2011年12月17日土曜日

A.W.チャドウィック少佐によるバガヴァーン・ラマナの紹介

◇『A Sadhu’s Reminiscences of Ramana Maharshi』、A.W.チャドウィック少佐

A.W.チャドウィック少佐とバガヴァーン・ラマナ

-p22~23からの抜粋-


 バガヴァーンはとても美しい人でした。彼は目に見える光、もしくはオーラ(香気)で輝いていました。彼は私が今まで見た中でもっとも繊細な手をしており、それだけで彼自身を表すことができ、言葉といっても良いぐらいでした。彼の目鼻立ちは整っており、彼の目の奇跡的な働きは有名でした。彼の額は広く、頭の円頂は私が今まで見た中で最も高いものでした。インドで、これは智慧の円頂として知られているので、そうあるのはまったく自然なことでした。彼の体の形は美しく、中背でしたが、これは見てはっきり分かるものではありませんでした。彼の人格がそびえ立っていたため、彼は身長が高いように見えていたからです。彼はたいへんユーモアのセンスがあり、話すときに微笑みが顔から遠ざかることは決してありませんでした。

 彼はレパートリーにたくさんの冗談を持っており、偉大な俳優でした。彼が話すどんな話の主人公も、いつも劇のように表現しました。物話がとても感動的になると、彼は感情にあふれ、先に進めませんでした。人々が家族の話を携えて彼のところに行くと、幸福に笑い、時には家族を亡くした人と共に涙を流しました。この方法で、彼は他者の感情に報いているようでした。

 彼は決して怒鳴りませんでした。彼がたまに怒っているように見えても、彼の安らかな外観にその兆しはありませんでした。その後すぐに彼と話すと、彼は穏やかに、まったく静かに応じました。他の人では、原因がなくなった後でさえ、怒りのなんらかの影響がまだしばらくは残ります。我々はみな、内面の平静を取り戻すために時間を要しますが、彼には何の反応もありませんでした。

 彼は決してお金に触れませんでした。それを嫌っていたからでなく、日常生活の目的ために必要であると知っていましたが、彼がお金をまったく必要としていなくて、それに興味がなかったからでした。お金や贈り物はアーシュラムに届きました。なるほど、それは結構なことで、運営するためにはそれらが必要でした。しかし、その心配をしたり、人にくれるよう頼む必要はありませんでした。神が与えるものでした。

 人々は彼がしゃべらないと言いましたが、これは彼に関するその他の馬鹿馬鹿しい伝説の多くと同じく、本当ではありません。彼は不必要に話しませんでした。彼の見かけの沈黙は、ただ、我々の間でいかに多くの馬鹿馬鹿しいおしゃべりが行われているかを示しました。

 彼はあらゆる類の簡素さを好み、床に座ることを好みました。しかし、長いす(寝台)が彼に押し付けられると、それは24時間の大部分、彼の家となりました。

 可能な限り、彼は決してひいきされるのを許しませんでした。食堂では、この点において非常にかたくなでした。たとえ何か特別な薬や強壮剤が彼に与えられたとしても、彼はすべての人と分けることを望みました。「これが私にとって良いなら、残りの人にとっても良いはずです」と述べ、食堂の周りでそれを配らせました。

 彼は一日に数回(アルナーチャラの)山を歩きました。地上にあるもので彼が愛着を持っているものがあるとするならば、その山に違いありませんでした。彼はそれを愛し、それは神そのものであると言っていました。
 

-p32~33からの抜粋-


 彼は所作がとても優美であり、彼が食事をとるのを見るのは楽しみでした。彼はいつも葉っぱ(のお皿)をとても奇麗に後に残したので、それは使われていなかったように見えました。インド人の流儀で綺麗に食べることは、それだけで一つの技術であり、バガヴァーンはその名人でした。

 彼はいつも几帳面に清潔であり、彼の体はかすかな芳香を放っていましたが、彼は決して香水石鹸を使いませんでした。昔、彼はかぎ煙草を使っていましたが、私がアーシュラムに加わる前にやめていました。食事の後すぐ山へ散策に出かける前に、彼は普段よくキンマを噛んでいたものでした。その後すぐ、彼は念入りに口をゆすぎました。彼の唇には汚れが全くなく、数分だけ噛み、その後は、単に消化剤としてでした。

 ある朝、バガヴァーンは出かけようとしていて、付添人がキンマを彼に渡すのをただ待つのみでした。散歩の時間になる時、それはいつも彼のそばに置かれていました。何かの理由で、付添人はそれをしませんでした。講堂にいた全ての人が期待して待っていましたが、(アーシュラムの)運営陣が特別に使わされた人たち以外誰もバガヴァーンに仕えることを許さなかったので、それについて何もできませんでした。ついにバガヴァーンは立ち上がり、それなしで講堂を離れました。その日から、彼は二度と(キンマを)噛みませんでした。彼は誰にも、そのようなことを世話するのが義務である付添人にさえ不便をかけず、またどのような習慣にも束縛されていませんでした。全ての人がキンマが体が痛みに耐えることを助けると思っていたので、我々みながこの不幸な出来事を残念に思いました。しかし、体の健康の何が重要だったのですか。彼はよく、「体そのものが最悪の病です」と言いました。

 バガヴァーンはいつも途方もない安らぎを発していましたが、ジャヤンティ、マハープージャー、ディーパムなどの祝典のように、アーシュラムに人々が集まる機会に、それは並外れた程度に高まりました。多くの人々が何らかの隠された力の蓄えを呼び起こすようであり、そのような時に彼と共に座るのは素晴らしい体験でした。彼の目はうっとりとしたまなざしを呈し、古くからの信奉者が平伏した時にそれを認める時折の笑顔を除き、周囲に気づいていないかのように、彼は完全に静止して座りました。



◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』、 p7

45年3月31日 

 数日前の夜、夕食後、バガヴァーンが講堂の東のベランダにある簡易ベッドの上で休んでいた時、何やら面白いことが起こりました。彼は南に顔を向けていました。チャドウィックは、バガヴァーンの背後に座っていました。バガヴァーンが腰を下ろし、クッションに寄り掛かるとすぐ、チャドウィックは背後からこっそりと気付かれずにバガヴァーンを(うちわで)あおぎました。バガヴァーンが振り返って見ると、チャドウィックはうちわを引っ込め、じっとしていました。バガヴァーンが顔を南に向けると、チャドウィックは再びあおぎ始めました。バガヴァーンは振り返ると、チャドウィックはやめました。バガヴァーンはどのようにそよ風が彼に当たったか分からないままでした。すると、チャドウィックが笑い出し、バガヴァーンもその笑いに加わりました。このことは、非常に卓抜した師とさえ、どのように信奉者が戯れられ、両者とも子供のように冗談を楽しめるかを示しています。

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