2015年1月30日金曜日

シルディーの聖者、サーイー・バーバー - 異なる宗教間の調和の実践者

◇「山の道(Mountain Path)」、1969年1月 p39~40

いかなる宗教にサーイー・バーバーは属していたか

P.S.V.アイヤル
シュリー・P.S.V.アイヤルは、カルカッタ・サーイー・サマージの書記であり、その月報を編集することと別に、カルカッタのラマナ・ジャヤンティ祝賀会にも積極的に参加しています。彼はまた、マハルシの人生とその作品のいくつかを含む、Sree Ramana Geetikaというベンガル語の出版物を出版する手助けもしました。
   サーイー・バーバーはどの特定の宗教にも所属しているというそぶりは見せませんでしたが、極めて宗教的でした。彼はどの共同体もひいきにすることはありませんでしたが、宗教的な修練を奨励しました。ヒンドゥー教徒やゾロアスター教徒にならい、彼は聖なる火の世話をしました。彼は服装や行いにおいてイスラム教徒として通り、ダッタ(*1)とシュリー・ラム(*2)を敬愛しました。彼は敬虔なイスラム教徒の熱心さを持ってアッラー・マリク(*3)について語り、聖なるグル・プールニマー(*4)の遵守を命じました。

 サーイー・バーバーは、1838年、青年のころに、マハーラーシュトラのラーハター郡にある不毛の放置された村、シルディーへやって来ました。彼は共同社会間の調和の実験を行うために、この面白くない場所を選びました。今住んでいるように、その村には隣人として、当時、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の家族が住んでいました。彼らは互いによく言い争っていました。

 見知らぬ人として、バーバーは彼らの中の病人を薬草で手当てし、そして、彼らと仕事を共にしました。彼が彼らに施した奉仕とは別に、サーイー・バーバーは、彼のグル・ヴェーンクシャから彼が得た、そして、彼の苦行と犠牲的行為の力によって蓄えられた彼の達成と精神的な力によって、彼らの注目を引きつけ、彼らの称賛を強いることができました。彼のその存在によって、それゆえ、彼はこれらの素朴な農夫に仲たがいすることの無益さを理解させることができました。彼らはゴーダーヴァリ川の新鮮な水で沐浴し、それを持ち帰るために数マイル歩かなければなりませんでした。彼は彼らのために村に新たな井戸を掘り、村人を互いに協力して働かせることで庭園を設計しました。彼は一緒に、かしこく働くことによって彼らがいかにシルディーをより住み良い場所にできるかを彼らに示しました。

 村でサーイー・バーバーはモスクに住み、彼はそれをドゥワラカ・マーイと呼びました。このモスクで、彼は3本の丸太に火を付け、それは今日まで燃え続けています。この火の灰は、病気を癒やすことに奇跡的な効き目があると分かっています。サーイー・バーバーは彼のもとにやって来た人々を祝福し、彼らにあらゆる類の現世的利益と精神的利益を与えました。ここで、彼はナラシンハ・スワーミージが彼の傑作である『Charters and Sayings of SaiBaba』の中に編集した知恵の言葉を話しました。彼の寵愛を共に分かち合い、異なる共同体に所属する、これらの信奉者は、互いを信仰における兄弟とみなしました。

寺院でのアーラティの様子

 サーイー・バーバーは、ヒンドゥー教とイスラム教の熱狂者を皮肉ったカビール・ダース(*5)の歌を歌って大いに楽しみました。バーバーはヒンドゥー教の聖典とコーランに驚くほどの熟達を示しました。彼はアブドゥッラー・バーイにコーランを、マハルサパティに『バーガヴァタム』を、ナーナ・サーヘブ・チャンドルカールに『バガヴァッド・ギーター』を朗読するように指示しました。バーバーの愛情深い世話の下で、これらや他の信奉者たちは、知恵と精神性において成長しました。

 ある時、イスラム教徒がサーイー・バーバーの前に改宗者を連れて来ました。彼は彼の働きを誇りに思いました。しかし、サーイー・バーバーはそれを拒絶しました。彼は改宗者に父親を変えたことがあるのか尋ねました。彼は人がその過去のカルマによってそのもとに生れてきた宗教から誰が改宗することも決して許しませんでした。サーイー・バーバーは世界の主要な宗教の存在の正当性と必要性を認識していました。彼はバジャン、瞑想、自らの探求を彼の信奉者に勧めましたが、その中のどれが各々の宗教的訓示を損なうことにも反対しました。

 サーイー・バーバーは、ラーマナヴァミー祭(*6)の間にシルディーでウルス(*7)と呼ばれる定期市が催されるのを許可しました。ムスリムの商人にその定期市に参加する機会が与えられました。この祭りで催されるレスリングの試合では、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、シーク教徒の闘技者、それに加えて他のどの共同体に所属している闘技者でも(参加が)認められました。優勝者は、彼がどの共同体に所属していても、賞をさらっていきました。ラーマナヴァミーの行進では、ヒンドゥー教徒は旗を運び、イスラム教徒はサンダル・ペーストを含んだ円形盆を持ち出します。この習慣は今でもシルディーで続いています。そのように、姉妹共同体の成員を商売やスポーツや色とりどりの祭りに参加させることによって、バーバーは素晴らしい共同社会の調和を達成しました。

シルディーの祭り-ラムナヴァミー(シュリー・ラーマ・ナヴァミー) 第一部

 サーイー・バーバーが1918年10月15日にマハー・サマーディを得た時、彼の遺体を扱う方法をめぐってシルディーのヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間に論争が生じました。36時間後に、県の収税官の代理を務める役人の目の前で直接投票が行われ、多数決によって彼の遺体は、ゴーパル・ラオ・ブッティがクリシュナを崇拝するために建てた寺院の中に埋葬されることが決定されました。遺体はこの建物へ行列で運ばれ、そのために建設されたお墓に埋葬されました。その間中、遺体は腐敗や死後硬直もなく、新しいままでした。サーイー・バーバーの遺体を収納した寺院は、サマーディ・マンディールと呼ばれています。この場所で、師の生き生きとした存在を感じます。カーストや信条や国籍に関係なく、昼と夜に取り決められた奉仕に参列するために、ここにはバーバーの信奉者が大勢集まります。

