2015年3月20日金曜日

『A Search in Secret India』 第9章 ①アーシュラムまでの道のり

◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド

第9章 聖なるかがり火の山

 南インド鉄道の終着駅マドラスで、スブラマンヤと私はセイロン連絡列車の客車に乗り込んだ。数時間、我々は非常に変化に富んだ光景の中をゆっくりと進んだ。育ちゆく稲の青々とした広がりが、荒涼とした赤い山々にとってかわり、堂々としたココナッツの木々の日影になった農園の後には、稲田を耕す農夫がまばらに続く。

 窓辺に座っていると、素早いインドの夕暮れが景色を隠し始め、私は他のことをじっくり考えるために向き直った。ブラマが私にくれた黄金の指輪を身につけて以来起こった奇妙なことを、私は不思議に思い始めた。というのも、私の計画はその様相を変え始めたからだ。私が意図していたようにさらに東へ行くのではなく、予期せぬ出来事が連続して起こり、私をさらに南へ追いやった。「そんなことがあるのか」と私は自問した。「この黄金のかぎづめが、ヨーギが主張した不可思議な力を本当に有する石をつかんでいるなんてことが」。私は広い心でいようと努めたが、科学的に訓練された考え方をする西洋人なら誰でも、その考えを信じることは困難だった。私は頭から考え事を払いのけたが、私の思考の背後に潜む疑念をうまく追い払うことはできなかった。とても奇妙なことに、旅しつつある山の隠遁所へ私の足が導かれているのは、なぜなのか。私の乗り気でない目をマハルシに向けさせるという点において、共に黄色のローブを着た二人の男性が運命の仲介者として結びつけられているのは、なぜなのか。私は運命という言葉を使ったが、それは一般的な意味においてではなく、より適当な言葉に窮したからである。過去の経験は、一見すると重要でない出来事が、時に人生の青写真を描くことにおいて予期せぬ役割を果たすということを私に十分に教えていた。

 我々は列車を降り、それと共に、ポンディシェリ-フランス領インドの哀れを誘う、あの小さな名残り-から40マイル離れた本線を後にした。私たちは内陸へ進む、ほとんど使われない静かな支線へ移り、そっけない待合室の薄暗がりの中でほぼ2時間待った。聖職者は、外のよりそっけないプラットホームをゆっくり歩き、星明りの中で、彼の背の高い姿は半ば幻で、半ば現実のように見える。終に、時間どうりに来ない列車は、たまにポッポと蒸気を吐きながら路線を上へ下へ進み、我々を運び去った。他の乗客は、ほんのわずかしかいない。

 私は断続的な、とぎれとぎれに夢を見る眠りに落ち、私の連れ合いが起こすまで、それは数時間続いた。私は小さな沿線の駅で降り、列車は金切り声をあげ、きしらせながら、静寂の闇の中へ消えていく。夜はまだ十分に明けておらず、我々はがらんとしてわびしい小さな待合室に座り、その中の小さな石油ランプを自分たちで点火した。

 日光が暗闇に支配権を求めて戦う間、我々は辛抱強く待った。終に淡い夜明けが訪れ、我々の部屋の後ろの横木で囲った小さな窓から少しずつ忍び寄ってきた。目に見えるようになるにつれ、私は周囲の状況のそういった部分をまじまじと見た。朝の薄霧の中から、おそらく数マイル離れたところに、山のかすかな輪郭が一つ浮かび上がる。山麓は見事に広がり、山腹は広大な胴周りであるが、明け方の霧にまだ厚く覆われているため、山頂を見ることはできない。

 私の案内人は外へ繰り出し、小さな牛車の中で大きないびきをかいている男を見つけた。1度か2度、大声で呼びかけると、運転手はこのありふれた日常へ連れ戻され、そうして彼は近い将来に待ち受ける仕事に気づいた。我々の目的地を知らされた時、彼はたいそう我々を運びたがっているように見えた。私はいくぶん疑わしげに彼の狭い乗り物-二つの車輪の上で釣り合いを保っている竹製の天蓋-を見た。ともかくも我々はよじ登り、その男は我々の後から荷物を投げ込んだ。聖職者は、おそらくは人間が占めることができる最小限の空間へ何とかして自分自身を押し縮めた。私は足を外にぶら下げ、低い天蓋の下で腰を低くした。運転手は雄牛の間の棒の上にしゃがみ、彼のあごはほとんど彼の膝にふれんばかりだった。こうして、座席の問題は多かれ少なかれ順調に解決され、我々は彼に車を出すように言った。

 2頭の強く、小さい、白い雄牛の最善の努力にもかかわらず、我々の進行は決して迅速なものではなかった。このかわいらしい生き物は、馬よりも暑さに耐え、食べ物に関して好みがやかましくないため、インドの内陸で牽引用の動物として大変に役立っている。数世紀の間、内陸の静かな村々と小さな町々はあまり変化していない。紀元前1世紀に旅行者をあちらこちらに運んだ牛車は、二千年後の今でも旅行者を運んでいる。

