか。それはこの体だったのか。誰が彼自身を『私』と呼んだのか」という疑問が起こりました。

 それで、「私」や他のどのような言葉も発しまいと決心して、私は口を閉じました。依然として私自身の内に感じました-「私」はそこにある、それ自体を「私」と呼んだり、感じるものがそこにあると。それは何だったのでしょうか。私は、「体を利用している力、流れ、もしくは、エネルギーの中心があり、体と関係して存在しているが、体の硬直や活動にかかわらず存続している」と感じました。その流れ、力、もしくは、中心こそが私の自らを形作っており、私を行為させ、行動させ続けたものでしたが、それを知るようになったのは初めてでした。私はそれ以前に私の自らをまるで知りませんでした。その時以来、私はその流れへの観想に夢中になって時を過ごしていました。

 (先に述べたように、6週間の最初の日、新たな命への目覚めの日に)いったん私がこの結論に達すると、死の恐怖は抜け落ちました。それは私の思いの中に居場所がありませんでした。「私」は微細な流れであり、恐れるべき死を持ちませんでした。そのように、さらなる発達や活動はその新しい命から起こっていて、いかなる恐怖からでもありませんでした。その当時、その流れと人格神、すなわち、私がよく彼を呼ぶところのイーシュワラとの同一性を私は知りませんでした。非人格的な絶対者であるブラフマンに関して、その時、私は知りませんでした。その時、私はその名前を聞いたことさえありませんでした。『ペリヤ・プラーナム(*3)』と聖書の授業での聖書からの4つの福音書と詩編を除き、私は『バガヴァッド・ギーター』やその他の宗教書を読んでいませんでした。ヴィヴェーカーナンダ(Vivekananda)のシカゴでの講演の写しを見たことはありましたが、読んではいませんでした。彼の名前さえ正しく発音できませんでした。私はそれを「Vyvekananda」と発音し、「i」に「y」の音を与えていました。一般に知られている神の概念-が無限に力に満ちた人であり、を象徴する形において特別な場所で崇拝されているが、あらゆる所に存在している-を除いて、宗教哲学の概念を私は何も知りませんでした。聖書と『ペリヤ・プラーナム』から得た他の類似したいくつかの考えに加え、私はそれを知っていました。後に、私がアルナーチャラの寺院にいる時に、私自身とブラフマンとの同一性について学び、それは私が『リビュ・ギーター』で全ての基礎になるものと聞いたものでした。私は全てが私によってではなく、その流れによってなされていると感じていただけでした。それは私が別れの短い手紙を書き、家を離れて以来ずっと私が持っていた感覚でした。私はその流れを狭い「私」とみなすのをやめました。その流れ、もしくは、「アーヴェーサム」は付け加えられたものではなく、今や私の自らであるかのように感じられました。

 その目覚めは、一方で、私に「私の自らとは流れ、もしくは、力であり、私が何をしようともその中に私は永遠に吸収されている」という連続した認識や感覚を私に与え、他方で、その憑依は(マドゥライの)ミーナークシ・スンダレーサ寺院へ私を頻繁に導きました。以前、私は友人と共にときおり寺院を訪れたものでしたが、その時は目立った感情的な効果をもたらさず、まして習慣の変化もありませんでした。しかし、目覚めの後、私はほとんど毎晩そこに行き、その取り憑かれた状態でシヴァ、ナタラージャ、ミーナークシ(*4)や63人の聖者の前に行き、長いあいだ一人で立っていました。私はすすり泣き、涙を流し、感動して震えました。いつもは特に何かを求めて祈らないのですが、よく私は・・・を望み、祈りました。

デイヴィッド・ゴッドマン氏の解説

 この原稿の残りは失われていますが、数週間後の1930年の2月5日に、ナラシンハ・スワーミーは同じ話題に関して彼に質問しており、バガヴァーンは以下のような答えを与えました。

