2018年3月5日月曜日

自動的な神聖な活動 - ただ賢者の目に留まれば、即ち、救いがある

◇「山の道(Mountain Path)」、1966年4月、p160

自動的な神聖な活動

G.V.スッブラマイヤ教授

 1937年10月31日、私の2歳の娘インディラが小児性けいれんに2回かかり、2回目は最初のものより深刻でした。突然、彼女は意識を失い、全ての生命維持に必要な器官は機能を停止し、彼女は死んだも同然のように見えました。アロパシー(≒現代医学)の医者はどうすることもできないとはっきり言い、アーユルヴェーダの治療を勧めました。老人が彼のタバコのパイプで両目の間に焼き印を押すことで、子どもは弱弱しくうめき、わずかに生活機能が再開しました。依然、彼女は回復せず、瀕死の状態で横たわっていました。あいついで二人のアーユルヴェーダの医師が呼びにやられましたが、見つかりませんでした。この危機に、シュリー・バガヴァーンの写真が目に留まり、私はひれ伏し、心の中で言いました。「おお、バガヴァーン、人の手による助けは全て失敗したため、ただあなただけが救わなければなりません」。起き上がり、私は機械的に戸棚を開け、電報の用紙を取り出し、子供へのシュリー・バガヴァーンの恩寵を懇願する急信を書きました。電報局は、電報は午後7時にアーシュラムにつくだろうと私に伝言しました。ちょうど午後7時にアーユルヴェーダの医師が二人同時に到着し、またシュリー・V.V.ナーラーヤナッパもやってきて、私の手に私宛の封筒を置き、言いました。「さあ、シュリー・バガヴァーンの子供へのプラサーダムをどうぞ」。その時、それは、私の祈りに対するシュリー・バガヴァーンの奇跡的な応答のように思われました。シュリー・ナーラーヤナッパは、それは昨年、彼が病気だった時に私が彼のために手に入れ、彼が同じ封筒の中に保存しておいたプラサーダムだと説明しました。今や、患う子供のためにそれを役立てようと彼は思いました。二人の医者は、互いに相談しながら子供を治療し、彼女が危機を脱したことを私に請け負いました。その夜、私は子供のそばで眠りながら、驚くべき夢を見ました。私はシュリー・バガヴァーンの講堂にいました。いつものように、シュリー・バガヴァーンは長椅子にもたれていました。彼の前には黒ずんだ、恐ろしい顔つきをした巨人のような背の高さの人が立っていました。シュリー・バガヴァーンは、講堂を去るよう三たび人差し指で彼に指示しました。それに応じて、その見知らぬ人は第一出入口から出ていきました。そして、シュリー・バガヴァーンは私のほうに向き、私をそばに呼び、尋ねました。「子供の具合はどうですか」。私は答えました。「バガヴァーン、あなたの恩寵によって、彼女は元気になっています」。そして、シュリー・バガヴァーンは、「彼女は大丈夫でしょう。心配いりません」と言い、その手を私の背中に置きました。彼が触れることで、私の心は躍り、そして、夢は終わりました。翌朝、私はアーシュラムから以下のような返答を受け取りました。「昨晩、午後7時にあなたの電信を受け取り、それはシュリー・バガヴァーンに閲覧されました。その子が回復せんがために、我々は彼女へのシュリー・バガヴァーンの恩恵をあなたに保証します。どうか心配なさらないように」。

 上の出来事と夢を説明している私の手紙への返答に、アーシュラム当局は記しました。「シュリー・バガヴァーンの恩寵を通じて、あなたの子供がほとんど危機的な状態から回復したことが分かり、我々はとても喜ばしく思います」。

 その後のクリスマス休暇の間に、再びアーシュラムを訪ねた時、私はシュリー・バガヴァーンに電報を読むやいなや彼が何を思ったのか尋ねました。彼はただこう言いました。「ええ、あなたの伝言を読みましたし、時計がその時、7時を打っていることにも気づきました」。

 私は再び繰り返し言いました。「バガヴァーン、あなたは子供を救うために何かしなければならないと思わなかったのでしょうか」。

 一直線に、シュリー・バガヴァーンの答えがやって来ました。「子供を救おうという思いでさえ、サンカルパ(望み)です。何のサンカルパも持たない者がジニャーニです。実際、そのような思いは不要です。あることにジニャーニの目がとまる瞬間に、それ自体が最高の善に通じる自動的な神聖な活動が始まるのです」。バガヴァーンが英語で述べた「自動的な神聖な活動(the automatic divine activity)」という語句を除き、会話は全てテルグ語でした。

(原注)『Sri Ramana Reminiscences』より、シュリーラマナーシュラマムから入手可能