2017年10月12日木曜日

オランダ人による「秘められしインドでの探求」-マハルシは人々を解放する

◇「山の道(Mountain Path)」、2014年4月、p9~15、FROM THE ARCHIVES

シュリー・ラマナ・マハルシ

アルナーチャラの賢者

Gualtherus Mees著
この文章は、アーシュラムの記録保管所で最近発見されました。それはオランダ人学者によって記され、オランダのデーフェンテルで、1939年8月にオランダ語の雑誌 Mensdhen Kosrnos, III No.3.に発表されました。Mees博士は素晴らしい学者であり、ヒンドゥー教についての古典 、Dharma and Societyを記しました。彼の代表作は、全三巻の象徴主義の解説、 The Revelation in the Wildernessです。1936年、33歳のとき、彼はバガヴァーンのもとに来ました。彼は多くのバガヴァーンの写真をとり、そのアルバムは今、記録保管所の収蔵品の中にあります。英訳は著者によるものだと思います。
    4年間、私はインドを旅しています。私は多くのヨーギとサードゥを村に、ジャングルに、時には町にさえ、この広大な大陸全域において訪ねました。聖者や賢者とみなされている人について耳にすれば、私はいつも彼を訪ねに行き、たいていはがっかりしましたが、時折、私が期待したものを見つけました。しかしながら、よく言われるように、本当に重要である人々には、私はいつも偶然に出会いました。ラマナ・マハルシは、この法則の例外です。私が思うに、マハルシは、存命のマハルシたちの中で公の生活を送ることを厭わない唯一の人です。この公開なる犠牲的行為は大変なものですが、しかし、彼を困らせたり、かき乱すものは何もないということを人は何度も何度も思い出さなければなりません。

 マハルシが送る生活は、短い時間で他のどのような人をも発狂させるでしょう。というのも、事実上、彼の生活のあらゆる瞬間、彼は公衆の関心の中心にいます。瞬間でさえ、彼は一人でいません。それは聖なる動物か神の生活です。

 言葉の通常の意味においては睡眠とは呼びえない、数時間のひと眠りの後、マハルシは起き上がり、アーシュラムの簡素な調理場に行き、コミュニティーの簡素な、もちろん、純粋な野菜だけの食事のために野菜を切り、調理することに数時間従事します。この仕事において、そのような早い時間に偶然目覚めている他の人たちに手助けされています。6時半過ぎ、沐浴の後、朝食、米粉でできたケーキが付いたコーヒーがとられます。その後、マハルシはアーシュラムの講堂の長椅子の上で事実上一日中座り、そこを離れるのは11時と8時の食事の間と神聖な山の斜面を少し散歩する間だけです。

 日の出と日の入りに、伝統的なヴェーダ学派のバラモンがやって来て、賢者の足元に座りながら、ヤジュルヴェーダからの賛歌を唱えます。さらに正確には、それは賛歌を半分は歌い、半分は唱えていると表現されるかもしれません。それは非常に印象的で、厳粛な方法です。

 一日中、訪問客が行き来し、頭の上で手を組んで体をまっすぐに伸ばして床に平伏することによって、神に捧げる敬意をもってマハルシにあいさつします。この敬意の表明は、他の人への通常のあいさつ以上に賢者に感銘を与えません。そのように賢者たちに敬意を表することは古典的なインドの伝統であり、マハルシは人々が望むように自己を表現する完全な自由を彼らに残しています。訪問者たちはマハルシの足元で何時間か座り、講堂には賢者の長椅子といくつかの本箱以外何も見当たりません。彼らは瞑想し、宗教的な歌、頻繁にアルナーチャラ・シヴァの栄光をたたえた賛歌を歌い、時に宗教的か哲学的な問題に関する質問をマハルシに尋ねます。

 通例、マハルシは黙っていますが、彼が何かの役に立ちうると思うなら、時に長い説明をするかもしれません。そして、彼は訪問者たちに、とりわけ子供たちが彼に会いに来るなら、心地よい言葉をいつでも喜んで話します。態度と振る舞いにおいて、いつも彼は自然で、飾りません。彼は私が知ることで恩恵を得ている、最も飾らない、のびのびとした人物であると私はわずかの躊躇もなく言えるでしょう。あらゆる見せ掛けは完全にありません。分析心理学の概念を使うなら、彼はペルソナを持たない人です。彼の態度が印象付けようと意図していないという、まさにその事実によって、彼の人格はそのような圧倒的な印象を与えています。多くのサードゥとヨーギは、訪問者や信奉者たちに彼らの知恵、神聖さ、もしくは、靈的な力を確信させたいと思います。印象付けようとするわずかの試みでも、しかしながら、真実の印象の可能性をただちに私から奪い去ります。

