2015年2月6日金曜日

ラマナーシュラマムでの朝夕のヴェーダ・パーラーヤナ(詠唱)一覧

◇「山の道(Mountain Path)」、1968年1月 p71~72

ヴェーダ・パーラーヤナ

はじめに

 シュリー・ラマナの存命中、ヴェーダの詠唱、または、ヴェーダ・パーラーヤナが朝夕、1日に2回催されていました。それぞれの場合に40分ほど続き、それは今でも続けられています。その後に続くプージャーと共に、これはアーシュラムで扱われた、または、通常扱われている唯一の儀式です。バガヴァーンは明らかに人々がそれに参加することに賛成しましたが、これに関してさえ、強制は存在しません。それはとてつもない静寂の時間であり、彼はその時、岩に刻みつけられたかのように、動かずに座りました。彼は何がそれを妨げることも決して許しませんでした。それを理解するために、人々がその意味を学ぶべきなのか尋ねられた時、彼は「いいえ。詠唱が瞑想の支えとして役立てば、十分です」と言いました。

 しかしながら、そうであっても、詠唱に使われる部分がシュリー・バガヴァーン自身によって注意深く選ばれ、認められていることも本当です。厳密に言えば、ヴェーダとは明確に定義された聖典の集まりですが、シュリー・バガヴァーンの前で唱えられた文章の全てが厳密にはヴェーダではありません。その全てはシュリー・バガヴァーンの存在によって吹きこまれた神聖さを備えています。その全てはサンスクリット語で唱えられます。それらをバガヴァーンの定期刊行物の読者に翻訳で手に入るようにすべきであると思いました。バガヴァーンの存命中以来、それらから何も取り除かれてはいませんが、一つだけ付け加えられました。それは「ダクシナームールティ・ストートラ」であり、主に故チャドウィック少佐(サードゥ・アルナーチャラ)の要望で、今では夕べの詠唱の前の開始の賛歌として使われています。その英訳は、シュリー・バガヴァーンによってサンスクリット語からタミル語に翻訳された、シュリー・シャンカラによる他の二つの作品と共に、この号の『Mountain Path』に掲載されています。

 厳密には、ヴェーダの朗唱を聞くことさえバラモンだけに許されていることになっていますが、この禁止はシュリー・バガヴァーンによって廃止されました。ジーヴァン・ムクタの言葉は聖典以上のものであると認められており、バガヴァーンの言葉は受け入れられました。バガヴァーンの言葉は生けるヴェーダであり、彼は(諸々の)ヴェーダの源でした。我々の記事、1965年10月のクリシュナ・ビクシュによる「Above Orthodxy and Unorthodxy」の中で説明されるように、彼が適当であると分かるような正統派的慣行の要素だけを彼は保持しました。彼の面前では、バラモンと非バラモン、ヒンドゥー人と西洋人が詠唱の時に肩を並べて座りました。ある北インドの訪問者がかつて無謀にもこれに異議を唱え、バガヴァーンはそっけなく、「座って、あなた自身のサーダナに専念しなさい」と答えました(それは、「自分のなすべきことに集中しなさい(人のことに口出ししないように)」と翻訳されるかもしれません)。

 以下は、唱えられる項目の一覧表です。

 (shiba注:以下の一覧表は、英文そのままの翻訳ではなく、分かりやすくするために手を加えています。MPは「Mountain Path」の略で、次に発行された年と月を記し、それぞれの作品が掲載された号を示しています。)

<朝のヴェーダ・パーラーヤナ>


ラマナ・チャトヴァーリムサット(Ramana Chatvarimsat) <MP:68. Apr>(

 カーヴヤカンタ・ガナパティ・ムニによるバガヴァーン・シュリー・ラマナを讃えた40詩節

シュリー・アルナーチャラ・パンチャラトナム(Sri Arunachala Pancharatnam)

 バガヴァーン・シュリー・ラマナによるシュリー・アルナーチャラへの5詩節

タイッティリーヤ・ウパニシャッド(Taittiriya Upanishad)

 クリシュナ・ヤジュルヴェーダ→タイッティリーヤ・シャーカー(部)→タイッティリーヤ・アーランヤカ、第7・8・9プラシュナ(章)

   第7プラシュナ・・・シークシャー・ヴァッリー <MP: 68. Jul・Oct>
   第8プラシュナ・・・ブラフマーナンダ・ヴァッリー <MP: 69. Jan>
   第9プラシュナ・・・ブリグ・ヴァッリー <MP: 69. Apr>