 日に2回-正午に1回、夜の最後の時間にもう1回-催される(奉仕の締めくくりの)アーラティの時に、様々な共同体に所属する信奉者がマラーティー語の賛歌の朗唱に参加するのを見ることは、感動的な光景です。その機会に、サーイー・バーバーへの献身が世界中の様々な信仰をもつ人々の心と心をつないでいるのを見ることができるでしょう。

(*1)ダッタ・・・トリムールティ-シヴァ・ヴィシュヌ・ブラフマの3大神ー-を包含するダッタートレーヤー神のこと。
(*2)シュリー・ラム・・・ヴィシュヌ神の7番目の化身であるラーマのこと。
(*3)アッラー・マリク・・・マリクはイスラム教の3番目の神の名で、「王、所有者、支配者」という意味。「アッラー(神)が王である、(すべての)所有者(支配者)である」という意味。
(*4)グル・プールニマー・・・ヒンドゥー教と仏教徒によって行われる聖なる師や勉学の師へ感謝の気持ちを表し、捧げられる祭り。ヒンドゥー教徒は、伝統的に聖仙ヴィヤーサに、仏教徒は仏陀に敬意を表し、祝う。
(*5)カビール・ダース・・・インドの神秘主義的詩聖(1440~1518)。カビールは、イスラム教の37番目の神の名であり、「偉大なるもの」の意。彼の著作「ビージャク」の中で、ヒンドゥー教とイスラム教いずれにおいても、独断的な教えに反対し、コーランとヴェーダはひとまず脇に置いておくことを主張し、神の中の一体性への自然な(サハジャ)道を推奨した。
(*6)ラーマ・ナヴァミー祭・・・ラーマが、ダシャラタ王とカウサルヤー王妃のもとに誕生したことを祝う、ヒンドゥー教の祭り。チャイトラ月、白月(シュクラ・パクシャ)の9日目(ナヴァミー)に行われる。
(*7)ウルス・・・南アジアで行われる、スーフィー聖者の命日祭(http://www.e384.com/imadoki/03india/india_68.html)。


サーイー・バーバーの格言




私は無形であり、あらゆる所にいる

私は一切万物の内にあり、それを超えてある。私は全空間を満たしている
あなたが見る一切は、その全体として、私自身である
私は揺れも、動きもしない

我々の義務とは何か。礼儀正しく振る舞うこと。それで十分である

あなたが何をしようと、あなたがどこにいようと、常にこれを心に留めよ
私はあなたがなす一切のことに常に気づいている

私の宝物庫は開かれているが、そこから取り出すために荷車をもって来る者は誰もいない
私は「掘りなさい」と言うが、誰もかまわない

見られる一切は、私の姿である-蟻、ハエ、王子、貧者

この体は、私の家でしかない
私のグルは、ずっと以前に、それから私を奪い去った

バーバーがシルディーにしかいないと思う人々は、完全に私を知り損なっている

私は一切を平等な目で見る

神の許しがなければ、私は何も行えない

私は日夜、私の子供たちの面倒を見、どの1パイサについても神に報告せねばならない
賢者は快活であり、彼らの運命に満足している

あなたが裕福であるなら、謙虚であれ
植物は、実をつける時に、たわむ

金銭を施しに使え
寛大で、気前よくあれ。ただし、浪費することなく

世俗的活動を快活に続けよ。ただし、神を忘れることなく

人であろうがなかろうが、どのような生き物があなたのもとへ来ようとも
思いやりを持って扱え

富の重みの虜となるな

人の内に神を見よ

人々に怒鳴るなかれ。攻撃的になるなかれ。そうでなく、他者の不平を耐え忍べ

自らと他者、あなたと私の間には分離の壁がある
この壁を破壊せよ!

飢える者に食を、渇く者に水を、裸の者に衣を与えよ。その時、神は喜ぶ

サブリ(忍耐)は、あなたを遠くの目的地まで運ぶ

良い時も悪い時も、最後まであなたから離れない友を選べ

辛らつな言葉はあなたを貫かない。誰かがあなたを悪く言っても、ただ動じずにあり続けよ

誰とも闘うなかれ。復讐するなかれ。誰をも中傷するなかれ

私が溢れんばかりに与えるものを私から取り去りたいと思う者は誰もいない

真実を、ただ真実のみを語れ

あなたが対立や論争を避けるならば、神があなたを守る

怠惰になるな。働き、神の名を口にし、聖典を読誦せよ

他の人々の行為は、ただ彼らにだけ影響する
あなたに影響するのは、あなた自身の行いのみである

我々が一切の行為を神のなすこととみなすなら
我々は愛着を離れ、カルマの束縛から自由になる

あなたが行為の起因であると想像し、自我意識の虜となるなかれ
一切万物は神に起因している

正と邪を識別し、正直で、高潔で、有徳であれ

神の摂理に完全に信頼を置けよ

貧しさは富の中で最上であり、王の富より千倍も優れている

私の信奉者は一切万物を彼らのグルとみなす

起こることに満足し、快活であれ

神が与えるものは尽きず、人が与えるものは決して長くは続かない

誰かがあなたの気分を害しても、それに報復するなかれ

もし無形の瞑想が困難ならば、まさにあなたがここで見るように私の姿について思え
そのような瞑想によって、主体と対象の間の相違は失われ、心は一体性に溶け込む

他者の幸運によって、我々は何を失うのか
彼らと共に祝おう。もしくは、彼らを見習わんとして励め

あなたが他者の悪態に耐えることができないなら、ただ一言、二言簡単な言葉を言え
あるいは、ほうっておけ

神ははるか遠くにいない
彼は上の天国におらず、下の地獄にいない
彼はいつもあなたの近くにいる

形を伴って、もしくは、形を伴わずに私に瞑想せよ。それが純粋な至福である

2015年1月23日金曜日

ナーヤンマール - シヴァ神への愛に心が溶けた63人の信奉者

◇「山の道(Mountain Path)」、1977年7月 p157~159

ナーヤンマール(シヴァの信奉者たち)

V. A. デーヴァセーナーパティ博士

 実例は教訓に勝ります。人が話すことではなく、どのように生きるか、何を行うかが彼の同胞に影響します。特に哲学と宗教の分野において、これは当てはまります。我々は優れた教師たちの著作を読み、その考えを収集するかもしれませんが、それは我々の人生にほとんど影響を与えないかもしれません。その一方で、聖賢たちの人生は広く影響を及ぼします。我々がそれらを読む時、少なくともしばらくの間、我々は清められたように感じます。まさに沐浴が体を洗い清めるように、それらの伝記は心を清めます。

