47.
サードゥ・ナタナナンダ(ナテーサ・ムダリアール)(1898-1981)は学者で、彼のシュリー・ラマナとの対話は「ウパデーシャ・マンジャリー(タミル語)」に収められています。彼は『シュリー・ラマナ・ダルシャナム』を著しました。1917年から1918年の間、私は教師をしていました。私は信心深い性格で、寺院の神々のダルシャンを得るために、よくあちこちに出かけていました。それを見たある立派な人が、自分からタミル語の2冊の本、つまり、『シュリー・ラーマクリシュナ・ヴィジャヤム』と『ヴィヴェーカーナンダ・ヴィジャヤム』を私に持ってきました。それらを読んだ後、私は神の姿を見たいという願望、そして、その道を私に示してくれるグルを見つけたいという願望に強くとらわれました。この転機に私はバガヴァーンの非凡な偉大さを耳にし、1918年の5月、スカンダーシュラムではじめて彼に会いました。
「あなたの恵み深い知恵を実際に経験することが、私の大きな望みです。どうぞ私の望みを叶えてください」と言い、私は彼に熱心に懇願しました。その当時、シュリー・ラマナはあまり話しませんでした。それでも、彼は次のように思いやり深く話しました。「私の恩寵を得たいと望むのは、私の前にある体ですか。それとも、その内にある意識ですか。それが意識であるなら、それは今それ自身を体とみなし、この願いをしていませんか。そうであるなら、まずはじめに、その意識にその本質を知るようにさせましょう。その時、それは神と私の恩寵を自動的に知ります。今から後、あなたがしなければならないすべてのことは、あなた自身を体や感覚や心と同一視しないことです。人がその中で形を持たず、独立した無知な深い眠りの状態を、意識的な深い眠りに変えなければなりません。あなたはこの経験が長い修練を通じてのみやってくるということを決して忘れてはいけません。この経験は、あなたの本質が神の本質と異ならないということを明らかにします。」
バガヴァーンは誰に対しても決して規則を定めませんでした。彼の特徴は、聖なる道を目指す者に定められている行為の規則に彼自身が従うことによって指導することでした。ある人がバガヴァーンがある信奉者たちの行いを非難しないと不平を言った時、「誰が誰を正さねばならないのですか。すべての人を正す権限を持っているのは、主のみではないですか。私たちができることすべては、私たち自身を正すことです。それ自体が他者を正すことです」と彼は言いました。
シュリー・ラマナは、彼の信奉者にはバガヴァーンやマハルシとして、そしてある人たちには神聖な化身として敬愛されていましたが、他の人たちには彼自身を普通の人として表しました。しかしながら、彼の外側の姿を見ること自体が、安らぎの至福を経験するためには十分でした。彼は自分の本質に気づいているだけでなく、他者の真理も明確に知っていました。数千人の信奉者の真っただ中にいた時でさえ、彼は至高の自らの自覚にいつもしっかりと留まり、彼の境地から少しも外れませんでした。
シュリー・ラマナは常に自らに住まうことにより真理を指し示しましたが、同時に、神の化身として目に見える形で多くの人に表れました。バガヴァーンのダルシャンを求めてはるばるやって来たポ-ランドの女性の話はその例として役立つはずです。
ある時、その女性はスカンダーシュラムを見に一人で出かけました。その帰り、とてものどが渇いていると感じはじめました。渇きを潤す方法がまるで見つからず、「バガヴァーンが全能なる遍在する自らであることが真実なら、どうして彼がここに現れて、私の渇きを取り除けないでしょうか」と考え始めました。次の瞬間、シュリー・バガヴァーンが彼の水入れを持って現れ、彼女の渇きを満たしました。これが起こった時、バガヴァーンはアーシュラムでいつもの彼の場所に座っており、山で展開していたドラマにまったく気づいていませんでした。
そのポーランドの女性は純粋な愛と信仰心を共に備えており、人が超自然的な力を表したなら、その人はキリストのような人であるとただ信じる傾向のある敬虔なクリスチャンでした。まったくもって慈悲深いバガヴァーンは、(彼女の)信仰心に捕らえられ、彼女の信仰にあわせて彼女の前に現れ、彼女の望みを満たしました。
このような出来事は信奉者の信仰心と信頼を強めるのに大変役立ちましたが、バガヴァーンは人々がそのような現象を意図的に作り出そうとするのをいつも思い留まらせました。
バガヴァーンは、「本質的に汚れのない空気が、関わるものによって臭気や良い香りを持つようになるのとまさしく同様に、賢者との交際は変容をもたらすための手段です」とよく言っていました。この真理を理解して、信奉者はバガヴァーンに、「バガヴァーンの前では苦もなく経験される安らぎの状態が、たいへんな努力によってさえも、どこであっても得られませんでした」とよく話したものでした。バガヴァーンは「ええ、ええ。真珠母貝がそれが受ける雨粒を真珠に変えるのとまさしく同様に、成熟した者は恩寵としてサッドグルの神聖なまなざしによって救われます。しかし、未熟な者は、グルの前にたとえ長い間いてさえも、何も理解しません。彼らはその価値に気づかずに貴重な樟脳(しょうのう)を運ぶロバのようです。不純な心はグルの恩寵の利益を得ることができません」とよく言いました。
