2014年5月24日土曜日

バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシの年表

◇「山の道(Mountain Path)」、1979年1月 p23~25

 ookuwaさんの「マハルシの年表」(http://ookuwablog.blog94.fc2.com/blog-entry-6.html)もぜひ参考にして下さい。とても詳しくのっています。(文:shiba)

- マハルシの人生における重要な出来事 -


1879年 

12月30日、月曜日-タミル暦のプラマディ年、マールガリ月、16日に相当-プナルヴァス星-アールドラ・ダルシャン日-ティルチュリで午前1時に生誕(「シュリー・スンダラ・マンディラム」)。

1891年

   初等教育をティルチュリで修めた後、ディンディグルに移動。

1892年 

2月18日 : 父スンダラム・アイヤルの死。マドゥライへ移動。スコット中学校とアメリカン・ミッション高校で学ぶ。

1895年 

   11月1日 : ある年配の親戚の人が彼に言った「アルナーチャラ」を耳にする。

1896年 

(6月半ばごろ) : 完全で、永久的な自らの実現に帰着するマドゥライでの「死の体験」(「シュリー・ラマナ・マンディラム」)。-8月29日、土曜日 : マドゥライを離れ、アルナーチャラへ-9月1日、火曜日 : アルナーチャラに到着-寺院の敷地内の千柱講堂、イルッパイ樹の下、パーターラ・リンガ(地下室)の中、時にはゴープラムに滞在。

1897年

町外れにあるグルムールタムに移動(その年の初めごろ)。その寺院に隣接するマンゴー果樹園に滞在(1年半)。

1898年 

5月 : 叔父のネッリアッパ・アイヤルがマンゴー果樹園にいるバガヴァーンを訪問。
9月 : パヴァラ・クンドルへ移動。
12月 : 母アラガンマルがパヴァラ・クンドルにいるバガヴァーンを訪問。

1899年

2月 : アルナーチャラ山へ移動。山の上の様々な洞窟に滞在するが、ヴィルーパークシャ洞窟にほとんど滞在する。マンゴーの木の洞窟を夏の住居として使う。

1901年

シヴァプラカーシャム・ピッライによって尋ねられた質問に答える(「私は誰か」)。

1902年

ヴィルーパークシャ洞窟で、ガンビーラム・セーシャイヤーによって尋ねられた質問に答える(「自らの探求」)。

1905年

ペスト流行の6ヶ月間、パチャイアンマン・コーリに移動-山に戻る。

1907年

11月18日 : バガヴァーンとカーヴヤカンタ・ガナパティ・ムニとの重要な出会い。バガヴァーンはムニにウパデーシャを授ける。

1908年

(1月から3月) : (ガナパティ・ムニと他の人と共に)パチャイアンマ・コーリに滞在し、再びヴィルーパークシャ洞窟に戻る。
アーディ・シャンカラ作の「ヴィヴェーカ・チューダーマニ」と「ディルク・ディクシャ・ヴィヴェーカ」をタミル語の散文に翻訳。

1911年

11月 : 最初の西洋人であるF.H.ハンフリーがバガヴァーンに出会う。

1912年

ヴァスデーヴァ・シャーストリーと他の人の面前において、亀岩での2回目の死の体験。

1914年

母の病からの回復のために、アルナーチャラへ祈り(歌)を捧げる。

1915年

「ポッパドムの歌」が母のために書かれる。以下のものも、ヴィルーパークシャの日々の間に書かれる。
「アルナーチャラ・アクシャラ・マナ・マーライ」、「アルナーチャラ・パディカム」、「アルナーチャラ・アシュタカム」、「デーヴィーカ・ロッタラ」の翻訳、アーディ・シャンカラ作の「ダクシナームールティへの賛歌」・「グル・ストゥーティ」・「ハスターマラカ・ストートラ」の翻訳。

1916年

スカンダーシュラムへ移る。

1917年

サンスクリット語で「アルナーチャラ・パンチャラトナム」を作る。
母がスカンダーシュラムに定住。「シュリー・ラマナ・ギーター」がガナパティ・ムニによりサンスクリット語で著される。

1922年

5月19日、金曜日 : 母のマハー・サーマディ。
12月半ば : シュリー・ラマナーシュラマムが現在ある場所に移動。

1927年

「ウパデーサ・サーラ」をタミル語、サンスクリット語、マラヤーラム語で作る。
4月24日 : 「アートマ・ヴィドヤ」を作る。

1928年

「ウラドゥ・ナルパドゥ」(40詩節)をタミル語とマラヤーラム語で作る(「サット・ダルシャナム」)。

1930年

サンスクリット語の「サット・ダルシャナム」(ガナパティ・ムニによるタミル語からの翻訳)。

1933年

アーガマ、「サルヴァジニャーノータラム」の中の「アートマ・シャークシャートカーラ」をタミル語に翻訳。

1936年

「シュリー・ラマナ・ギーター」をマラヤーラム語に翻訳。

1939年

9月1日、火曜日 : バガヴァーンによりマトゥルブーテーシュワラ寺院のために基礎が置かれる。

1940年 

「バガヴァッド・ギーター」から42詩節を選び、タミル語とマラヤーラム語に翻訳。

1946年

9月1日 : バガヴァーンのアルナーチャラ到着、50周年記念式典。

1947年

2月 : 「エーカートマ・パンチャカム」をテルグ語とタミル語で作る。

1948年

1月18日 : 牝牛のラクシュミーがニルヴァーナを得る。
アーディ・シャンカラ著の「アートマ・ボーダ」をタミル語に翻訳。

1949年

3月17日、火曜日 : バガヴァーンの面前で、マトゥルブーテーシュワラ寺院のクンバービシェーカム。

1950年

4月14日、金曜日 : 午後8時47分、バガヴァーンのブラフマ・ニルヴァーナ。その瞬間、鮮やかに輝く流れ星が、南(現在のニルヴァーナ・ルーム)から出て、空を横切り、ゆっくり北側に動き、アルナーチャラ山頂の背後に消えるのがインドの様々な場所で多くの人に目撃される。

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