2013年9月28日土曜日

安全なギリプラダクシナのための用心 - 女性の一人歩きはやめよう

 ギリプラダクシナは、シュリー・バガヴァーンがたいへん高く評価した修練です。しかし、プラダクシナを行う過程で出会うかもしれない危険も存在します。あまり触れたくはない話題ですが、私の翻訳を見て「神聖なプラダクシナに危険なんてあるわけがない」と思い、用心を欠き、無防備な状態で現地に行かれる人がいるかもしれないと心配になったのであえて記します。
 シュリー・バガヴァーンの教えや聖典、アルナーチャラに関する様々な話題についての議論・情報交換の場であるHP(「The Forum dedicated to Arunachala and Bhagavan Sri Ramana Maharshi」)があります。その中でグラハムという人が、プラダクシナをする際の用心について詳しく述べています。そこから抜粋しものを翻訳して、以下に記します。
 以下の翻訳で私が伝えたいことは、世界の他の場所と比べてアルナーチャラがとりわけ危険であるということではなく、残念ながらアルナーチャラにも危険が存在するので用心して下さいということだけです。(文:shiba)。

赤色・・・インナーパス、オレンジ色・・・アウターパス

〇「アルナーチャラでの強姦と強盗について」 2010年1月22日の投稿

グラハム:
 数日前、私はとても不穏なニュースを耳にしました。それは、先週、インナー・パスで若い魅力的な西洋人の少女が強姦され、殺害されたというものです。それについてのメディアの報道が何もないので、私はこの話の正確な所を確かめようとしているのですが、地元の村人はそれについて話しています。(←この情報の真偽は分かりません<shiba注>)

 どうぞ以下のことに注意を払って下さい。人々がティルヴァンナーマライに来る時、彼らはそれが気高く信心深い人々でいっぱいであると想像します。それほど真実から遠いことはありません(全くのウソです)。ここには多くの高潔な人々がいますが、たくさんの日和見主義者もまたいます。

 過去十年以上にわたり、強盗や西洋人女性の強姦が西洋人のコミュニティーで多数報告されています。それは山中やギリヴァラム(=ギリプラダクシナ、タミル語)の道の両方で起こり、孤立しているためインナー・パスで起こるのが最も一般的です。数年前、二人の男が山中での強盗と強姦で投獄されました。

 非常に一般的であり、まったく誤って信じられていることは、西洋人女性はふしだらで、どんな男とでもセックスを望むと言うことです。伝えられるところによれば、これは数人の女性の不品行な振る舞いと西洋人女性をゆがめて描く映画のために起こっています。

 西洋の文化はインドの文化と非常に異なります。西洋人女性は概して見知らぬ人に友好的で、微笑み、気軽に話し、互いに抱擁もします。不幸なことに、西洋式の親密なコミュニケーションはここではその心が下水道の中に住んでいる人々によりセックスへの大っぴらな誘いと受け取られます。インド人の大多数はそれに難色を示します。

 昨年、私の友人の一人がここに数週間の瞑想のためにやってきて、最初の数日以内にセックスを要求する二人のインド人男性が近寄って来ました。頼むのでなく、要求し、一人は彼女の宿泊場所までついてきて、もう一人はアーシュラムで彼女に近づきました。これによって彼女は恐怖し、非常にうろたえました。私はこのように常に悩まされている多くの他の女性のことを耳にしています。
 インド人女性は一般的に知り合いの男性としか話をしませんし、それも遠くからだけです。彼女達は決して触れません。

 私はここでアーシュラムかどこかで告示された警告を促す助言を繰り返します。どんなことがあっても女性は一人で山に登ったり、ギリヴァラムを行うべきではありません。私はさらなる警告を西洋人女性のために付け加えます。どんなことがあっても長い間の知り合いでない男性と共に一人でどこかに行くべきではありません。

 瞑想の姿勢で座り、宗教的事柄について話すからという理由で、彼が高潔であると思わないように。近づいてくるなら注意深く観察して、その人が他の女性にも近づいていないか確かめなさい。彼がそうするなら、彼を避けなさい。彼の意図はセックスか、金か、その両方です。