シュリー・スークタム(Sri Suktam) <MP: 69. Jul>

 リグヴェーダのキラーニ(98ある外典)の一つ

 繁栄の女神ラクシュミー(または、シュリー)への賛歌であり、様々な富をラクシュミーに願い求めている。ラクシュミーはシヴァやブラフマーの力の源、全ての支配者として描かれてもいる。



マハーナーラヤナ・ウパニシャッド(Mahanarayana Upanishad)の一部 <MP: 69. Oct>

 クリシュナ・ヤジュルヴェーダ→タイッティリーヤ・シャーカー(部)→タイッティリーヤ・アーランヤカ、第10プラシュナ(章)である「マハーナーラヤナ・ウパニシャッド」、第12アヌヴァーカ(項)、1~17詩節

 その内の14~17詩節は「ナ・カルマナ(Na Karmana)」と呼ばれている。

<夕べのヴェーダ・パーラーヤナ>


ダクシナームールティ・ストートラム(Dakshinamurti Stotram) <MP: 70. Jan>(

 アーディ・シャンカラーチャーリヤによるシヴァ神の化身・ダクシナームールティへの賛歌。

シュリー・ルドラム(Sri Rudram)

 クリシュナ・ヤジュルヴェーダ→タイッティリーヤ・シャーカー(部)→タイッティリーヤ・サンヒター、第4カーンダ(書)、第5・7プラパータカ(章)

   第5プラパータカ・・・ナマカム(Namakam) <MP: 70. Apr - 71.Oct(70.Octを除く)>
   第7プラパータカ・・・チャマカム(Chamakam) <MP: 72. Jan>

 ナマカムでは、「ナモー」や「ナマ」という言葉でルドラ(シヴァの別称)に繰り返し敬意を表している。また、ルドラに自分たちに危害を加えず、敵から守り、幸福を与えるように願い求めてもいる。ルドラは、世界の主として、あらゆる存在に住まう者として、あらゆる存在そのものとして描かれている。
 



 チャマカムでは、様々な望みの成就を願い求めている。繰り返される「チャメー」や「チャマ」という文句は、「私に(これが授けられますように)」という意味。



プルシャ・スークタム(Purusha Suktam) <MP: 72. Apr>

 リグヴェーダ、第10マンダラ(書)、第90スークタ(賛歌)

 プルシャ(普遍的実在)へ捧げられた賛歌。プルシャは全ての源であり、それから全てが創造されていることを表現している。また、プルシャは真理として、不死の授け手としても描かれている。



ナーラーヤナ・スークタム(Narayana Suktam) <MP: 72. Apr>

 上述の「マハーナーラヤナ・ウパニシャッド」、第13アヌヴァーカ(項)、1~12詩節

 至高の現実、至高の自らなどとして描かれるナーラーヤナへの賛歌。第12詩節では、「彼はシヴァ、ハリ(ヴィシュヌ)、インドラである」と表現されている。



ドゥルガー・スークタム(Druga Suktam) <MP: 72. Jul>

 上述の「マハーナーラヤナ・ウパニシャッド」、第2アヌヴァーカ(項)、1~7詩節

 女神ドゥルガーへの賛歌とされるが、火神アグニやインドラへも向けらけられている。障害の除去、幸福を授けてくれるように神々に願い求めている。ドゥルガーは、「近づき難い者」、「征服できない者」という意味であり、アーディ・パラシャクティ(=パラ・ブラフマン)が顕現した元々の姿。



アールナ・プラシュナ(Aruna Prasna)の一部 <MP: 72. Jul>

 クリシュナ・ヤジュルヴェーダ→タイッティリーヤ・シャーカー(部)→タイッティリーヤ・アーランヤカ、第1プラシュナ(章)である「アールナ・プラシュナ」の一部

ウパデーシャ・サーラム(Upadesa Saram) <MP: 72. Oct>(

 バガヴァーン・シュリー・ラマナによるサーダナの真髄を表わした30詩節。

ナ・カルマナ(Na Karmana) <MP: 72. Oct>

 バガヴァーン・シュリー・ラマナによってタミル語に翻訳され、バガヴァーンの監修のもとでチャドウィック少佐によって英訳された。不死を得るための手段を明らかにしている。

・・・

 さらに、朝と夕方のプージャーで毎日唱えられる、バガヴァーンの108の名前の連なりがあります。特別な機会には、拡大された1008の名前の連なりが唱えられます。両方の一覧表が掲載されます。

 (一つの号で引用するには、もちろん、これはあまりに多いので、我々はそれを連載します。)

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