2011年12月17日土曜日

デイヴィッド・ゴッドマン氏によるバガヴァーン・ラマナの紹介

◇「Living the Inspiration of Sri Ramana Maharshi」、p3からの抜粋(

デイヴィッド・ゴッドマンとマーロク(現在、アメリカで教鞭をとるインド人の学者)の対談

マーロク:
 あなたは、あなたが本に記していた人々に明らかに尊敬の念を持っています。そのことは、事実について客観的でいることを難しくしませんでしたか。たとえば、もし、あなたがその人々や彼らの生き方で何か「あまり好ましくないこと」(少なくとも一般的な読者にはそう思われること)を見たとして、彼らに対する尊敬の念を持っているとするなら、本にそれ含めないようにする傾向がありえたのではないですか。

デイヴィッド:
 まず、ラマナ・マハルシについて始めましょう。私は彼の生き方と教えについて、その最後の25年の大部分を研究していますが、その全期間おいて、人々が彼について悪く考えるだろうという理由から公開しないようにした出来事は、ただの一つもありません。

 彼の振る舞いや態度は、いつでも非の打ちどころのないものでした。我々が聖者らしさを連想する全ての性質が彼の中にありました。親切、寛容、謙虚、平等、忍耐など。

 数十年間、彼は完全に公衆の目にさらされた生活をしていました。彼は自分専用の私室を持たなかったため、そのあらゆる行動と言動は調べることができました。トイレに行ったとき以外、彼は決して閉ざされたドアの後ろにいませんでした。1940年代まで、あなたが朝の午前2時に彼に会いに行きたかったなら、彼が生活する講堂に歩いて入り、共に座れました。

 時折、信用を失墜させようとして彼に関する話をでっちあげる人もいましたが、彼のすぐそばで行動する人は誰もその話を信用しませんでした。単純にスキャンダルや不品行の余地は皆無でした。なぜなら、彼の生き方はまったく公然のもので、聖者そのものでした。彼はお金を決して扱いませんでしたし、誰の悪口も言いませんでした。杖と水差し以外何も持っていませんでした。そして、彼は決して女性と二人っきりになりませんでした。彼の生き方を一度も観察したことがない人だけが、彼についてのスキャンダルをでっちあげ、他の人がそれを信じることを期待できました。

 部外者が彼についての話をでっち上げた時、シュリー・ラマナはうんざりした様子というより、むしろ楽しそうに反応したものでした。1930年前半、不満を持った元信奉者が彼についてひどく中傷する内容の小冊子を出版した時、アーシュラムの管理者はシュリー・ラマナとアーシュラムの名誉を守るため、裁判所に行き、著者を相手取って訴訟を起こそうとしました。シュリー・ラマナは彼を引き留め、「かわりに正面の門のところで販売したらどうですか。良い信奉者は、それを読んでその一言も信じないでしょう。悪い信奉者は、それを信じて離れていくでしょう。そうすれば、ここに来る人が少なくなるでしょう」 と言いました。

 もちろん、管理人はそのような提案に決して同意できませんでした。というのも、そのような口汚い小冊子がアーシュラムの敷地内で売られることに信奉者たちは我慢できなかったでしょうから。しかしながら、この出来事全体は、シュリー・ラマナの性格の興味深い一面を表しています。彼は個人的な批判に動揺しなかっただけでなく、たまにそれを楽しんでいましたし、非常に喜んでいるように見えることさえありました。

 聖典では、称賛と非難への反応が、悟りが起こる前にもっとも消えにくいものの一つであると述べられています。それはシュリー・ラマナにおいて全くありませんでした。

 非常にわずかな人しか聞いたことのない別の話をさせてください。昔、シュリー・ラマナが生活していた講堂には、スクラップブックがありました。新聞に彼に関する記事が載ると、誰かがそれを切り取って本にはりつけました。それらは彼の生活や教えやアーシュラムに関する情報を与える中立的な報告か、とても好意的にラマナを推薦するものでした。ある日、非常に批判的な報告が紙面に現れました。シュリー・ラマナは自分でそれを切り取って、スクラップブックの表紙にはりつけ、ショックを受けた全ての信者の異議を却下しました。彼は、「全ての人が自分の意見を持つべきです。どうして良い報告だけを保存しなければならないのですか。どうして悪い報告を伏せなければならないのですか」と言いました。

 これはシュリー・ラマナについて悪い話がないということを言うための遠回しの方法です。ですから、悪い話を伏せておくという問題は起こりません。

 数年前、私は1920年代はじめからシュリー・ラマナと共にいたクンジュ・スワーミーと私の友人のマイケル・ジェイムズと座りながら話をしていました。クンジュ・スワーミーは彼の本の1冊を改訂していて、シュリー・ラマナに悪い印象を与えるだろうと彼が思う2、3の話を削除しました。私にとっては、その削除は意味のないものでした。

 たとえば、1918年にサードゥ・ナタナナンダがシュリー・ラマナのところに初めて来た時、彼は街の寺院にいたある人に道を尋ねました。彼が話しかけたその人は、「その人に会いに行って時間を無駄にしないほうがいい。私は彼を16年間訪問している。彼は全ての人に全く無関心だ」と言いました。

 クンジュ・スワーミーは、バガヴァーンを16年間訪問してもその恩恵を感じないことがありうると人々に思って欲しくなかったので、この答えを削除したかったのです。私にとって、このことは、この特定の訪問者の精神的な未熟さの不名誉であり、シュリー・ラマナの変容させる力への批判ではありません。この話はシュリー・ラマナの偉大さを認識できない人を強く非難していて、シュリー・ラマナ自身を非難していません。 雨は1日に24時間降るかもしれません、しかし、不毛の土地では何も育たないでしょう。

 ともかく、マイケルはクンジュ・スワーミーに、「あなたがシュリー・ラマナと関わってきた30年間(1920-50)で、とても悪かったり恥ずべきことなので、彼の公のイメージに傷がつくと思い、あなたが誰にも言えないとか、公開できないと感じるようなことをシュリー・ラマナが行ったり、述べたりしたことを今まで見たことがありますか」と尋ねました。クンジュ・スワーミーは少し考えて、「いいえ」と言いました。「では、我々は話を検閲して削除することによって誰を守っているのでしょうか」とマイケルは尋ねました。彼は返答を得ませんでした。

 クンジュ・スワーミーは、シュリー・ラマナが彼のもとへやって来た全ての人を変容させる偉大なる全能の存在でないとかすかにさえ読者に思わせるかもしれない話を取り除くことを、グルへのバクティ(献身)の表現であると思っていました。私は別の見解です。私はシュリー・ラマナのイメージを良くしようとする必要があるとは全く思いません。彼の人生の検閲されない真実が、自ら語るからです。



デイヴィッド・ゴッドマン氏へのインタビュー

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