 オレンジ色(の服)を着ているからという理由で、彼がサードゥ(聖者)であると思わないように。その服を着ている彼らの99%は物乞いか、それ以下です。4年前、その黄土色の服を着た男たちの内の三人が12歳のとてもかわいらしいが、知的障害のある少女をアーシュラム近くの大学構内で強姦しました。警察に通報されているなら、彼らは限られたやり方で最善を尽くそうとするでしょう

 しかしながら、予防がよりよい道です・・・あなたはインド人女性が一人で山を登ったり、ギリヴァラムを行ったりするのをめったに見ません。彼女達は生まれて以来うるさく教え込まれてきた警告からこの態度をとっており、さびしく思うからではありません。同じようになさい!

ナーガラージ:
 特にアルナーチャラで、山そのもので、このような最新の情報を耳にするのは非常に悲しいことです。

 なぜ?と私を困惑させます。少なくともここじゃなくてもいいはずです!少なくとも地球上でこの場所をそっとしておいて下さい!

 女性が一人で山に、インナー・パス、ギリヴァラムに乗り出さない方がいいと助言されていることは理解しています。私も信頼できる地元の人々から聞いたのですが、彼らは、人々を叩きのめそうと待ち構え、持っているお金でもなんでも奪いとるならず者がたくさんいるので、男性である私さえにも一人で乗り出さないように助言しました。

 しかし、私たち(男性)がインナー・パスに一人で乗り出すことはまだできますか。それは賢明なことですか。私はいつもインナー・パスがとてものどかに感じます。心地よい鳥のさえずり、風が木の葉にこすれる音、聖なる山の間近いることはとても魅力的で、神聖であり、あたかもラマナ・マハルシ自身の面前にいるかのように、私が自らと親しくいることを感じさせます。

グラハム:
 親愛なるナーガラージへ。ええ、そのようなことが起こるのは恐ろしいことですが、実際に起こりますし、上に私が報告したことよりもいっそうひどいことが起こっています。

 警告にもかかわらず、人々は依然として履き違えた信仰と信頼からとても愚かなことをします。

 警察にはそのようなことを適切に捜査するために訓練されておらず、またその能力もなく、犯罪者は邪魔されることなく遠慮なく犯罪を犯しているようでもあります。

 最後に誰かが止めるまで、これらの変質者が蛮行を楽しみ始め、よりいっそう犯罪を犯したいと思い、後になるにつれより悪くなるという実際の危険があります。

 本当は私はこのような記事を私のサイトにのせたくないのですが、ここに聖なる目的のためにやってきた罪のない人々を守ろうとすることは我々の義務です。

アキラ:
 バガヴァーンがアルナーチャラを大変に褒めていることを思えば、西洋の訪問客がティルヴァンナーマライを聖なる場所であり、悪いことは何も起こるはずがない信じるのは自然なことです。

 山の近くに住む誰かがその恩寵により利益を得たということを聞き、人はティルヴァンナーマライのすべての人が善人だろうと想像するかもしれません。そこを訪れ、ある程度の期間住んだ後にのみ、ティルヴァンナーマライが期待したような夢の国でないことに気づきます。

 より深い意味において、悪い出来事もまたその意味を持つに違いありません。それはジーヴァの浄化の過程かもしれません。たとえ、そのことが人を「山の恩寵に何が起こったのか」と戸惑わせるにしても。
サーダカ:
  グラハムに賛成ですが、文章の中に(おそらく意図せずに)西洋人の女性だけが危険にいると言うことを暗示する偏向があると思います。私は数年前にインド人の女性が西洋人の男性に山の上までついてこられたという出来事を知るようになりました。彼は明らかに良い意図を持っていませんでした。終には、その女性はヴィルーパークシャ洞窟からアーシュラムに向かって駆けだしました。彼女が洞窟の中に二人のほかに誰もいないとわかったからでした。

