三つの状態を超えて
ナーガンマ著
1947年9月6日
先月、義理の妹(姉?)がここに滞在していた間に、「ヴィチャーラ・マニ・マーラー」のテルグ語版を印刷業者から受け取りました。午後、バガヴァーンはそれを訂正し、その後、私に回しました。それを読むや否や、義理の妹が私にswapnathyantha nivritthi の意味を私に尋ねました。私は自分自身はっきり分かっていなかったので、何とかかんとか言ったのですが、彼女は十分に満足しませんでした。バガヴァーンは気づき、「どうかしましたか。何か間違いがありますか」と言いました。
「いえ、彼女はswapnathyantha nivritthi の意味を尋ねているのです」と私は返答しました。
「それは絶対的に夢を見ない眠りという意味です」とバガヴァーンは優しく言いました。
「ジニャーニが夢を全く見ないということは本当でしょうか」と私は尋ねました。
「彼は夢の状態を持ちません」とバガヴァーンは返答しました。
義理の妹はまだ満足していませんでしたが、人々が他の事について話し始めたので、私たちはその問題をそのままにしておかざるを得ませんでした。夜になってようやく、彼女は私に言いました。「ヴァーシシュタには、ジニャーニは行為を行うように見えるだけで、行為は彼に何の影響も与えないと言われています。私たちはこの本当の意味をバガヴァーンに尋ねるべきでした」。
「バガヴァーンがどれほど慈悲深いかあなたは知っているでしょう。あなたの疑問を取り除く何らかの機会を彼が見つけますよ」と私は返答しました。
私たちが翌朝8時にアーシュラムへ行った時、偶然にもバガヴァーンがまさにその点をスンダレーサ・アイヤルにちょうど説明しているところでした。はやる思いでこの機会に乗じ、義理の妹は再びその問題を取り上げました。「夢の状態だけでなく、三つの状態全てが、ジニャーニにとって非現実です」とバガヴァーンは彼女に言いました。「ジニャーニの真の状態は、その三つの状態がどれも存在しないところにあります。」
「目覚めの状態もまた、夢と同等ではありませんでしたか」と私は尋ねました。
「ええ。夢は短い間続きますが、これはより長く続きます。それが唯一の違いです。」
「では、眠りもまた、夢ですか」と私は尋ねました。
「いえ、眠りは現実のものです。心の活動がない時、どうしてそれを夢であると言えるでしょうか。しかしながら、それは心の空白の状態であるため、それはアヴィドヤー(無知)であり、それゆえに拒絶されなければなりません」と彼は答えました。
「しかし、眠りもまた、夢の状態であると言われていませんか」と私は食い下がりました。
「術語学上、そのように言った人もいるかもしれません」とバガヴァーンは認めました。「しかし、実際、何も分離して存在しません。長いや短い期間は、夢と目覚めの状態にだけ当てはまります。我々がとても長い間生きていて、これらの家や所有物は我々にとってまったく明々白々であるため、まさかそれが全て夢であるはずがないと言う人もいるかもしれません。しかし、夢でさえ、それが続く間は長いように思えることを我々は思い出さなければなりません。目覚めて初めて、それが短い間だけしか続かなかったことを悟ります。同じように、人がジニャーナ(実現)を得る時、この人生は束の間のように思われます。夢を見ない眠りは、無知を意味します。ですから、純粋な意識の状態を選び、それは拒絶されるべきです。」
義理の妹が、その時、割って入りました。「深い眠りの中で起こる至福は、サマーディの中でも体験されると言われていますが、眠りは無知の状態であるという発言とそれはどのように調和させられますか。」
「そのために眠りは拒絶されるべきなのです。眠りの中に至福があるのは真実ですが、人はそれに気づいていません。人は後に目覚めてはじめて、それについて知り、よく眠ったと言います。サマーディは、この至福を目覚めたままいる間に体験することを意味します」とバガヴァーンは返答しました。
「では、それは目覚めた、もしくは、意識ある眠りということですね」と私は尋ねました。
「ええ、そういうことです」と彼は言いました。
義理の妹は、その時、彼女を悩ませていた、もう一つの同種の質問を持ち出しました。「ヴァーシシュタでは、ジニャーニは他者には様々な活動に従事しているように見えるが、実のところ、彼はそれに全く影響されていないと言われています。他者にそのように思えるのは彼らの異なる見解のためでしょうか、それとも、彼は本当に影響を受けないのですか」。
「彼は本当に影響を受けません」とバガヴァーンは返答しました。
「人々は夢の中と目覚めている間の両方において喜ばしいヴィジョンについて話します。それらは何ですか」と彼女は尋ねました。
「ジニャーニにとって、それら全ては同じもののように見えます」と彼は返答しました。
しかしながら、彼女は食い下がりました。「バガヴァーンの伝記の中で、ガナパティ・ムニがティルボッティユールにいて、バガヴァーンがティルヴァンナーマライにいた時、彼はバガヴァーンのヴィジョンを得て、そのまさに同じ時間にバガヴァーンも表敬を受け取る感覚を得たと述べられています。そういったことはどのように説明できるでしょうか。」
「そういったことは神聖なヴィジョンとして知られていることであると私はすでに述べています」とバガヴァーンは謎めいた答えをしました。その後、彼は沈黙を帯び、それは彼が会話を続ける気がないことを示唆していました。