 シャイヴァ・シッダーンタとして知られるタミル・ナードゥのシヴァ派は、『ティルットンダル・プラーナム』をその12の重要な聖典(*1)の中の一つとみなしています。この著作は、『ペリヤ・プラーナム』として一般に知られています。ペリヤール、即ち、偉大な人物の人生を扱っているため、実際、それはペリヤール・プラーナムです。彼らの偉大さは、彼らが完全に利己心、「私」および「私のもの」という感覚を克服したことに由来します。彼らの人生は、ラマナ・マハルシの歌の中の祈り-「私の自我を根絶しなさい、アルナーチャラ・シヴァよ!」-の成就の実例です。

 マドゥライの寺院の彼らの聖像の前に、青年のころの彼を恭しい敬慕の気持ちで立たせたのは、おそらくは彼らの人生への彼の生まれついての慧眼であったのでしょう。彼(マハルシ)の偉大な体験の後、『ペリヤ・プラーナム』の物語と彼が寺院で見た63人のナーヤンマール(*2)の聖像が新たな意義を帯びたと述べ、スワミナサン教授は数年後のマハルシの体験の回想に注意するよう呼びかけます。「新たなる命への目覚めの後、私は一人で行き、長時間、シヴァやミーナークシやナタラージャや聖者たちの前で立ったものでした。私は感情の波が私を圧倒するのをよく感じました。私の心は以前握っていた体を手放しました。そのため、心はあらたに握るものを持ちたいと熱望し、それゆえに寺院への頻繁な訪問となりました。私はイーシュワラの前に立ち、私の献身が高まり、63人のそれのように永続的になるように、時折、私は彼の恩寵の降臨を願い求めました.... 私は彼らが持った同じバクティを私が持てるように願いました」<*1>。以前に、マハルシは一冊の『ペリヤ・プラーナム』に出会いました-そして、彼は、「シヴァの恩寵を得た63人の聖者の物語を読むにつれ、喜びに満ち溢れました」<*2>

「63人のナーヤンマールガル」のタイトルソング

 『ペリヤ・プラーナム』は、スンダラムールティ・スワーミ-の『ティルットンダルトーガイ』(*3)に基づいています。スンダラムールティが個々の聖者の名前に言及した後、九つの聖者の集団に言及していることは意義深いことです。それらの集団の一つは、「枠外の信奉者たち」です。それらの聖者たちは、物語が進む地理的、年代上の制約の枠を超えています。言いかえれば、スンダラムールティは、主の信奉者がいつどこに住んでいようとも、彼ら全てを含めたいのです。彼らは全ての場所の、全時代の信奉者です。

 『ペリヤ・プラーナム』は、ナンビアーンダール・ナンビの『ティルットンダル・ティルヴァンダーディ』(*4)に含まれる『ティルットンダルトーガイ』を少し詳しくしたものにも頼っています。『ペリヤ・プラーナム』は、四人の偉大なサマヤーチャールヤ(*5)の中の三人、つまり、ティルジニャーナサンバンダル、ティルナーヴッカラサル(アッパル)、スンダラムールティを扱っています。マーニッカヴァーチャガルの人生は扱われていませんが、おそらくは彼の名前が元々の一覧表に現れていなかったからでしょう。

 主の信奉者だけではなく、信奉者の信奉者もまた語られていることを特筆することは、興味深くあります。これは少し考慮する必要がある事柄です。①信奉者と②信奉者の信奉者を崇拝することは、正しいのでしょうか。崇拝は、神だけのためにとっておかれるべきではないのでしょうか。これらの問いへ答えるかのように、『ペリヤ・プラーナム』には前置きの物語があります。シヴァの一切を超越した本質をよく知り、シヴァの至福の中に喜ぶ、賢者ウパマニュが、無数の信奉者やヨーギに囲まれて、カイラーサ(山)の斜面に座っています。大いなる光輝を目にし、彼は崇拝して手を掲げ、集まった人々にそれは主の下へ向かうスンダラムールティであると告げました。シヴァのみを崇拝し、他の誰も崇拝しない彼が、どうしてスンダラルに服従の意を示すのか尋ねられました。彼は、「ハートで主を抱擁したナンビ・アールーラル(スンダラムールティ)は、我々が崇拝するにふさわしい」と答えました。ここに我々は、信奉者と信奉者の信奉者の崇拝の明確な例を見ます。彼らみなが、完全に利己性から救い出された人たちです。彼らの心は完全に主へ委ねられているため、彼らの中には他の何ものの余地も存在しません。その信奉者たちを崇拝する人々は、彼らのハートの中に安置された主のみを崇拝しています。それらの信奉者たちは、いわば、動き、生きている神の寺院です。

 そのような主への全てを抱擁する完全な愛の中で、信奉者たち(ナーヤンマール)は人生を過ごしました。愛の対象が無限であるため、愛の形もまた無限であり、性別や年齢や階級の区別を超えています。信奉者たちを動かした愛は、単純で易しげに見える形から人間の領域を驚くほど超えた形まで様々です。彼自身が偉大な克己で知られている、晩年のパッティナッタールは、(次のように)声高に言います。

 私にはできない。我が息子を切り刻み、あなたに食べさせることが-
 女性の嘲りによって刺された青年時代(の要求)を放棄することができず
 (主を知る)6日の内に、植え替えんとして我が目を抜き取ることができず
では、どうして私はカーラッティの主(*6)の召使いとなれるのか

 言及しているのは、息子を殺したシルットンダル(*7)、青年期に性的なことがらを放棄したティルニーラカンタル(*8)、そして、両目をえぐり取ったカンナッパルについてです。

 カンナッパルの物語は、時代を通じて、信奉者の心を感動させています。シャンカラとマーニッカヴァーチャガルは、この聖者を高らかに賛美した歌いました。聖典や哲学に親しんでいない狩猟の第一人者、カンナッパルは、シヴァの聖像への一切を食らい尽くす愛によって圧倒されました。彼は生肉を主へ差し上げ、それは寺院の聖職者を悲しませました。聖職者はそのような慣例にない崇拝の形に慣れていませんでした。聖職者がそれについてシヴァに祈りを捧げると、シヴァは彼に、「お聞きなさい!あなたに彼がどのような境地にいるのか我々が教えましょう。彼のあらゆる行為は、我々にとって愛しいのです。それを彼の真の境地であると知りなさい」と告げました。