バガヴァーンとの対話②

  1896年のその6週間に私をマドゥライの寺院に連れて行ったのは、死の恐怖ではありませんでした。私が叔父の家の2階にいた時の短い間、その恐怖は私を捕らえ、あのアーヴェーサム、もしくは、流れを生じさせました。取り憑かれたことは、私を内観的にし、私に私自身の本質を絶え間なくのぞかせ、また寺院へ私を運び、苦しみや喜びやその他の理由もなく私をすすり泣かせ、涙をながさせ、それはまた「私が63人の聖者のようになりますように」、「私がイーシュワラの祝福や恩寵を得ますように」と祈らせました。それは一般的な祝福であり、特に何かをはっきり言ったり、望んだりはしませんでした。その時、私は思いも死の恐怖もなく、死からの解放を願って祈りませんでした。その6週間の前もその6週間も、私は地上の生が苦しみに満ちているとは思わず、サンサーラ、つまり、人間の生からの解放への熱望も祈りもありませんでした。この場所にやって来て、本を読んではじめて、サンサーラとバンダ(束縛)についての全ての考えや話を学びました。私は生が悲哀で満ちていたり、その生が望ましくないという考えを一度も抱きませんでした。

 そのアーヴェーサムはちょうど今まで続いています。聖典の言葉を読んだ後、それがスッダ・マナス(純粋な心)、アカンダーカーラ・ヴリッティ(*5)(途切れることのない体験)、プラジニャー(真の知)など、すなわち、イーシュワラやジニャーニの心の状態と名付けられうるのが分かりました。

質問:
 違いの認識や、「私が63人の聖者のようになり、イーシュワラの恩寵を得ますように」という祈りがどうしてあったのでしょうか。

バガヴァーン:
 途切れることのない(アカンダーカーラ)流れがそれらと戯れていて、その望みにもかかわらず、依然として存続していました。

(*1)http://sri-ramana-maharshi.blogspot.jp/2008/05/bhagavans-death-experience.html
(*2)アーヴェーサム・・・タミル語のஆவேசம்。霊に取り憑かれること。
(*3)ぺリヤ・プラーナム・・・63人のシヴァ派の権威ある詩人の伝説上の人生をしるしたタミル語の詩的な物語。セッキザールによって12世紀に編纂された。
(*4)ミーナークシ・・・http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/minaksi.html
(*5)アカンダーカーラ・ヴリッティ・・・ヴリッティは「体験」と訳されていますが、もとは「心の働き、思い」という意味です。バガヴァーンは、ヴリッティという言葉はそれを表わす適切な言葉がないから使われているだけであって、海に流れ出た川を「海のような川」というようなものであると述べています。

1902年に撮影されたシュリー・ラマナの最初期の写真

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』(p2~3、p47~48:前略)

45年3月18日

 45年3月15日ごろ、どのように官能的な生活に完全に浸っていた者が、突然、嫌気を感じ、非常に敬虔な生活という全く正反対の行動をとったのかトゥルシー・ダースの物語から説明するために、バガヴァーンは講堂にいる誰かにバクタ・ヴィジャヤム(*1を朗読するよう頼みました。物語の中で、トゥルシー・ダースは妻と家から逃げ出し、バナーラスでハリ(*2)に夢中でした。妻と母親は彼に戻ってくるよう懇願しに行き、彼女たち皆への彼の大変な愛情を彼に思い出させました。彼は彼女たちに全く見向きもしませんでしたが、「私のハリは来ましたか。ええ、彼はそこに来ます!」などと彼女たちに尋ねました。彼はハリだけに夢中で、他の何にも興味がありませんでした。この部分が読み上げられていた時、バガヴァーンは言いました。「マドゥラで、私は若干このようでした。学校に行き、本を手にし、空に神が突然私の前に現れることを熱心に待ち望んでいたものでした。そうして、私はよく空を見上げていたものでした。そのような者が学校の勉強でどの様な進歩ができたでしょうか!」