 この並外れた人物から発する雰囲気を描くことは極めて困難です。両極端が彼の中で出会っています。彼の子供のような無邪気さと高貴な知恵によって、よく親しんでいるものによって、そして、著しく非凡な何ものかによって、人はただちに感銘を受けます。

 マハルシは人生の大部分をアルナーチャラの聖山で隠遁して過ごしましたが、隠遁が世俗での生活よりも良いや、悟りを得るために必須であるとは彼は決して言いません。自らの実現に至る人は周囲の状況によっていかようにも妨げられたり、影響されることなく、どこにでも住むことができると彼は言います。彼の言葉の一つは次の通りです。「放棄とは、上辺(うわべ)を捨て去ることではなく、自我が沸き上がることの解消です。真のサンニャーシンにとって、独居と活動的な人生の間に違いはありません」。完全に公開された彼自身の生活において、彼はこれを実証しています。彼に影響を及ぼすものは何もないと人は感じ、人は知ります。とりわけ、数週間にわたり何千もの人々が毎日彼のもとに来て、警官が交通を規制しなければならない、ティルヴァンナーマライの寺院の祭りの時期、そのような公の生活なる犠牲的行為を可能ならしめるには超人的な力が必要であると人はまた感じます。

 仏教徒のニルヴァーナ、もしくは、ニッバーナに対応する意識の状態、サマーディについては多くの話があり、そのような靈的な放心または没頭、忘我の状態-もしそのようにそれを呼ぶのを好むなら-を私は数人のインドの賢者たちにおいて見ました。様々な種類のサマーディがあり、誰もがそれ独自の専門用語を持ちます。ここで、それらの用語が何であるかはあまり重要ではありません。マハルシの中にのみ、最高の境地、もはや忘我ではなく、絶対的な意識の状態である忘我の境を感じ、見ます。その中に魅力的な要素が形作られるのは、彼が言葉で言い表せない意識の状態に吸収されていると同時に、それでいて彼の周りの日々の生活のまったく通常の物事に気付いているという事実によってです。彼にとっては、彼の中では、「最も高きものと最も低きもの」が一体になっています。おそらく、「一体になっている」だけではなく、本質において一つであると実現されています。神と世界と彼の最深の自らは、彼にとって一つです。

 彼の教義は、最も高みにある哲学的観念論のそれです。それはアドヴァイタ・ヴェーダーンタ、ヒンドゥー教の一元論的哲学あり、一人の人間存在の中に体現されています。手短には、それは以下のようになります。「個々の主体と神聖な主体は、本質において一つである。それが唯一の真理であり、現実である。世界は、これから離れて、その現実の観点からは、無数の見せかけ、変化する夢のようである。あらゆる人の内で起こる創造の過程が、マーヤーである」。

 世界に住む人にとって(実際、あらゆる人が住んでいますが)、マーヤーは「幻」ではなく、考慮に入れなければならず、逃れ去ることのできない事態です。多くの西洋の思想家たちの非難は、このマーヤーの概念に基づき、ヒンドゥー教は厭世的であり、悲観的であるというものですが、これは根拠のないものです。ヒンドゥー教は大いに「実際的な感覚」を持っています。おそらくは、やや持ちすぎています!マーヤーは戯れです。マーヤーは自らの実現に必要です。人はそれを完全に受け入れるべきです。受容の中で、それは靈性の道になります。

 マハルシは生を見通します。彼のメッセージはインドの全ての偉大なリシたちのそれであり、新たな比較によってのみ印象的です。彼の面前、彼の存在は、解放する要素を形作っています。彼は、いわば、人類にとって巨大な磁石です-人々を束縛するためでなく、人々が一緒に持ち運ぶ重荷や問題から人々を解放するために引き付けるものです。他の教師たちはしばしば訪問者や弟子たちを新たな枷(かせ)で縛ります。人々は直感的にこれを感じるため、彼らはそのような教師たちから距離を置きがちです。マハルシに関しては、しかしながら、彼が「彼らをどうかしたい」と全く思わないことを彼らは直感的に感じます。それゆえ、彼の面前では皆が自由の感覚を得ます。さらに、マハルシの面前での素晴らしい体験は、マハルシが彼ら自身の魂に入ることにはなく、彼ら自身の魂の中で彼ら自身のマハルシが目覚めようとしていることにあるのを彼らは感じます。信愛を、その言葉の感傷的な意味において、マハルシの面前に見出すことを期待すべきではなく、また、それを探すべきではありません。