 打ち延ばされたブロンズ色(赤茶色)の顔をした我々の運転手は、彼の動物をたいそう誇りに思っていた。彼らの長く、美しく曲がった角は、恰好のいい金色に塗られた装飾品で飾られ、彼らの細い脚は結んである真鍮の鈴をちりんちりんと鳴らす。彼は、彼らの鼻の穴に通された綱を使って彼らを動かしていた。彼らの足がほこりまみれの道の上を陽気にゆっくり進む間、私は素早い熱帯地方の夜明けが足早にやって来るのを見ていた。

 魅力的な景観が、我々の右手側にも左手側にも現れる。つまらない平坦な平原ではない。水平線を見渡す時はいつでも、丘や高地が視界から長く遠ざかることがないからだ。道は、棘を持つ低木が生い茂った地形と明るい新緑色の稲田が少し点在する赤色土の地域を横断している。

 労苦に疲れ切った顔をした農夫が我々と行き違う。おそらく、彼は稲田での長い日中の仕事に出かけようとしている。まもなく、我々は頭の上に真鍮の水入れをのせた少女に追いついた。1枚の朱色のローブが彼女の体に巻きつけられていたが、肩はむき出しのままだ。血の色をしたルビーの飾りが一方の鼻の穴につき、青白い朝の陽ざしの中、一組の黄金の腕輪が彼女の腕できらりと光っている。彼女の肌の黒さは、バラモンとイスラム教徒を除き、まさにこの地域の大部分の住民のように、彼女がドラヴィダ人であることを示している。これらドラヴィダ人の少女はたいてい生まれつき陽気で、幸せそうである。私は彼女達が浅黒い同郷の婦人たちよりもおしゃべりで、響きのよい声をしていることを知った。

 その少女は本当に驚いた様子で我々を見つめ、ヨーロッパ人は内陸のこの地域をめったに訪れないのではないかと私は推測した。

 そうして、我々は小さな町にたどり着くまで乗り続けた。その家々は裕福そうに見え、巨大な寺院の両側に密集する道々に並んでいる。私が間違っていないなら、寺院は4分の1マイルの長さがあった。しばらく後、我々が広々とした入り口の一つに到着した時、私はその建築の巨大さを大体において把握した。我々は1、2分間停車し、私はその場所の束の間の光景を目に刻みつけようと内部を凝視した。その風変わりな様子は、その大きさ同様に印象的である。以前に、このような建物を私は目にしたことがない。広大な四角形の中庭が巨大な内部を囲み、迷宮のように見える。四つの取り囲む高い壁は焦がされ、灼熱の熱帯の陽ざしに数百年間さらされることによって染められていることが分かる。それぞれの壁は一つの門によって貫かれ、その上には巨大な塔からなる風変わりな上部構造がそびえ立っている。奇妙にも、塔は、飾り立てられ、彫刻が施されたピラミッドのように見える。その下部は石で築かれているが、上部は分厚く漆喰が塗られたれんが積みのように見える。塔は多くの階層に分かれるが、表面全体が様々な人物と彫刻でおびただしく装飾されている。この四つの入口の塔に加えて、私は寺院の内部にそびえ立つ塔を他に五つも数えた。輪郭の類似性において、なんとも不思議なことに、それらはエジプトのピラミッドの一つを思い出せるのか!

 私が最後にちらっと見たのは、屋根付きの長い柱廊、大量の平らな石柱の林立した列、大きな中央の囲い地、薄暗い神殿と暗い廊下と多くの小さな建物だった。遠からず、この興味深い場所を探検するために私は頭の中に留めておいた。

 雄牛は早足で駆け、我々は再び広々とした平野に出た。我々が通った光景は、とても快いものだった。道は赤い塵で覆われている。どちら側にも、低木の茂み、時折、高木の木立がある。枝の間には多くの鳥が隠れている。というのも、世界中で彼らの朝の歌である、美しいあの合唱の終わりの調べだけでなく、彼らが羽ばたく音が聞こえるからだ。

 道沿いには、かわいらしい小さな路傍の神殿がたくさん点在している。その建築様式の相違は私を驚かせ、ついに私はそれらが時代の転換期に建てられたのだと結論付けた。大変に飾り立てられているものもあれば、いつものヒンドゥー様式で過剰に装飾され、入念に彫刻されているものもあるが、より大きな神殿は南部以外の他のどこでも見たことがない平らな表面の柱で支えられている。ほとんど古代ギリシア様式である、古典的に質素な輪郭をした神殿さえ2、3ある。

