2013年6月27日木曜日

『マハルシの福音』 第2巻 第2章 サーダナと恩寵

◇『Maharshi’s Gospel -The Teachings of Sri Ramana Maharshi』 2009年15版、p42-45


マハルシの福音


第2巻 第2章 サーダナと恩寵 


信奉者:
 神に関する研究は、はるか昔から続いています。最終的な結論は言われているのでしょうか。

マハルシ:
 (しばらく沈黙を守る。)

信奉者:
 (困惑して)シュリー・バガヴァーンの沈黙を私の質問への返答とみなすべきでしょうか。

マハルシ:
 ええ。マウナ(*1)は、イーシュワラ・スワルーパ(*2)です。それゆえ、聖句には次のようにあります。

至高なるブラフマンの真理は、沈黙の雄弁(*3)を通じて、表明された

信奉者:
 ブッダは、神についてのそのような質問を無視したと言われています。

マハルシ:
 そして、そのために、彼はスーニャ・ヴァーディン(虚無主義者)と呼ばれました。実際には、彼は神などについての学術的な議論よりも、今ここで至福を実現するように探求者を指導することに関心を持っていました。

信奉者:
 神は、顕現し、かつ、未顕現だと評されます。前者として、彼の存在の一部として世界を包含していると言われています。もしそうであるなら、その世界の一部として私たちは、顕現した姿のを楽に知っていたはずです。

マハルシ:
 神と世界の性質について決定しようと努める前に、あなた自身を知りなさい。

信奉者:
 自分自身を知ることは、神を知ることを意味しますか。

マハルシ:
 ええ、神はあなたの内にいます。

信奉者:
 では、何が私が自分自身を、神を知ることの妨げになっているのですか。

マハルシ:
 あなたのさ迷う心と誤った方法です。

信奉者:
 私は弱い人間です。でも、どうして内なる主の優れた力は、その障害物を取り除かないのですか。

マハルシ:
 いいえ、はします。あなたがそれを熱望していれば。

信奉者:
 が私の中に熱望を作りだしても構わないのではないですか。

マハルシ:
 では、あなた自身を委ねなさい。

信奉者:
 私が自分自身を委ねるなら、神への祈りは必要ありませんか。

マハルシ:
 委ね自体が、力強い祈りです。

信奉者:
 しかし、人が自分自身を委ねる前に、の性質を理解することは必要ではないですか。

マハルシ:
 神が、あなたがにして欲しいと思う全てのことをあなたのために行うとあなたが信じているなら、あなた自身をに委ねなさい。そうでないなら、神に構わないで、あなた自身を知りなさい。

信奉者:
 神またはグルは、私を気遣ってくれていますか。

マハルシ:
 あなたがどちらかを探し求めるなら-彼らは本当は2人でなく1人で、まったく同一ですが-彼らは、あなたがおよそ想像しうる以上の気遣いであなたを探し求めているので、安心しなさい。

信奉者:
 イエスは失われたコインの喩え話を挙げ、そこで女性は見つかるまでそれを探します。

マハルシ:
 ええ、それは神またはグルが熱心な探求者を常に探しているという真理を的確に表現しています。仮にコインが無価値な破片であるなら、女性はそんなにも長く探さなかったでしょう。それがどういう意味か分かりますか。探求者は、献身などを通じて資格を得なければいけません。

信奉者:
 しかし、人は神の恩寵を完全には確信していないかもしれません。

マハルシ:
 未熟な心が恩寵を感じなくても、神の恩寵が欠けていることにはなりません。というのも、それは、時には神が恵み深くない、つまり、神であるのをやめることを暗示するからです。

信奉者:
 それは、「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように(*4)」というキリストの言葉と同じですか。

マハルシ:
 まさしくそうです。

信奉者:
 ウパニシャッドには、アートマンが選ぶ者のみがアートマンを知ると書かれていると聞いています。そもそもどうしてアートマンは選ばなければならないのですか。それが選ぶなら、どうして特定の人を(選ぶのですか)?

マハルシ:
 太陽が昇るとき、いくつかのつぼみだけ花開き、全ては花開きません。そのことで、あなたは太陽を非難しますか。つぼみもひとりでには花開けず、そうするには太陽光を必要とします。

信奉者:
 アートマンの助けが必要とされるのは、それ自身にマーヤーという覆いをかぶせたのはアートマンであるからと言ってはいけませんか。

マハルシ:
 そう言ってもかまいません。

信奉者:
 アートマンがそれ自体に覆いをかぶせたなら、アートマン自体が覆いを取り除くべきではないですか。

マハルシ:
 そうするでしょう。誰にとって覆いがあるのか確かめなさい。

信奉者:
 どうして私がしなければならないのですか。アートマン自体に覆いを取り除かせましょう!

マハルシ:
 アートマンが覆いについて語るなら、アートマン自体がそれを取り除くでしょう。

信奉者:
 神は人格をもちますか(personal)

マハルシ:
 ええ、は常に第一人称(the first person)、私であり、常にあなたの前に立っています。あなたが世俗的な物事に優先権を与えているため、神が背景に退いているように見えます。あなたが他の全てを放棄し、のみを求めるなら、のみが私、自らとして残るでしょう。

信奉者:
 実現の最終的な状態は、アドヴァイタによれば神(the Divine)との絶対的合一であり、ヴィシシュタ・アドヴァイタによれば限定的合一であると言われていますが、他方、ドヴァイタは、合一は全く存在しないと主張します。このどれが正しい見解とみなされるべきですか。

マハルシ:
 どうして未来のいつかに起こることについて思いを巡らすのですか。皆が、「私」が存在することとを認めています。どの思想学派に人が属していようとも、熱心な探求者にはじめに「私」は何か見出させましょう。その後で、「私」が至高の存在に溶け込むのであれ、と離れているのであれ、最終的な状態がどうなるのか知る時間は十分にあるでしょう。結論を先取りせず、広い心でいましょう。

信奉者:
 しかし、最終的な状態についていくらか理解することは、志高き者にとってさえ役に立つ導きになりませんか。

マハルシ;
 実現の最終的な状態がどうなるのか今、決定しようと試みることは何の役にも立ちません。それに本質的な価値はありません。

信奉者:
 どうしてそうなのですか。

マハルシ:
 なぜなら、あなたが間違った方針に基づいて進むからです。あなたの確認は、自らから得る光によってのみ輝く知性に頼らなければいけません。自らの限定された顕現でしかなく、その小さな光を自らから得る知性が自らに判断を下すことは、知性の側の僭越ではありませんか。

 どうして決して自らに到達できない知性に、実現の最終的な状態の性質を確かめる、ましてや、決定する能力がありますか。それは、ろうそくから得られた光という基準で、太陽光をその源で測ろうとすることのようです。ろうそくが太陽の近くのどこかに来る前に、ろうは溶け落ちるでしょう。

 単なる推測にふけらずに、常にあなたの内にある真理の探究に今ここで専念しなさい。

(*1)マウナ・・・サンスクリット語。「沈黙、静寂」。
(*2)イーシュワラ・スワルーパ・・・サンスクリット語。「神の本質」。
(*3)沈黙の雄弁・・・「silent eloquence」の訳、「静かなる雄弁」とも訳せます。
(*4)マタイによる福音書、9:29

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