2013年12月18日水曜日

自らの探求と他の修練の比較 - 「秘密の技法」は存在しない

◇『バガヴァーンと日々をともにして(Day by Day with Bhagavan)』、p324~326

 多少訳を変更し、読みやすいように対話形式にしています。(文:shiba)

1946年10月8日

訪問者:(午後に)
 疑いなくバガヴァーンの教える方法は直接的です。しかし、それはとても困難です。我々はどのようにそれを始めればいいのか分かりません。我々が「私は誰か」をマントラとして、ジャパのように「私は誰か」「私は誰か」と問い続けるなら、それは単調なものになります。他の方法では、人は予備的で明確なものから始められ、その後、それと共に一歩一歩進めます。しかし、バガヴァーンの方法ではそのようなものがないため、直ちに自らを探求することは、直接的ではあるにしても困難です。

バガヴァーン:
 それが直接的な方法であるとあなた自身が思っています。それは直接的で、簡単な方法です。我々から離れた他のものを追い求めるのがとても簡単であるならば、人が自分自身の自らへ向かうのがどうして困難になりえるでしょうか。あなたは「どのように始めるのか」と話します。始まりも、終わりもありません。あなた自身が始まりであり、終わりです。あなたがここにいて、自らが他のどこかにあり、あなたがその自らに到達しなければならないなら、あなたは「どのように始めるか、どのように旅するか、どのように到達すればいいか」教わるかもしれません。仮に今、ラマナーシュラマムにいるあなたが、「私はラマナーシュラマムへ行きたいのです。私はどのように出発すればいいですか、どのようにそれに行きつけばいいですか」と尋ねるならば、人は何と言うべきですか。人の自らの探求はそのようです。彼はいつも自らであり、その他の何ものでもありません。

 あなたは「私は誰か」がジャパになると言います。それはあなたが「私は誰か」尋ね続けるべきであるという意味ではありません。その場合には、思いはそう簡単に消えません。全てのジャパは、一つの思い、マントラの使用により、他の一切の思いを排除しようとしています。このジャパはやがては人の役に立ちます。マントラの思い以外の他の一切の思いは徐々に消え、その後、その一つの思いさえも消えます。我々の自らはジャパの性質を帯びています。ジャパはいつもそこで続いています。我々が一切の思いを放棄するなら、ジャパが我々の側の努力なしにいつもそこにあることに気づきます。

 あなたが呼ぶところのその直接的な方法において、あなた自身に「私は誰か」尋ねなさいと言うことによって、あなた自身の内の「私という思い」(他の一切の思いの根本)が生じる場所に集中するように言われているのです。自らはあなたの外になく、内にあるため、あなたは外へ向かうのではなく、内に潜るように求められています。あなた自身に向かうことよりも何が簡単になりえるでしょうか。しかし、この方法が難しく思え、魅力的でないと感じる人々もいるという事実は残ります。ですから、たくさんの異なる方法が教えられているのです。そのそれぞれ(の方法)に、それを最良で、最も簡単なものとして魅力的に感じる人たちがいます。それは彼らのパクヴァ、適性によります。しかし、ヴィチャーラ・マールガ以外の何も魅力的に感じない人々もいます。彼らは、「あなたは私にあれこれを知るのや、見るのを望みます。しかし、知る者、見る者とは誰ですか」と尋ねます。他のどのような方法が選ばれても、常に行為者がいます。それは避けられません。その行為者が誰か見出されねばなりません。それまでは、サーダナを終えることはできません。ですから、結局は、皆が「私は誰か」見出すに至らなければなりません。

 あなたは始めるための予備的もの、明確なものが何もないと不満を言います。あなたは始めるための「私」を持っています。あなたはあなたがいつも存在しており、例えば、眠りにおいて、体はいつも存在していないのを知っています。眠りによって、たとえ体がなくてもあなたが存在することが明らかになります。我々は「私」を体と同一視し、自らが体を持っていて、制限を持っているとみなしています。それゆえに、我々の全ての問題があります。我々がなすべき全てのことは、我々の自らを形と制限を持つ体と同一視するのをやめることです。その時、我々自身をいつも我々である自らとして知ります。

訪問者:
 サーダナの技法に関する限り、あなたの本の中に折に触れ書かれているもの以上に、今、さらに知られるべきものは何もないと信じていいでしょうか。この質問は、他の一切の体系のサーダナにおいて、サッドグルが手ほどき、いわゆるディークシャーの時に何らかの秘密の瞑想の技法を彼の弟子に打ち明けるという事実から起こります。

バガヴァーン:
 あなたが本の中に見つけたもの以上に知られるべきものは何もありません。秘密の技法はありません。この体系では、それはまったく公然の秘密です。

訪問者:
 神の実現の後でさえ、人が飢え、睡眠、休息、暑さ寒さなどのような肉体的要求に注意を払わなければならないなら、自らの実現が何の役に立ちますか。その状態は完全とは呼ばれえない何かです。

バガヴァーン:
 自らの実現の後の状態がどうなるのか。あなたはどうしてそれについて今、思い悩まなければならないのですか。自らの実現を達成しなさい。そして、その後、自分自身で確かめなさい。しかし、どうして自らの実現の状態に向かうですか。今でさえ、あなたは自らなしに存在しますか。そして、食べることや眠ることなど、これら全ての物事は自らなしに、自らを離れて存在しますか。 
              

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