 皆が非常に注意深くいる必要があります。その場所には世界中からやってくる変質者がいるようです。

アダム:
 ラマナ自身が、ティルヴァンナーマライに住んでいる間に、襲われたということを忘れないようにしましょう。ラマナ・マハルシが強盗に襲われていた時、彼の信奉者たちは強盗を攻撃したい思いましたが、彼は、「いえ、いえ、いけません。我々のダルマはこのようであり、彼らのダルマはそのようです。我々は彼らのダルマに干渉すべきでありません。ですから、彼らが欲しいものをあげなさい」と言いました。

グラハム:
 ここでの行為の中には神聖な正義あります。それは確かです。しかし、それは人々が後先考えないで行動すべきであるという意味ではありません。

 バガヴァーン自身が、正当な理由から女性が一人で山の周りを巡るべきでないと強調しました。これはダルマよりも、ヴァーサナーと関連付けられるべきです。人々がここに来る時、良いものも悪いものも同様に、すべてのものが表面に上がってきます。人々はこれらの問題に耽溺するのでなく、取り組まねばなりません。

アダム:
 用心は、恐れから枝分かれしたのではありませんか。運命はそれが定められた方法を演じ切ります。バガヴァーンが足を棒で打たれた時、警官に襲撃者の身元を明かすことを断わり、彼の信奉者は理由を尋ねました。「もしあなたたちがどうして彼らが私を棒で打ったのか知りたいなら、あなたたちは過去世で私が誰を棒で打ったのか見つけださねばなりません」。

 この引用は記憶からなので、言葉遣いが正確でないならお許しください。しかしながら、用心しているのは誰ですか。恐れているのは誰ですか。襲われているのは一体誰ですか。襲っていますか。すべての道は遡り、「私は誰か」に通じます。

スブラマニアン.R:
 すべてのものはプラーラブダ(神聖な計画)です。しかし、同時に、我々はまた安全のために用心して行動すべきです。かつて、シュリー・ラーマクリシュナに、はぐれ象によって傷を負った人が話を持ちかけました。彼はシュリー・ラーマクリシュナに、「主よ!私は象がナーラーヤナであると考え続けていました。しかし、象は私を傷つけました」と言いました。シュリー・ラーマクリシュナは、『「逃げろ、逃げろ、はぐれ象が来るぞ!」と言う、その象の訓練士の警告を聞きませんでしたか。』と言いました。
オーム・フリダヤム:
 ええ、私はラマナ自身がそこで強盗にあい、盗賊により殴打されたということを覚えておくのが最良だと思います。

 誰が現れても、マーヤーの世界はいまだそれが行うことを行います・・・キリストは磔にされ、ブッダは腐った米を食べ、ラマナは痛々しい癌でなくなるなど、など。我々はどうしてこういう恐ろしいことが起こるのか分かりません。(文法がわかりにくため後略します<shiba注>) 

バイラヴァ(「恐ろしい」の意)、左手にブラフマーの首をもっている、犬が乗りもの ジョーティ: 
 私はアルナーチャラが神であるなら、どうして彼は彼の周りを歩く女性にこのようなことが起こるのを許すのか困惑します。

 ハンセン病を患っているある男性がアルナーチャラの周りを歩いており、その時突然に別の男が現れ、彼をニームの木の枝で打ちつけました。(次の文のdemangingが英語で見当たらなかったので訳していません<shiba注>)ハンセン病の人が逃げ出した時、病気がなくなったことに突然気づきました。

 ですから、どうして、アルナーチャラの道で男が女性を強姦しようと試みる時、シヴァがバイラヴァとしての姿でやってきて、彼らを怖がらせて違うように振る舞わせないのですか。

スブラマニアン.R:
 親愛なるジョーティへ。答えのない質問がいくつか存在します。それらの出来事は、集団で行くことなしに、もしくは、男性の付添なしにギリヴァラム-特に森のルート-を試みないようにというアーシュラマムの警告にも関わらずそこに存在します。さて、誰が非難されるべきですか。あなたはアルナーチャラをすべてのことについて非難できません。あなたが美味しいアイスクリームを味わっている時、アルナーチャラのことを思い、アイスクリームをアルナーチャラに感謝しますか。