 カンナッパルの愛がいかに真摯なものであったのかを示すために、主は聖像の片方の目から血を流させます。カンナッパルは、悲嘆にくれる中、出血を止めようとして知られているあらゆる治療を試み、彼の片方の目を植え替えようと突然に思います。出血は止まり、彼はたいへん喜びます。しかし、その喜びは束の間で、次の瞬間には、聖像のもう片方の目から出血があります。一時の躊躇もなく、カンナッパルは植え替えるために彼のもう一方の目を抜き取ります。マーニッカヴァーチャガルは(次のように)歌います。

彼が、我が陛下が、この(私)を見た時
カンナッパルのような愛は私の中になかった
比較にならないほど哀れな私を、恩寵の中、彼は自分のものにした

バクタ・カンナッパ・ナーヤナールの歌

 『ペリヤ・プラーナム』には、我々に狼狽や反感をもたらしそうな他の献身の記述があります。しかし、それらの恐ろしくまた、胸の悪くなるような物語の背後には、主への愛という唯一なる光明が輝いています。人が主や彼の信奉者を愛するなら、与えないでとりおくものは何もありません。どこに線を引こうとも、愛を否定することになるでしょう。愛は自らを含め、あらゆるものを放棄します。何であれ、とりおくものは何もありません。偉大な信奉者たちは、彼ら自身を、彼らに近しく愛しい者たちを、そして、一切の所有物を完全に放棄しました。

 『ペリヤ・プラーナム』には、驚かせるようなものではありませんが、その独自の方法で、同じ精神を明らかにする記述があります。例えば、プーサラール・ナーヤナール<*3>は、主のために寺院を建てたいと望みますが、必要なお金がありません。ひるむことなく、彼は次に寺院を心の中で建て始めます。実際の建物の場合のように、計画から建築まで、あらゆることに綿密に注意が払われます。建築が完了する時、主は寺院を実際に建設していたカンチープラムの首長のもとへ夢の中で現れ、プーサラール・ナーヤナールによって建てられた寺院に入りたいので、その寺院には入らないと彼に告げました。その首長は、プーサラールが住んだティルニンラヴールに旅し、心の中だけに寺院を建てた聖者に主が満足していることに気づきます。

 シヴァ、純粋な「私は在る」という意識の化身は、心によって作られたものでしかない一切の二元性を超越しています。彼は、在らざるものを包含する在るもの、闇を超越する光、その陰に過ぎないものとして醜・悪を持つ善・美です。愛の目にとってのみ、そのような献身の思いもよらない真意が明らかになります。ラマナ・マハルシは、ナーヤンマールの愛の抗しがたい美しさを見ることができ、さらには、全世界がそのような愛を知ることを望みました。彼らがどのような時代や場所にいようとも、聖者の人生をまことに理解するため、我々の目および心もまた開いて下さるよう、願わくは我々にマハルシへ祈らせ給え!

↓原注
<*1>『Ramana Maharshi』、K.Swaminathan、pp. 9-10
<*2>同上、p. 7
<*3>1966年1月号、p. 17.参照
↓shiba注
(*1)12の聖典・・・63人のナーヤンマールの賛歌をおさめ、『ティルムライ(聖なる書物)』と呼ばる。『ペリヤ・プラーナム』は、第12巻に該当する。『ペリヤ・プラーナム』の著者はセーッキラール。
(*2)ナーヤンマール・・・ナーヤナールの複数形。タミル・ナードゥで6~8世紀に活躍した、シヴァ神を奉じる63人の詩聖。
(*3)『ティルットンダルトーガイ(聖なる信奉者たちの集成)』・・・60人のナーヤンマールの伝記がおさめられている。
(*4)『ティルットンダル・ティルヴァンダーディ(聖なる信奉者たちの聖なるアンダーディ形式詩)』 ・・・63人のナーヤンマールの伝記がおさめられている。アンダーディ形式とは、各詩節の最後の文字が、次の詩節のはじめの文字になる形式。
(*5)サマヤーチャールヤ・・・宗教的指導者
(*6)カーラッティの主・・・シヴァ神。アーンドラ・プラデーシュ州にはシヴァ神を奉じるカーラッティ(カーラハスティ)寺院がある。聖者カンナッパはここで6日の内に真理を悟った(参考:http://yutan123.world.coocan.jp/tb/ind/Kalahasti.htm)。
(*7)シルットンダルの物語・・・修行者の姿をしたシヴァ神に食事を捧げるために、シルットンダル夫妻は1人息子を首をはねて、その肉をとり、料理した。修行者は息子が一緒でないと食べないと言い、妻が息子を呼ぶと息子は何事もなかったかのように駆けよってきた。気づいたら修行者も、調理した肉もなくなっていた(参考:http://www.shaivam.org/nachirut.html)。
(*8)ティルニーラカンタルの物語・・・陶器職人の男性は、神の名(ティルニーラカンタム)の下に妻をはじめ、女性に夢でさえ触れないという誓いをたて、厳格に守り、シヴァ神の祝福を受けた(参考:http://www.shaivam.org/nakuyava.html)。

2015年1月11日日曜日

マハーラーシュトラのサント・カヴィ(詩聖)-バクティとジニャーナの美しき融合

◇「山の道(Mountain Path)」、1968年10月 p275~279

マラーティーの詩聖たち

S.R.シャルマ教授
シャルマ教授は、プーナのファーガソン大学の引退した歴史学の教授です。彼はマハーラーシュトラの歴史と神秘主義いずれもの解説者として広く知られています。歴史の他に、彼は『Focus on Tukaram from a Fresh Angle』、『Teachings of Jnanadeva and Wisdom Beyond Reason』を記しました。
  13世紀から17世紀にかけて、ジニャーンデーヴ(1275-'96)からトゥカーラーム(1608-'90)に至るまで、マハーラーシュトラには詩聖たちのきらびやかの集まりが存在しました。全体的に見て、それは国に大変活力あった時期であり、ムガル帝国からの独立のためのマラーター闘争とシヴァージーの下でのその最終的達成までに及びます。しかしながら、概して、詩聖たちはそのような事柄に関心を示しませんでした。