 [これは彼がマドゥラを離れる少し前のようでした。彼がマドゥラでそのように神に夢中であったことを、バガヴァーンからも他の人々からも、私は以前に聞いたことがありませんでした。そのため、私はそれをここに書き留めました。]

(*1)http://www.sriramanamaharshi.org/resource_centre/audio/maha-bhakta-vijayam/
(*2)ハリ・・・ヴィシュヌの別名。『シュリーマッド・ヴァーガタム』では、主ナーラーヤナはハリとよく呼ばれており、信奉者の全ての苦しみを取り去り、束縛を破壊し、解放を授ける。

45年11月22日 朝

 遅めの朝、リシケーシャーナンダの要望で、バガヴァーンはマドゥライの2階の彼の部屋での最初の自らの体験を物語りました。

 「私が手足を広げて横たわり、心の中で死の場面を演じ、体が運ばれ、火葬されても、私が生きていることを悟った時、何らかの力が-それをアートマンの力か何かと呼ぶのであれ-私の内から起こり、私に取りつきました。それにより、私は生まれ変わり、新たな人間となりました。その後、私は全てに無関心になり、好きなものも、嫌いなものもなくなりました。」

 シュリニヴァーサ・ラオ医師が、どのようにバガヴァーンが初めてバクティを持つようになったのか尋ねました。

 「私の中に初めてバクティを引き起こしたものは、『ペリヤ・プラーナム』という本でした。それは私の家で見つけたもので、隣人の持ちものでした。私はそれを最後まで読みました。しかしながら、寺院に毎日行き、『ペリヤ・プラーナム』の63人の聖者(ナーヤンマール)の一人のように身を捧げたいと祈ったのは、上で説明した体験の後にのみ起こったことでした。

2012年11月14日水曜日

ブッダについて - 神についての沈黙、八正道、ニルヴァーナ、無執着

◇『Maharshi’s Gospel -The Teachings of Sri Ramana Maharshi』 2009年15版、p42後略

第2部 第2章 サーダナと恩寵 

弟子:
 神に関する研究は、はるか昔から続いています。最終的な結論は言われているのでしょうか。

マハルシ:
 (しばらく沈黙を守る。)

弟子:
 (困惑して)シュリー・バガヴァーンの沈黙を私の質問への返答とみなすべきでしょうか。

マハルシ:
 ええ。マウナ(*1)は、イーシュワラ・スワルーパ(*2)です。それゆえ、聖句には次のようにあります。

至高なるブラフマンの真理は、沈黙の雄弁(*3)を通じて、表明された

弟子:
 ブッダは神についてのそのような質問を無視したと言われています。

マハルシ:
 そして、そのために、彼はシューニャ・ヴァーディン(虚無主義者)(*4)と呼ばれました。実際には、彼は神などについての学術的な議論よりも、探求者に今ここで無上の喜びを実現するように指導することに関心を持っていました。

(*1)マウナ・・・サンスクリット語。「沈黙、静寂」。
(*2)イーシュワラ・スワルーパ・・・サンスクリット語。「神の本質」。
(*3)沈黙の雄弁・・・「silent eloquence」の訳、「静かなる雄弁」とも訳せます。
(*4)シューニャ・ヴァーディン・・・無神論者、神や究極的現実の存在を否定する者。

◇『自覚的不死(Conscious Immortality)』(第五版)、p193

第二十一章 西洋および東洋の思想家

 ブッダは実体の存在を否定したという理由で、無神論者であると不当に非難されてきました。自らでもでもあることは真実です。物質として、それはあらゆる形ですが、物質が生じるところの抽象的な自らとして、それはです。物質は相対的に現実、限定された意味において現実です。なぜなら、その起源は現実そのものであるからです。

プラジニャーパーラミター・フリダヤ・スートラ(ハート・スートラ、般若心経)、楽曲:Imee Oii

◇『シュリー・ラマナ・マハルシとの対話(Talks with Sri Ramana Maharshi)』 

Talk.20 (抜粋)