バガヴァーンは、グルへの奉仕がタパスの最良の形であるという信念をもって彼に仕えて時間を過ごしている信奉者たちの精神的な福利に特別な関心を持っていました。バガヴァーンは、「いつでも自らに注意を払おうとしなさい」と信奉者たちに熱心に勧めました。食堂の近くに置かれていた使い終わった葉っぱのお皿を掃き集めていた西洋から来た紳士に彼は言いました。「使い終わった葉っぱのお皿を掃除することが、救済を得るための手段ですか。このタパスをするために、あなたははるばるやって来たのですか。中に入りなさい。あなたの心を浄化するという奉仕が、最高の奉仕です。それのみがあなたを救えます」。
ある女性がバガヴァーンに平伏し、彼の足に触れ、バガヴァーンの足に触れた手を目にあてました。彼女が毎日これをするのに気づき、ある日、バガヴァーンは彼女に、「内なる照明として輝いている純粋な意識が、グルの慈悲深い御足です。それ(内なる聖なる御足)との接触のみが、あなたに真の救いを与えられます」と言いました。
マハルシのダルシャンのためにやってきた者の中には、アシュタンガ・ナマスカーランを行うものがよくいました。バガヴァーンは、そのような信奉者に呼びかけて、「グルにナマスカーランを行う利益は、自我を取り除くことだけです。自らの実現は体をかがめることによっては得られず、自我をかがめることによってのみ得られます」と言いました。
1938年8月、ラージェンドラ・プラサード(後のインド初代大統領)がジャムナラール・バジャジ(*1)と共にアーシュラムを訪問しました。バガヴァーンにいとまごいをする時、バジャジが、「マハートマジ(マハートマー・ガーンディー)が私をここに遣わしました。私が彼に言づけられることが何かありますか」と言いました。バガヴァーンは、「ハートがハートと話す時、何の言づけが必要ですか。ここで働いているのと同じシャクティ(強大な力)がそこでも働いています」と答えました。
サロージニー・ナーイドゥ(*2)は、バガヴァーンのダルシャンを得た後に、「今日、我々の中に2人の偉大な人物がいます。彼らのうち1人は誰にも1分間でさえ静かにいるのを決して許しません。もう1人は誰にもその『私』を一瞬でさえもたげるのを決して許しません」と言いました。この簡潔な言明は、「私のもの」を欠く自己犠牲であるマハートマーの人生、そして、「私」(自我)を欠くジニャーナであるマハルシの人生を表現しています。
バガヴァーンに近づいたほとんどすべての人は、彼から何らかの特別なウパデーシャ(教え、導き)を得たいと望んでいました。バガヴァーンは、「ジニャーナは外側からも、他の人からも与えられません。すべての人がそれを自分自身のハートの中で実現できます。ウパデーシャ(ウパ+デーサム)という言葉の意味は、ただ『自らの中にある』、もしくは、『自らとしてある』ことなので、人が外側から自らを探している限り、自らの実現は得られません」と言いました。
これはほとんどの時に採用された一般的な立場でしたが、例外として、バガヴァーンはかつてハリジャンの信奉者にマントラを授けたことがありました。彼はバガヴァーンを大変な信仰心をもって崇拝しており、一般の社会的慣習にあわせて、遠くのほうからバガヴァーンのダルシャンを毎日得ていました。バガヴァーンは、何日もの間そうしていること気づき、ある日、彼に近くにくるよう招きました。彼のすばらしい信仰心のために大変な哀れみに溶け、バガヴァーンは彼に慈悲深いまなざしを与え、「シヴァ、シヴァと常に瞑想し続けなさい。夢の中でさえこれを忘れないように。これそのものがあなたを祝福します(清めます)」と言いました。
ある日、バガヴァーンは1冊の本にするために、アーシュラムの出版の校正刷りのページをまとめていました。裕福な信奉者がこの骨折りを不必要であると感じ、「来週、私が来た時には、新品の装丁したその本を1冊持ってきましょう」と言いました。バガヴァーンは、「どうしてそれが必要ですか。我々が必要なのは中身だけです。中身はその本とこれらのページで同じでしょう」とほほ笑んで答えました。