ジョーティ:
 しかし、アルナーチャラはサーダナを一人で修練する人々の避難所でもあります。多くの聖者がアルナーチャラの洞窟に住んだと言われています。それでは、一人で修練をしたいと思う女性の探求者はどうなるのですか。

スブラマニアン.R:
 親愛なるジョーティへ。私が読んだシュリー・バガヴァーンの信奉者の話によると、一人の女性だけ(スザンヌさんだと思います)が山に行き、ヴィルーパークシャ洞窟で一晩過ごしました。彼女の瞑想のエネルギーはとても強烈であったため、彼女は夜にサーマヴェーダの朗唱を耳にしました。そのような瞑想のエネルギーのために、誰も洞窟の近くにさえ行けませんでした。それでも用心のために、バガヴァーンはS.S.コーエンを送り、彼女は早朝の2時30分ごろにアーシュラマムに連れ戻されました。

〇「用心に関する最新の情報について教えてください」 2013年9月4日の投稿
http://www.arunachala-ramana.org/forum/index.php?topic=7992.msg53918#msg53918

Ksksat20:
 親愛なるグラハムとその他のみなさんへ。山を登ったり、インナー・パスを行く間の男女の信奉者の両方がなすべき最新の用心一式について教えてください。

 男性にとってさえも、山の道にいるいわゆる物乞いからの危険はありますか。彼らはズボンをはいた若い年齢の人で、アルム(施し?)を求めるようです。彼らが周りを見渡して、他に誰もいないなら、彼らは脅し始めるでしょうか。

 突然ほえる迷い犬や脅してくる猿に対処するために用心するべきことは何ですか。

 私はある時、若い男がヴィルーパークシャ洞窟を登っている外国人の集団を見るのを見ました。私は彼らの数フィート後ろに離れて、登っていました。この男は私がタミル語を知らないと思い、余り上品でないことをタミル語で言いました。私は何気なく彼の方を見て、再び歩き始めました。これは2012年12月25日のクリスマスに起こりました。ありがたいことに、多人数の外国人とインド人がいました。そうでなければ、私は男性でも山の周りを歩き回るのは安全であるとは思いません。

グラハム:
 大多数の男性にとって、日中に一人で山の周りを歩き、洞窟を訪れることは、特に道にはいつも交通や他の人がいるので、概して安全です。しかしながら、今は強盗や男性によるハラスメントの報告があります。

 女性一人とっては、特に、隙だらけに見える外国の女性が同じことをするのは決して安全ではありません。その人々は威嚇やセクシャル・ハラスメントや強盗のかっこうの的であると現地人にとってみなされているからです。

 今、インナー・パスは数年の間、閉じられていますが、人々がいまだに使っているフェンスに壊れているところがあります。

 猿が怖いなら、棒か、彼らの方になげる小石を数個持って行きなさい。犬についても同じです。歯を見せて猿に微笑まないように。猿の世界ではそれは攻撃のサインであり、攻撃的な反応を引き起こすからです。

 強姦、強盗、暴行、殺人はティルヴァンナーマライにとって新しいことではありません。バガヴァーンの時代に、彼が座っている場所からほんの50フィートはなれたアーシュラム内で女性の信奉者が重大な性的暴行を被りました。このことにより、女性には暗くなる前にアーシュラムを離れることが求められるようになり、山をひとりで回らないように言われました。

 もしバガヴァーンがこの助言をしたほうがいいと思ったならば、この状況は避けることができるのは明らかであり、非難されるべきはカルマではなく、危険な行いです。

 何であれ、全員が用心すべきです。特に、ここで急増する何百の偽サードゥに関しては。彼らの大多数は勘違いした信奉者達によってオレンジ色の服を与えられたはみ出し者と物乞いです。