 彼らはあらゆる社会的階級から招かれた、強く、荒削りな、無遠慮な王朝でした。ジニャーンデーヴはバラモンでしたが、仕立屋のナームデーヴ、陶工のゴーラ、庭師のサヴァンタ、掃除人のチョーカー、商人のトゥカーラームもまたいました。彼らの中には女性もいました。ジニャーンデーヴの妹ムクタバーイ、ナームデーヴの使用人のジャニ、チョーカーの妻のソーヤラです。彼らの卓越した特質は、バクティとジニャーナの美しい融合です。彼らは崇拝し、彼らが崇拝する神との一体性へ溶け込みました。これはとりわけトゥカーラームに顕著です。例えば、彼は、「私がパンダーリの主に瞑想する時、心と共に体は変容する。その時、話す余地がどこあるのか。私の私なる性質は、ハリとなる。心は神聖な意識に溶け込み、全創造物は神聖に映る。トゥカは言う。『どうして私に言い表わせるのか。突如として、私は神の意識の中に失われる』」と言明しました。

 そしてまた、「バクタの栄光は、彼ら自身にのみ知られる。他の者にとって理解することは困難である。この世に愛の幸福を増すために、彼らは実際に分かつことなく、二元性を表に現わす。これは信仰を通じて合一を体験した者たちにのみ理解される」(と言明しました。)

 ジニャーンデーヴは、彼の妹のムクタバーイと彼の2人の兄弟と共に、彼ら4人全員が詩聖でしたが、不幸な幼少時代を過ごしました。彼らの父はサンニャーサに入った後で、結婚生活に戻りました。そして、そのために、正統派のバラモンたちは家族全員を追放しました。彼らは若くして親を失い、彼らの天賦の才は彼らがまだ10代のころに輝き出ました。彼らの中で最も偉大なジニャーンデーヴは、ジニャーネーシュワル、「知恵の主」として良く知られています。彼の偉大な作品、『ジニャーネーシュワリー』は、『バガヴァッド・ギーター』の不朽の詩節注釈書です。これとは別に、アバング、または、賛歌、そして、彼のアヌバヴァームリタ、または、「不死の体験」もまたあります。彼自身がこの不死を得た後、彼は言います。

 「解放された者、熱望する者、束縛された者の間の区別は、この不死の体験が人に知られない限りのみ存続する。楽しむ者と楽しまれるもの、見る者と見られるものは、分かつことのできない不二の中に溶け込んだ。信奉者は神となり、目的は神となり、目的は道となった。まさしくこれが、全世界の中での独居である。」

 この崇高な達成は、22歳までに完成されました。その時、彼は彼の生涯の務めは終えられたと言明し、煉瓦でふさぐように指示を与えた後、特別に用意された地下室の中でおごそかにサマーディに入りました。これはプーナ地方のアーランディ村にありました。神聖で、静穏な美しい雰囲気がそこにはあります。そこには一本の木があり、その下で『ジニャーネーシュワリー』の詠唱の終わることのないの鎖が現在まで続いています。ジニャーネーシュワルは、マハーラーシュトラにとって絶えることない啓示の泉のままいます。彼はこの驚くべき王朝の礎であったと同時に、帝王でした。

サント・ジニャーネーシュワル-「アジ・ソーニヤ・チャ・ディヌ」

*    *    *    *

 次に現れたナームデーヴは、三人の兄弟をパラブラフマンの顕現として描き、彼らを輝ける太陽として語りました。彼自身が元来バクタであり、恍惚状態になりやすい人でした。若いころ、彼は泥棒で、人殺しでしたが、ある日、若い母親が彼女の父親のいない子供に、彼の父親が殺されたために貧しい中で生活しなければならないと説明するのをついに耳にし、彼は殺したのは私だと突然の恐怖と共に悟り、気持ちの著しい急変によって自ら命を絶とうと近くの寺院に駆け込みました。彼は止められましたが、彼は残りの人生を苦行と崇拝に捧げました。神聖な名の彼の恍惚とした称賛は、それへのマハルシの解説と共に、「Mountain Path」(1964年10月、pp. 236-7)に引用されています。彼はマラーティ語はもちろん、ヒンディー語でも記しました(北インドの大部分の言語がそうであるように、共にサンスクリット語由来の姉妹語)。そして、彼のヒンディー語の歌のいくつかが、創始者のグル・ナーナクが部分的に記し、部分的に編集したシーク教徒の聖典、『グラント・サヒーブ』に含まれていることに注目することは興味深くあります。

 彼はいまだ単純なヴィトーバーの姿をした神の信奉者でしたが、彼をより深い理解に目覚めさせたのは、ジニャーネーシュワルの妹、ムクタバーイでした。彼が彼女に会った時、彼女は彼を訓戒しました。

あなたが主の信奉者となったならどうなるでしょうか 
内なる避難所はあなたの理解を超えています: 
あなたは決して眼差しを神霊へと向けません! 
その時まで、あなたの神を敬う会話が何の役に立つでしょうか
あなたの自らをあなたは見つけてはいません:
私なる性質は、鉄のように固くあなたをつかんでいます
それでも、あなた自身の過ちを気に留めず、あなたは我々に我々の出自を尋ねます

 彼女はまた、彼のために記しました。

全ての形は永遠に、無形性によって行き渡られています
それは形を持ちませんが、マーヤに包まれ
信奉者たちは形を与えます、遍く行き渡る無限の内なるそれに

 神々しい集団の中の一人、掃除人のチョーカーもそのようであり、「神は形を持つのでも、形なくあるのでもない」と言明しました。

 もう一人、使用人の女の子、ジャナーバーイは、彼女が「神を食べ、神を飲み、神の上で眠り、神と共にすべての活動を行う」と感じました。

 ナームデーヴは1350年に亡くなりました。彼はそこに行く全ての信奉者がその聖なる足で彼を祝福するように、彼の灰がパンダルプールのヴィトーバー寺院の正面玄関の階段の下に埋められることを望みました。