 マハルシは賢者、ジニャーニですが、ラーマクリシュナのように忘我状態になりやすいバクタではありません。しかし、彼は暖かい人情味に満ちていて、バクティ、愛を推奨します。彼の世界における宗教と奉仕の概念は、例えば、以下のような短詩の中に表現されています。

八つの形からなる、この天地万象
神自身の形として我々がただ認め
全世界に敬愛をもって仕えるならば
それが最勝たるの崇拝である

ウパデーシャ・サーラム、第五詩節

    瞑想とはマハルシにとって、自らの実現に向けての秩序だった努力でしかありません。彼が言うには、それは体の特定の姿勢でなく、目を閉じることでもなく、一日の特定の時間のための何かでもなく(もちろん、これら全てのことはその体系において助けになりますが)-人生の活動と休息の全局面にわたる昼夜を問わない一日中の人生の態度です。「最良の形の瞑想とは、単に目覚めの状態にだけ継続するのではなく、大志を抱く者の夢の状態と深い眠りの状態に及ぶ、それです。瞑想は、『私は瞑想している』という意識や考えの余地を残さないほどに力強くあるべきです。」
 
 彼の助言を求め、彼のもとにやって来た誰にでも彼は寛大に助言を与えました。しかし、彼は人々が大っぴらに彼の弟子と称することや、彼をグルとして掲げることを許しませんでした。彼の他の人々との関係性は内的なものであり、話すにはあまりにも微妙で、あまりにも神聖過ぎるテーマです。非常にしばしば、彼の助言の要点は、訪問者たちを励まして彼らの真の私を探求させることです。どこに意識の基礎があるのか。人々はジーヴァ-個々の私とシヴァ-世界が本質において一つであることを発見しなければなりません。単なる推論を通じてこの結論に達することにあまり価値はありません。その意味における理解がなければ、それは害にさえなるかもしれません。

 多くのヨーロッパ人がすでにマハルシを訪問し、彼について記しています。この驚嘆すべき人物の中の根幹となる要素が、まず第一に彼の言葉や行為の中になく、彼の存在という、彼の現前という単純な事実の中にあるのに、世界のごくわずかの人々しかこの恩恵にあずかれないことは、ほとんど気の毒なことです!私が話した幾人かのヨーロッパ人は、マハルシを訪れた後、この訪問のためだけにはるばるインドにやってくる以上の価値があるとみなしていました。

 高い位の英国軍将校(アラン・チャドウィック)は、ただマハルシに会うためだけに、数年前にインドにやって来て、それ以来、アーシュラムに留まっています。相当不慣れな南インドの環境において、ヨーロッパ人にとって-それも、特に英国人にとって-それは大した偉業となるものです。

 結びに、マハルシの著作から、上で言及された英国人によってマハルシと共同で翻訳された詩節のいくつかを選び出します。

あなたがどのような名や形に対して祈ろうとも
それは遍く行き渡る至高者を見出す
手段でしかない。あなたが気づくようになりますように-
汚れなきの中のあなたの真の自ら
そして、それに、祝福に満ちた安らぎに溶け込みますように!
なぜなら、そのようにして完全なる実現が見出されている!
(40詩節、8)

正反対の二組のもの、三組のものも
全てがその源を現実である何ものかの内に持つ
その礎(いしずえ)ハートの深みの中で探し出せ
この礎が見出されるなら、それらは消え去る
それを見出した人々のみが真理を知っている
そして、そのような人々は決して困惑しないであろう
(40詩節、9)

体が自らであると思う人にとって
「私はこれでない」や「私はそれである」という思いは
探求に役立つ。しかし、どうして人はこれを
「私はそれである」を常に思い続けなければならないのか
「私は人間である」と思う人が存在するのか
その思いなく、人は常にそれのみである
(40詩節、36)

人の真の自らから離れて、他の誰が存在するのか
他の人々が言うことが何だというのか
それはまさしく自分自身を褒めたり、けなしたりするかのごとくである
それゆえ、汝が分離している決してと感じず
汝自身の現実である、それから逸することもなく
」の内にしっかと汝を常に立たせよ
(40詩節・補遺、38)

朗々とした声で我に宣言させよ
ヴェーダーンタの本質、そして、他の学派
全ての真髄を。自我を死なせ
汝自身をそれであらせよう!その時、残さるるは
純粋な意識、「」である自ら
そして、これこそが唯一なる現実である
(40詩節・補遺、40)

(shiba注)以上の詩節の元の英文は、アーシュラム発行のThe Poems of Sri Ramana Maharshiに掲載されているチャドウィック少佐が翻訳した英文と部分的に異なっていますが、ここではThe Poems of Sri Ramana Maharshiの英文の日本語訳をのせています。