 簡単な適例-数年前、大学構内のむかいで働く地元の小売店主から聞いたのですが、白昼に三人の「サードゥ」が知的障害のある13歳の子供(上の投稿では12歳となっていますが、同じ人でしょう<shiba注>)を大学構内へと連れて行き、強姦しました。地元の人はこれを見て、彼女を助けるために何もせず、警察すら呼びませんでした。彼らは彼らが苦情を申し立てるなら、金銭を要求されるようになるだけだからだと言いました。

 私はなぜ彼らが自分自身で彼女を助けに向かわなかったのか尋ねましたが、彼らは「私たちに何ができるのか?」と言い、肩をすくめました。個人的には、特に子供に関しては、警察はこれに対して行動しただろうと確信していますが、地元の認識は異なります。もしくは、誰も本当は気に掛けないのかもしれません。こういうことがここで起こりうるのは人生の悲しい事実です。
 この後、ナーガラージという人が『ラーマクリシュナの福音』から「象である神の話」を引用しています。その部分だけでは分かりづらいので、少し前の部分から引用して以下に記します。(文:shiba)。
ラーマクリシュナ:
 それについてどう思いますか。世俗的な人々は宗教的な心をもつ人についてあらゆる類のことを言います。しかし、いいですか!象が道に沿って移動する時、野良犬や他の小動物がいくらでもその後ろで吠え、鳴き叫ぶかもしれません。しかし、象は振り返ってそれらを見ようともしません。もし人々があなたのことを悪く言うなら、彼らをどう思いますか。

ナレンドラ:
 犬が私に向かって吠えているのだと思いましょう。

ラーマクリシュナ:(微笑んで)
 いえ、いえ!我が子よ、そんなに遠くに行ってはいけません(笑い)!神は全ての存在に住んでいます。しかし、あなたは善人とだけ親しくして良いのです。あなたは悪い心を持った人からはなれるべきです。神は虎の中にさえいます。しかし、そのためにあなたは虎を抱擁できません(笑い)。あなたは、「どうして虎から逃げるのですか。それもまた神の顕現ではないのですか」と言うかもしれません。その答えは、「あなたに逃げるように言う人々もまた神の顕現です。ですから、どうして彼らの言うことに耳を傾けるべきではないのですか」です。

 一つ話をしましょう。森の中に多くの弟子を持つ聖者が住んでいました。ある日、彼は彼らに神をすべての存在の中に見て、これを知りながら、それら全ての前に低くお辞儀するように教えました。一人の弟子が供犠の火のための木を集めるに森へ行きました。突然、彼は、「道を開けろ!怒り狂った象がやってくるぞ!」 と叫ぶ声を聞きました。聖者のその弟子以外の全ての人は一目散に逃げ出しました。彼はその象もまた別の形をした神であると論理的に考えました。それなら、どうして彼はそれから逃げださねばならないのですか。彼はじっと立ち、その動物の前で礼をして、賛美し始めました。象使いは「逃げろ!逃げろ!」と叫んでいました。しかし、弟子は動きませんでした。その動物は彼を鼻でつかみ、彼をわきに投げ、道を進んでゆきました。怪我をして、弟子は意識を失い地面に倒れました。起こったことを聞いて、彼の師と兄弟弟子たちが彼のもとに来て、彼を庵に運びました。何かの薬の助けで、彼はすぐに意識を取り戻しました。誰かが彼に「あなたは象がやって来ているのを知っていました。どうしてその場所を離れなかったのですか」と尋ねました。「しかし、我々の師が、人間はもちろん動物についても、神自身がこれら全ての形をとっているのだと我々に言いました。ですから、象である神がやって来ているだけだと思い、私は逃げませんでした」と彼は言いました。これについて、師は、「そうです、我が子よ。象である神がやって来ていたのは本当です。しかし、象使いである神があなたがそこにいることを禁じました。全ては神の顕現であるのに、どうしてあなたは象使いの言葉を信用しなかったのですか?あなたは象使いである神の言葉に気をつけるべきでした(笑い)」と言いました。

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