サント・ナームデーヴ-「バクタジャナ・ヴァッサレ」

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 このきらびやかな集まりの中の次なる偉大な聖者は、エークナート(1533-'99)でした。彼はバクティとジニャーナは花と果実のようであり、分けて考えることはできないと説きました。彼はジニャーネーシュワル、ナームデーヴの伝統を続けました。『ジニャーネーシュワリー』の原文が損なわれたため、彼はそれを再編集し、彼の校訂版は今日まで受け入れられています。彼は学者でも詩人でもあり、『バーガヴァタ』の11章の彼の詩節解説は『ジニャーネーシュワリー』と同じく啓発的で、人気があります。(「バルダス」と呼ばれる民謡を含め)彼の豊かな内容の様々な作詩は、マラーティー文学をその比類なき特色で高めています。

 エークナートと同時代に、ゴアに住むオクスフォード出身のイングランド人イエズス会士、ステファン神父という人がいました。彼はマラーティー語で『クリスタ・プラーナ』を作り、それはエークナートの『バーガヴァタ』をはっきり彷彿とさせます。

 エークナートの純粋なアドヴァイタ的理解を明らかにする多くの言葉が存在します。彼は、「私の体はパンダーリであり、アートマはその中のヴィッターラである」と言います。そしてまた、「私が川で沐浴する時、水は液状の意識である!」(と言います)。

 彼は寛容と慈悲はもちろん、決して尽きることのない忍耐でも有名でした。彼は崇拝のための聖水を運んでいましたが、それをのどが渇いたロバに与えました。彼の祖先の記念日に、彼は不可触民を食事に呼び、バラモンのために用意された清められた料理を彼に与えました。

「カヤー・ヒ・パンダーリ、アートマ・ハ・ヴィッターラ」-サント・エークナート

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 この王朝の中の次なる偉大な人物、トゥカーラーム(1608-'50)の職業は無学な商人でしたが、ジニャーネーシュワル後のマラータの聖者たちの頂点に位(くらい)しています。女流詩人、バヒナーバーイは彼のことをジニャーネーシュワルがその基礎を敷いた建物の尖塔であると言いました。同時代の弟子、ラーメーシュワルは、「ジニャーナ、バクティ、ヴァイラーギャ(離欲)において、トゥカーラームに匹敵するものは誰もいなかった」と言明しました。今日でさえ、彼の歌は同時代の人々をそうしたように我々の感情を揺さぶります。

 秘密は、彼が深遠な理解と熱心な献身を伴って、歌の中で質朴な簡素さで、全く率直に自らを表していることにあります。彼は商いに何の興味も持てず、その結果、彼とその家族はしばしばひもじい思いをしました。彼の妻が口うるさくなったのも無理もありません。その地方のバラモンたちは、低いカーストに属しているため、彼は詩を作る権利がないと言明し、町を通って流れる川に詩を投げ入れるよう彼に命じました。素直に彼はそのようにしましたが、流れは傷つけることなく詩を岸に運びました。これに当惑して、彼の批判者たちは詩を捨てないでおくことを許しました。

 彼はいまだ体の内にいる間に、体の意識を超越しました。良く知られた詩の中で、彼は、「私は自らの目で私の肉体の死を目撃した。それはまさしく比類なく神聖なものであった!」と言明しました。(彼の模範のナームデーヴのように)彼はヴィッターラという神の一般的な信奉者として始まりましたが、超越的な体験を獲得しました。「私は神を見に行き、神へと姿を変えられ、そこに立った」と彼は言います。

 彼は人生の終わりに肉体的に消え去った珍しい聖者の一人です。お墓に入れる体がなかったため、彼には巡礼者がおもむく神殿はありません。かわりに、彼らは彼の詩が岸に運ばれた川べりの場所に行きます。そこには美しい雰囲気があります。

「アーナンダチ・ドーヒ・アーナンダ・タラング」-サント・トゥカーラーム

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 パンダルプール周辺に集中する、この聖者の集団とは別に、トゥカーラームと同時代の卓越したマラーティーの詩聖が他に二人いました。彼らの内の一人は、ムスリムのファキール、シェイク・ムハンマドであり、アフマドナガルにある彼のお墓はイスラム教徒にとってもヒンドゥー教徒にとっても同様に巡礼地になりました。もう一人はサマルタ・ラームダース、シヴァージーの力強い啓発者でした。彼の神殿はサタラ地方のサジャンガットにあります。

 シェイク・ムハンマドは、今日、主に彼の『ヨーガ‐サングラマ』、精神的闘争を「ヨーガの戦い」と描く、歌の中の長い寓話のために覚えられています。彼は、「私は洗練された話し方を知らない。教養あるパンディットは私の無骨な表現を笑うかもしれない。しかし、核心をのぞき込み、私の魂を理解せよ」と告白します。カビールのように、彼は宗教の基本的一致を理解していたので、「ラムとラヒーム、イーシュワラとアッラーは、全く同じものである」とカビールの如く述べたのかもしれません。彼は、外見や宗教が何であれ、全てのサードゥを同じものであり、絶対者に他ならないとみなしました。「ジャックフルーツの皮はざらざらし、棘だらけだが、中の果肉は甘い。ココナッツの殻は固く、ざらざらするが、中の乳と実は美味である」。彼はまた、「パラマートマと聖者の間に区別は存在しない。彼らは本質的に同一であるが、異なるように見える」と言いました。トゥカーラームはほとんど同じ言葉で、「全ての聖者は同じである。様々な色の牝牛からもたらされても、乳が全く同じであるのとまさしく同様に、彼らは外形のみにおいて異なって見える」と言いました。

 サマルタ・ラームダースもまた、同じことを言いました。「サードゥは異なって見えるが、自らに溶け込んだ。彼らは全て一なる現実の顕現である」。彼をパンダルプールの聖者の集団から区別したのは、彼らと異なり、彼は国民生活にもまた興味を持っていたことです。彼はシヴァージーのグルとなり、アウラングゼーブに対する自由闘争を鼓舞しました。彼の『ダース‐ボーダ』は類まれな価値を持つマラーティーの古典です。オーヴィー韻律で作られていますが、それは力強い散文の簡潔さと率直さを備えています。その実用主義には、最高の精神的価値観が染み込んでいます。それは日常生活の実用的な用語でヴェーダーンタを教え込みます。その啓発された行動基準は、全ての社会的階級にわたり、支配者と被支配者いずれにも当てはまります。

