2013年9月21日土曜日

シュリー・ラマナ・マハルシと共に歩むギリプラダクシナ

◇『シュリー・ラマナの戯れ(Sri Ramana Lila)』  

29.ギリプラダクシナ


何であれ偉大なる者がなすことは、他の者たちによって見習われる
バガヴァッド・ギーター


 1908年、セシャドリ・スワーミーは、当時、マンゴーの木の洞窟に滞在していたマハルシを訪問しました。彼はマハルシの心を読もうという意図でマハルシを近くで観察しながら、いくらか時を過ごしました。そのようにできなかったので、彼は憤慨して両手を放りあげ、マハルシが何を考えているのか分からないと言いました。マハルシは返答しませんでした。セシャドリは、「人がアルナーチャレーシュワラ(*1)を崇拝するなら、それで十分です。彼が解放を授けます」と続けました。

マハルシ:
 崇拝するのはいったい誰ですか、崇拝されるのは誰ですか。

 セシャドリは大声で笑い出し、「それははっきりしていません。それが問題のすべてです」と言いました。そこで直ちに、バガヴァーンはアドヴァイタの体験について長い講話をし、セシャドリはとても注意深く聞いていました。最後に彼は、「私は何も言うことができません。このすべては私にとって分かり難いものです。それは全くの空白です。私自身に関しては、いつも崇拝する者でいることに満足しています」と言いました。その後、彼は山の頂上に15回平伏し、その場を離れました。セシャダリは山の頂上をアルナーチャレーシュワラ、全能者(the Almighty、神)の象徴として崇拝することを好んだようでした。

 ほとんどの人は似たような意見でした。彼らにとって、山はアルナーチャレーシュワラの形、光の柱でした。「アルナーチャラ」というまさにその名前の想起、もしくは、山のダルシャンはすべての愛着を消し去るものでした。

 光の柱は、山がジョーティルリンガ(*2)を象徴していることを繰り返し示すために、アルナーチャレーシュワラ寺院でクリッティカイの日(*3)ごとに立ちあげられます。この柱は山の頂上に光が灯されるまさにその瞬間に立ちあげられます。後者(山の光)は樟脳、ギーやその他のものがくべられ、空まで立ち上り、数日間そのようにあります。それは様々な遠くの場所からも見えます。広がる光線はその名前、アルナーチャラの正当性を示します。その光の柱は、ハートの洞窟の内なる光の象徴でもあります。『スタラ・プラーナ』(*4)はアルナーチャラを世界の中心であり、南部のカーシー(*5)でもあると描いています。

 山のプラダクシナ(周回)はその土地(the land、国?世界?)の全ての巡礼地を訪れることと同等です。それはまたパラメーシュワラ(*6)自身のプラダクシナも象徴しています。伝説によれば、ヴィナーヤカ(*7)はクマーラスワーミー(*8)をイーシュワラを周回するという単純な方法によって倒しました。ギリプラダクシナの力とはそのようなのです。信奉者にとってのその重要性を強調し過ぎることはできません。マハルシもまた彼自身の利益のためでなく、彼の信奉者や弟子に模範を示す目的でそれを行いました。

 山の周りには整備された道があり、その道沿いに神殿、貯水池、マンタパ(*9)、サマーディがたくさんあります。また、道に沿って巨木が並び、通行人に日陰を提供しています。道沿いには休憩場所もあります。

 みながプラダクシナを自分たちのやり方で行います。歩くだけの人や、道沿いに転がって進む人(*10)もいれば、歩むごとに止まり、アートマ・プラダクシナ(*11)をそれぞれ止まる時に行ったり、もしくは、山に平伏する人もいます。一般的に、プラダクシナは3時間の内に終えられます。

 アルナーチャラについて以来ずっと、1926年ごろまで、マハルシは少なくとも週に一度か、もっと頻繁に、定期的にプラダクシナを行ったものでした。彼が朝に出かけたなら、たいていアーシュラムに夕暮れに戻りました。同様に、夕方に出発したなら、夜明けに戻りました。時には、ギリプラダクシナは2日か3日を要したかもしれません。マハルシは聖典に定められたようにとてもゆっくりと歩き、ほとんどの時間、サマーディの状態にいて、その体は機械的に動きました。マハルシはまた、1マイルごとに少し休憩しました。マンタパでは信奉者たちが彼を留め、食べ物やその他の軽食を差し上げました。信奉者らは互いに競ってバガヴァーンをもてなそうとし、バガヴァーンは彼らみなの期待に応えました。

 バガヴァーンに付き添った人々の振る舞いは人により様々でした。無言の人もいれば、バジャンの集団のように楽器を演奏したり、恍惚とした様子で歌を歌ったりする人もいました。たいてい信奉者達は音楽に詳しかったので、彼らはバクティにより供給される増した勢いで、見事に歌い、聞く者に楽しみをもたらしました。

 バガヴァーンに付き添ったガジャーナナは、神聖な『バーガヴァタ』からの詩節を歌いながら、道すがらずっと踊りました。彼は主ナタラージャがバガヴァーンに付き添っているような印象を与えました。バガヴァーンの108の名前を唱えたり、マハルシや他の人たちにより作られた賛歌を歌う信奉者もいました。信奉者達は主ご自身が彼らのただ中にいると感じ、何の屈託もなく、自分自身を表現しました。

 プラダクシナの間、信奉者らは献身の大海へと沈み、ジニャーナという涼やかな風により運び去られました。マハルシの沈黙はとても深く、人は彼がいったい話すことができるのだろうかといぶかりました。しかし、彼が話した時、彼の言葉は知恵の澄んだ水晶でした。

 バガヴァーンは数回のプラダクシナの間にいくつかの賛歌を作り、そのような時、彼は内面にあるアーカーシャ(虚空)にいました。そこには心はなく、言葉はなく、見る者はなく、見られるものはなく、崇拝する者はなく、崇拝されるものはなく、唯一のアートマが存在するだけでした。

(*1)アルナーチャレーシュワラ・・・シヴァ神の別名。「アルナーチャラ+イーシュワラ(支配者、神)」。
(*2)ジョーティルリンガ・・・ジョーティは「輝き、光」、リンガは「印、現れ」。
(*3)クリッティカイの日・・・Krittikai day、 おそらく、カールティカイ・ディーパムの日のことだと思います。
(*4)スタラ・プラーナ・・・タミル地方のシヴァ神の寺院・神殿の起源や伝統をしるした聖典の集成。
(*5)カーシー・・・インド北部、ウッタル・プラデーシュ州のガンジス川沿いにある都市。ヴァーラーナシー、べナーレス。
(*6)パラメーシュワラ・・・「至高なる神」。
(*7)ヴィナーヤカ・・・シヴァ神の長男ガネーシャの別名。
(*8)クマーラスワーミ・・・シヴァ神の二男ムルガン(スカンダ)の別名。
(*9)マンタパ・・・「マンダパ」とも。「寺院へつづく玄関のような建物。宗教的音楽や舞踊のために使われる。巨大な寺院は多数のマンタパを持ち、それぞれのマンタパは異なる役割を持ち、その役割に応じた名前がつけられている」(wiki)。
(*10)転がって進む・・・「シャヤナ・プラダクシナ」という寝ころんで、転がって進む方法があるようです。
(*11)アートマ・プラダクシナ・・・「自分自身の周りを回る」。その場でぐるぐる回転するということでしょうか。

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