信奉者:
 ブッダは誰も迷うことがないように八正道を最良であるとして勧めています。

マハルシ:
 ええ。そういったものがヒンドゥー教徒にはラージャ・ヨーガと呼ばれています。

Talk.176 (抜粋)

信奉者:
 ブッダのニルヴァーナとは何ですか。

マハルシ:
 個人性の喪失です。

信奉者:
 私はその喪失を恐れています。ニルヴァーナの中に人間の意識は存在しうるのでしょうか。

マハルシ:
 その場合、二人の自分がいるのですか。あなたの目下の眠りの経験をよく考えて、言いなさい。

Talk.273 (前略)

信奉者:
 ブッダは、自我が存在するのか尋ねられた時、沈黙していました。自我が存在しないのか尋ねられた時、彼は沈黙していました。神が存在するのか尋ねられた時、彼は沈黙していました。神が存在しないのか尋ねられた時、彼は沈黙していました。沈黙がそれら全てへの彼の答えでした。マハーヤーナとヒナヤーナの学派は共に彼の沈黙を誤って解釈しています。なぜなら、彼らは彼が無神論者であると言うからです。彼が無神論者であるなら、なぜ彼はニルヴァーナについて、誕生と死について、カルマ、輪廻転生、ダルマについて語るべきだったのですか。彼の解釈者は間違っています。そうではありませんか。

マハルシ:
 その通りです。

慈しみの歌、楽曲:Imee Oii

◇『シュリー・ラマナーシュラマムからの手紙(Letters from Sri Ramanasramam)』 

1947年5月19日
(118)どこに王がいて、どこに王国があるのか  

 「その全てはいつのことでしたか」とシヴァナンダムが尋ねました。「それは我々がヴィルーパークシャ洞窟にいた頃でした。実際に、ナーヤナ(*1)は建てられる予定の都市の計画を紙に書き上げました。その計画では、特別な場所が私に割り当てられました。その後、彼は帝国の統治のために適当な計画を書いたものでした。王はなく、王国もありません-しかしながら、計画は準備されていました。多くの計画がそのように準備されました。どこに王がいたのでしょうか。どこに王国があったのでしょうか」とバガヴァーンは尋ねました。ナーヤナの弟子であるスッバ・ラオは言いました。「どうして王がいなかったのですか。彼は我々の真向かいにいます。ただ、この王は腰布を身につけいているだけです。何が不足していますか。山の周りに家々は建てられていませんか。王の宮殿のように、バガヴァーンが座る場所がありませんか。王の一家のように、全ての統治がここで行われています。ただ、一般的な王国とこの(王国)には、いくらか違いがあるだけです。それだけです」。

 バガヴァーンは言いました。「それは結構なことです。ナーヤナはまた、マハーラージャ(*2)とマハージニャーニの地位は同じであるとよく言っていました。占星術師が、タターガタ(*3)(ブッダ)が帝王か、もしくは、サンニャーシになると予言したとき、彼の父親は彼がどこへ出て行こうとするのも妨げ、彼を宮殿にとどめ、宮殿の楽しみと贅沢に関心を持たせようとできるだけのことをしました。ついに、彼がどうにかして何かにかこつけて外に出たとき、世の人々の全ての苦しみを見ました。それで、彼は逃げ出し、サンニャーサ(遊行期)に入りました。物質的または精神的な帝国、二つの内の一つに」。

(*1)ナーヤナ・・・シュリー・バガヴァーンの信奉者、ガナパティ・ムニの愛称。テルグ語で「お父さん」という意味。
(*2)マハーラージャ・・・サンスクリット語。「偉大なる王」。
(*3)タターガタ・・・パーリ語もしくはサンスクリット語。ブッダが自分のことを指し示すときにつかう言葉。「そのように行った(来た)者」を意味すると考えられている。解釈は様々。