 ラームダースのメッセージと使命は、「マハーラーシュトラ・ダルマ」という意味深長な言葉に要約されました。彼の作品は、時代を通じてマハーラーシュトラに非常に特徴的である、現実主義と直観のかの混合を包含していました。実際、『ダース‐ボーダ』は、トゥカーラームのガーター、または、『歌の本』、そして、『ジニャーネーシュワリー』と共に、今日に至るまでマハーラーシュトラの「三ヴェーダ」とみなすことができます。それらは知性と感情の両方に訴えかけます。それらは詩節というよりもリズミカルな散文のように思われるかもしれない形で言い表わされています。しかし、それらは等しくサティヤム‐シヴァム‐スンダラム-「真理、純粋さ、美」が体現したものです。真理は体験されねばならず、これら(の人々)はそれを体験し、他者が体験すべく、それを指し示すことができました。

「マナーチェー・シュローカ」-サマルタ・ラームダース

(参考)・サント(聖者詩人)とパンダルプール巡礼http://el.minoh.osaka-u.ac.jp/flc/mar/lesson08/07.html

2015年1月1日木曜日

ムクティ、ムクタ、ムクティへの道々- ウパデーシャ・サーラムに基いて

◇「山の道(Mountain Path)」、1965年1月 p9~11

自らの実現への道々

B.V.ラーダークリシュナン博士

 ヒンドゥー教の四つのプルシャルタ、または、人生の目標-ダルマ、アルタ、カーマ、モークシャ(正義、繁栄、楽しみ、解放)-の中で、最後が最上のものとみなされています。チャルヴァカを除く、ヒンドゥー教の全思想体系は、サンサーラ、または、(輪廻)転生からの人の最終的解放を信じています。この最終的解放は、モークシャ、ニルヴァーナ、カイヴァルヤ、アパヴァルガと様々に呼ばれています。それを得るために、カルマ、バクティ、ヨーガ、ジニャーナという様々な道があります。シュリー・ラマナは、この号に引用されるウパデーシャ・サーラムの中で、その有効性に応じて、それらを段階に分けます。

 シュリー・ラマナは、アドヴァイタ・ヴェーダーンタの体現者です。彼は観念的な哲学者ではなく、理論を詳しく説明することを好みませんでしたが、現実の直接的体験からくる知恵を持っていました。

 彼が説いた解放、または、ムクティとは、ブラフマンと一体となることです。というよりむしろ、アートマとブラフマンの同一性は常に継続していて、幻によって隠されているだけであるため、それは至高なる自らと同一であるという自覚に目覚めることです。

 我々の視界から隠されていますが、この同一性は永遠に存在しています。「絶対的な意味において現実であり、全ての中で最上であり、虚空のごとく全てを貫通し、あらゆる変化を免れ、完全に満足し、不分割であり、その本質は自らの光であることであり、その中に善も悪もなく、結果もなく、過去や現在や未来が存在する余地のない、それ、かの無形なるものが解放と呼ばれている」(*1)。それは以前に存在しなかったものが存在するようになることではありません。なぜなら、何であれ存在するようになるものには終わりがあり、それゆえに束の間のものです。そのため、ムクティは達成や獲得ではなく、成るという過程の停止でしかありません。それは自らの廃絶ではなく、意識の拡大と輝きによる、その無限性と絶対性の実現です。それは未来の時に託されるべきではなく、スヴァルガやブラフマ・ローカや他のどのような名前で呼ばれる場所に位置づけられるべきではありません。それはただ在ります。

 シュリー・ラマナは、ムクティは得られるべき新たな何ものでもなく、我々の本質であると我々にしばしば思い出させました。「自らを実現するということは存在しません。自らは常に実現されています」(*2)それを知ることのみが妨げられていて、その妨げを我々は無知と呼びます。「『束縛されている私は誰か』探求し、自らの本質を知ることのみが解放です」(*3)自らの内には、束縛も解放も存在しません。無我の境地が、唯一なる現実です。

 インドの全ての聖賢のように、これはグルの恩寵を通じて実現されうると彼は確言しました。しかし、これはグルが我々の外側にいる別の個人ではなく、顕現した自らであることを暗に意味します。我々が我々自身を体と同一視する限り、我々はグルを我々の外側にいる別の身体的な個人であるとみなします。しかし、実際、我々は体ではなく、彼もまた体ではありません。実現とは、この理論的な理解を直接的な知識に転換することです。たとえ我々が体をグルと間違えても、彼自身はそのような誤りを犯しません。彼は我々を導くためだけに外側に現れます。これが、シュリー・ラマナが、自ら、神、グルは同じものであると述べた時に意味することです。そのため、彼には、「虎の口に陥った獲物が決して逃れることを許されないのとまさしく同様に、グルの恩寵を得た彼は、間違いなく救われ、決して見捨てられません」(*4)という素晴らしい発言をすることができました。

 では、誰がグルなのでしょうか。シュリー・ラマナがその用語を使う高度な意味において、グルは普遍的な自らとの途切れることのない意識的な同一性の中にいる完璧な聖者のみでありえます。「グルとは、自らの深遠な深みの中にいかなる時も留まる者です。彼は彼自身と他者の間のどのような違いも決して見ず、『私の周りにいる人々は束縛や無知の暗闇の内にいるが、私は悟った、または、解放された者である』という考えをまったく免れています。彼の冷静さはどのような状況下でも決して揺るがされるはずがなく、彼は決して動揺しません。」(*5)

 そのような人はジーヴァン‐ムクタ、生きているうちに解放された者と呼ばれます。「ジーヴァンムクタは外的な対象物の現実性を感じることをまったく免れている。ただそのような感覚を持つように見えるだけである。・・・彼の心は完全にブラフマンに溶け込み、永遠の至福を楽しんでいる。彼は二元性を免れている。目覚めているが、彼は目覚めの状態の性質を免れている。この体の内にいる間にさえ、影のように付き従う『私』と『私のもの』という考えの欠如が、ジーヴァンムクタの特徴である。彼は過去の楽しみを引きずらず、未来を気に掛けず、現在を平静を持って眺める。彼は苦楽によってかき乱されず、(輪廻)転生の束縛を免れている。」(*6)

