2019年10月1日火曜日

バガヴァーンとの日々⑪ - 46年1月9日から46年1月21日まで

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』、p101~113

バガヴァーンとの日々

A.デーヴァラージャ・ムダリアールの日記から

46年1月9日 午後

 P.バナージ氏がバガヴァーンに尋ねました。「ジーヴァンムクティとヴィデーハムクティの違いは何ですか」。

 バガヴァーン: 違いはありません。尋ねる人たちのために、「体を持つジニャーニがジーヴァンムクタで、彼がその体を下すときヴィデーハムクティを得る」と言われています。しかし、この違いは傍観者にとってだけであり、ジニャーニにとってではありません。体が下ろされる前も後も、彼の境地は同じです。しかし、私たちはジニャーニを人間の形と、その形の中にいるとみなしています。しかし、ジニャーニは、彼が自ら、内側にも外側にもあり、どの姿形にも制限されない唯一の現実であると知っています。バーガヴァタの中に1詩節あり(ここでバガヴァーンはタミル語の詩節を引用しました)、「酔っぱらっている人が彼の上着が体にかかっているのか、体から滑り落ちたのか意識していないように、ジニャーニはその体をほとんど意識しておらず、体が留まろうと落ちようと彼にとって違いはない」と書いてあります。

 P.B.氏が尋ねました。「信奉者と弟子との違いは何ですか。ここのある友人が、私はバガヴァーンの弟子だと自称すべきではないと、私は信奉者にだけなれると私に言いました」。

 バガヴァーン: 私たちがある物や人を崇拝するなら、その時、私たちは信奉者です。私たちがグルを持つなら、その時、私たちは弟子です。

 バガヴァーンが弟子を取らない、つまり、誰も正式には手ほどきせず、そのため、人が「私はバガヴァーンの弟子だ」と言うなら誤解を招くかもしれないという理由から、彼の友人は彼にそのように言ったに違いないと私は加えて言いました。

 P.B.: しかし、私が彼の教えに従おうとするので、その教えを受け取り、私自身を彼の弟子だとみなしたらどうですか。

 「もちろん、エーカラヴヤがドローナの像から弓を学んだように、そうしてもいいでしょう」と私は答えました。

 バガヴァーンがそこで言い足しました。「ともかく、上の場合のように、全てのことは内からやってきます。はじめ、人は彼がサンサーラの束縛に捕らわれていると、彼が弱くみじめであると、全能であり、彼を救える神を頼り、助けを得なければ、束縛と悲惨から抜け出せないと感じます。そうして、彼はイーシュワラにバクティを行います。このバクティが成長し、彼の献身の熱心さがとても強くなり彼自身をまるごと忘れ、イーシュワラマヤになり、完全な委ねが達成されたとき、神が人間の姿を取り、グルとしてやって来て、唯一の自らしか存在しないと、それは彼の内にいると信奉者に教えます。それで、信奉者は彼の内なる自らを実現することによってジニャーナを得て、その時、彼が崇拝し、バクティを抱いたイーシュワラや主、人間の姿でやって来たグル、そして、自らが、全く同じであることを理解します」。

 P.B.氏の最初の質問は、実現についてバガヴァーンをさらに話す気にさせ、彼は言いました。「実現、ムクティに段階は存在しません。ジニャーナに程度は存在しません。そのため、体を伴ったジニャーナの段階と体が下ろされた時の別の段階はあり得ません。ジニャーニは、彼が自らであり、自ら以外、何ものも、彼の体も他の何ものも存在しないことを知っています。そのような人に、体の存在や不在がどんな違いをもたらせますか。