1947年12月5日 
(164)無執着の偉大さ 

 昨日、何かの会話の間に、バガヴァーンが無執着(ヴァイラーギャ)の偉大さを話していたとき、私はテルグ語の『ヴァーガヴァタム(*1)』の中の第2編のスカ・ヨーギについての話で、無執着についての良い詩節があり、達成の道を説明していると言いました。バガヴァーンの要望により、私はその詩節を読み上げました。以下がその翻訳です。

地上に横たわるための良い場所はないのか
どうして綿の寝具が(いるのか)
自然が与えた両手がないのか
どうして飲食のための様々な道具すべてが(いるのか)
着るための繊維の布、鹿の皮、クシャ草がないのか
どうして様々な種類の上等な布が(いるのか)
住むための洞窟がないのか
どうしてこれらの家々と館が(いるのか)
木々はみずみずしい果物を実らせないのか
川は甘美な水を与えないのか
善良な妻たちは施し物を与えないのか
それでは、どうして富のために盲目になり、驕った者たちに仕えるのか

 それを大いに関心を持って聞き、バガヴァーンは力強く言いました。「その通りです。この国のこの地域で、古典作家の一人がほとんど同じようなことを書いています。『おお、主よ。あなたは頭の下の枕として使う手を、腰を覆うための布を、食べ物を食べるための両手を与えました。私にはそれ以上何が必要でしょうか。これは私の大変な幸運です!』それがその詩節の趣旨です。いったい、それがどれほど大変な幸運か言うことができますか。最も偉大な王たちでさえそのような幸福を望みます。それに匹敵するものは何もありません。これらの状態を両方とも経験して、私はこれとそれの間の違いを知っています。私の周りのこれらのベッド、ソファー、品物-この全ては束縛です」。

 「ブッダはその例ではありませんか」と私は言いました。

 バガヴァーンは言いました。「ええ。彼がありうるだけのぜいたく品と共に宮殿にいた時、彼はまだ悲しんでいました。彼の悲しみを取り除くため、彼の父親は今まで以上のぜいたく品を作りました。しかし、そのどれもブッダを満足させませんでした。真夜中に、彼は妻と子供をおいて姿を消しました。彼は大変な苦行に6年間とどまり、自らを悟り、世界の福利のため、乞食する者(ビクシュ)となりました。乞食する者になってはじめて、彼は偉大なる至福を楽しみました。実際、彼はそれ以上何を必要としましたか」。

 「乞食する者の身なりで、彼は自分の(住んでいた)都市にやってきたのではなかったですか」とある信奉者が尋ねました。

 「ええ、そうです。彼がやって来ているのを耳にして、彼の父親のスッドーダナは、大通りで彼を迎えるために、王にふさわしい象を飾りつけ、全軍を率いて出かけました。しかし、大通りに立ち寄ることなく、ブッダはわき道や小道を来ました。施しものを求めて、彼は近しい仲間を様々な通りに送りましたが、彼自身は乞食する者の装いで別の道を通って父親のもとへ行きました。どうして父親に息子がその装いでやってきたのが分かるでしょうか!しかしながら、ヤショーダラー(ブッダの妻)は彼だと分かり、父の前に息子を平伏させ、彼女自身も平伏しました。そのあと、父親もブッダだと分かりました。しかしながら、スッドーダナはそのような様子の息子に会うことをまったく期待しておらず、とても怒り、「恥を知れ!その身なりは何だ。富の中で最も優れた物を持つべき者がこのようにやって来るのか。もうたくさんだ!」と叫びました。それと共に、彼は怒りに満ちてブッダを見ました。父親がいまだ無知を取り除いていないのを残念に思い、ブッダも父親をさらに力強く見始めました。このまなざしの戦いで、父親は敗北しました。彼は息子の足もとに崩れ落ち、彼自身、乞食する者となりました。無執着の者のみが無執着の力を知りうるのです」とバガヴァーンは言い、その声は感動で震えていました。

(*1)ヴァーガタム・・・『ヴァーガヴァタ・プラーナ』もしくは『シュリーマッド・ヴァーガタム』とも言う。ヴィシュヌの化身、とくにクリシュナへのバクティに主眼をおいた聖典。