ある時、マハーラージャがバガヴァーンのダルシャンのためにやって来ました。彼が帰りつつある時、ある住み込みの信奉者がアーシュラムのための寄付を得ようと思い、彼のあとにつづきました。バガヴァーンはこれを認めず、「サンニャーシにとっては、王さえもただの藁(わら、無価値なもの)に過ぎません」と言い、ある物語を話すことでこれを例示しました。「あるムスリムの聖者が、アクバル皇帝がサードゥと交際することをとても好んでいることを知り、彼の信奉者たちのために恩恵を得ようと宮殿に行きました。彼はアクバルがお祈りをして、神からの恩恵を求めているのを目にしました。即座に、彼は宮殿を後にしました。アクバルがその聖者の来訪を耳にした時、彼は聖者を招き、どうしてに会わずに帰ったのか尋ねました。聖者は、『私の信奉者たちの小さな必要を満たすために、私はあなたに近づこうと思いました。しかし、あなた自身に必要とするものがあり、それを満たすために神に祈りを捧げていました。その光景は、神のみが全ての人の必要を満たせるという真理を私に思い出させたので、私は宮殿を後にしました』と答えました」。
1924年のある夜、数人の泥棒がアーシュラムにやって来て、中に入るために窓を壊そうとしていました。バガヴァーンは彼らに、「部屋に入るためにどうしてそんなに手間をかけているのですか。あなたたちが欲しいものを何でも持って行けるように、戸をあけましょう」と言いました。そして、彼は戸を開けました。それにもかかわらず、泥棒は肉体的にバガヴァーンに暴行を加えました。これに我慢できなかったある信奉者は仕返しすることを望みました。バガヴァーンは割って入り、「忍耐!忍耐!これはどういった類の行為ですか。彼らは泥棒です。彼らは職業として盗みを選んでいます。目的を達成するために、必要なことを何でもする用意があります。もしサードゥもまた善悪を気にしない人々の悪い行いを繰り返すならば、彼らと我々の間の違いはいったい何ですか」と言いました。そのような分別ある助言によって、彼はその信奉者をなだめ、サードゥはどのような状況下でもサンニャーサ・ダルマ(*3)から外れるべきでないと言いました。
バガヴァーンの人生の終わりの近くに、偉大なる人々の全能性を固く信じていたある信奉者は、病気のためにマハルシが弱っているのを見ることに耐えられませんでした。彼は大変な思いやりをもって、病気を自分に移し、他の多くの無力な信奉者たちを救うために今しばらく体に留まるようにマハルシに懇願しました。その信奉者の子供のような無邪気さに驚きながら、バガヴァーンは思いやりを持って彼を見て、「この病気を誰がつくりましたか。それを変える自由を持つのは、彼(神)だけではないですか。(いったん死ぬなら)四人で運ばなければならないこの肉体という重荷を私が今日まで自分一人で支えてきたことで十分ではありませんか。私はそれを今後も支え続けなければなりませんか」と慈悲深く返答しました。これらの言葉を通じて、物質的な世界において運命の法則は曲げられないということを彼は明確にしました。ジニャーニは、彼の自然な境地に確立した目撃者とし留まるだけです。
バガヴァーンは信奉者たちに、「あなたは体ではありません。あなたは自分を身体的形態と同一視すべきではありません」と言うことに飽くことはありませんでした。よく知られている出来事がこれを例示しています。ある信奉者がバガヴァーンのダルシャンのためにはじめてやって来ました。バガヴァーンはいつもの座におらず、何かの活動に従事していました。彼がバガヴァーンであると知らずに、信奉者は「どこにラマナはいますか」と尋ねました。即座に、シュリー・ラマナは、「ラマナですか?ほら、彼はここにいますよ」とほほ笑んで答え、ラマナという名前が刻まれていた真鍮製の容器を指し示しました。バガヴァーンは新来者がこの発言に困惑しているのを見て、彼の体とその器を交互に指し示し、「これ(体)もまたその器のように形です。少なくとも、ラマナという名前がそれ(器)にはついています。それさえも、ここ(体)にはありません」と説明しました。それから、彼は活動を再開しました。
バガヴァーンの体との非同一視は、彼が癌に侵された彼の人生の最後の数か月間に彼と会った人々によって目撃されました。彼は信奉者が用意した治療に無関心なままで、信奉者たちの望みに応じて医者たちが仕事をするのを許していました。彼は「我々の務めは、起こることすべての目撃者のままいることです」と言い、「この体だけがバガヴァーンであると思い、彼らはバガヴァーンが病気のために苦しんでいると悲嘆に暮れています。どうすればいいのですか。彼らはスワーミが去りつつあると心配しています。どこに行けばいいのですか。どのようにして行けばいいのですか」と言い足しました。
(*1)彼はインド国民会議の会計係であった。ガンジーは彼の要請によって彼のアーシュラムをサバルマティからワルダに移した。彼はかつて、彼によって考案されたすべての質問がマハルシに問いかける前にさえ、何らかの形で答えを得たと、編集者の近い親戚の者に述べた。
(*2)彼女はインドの自由闘争に深くかかわっており、Congress Working Committeeの一員であった。よく知られた女性詩人であり、インドのナイチンゲール(鳥の名前)と呼ばれていた。
(*3)世俗を放棄した人の義務
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