 私が駅からそのおぼろげな輪郭を見た、山のすそ野に我々が到着した時、今やもう、5、6マイルほど進んだと私は判断した。山は、赤茶色の巨人のごとく、澄んだ朝の陽光の中にそびえ立っている。今やもう、霧は流れ去り、(山は)上空に広い輪郭線を示している。山は赤土と茶色い岩石からなり、大部分はやせた土地で、ほとんど木のない地域が広くあり、岩の塊が大きな巨礫へ割れ、無秩序に転がっている。

 「アルナーチャラ!神聖な赤い山!」 私がじっと見る方向に気づき、連れ合いが叫んだ。熱烈な愛慕の表情が彼の顔を横切る。中世の聖者のように、彼は一瞬、歓喜に心奪われていた。

 私は彼に、「その名前は何か意味しているのですか」と尋ねた。

 「私は今、その意味をあなたに告げたところです」と彼は笑顔で答えた。「その名前は、アルナとアーチャラという二つの言葉から成り立ち、赤い山を意味し、また、寺院の主宰神の名前でもあるので、その全訳は『神聖な赤い山』となるはずです。」

 「では、聖なるかがり火はどこからやって来るのですか。」

 「あぁ!1年に1度、寺院の司祭たちが主要な祝祭を執り行います。寺院の中で祝祭が催されるや否や、巨大な火が山の頂上で燃え上がり、その炎には大量のバターと樟脳がくべられます。それは何日も燃え、周囲幾マイルまで見ることができます。それを見る人は誰でも、すぐにその前で平伏します。それは、この山が偉大な神によって支配された神聖な地であることを象徴しています。」

 山は今や、我々の頭上にそびえ立っている。それは無骨な雄大さを欠くわけではない。赤や茶や灰色の巨礫で模様が付けられた寂しい頂きは、その平らな頭を真珠のような色の空に数千フィート突き出している。聖職者の言葉が私に影響したのか、もしくは何か説明のつかない理由からか、私がその神聖な山の光景について黙想するにつれ、アルナーチャラの急こう配を不思議そうにじっと見上げるにつれ、奇妙な畏敬の念が私の内に生じていることに私は気づいた。

 「あなたは知っていますか」と私の連れ合いがささやいた。「この山は聖なる地として尊ばれているだけでなく、地元の言い伝えは、神々が世界の精神的中心地を示すために、それをそこに位置づけたとまで主張していることを!」。

 このちょっとした伝説は、私を苦笑いさせた。何とも無邪気なことだ。

 ようやく、我々がマハルシの隠遁所に近づきつつあることを私は知った。我々はわき道に逸れ、起伏のある道を下り、ココナッツとマンゴーの木々からなる密集した果樹園へ我々は連れ行かれた。我々がそれを横ぎると、終に、鍵のかかっていない門の前で、突如、道は不意に終わりを迎えた。運転手は降りて、門を押し開き、我々を舗装されていない広い中庭に運んだ。私は押し縮められた手足を伸ばし、地面に降り、周りを見渡した。

 マハルシがこもっている場所の正面は、間近に成長する木々と濃密に生い茂った庭によって取り囲まれている。その裏とわきは、低木とサボテンの生け垣で遮られている。西側には、サボテンの密林と深い森のようなものが広がっている。それは山の支脈の低い所に、絵のようにとても美しく位置している。人里離れているため、瞑想の深遠なテーマを追求する人々にとってふさわしい場所であるようだ。

 藁ぶき屋根の二つの小さな建物が、中庭の左側を占拠している。それらに隣接して、長い現代的な建造物が立ち、その赤いタイル張りの屋根が、突き出た軒天へ鋭く下に伸びている。小さなベランダが、正面の一部を横切り広がっている。

 中庭の中央は、大きな井戸で特徴づけられている。腰まで裸であり、真っ黒といえるほどに黒い肌をした男の子が、きしむ手動巻き上げ機の助けでバケツ1杯の水をゆっくりと表面まで引き上げているのを私はじっと見た。

 我々が入ってくる音で、数人の人が建物から中庭に出てきた。彼らの服装は、実に様々である。ある人はぼろぼろの腰布以外何も身にまとわない人もいれば、富裕な人々のように白い絹のローブで正装している人もいる。彼らはいぶかしげに我々をじっと見た。私の案内人は歯を見せてにっこり笑い、明らかに彼らの驚いた様子を楽しんでいる。彼は彼らのもとへ行き、タミル語で何かを話した。たちまち、彼らの顔の表情が変わる。というのも、彼らは一斉ににっこり笑い、うれしそうに私に微笑みかけた。私は彼らの顔つきと振る舞いを気に入った。

 「では、マハルシの講堂に入ります」と黄色いローブの聖職者は告げ、私に彼の後に続くように言った。私はむき出しの石造りのベランダの外で少し立ち止まり、靴を脱いだ。贈り物として持ってきた少しの果物をかき集め、私は開いている出入り口の中へ進んだ。

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