 「実現について話すことは誤りです。実現すべき何が存在しますか。現実のものは常に、あるがままにあります。どのようにそれを現実‐化するのですか。必要とされる全てはこれです。私たちは非現実を現実‐化、つまり、非現実のものを現実とみなしています。私たちはこの態度を放棄しなければなりません。それがジニャーナを得るために私たちに必要とされる全てです。私たちは新たなものを何も作り出そうとしておらず、私たちが以前持っていなかった何かを達成しようとしていません。本の中で示される例はこれです。私たちは井戸を掘り、巨大な穴を作ります。穴、井戸の中のアーカーシャ(空間)は、私たちによって作られていません。私たちはそこでアーカーシャを満たしていた土を取り除いただけです。アーカーシャはその時そこにあり、今もそこにあります。同様に、私たちは、私たちの内部にある長年のサンスカーラ全てを投げ捨てさえすればいいだけで、その全てが捨て去られたとき、自らのみが輝くでしょう」。彼はまた言いました。「ムクティ、ジニャーナ、ディヤーナは私たちの本質です。それらは自らの別名です」。

46年1月10日 午後

 バガヴァーンは、ヴェンカテーシャ・シャーストリガル氏が作ったタミル語の詩節(タミル語)を熟読していました。彼とその妻(サランマル)は、アーシュラマムに滞在していました。しかし、2週間前、彼らはアーディヤンナーマライに移り、そこで腰を落ち着けました。私とT.P.ラーマチャンドラ・アイヤルと他何人かが1月1日に山の周りを回ったとき、シャーストリアー氏とその妻は道の途中で私たちと出会い、私たちを彼らの家に連れて行き、そこで、私たちはそれらの詩節を読み上げてもらいました。それゆえ、その詩節は私たちにとって初めてではないと私は言いました。すると、シャーストリアー氏はその時の詩節は27節で、今は108節あると言いました。数日前、ヴェンカタラマ・アイヤル氏が、シャーストリアーとその妻が火曜日にここに来るつもりだと言う知らせをバガヴァーンに伝えました。バガヴァーンはこれを聞いた後、シャーストリアー宛にここに届いた手紙に関連して、「火曜日に彼らはここに来るようです。彼らがここに留まるのか戻るつもりなのか、私たちは分かりません」と言いました。シャーストリアーが講堂にやって来たとき、私はバガヴァーンの発言について彼に伝え、「私があなたにこれを話したのは、あなたがそこに移ったことを私も好んでいないからです」と言い足しました。バガヴァーンは、「彼らはアーディ・アンナーマライに行き、そこで住むつもりだと言いに来ました。私は何も言っていません。どうして私たちが干渉すべきなのですか。彼らは、アーシュラマムでのような制約や規制の下にいることなく、自由に住みたいのですです。彼らがどこにいようとも、彼らは心の安らぎを持たなければなりません」と言いました。

 ヴェンカテーシャ・シャーストリガル氏が滞在していた、アーディヤンナーマライについて言えば、バガヴァーンは、「それはいい場所です。私は時折、そこに滞在したものでした。ある時、ギリ・プラダクシナの途中で私たちは雨に降られ、そこの寺院に一晩中滞在しました。サーマ・ヴェーダの詠唱を聞いたのは、その時でした」と言いました。

46年1月11日 午後

 コロンボからの若者がバガヴァーンに尋ねました。「J・クリシュナムルティは、意図的な集中の方法とは違って、無努力かつ無選択の自覚の方法を教えます。どのように瞑想を行うのが最も良いか、どのような形を瞑想の対象がとるべきか、シュリー・バガヴァーンは説明して下さるでしょうか」。

 バガヴァーン: 無努力かつ無選択の自覚は、私たちの本質です。私たちがそれを得る、その状態にいることができるなら、問題ありません。しかし、努力なくして、意図的な瞑想という努力なくして、人はそれに到達できません。長年のヴァーサナー全ては、心を外側に運び、心を外的対象物に向けます。そのような全ての思いは放棄されねばねらず、心は内側に向けられねばなりません。そのためには、たいていの人々にとって努力が必要です。もちろん、全ての人が、全ての本が「スンマ・イル」、つまり、「静かにしなさい、じっとしていなさい」と言います。しかし、それは簡単ではありません。ですから、この全ての努力が必要なのです。たとえ「スンマ・イル」で示されるマウナ、至高の境地を即座に達成した人を私たちが見つけても、必要な努力がすでに前世で終わっていたと考えられます。したがって、無努力かつ無選択の自覚は、意図的な瞑想の後にのみ、到達されます。その瞑想はあなたが最も気に入るどんな形をとってもかまいません。他の全ての思いを遠ざけるには何があなたの助けになるか確かめ、その方法をあなたの瞑想として採用しなさい。