 ジーヴァンムクタが無知の支配下にあることがありえるのでしょうか。ありうるということが伝統的に認められています。これは白いキャンバスの上の黒い影になぞらえられます-それは彼にどのような影響も及ぼすことはできません。彼の継続する身体的存在は、壺を作った後で、しばらくの間、回転する陶工のろくろに例えられます。シュリー・ラマナは、それを電気が切られた後でも数回、回転する扇風機に例えたものでした。アジニャーナレーシャ、または、無知は、ろくろの継続する勢いです。解放された人にとって、それはさらなるカルマを作りません。彼の中に活動として見えるものは、アカルマ、即ち、無為、無執着の行為でしかありません(*7)

 完全な解放は体の破壊の後にのみ得られうると言う人たちもいますが、それは知る人々から受け入れられません。シュリー・ラマナは、「(ジーヴァンムクティとヴィデーハムクティの間の)違いは存在しません。尋ねる人々のために、体を伴う覚者がジーヴァンムクタであり、彼が体を脱ぎ捨てた時にヴィデーハムクティを得ると言われていますが、この違いは傍から見る人にだけ存在し、彼には存在しません。彼の境地は、体を脱ぎ捨てる前と後で同じです」(*8)と明確に断言しました。

 では、彼はいまだカルマに束縛されているのでしょうか。シュリー・ラマナは我々に完璧な回答を与えて、彼はもはや彼自身を体と同一視していないため、体は(束縛されている)かもしれないが、彼は(束縛されて)いないと言いました。「実のところ、覚者は一切の運命を超越し、体にも、その運命にも束縛されていません。」(*9)

 さて、目的地の検討から道へ移りましょう。シュリー・ラマナは、カルマ、または、行為は決して解放に通じえないと説きます(*10)しかしながら、愛着なく、神への奉仕の精神において行われる行為は、解放の道を示し、心を清めることができ、そうして、より効果的な道をとることを可能にします(*11)崇拝や儀式という身体的行為、復唱のような声による行為、そして、瞑想のような純粋な心による行為は役立ち、この順序で、それぞれが先のものよりも役立ちます(*12)

 行為の一つの形である呼吸の制御についての彼の判断も同様でした。「呼吸の制御の修練は心を抑制することに役立つだけであり、その最終的消滅をもたらすことはできません。」(*13)

 実際、彼は呼吸の制御は独立した技法ではなく、心の制御へ通じる道であると説きました。「呼吸の制御は心の制御に役立つものであり、そのような何らかの助けなくして心を制御できないと気づく人々のために勧められます。心を制御し、集中できる人々にとって、それは必要ありません。人が心を制御できるようになるまで、最初それを使うことはできますが、その後、放棄されるべきです」(*14)。「心は呼吸の制御の修練によって退きますが、呼吸と生命力の制御が継続する限りのみ、そのように退いたままにあります。それらが放たれる時、心もまた放たれ、即座に外に向かい、その微細な傾向の力を通じ、さ迷い続けます。」(*15)

 さあバクティの道へやって来ましたが、シュリー・ラマナは、熱烈な献身を通じて一切の思いを超え、真に「在る」ものの内に留まることが、至高なるバクティのまさにその本質であると言いました。真実のバクティは、自我を完全に委ねた結果、それが何も残らないことであり、自らの探求によって自我が存在しないと発見するのと同じことになると説きました。「ただ二つの道しかありません」と彼はしばしば言いました。「あなた自身に『私は誰か』問いなさい。もしくは、委ねなさい。」

 自らの実現への最も直接的な道が、自らの探求であると彼は説きました。それは、自らがすでに実現されていないと人に思わせる障害物を取り除くことによって、自らの実現へ直接的に通じます。「たとえ心が他の手段によって退くにしても、それは見かけ上そうあるだけです。それは再び生じます。」(*16)

 すでに説明したように、全ての技法の有効性を段階に分けましたが、時折、シュリー・ラマナは全ての方法を容認しました。彼はまた、自らの実現という最終的な境地は、どのような道やどのような宗教を通じて近づいても同じであると言いました。しかしながら、最も効果的な方法は、自らの探求です。「カルマ、バクティ、ヨーガ、ジニャーナの唯一の道は、カルマ、ヴィバクティ(献身の欠如)、ヴィヨーガ(分離)、アジニャーナ(無知)を持つのは誰なのか探求することである。この探求を通じて、自我は消え、それらの否定的な性質のどれもがかつて存在しなかった自らに住まう境地が真理として残る(*17)。様々な色の牝牛からとられても、牛乳が一様に白色であるのとまさしく同様に、実現もまた、どのような宗派に属するのであれ、全ての人々にとって一様です(*18)

 実際、自らの内に自我を溶け込ますことに通じるなら、全ての道は良いものです。信奉者が委ねと呼ぶものを、アドヴァイティンは知と呼びます。両者が同様に、自我をその源まで連れ戻し、そこにそれを溶かします(*19)。一方は、愛の祭壇の上に自我を捧げ、他方は、それが存在せず、決して存在しなかったことを発見します。自我の非存在という同じ究極の地点に、両者が到達します。

(*1)『Vedanta Sutras with Sankara's commentary』、1-1-4
(*2)『Talks with Sri Ramana Maharshi』、p. 490. Sri Ramanasramam. v-
(*3)「Who Am I?」、p. 46-47. (『Collected Works of Ramana Maharshi』、Rider & Co.)

(*4)同上、p. 44.
(*5)『Ramana Maharshi and the Path of Self-Knowledge』 Arthur Osborne著、p. 140. Rider & Co.
(*6)『Shankaracharva's Viveka Chudamani』、w. 429-436.

(*7)『Bhagavad Gita』、IV, 20.
(*8)『Teachings of Ramana Maharshi in his own words』、p. 192、 Arthur Osborne編, Rider & Co.
(*9)同上、p. 188.
(*10)(この号に記載された)「Upadesa Saram」、 v. 2.
(*11) 同上、 v. 3.
(*12) 同上、 v. 4.

(*13)「Who am I?」、p. 43
(*14)『The Teachings』、p. 146.
(*15)「Who am I ?」、p. 42

(*16)同上、p. 42.
(*17)「Supplementary Forty Verses」、 v. 14 (『Collected Works』).
(*18)「Atma Satshatkara」、 v. 42 (『Collected Works』).
(*19)『Day by Day with Bhagavan』、 vol. 11、 p. 35. Devaraja Mudaliar著, Sri Ramanasramam.