 これに関連して、バガヴァーンは、聖者ターユマーナヴァルの「タミル語」から詩節5と52、「タミル語」から36を引用しました。その要旨は、次の通りです。「あなたがじっとしていれば、至福が付き従うだろう。しかし、幾たびあなたがあなたの心にこの真理を伝えても、心は静かにしないだろう。静かにしようとしないのは、心である。『静かにしなさい、そうすれば、あなたは至福を得るだろう』と心に言うのは、心である。全ての聖典がそれを言っても、我々が偉大な人々から毎日それについて聞いても、そして、我々のグルさえもがそれを言っても、我々は決して静かにしておらず、マーヤーと感覚の対象物の世界に迷い込む。それゆえに、意識的な、意図的な努力、瞑想が、マウナの境地、静かにいる境地を得るために必要とされる。」

 コロンボからの別の若者がバガヴァーンに尋ねました。「意識の3つの状態は、現実性の程度において、4番目より、どのように劣っているのでしょうか。この3つの状態と4番目の実際の関係は何でしょうか」。

 バガヴァーン: ただ一つの状態、意識、自覚、実在のそれしか存在しません。目覚め、夢、眠りの3つの状態は、現実のはずがありません。それらはただ来ては去ります。現実のものはいつも存在するでしょう。3つの状態すべてで存続する「私」、実在のみ、現実です。他の3つの状態は現実ではなく、そのため、それらがこれこれの程度の現実性を持つと言うことはできません。私たちはこのように大雑把に言い表せるかもしれません。実在、意識が、唯一の現実です。意識プラス目覚めを、私たちは目覚めと呼びます。意識プラス眠りを、私たちは眠りと呼びます。意識プラス夢を、私たちは夢と呼びます。意識は、その上を全ての映像が行き来するスクリーンです。スクリーンは現実で、映像はその上の影に過ぎません。長い間の習慣によって、私たちはそれら3つの状態を現実とみなしてきたため、私たちは単なる自覚、意識の状態を第4のものと呼びます。しかしながら、第4の状態は存在せず、ただ一つの状態しか存在しません。

 これに関連して、バガヴァーンは、ターユマーナヴァルの「タミル語」から詩節386を引用し、このいわゆる第4の状態は目覚めた眠り、目覚めの中の眠りとして表現されている-つまり、世界に気付かず(asleep)自らに気付いている(awake)、と言いました。

 O.P.ラーマスワーミ・レディヤール(議会議長)がバガヴァーンに尋ねました。「しかし、この3つの状態が、現実の状態、自らなるスクリーン上をどうして行き来しなければならないのですか」。

 バガヴァーン: 誰がこの質問をしますか。これらの状態が行き来すると自らが言いますか。これらの状態が行き来すると言うのは、見る者です。見る者と見られる物は共に心を構成しています。心というようなものがあるのか確かめなさい。その時、心は自らに溶け込み、見る者も見られる物も存在しません。それで、あなたの質問への本当の答えとは、「それらは行き来しますか。それらは行くことも来ることもありません」です。自らのみが常にあるがままにあり続けます。3つの状態は、その存在を「アヴィチャーラ(無-探求」」に負っていて、探求がそれらに終止符を打ちます。どれほど説明しようとも、人が自らの実現を得て、どうして自明の唯一の実在に長らく気づかなかったのかと思うまで、その事実は明らかにならないでしょう。

 別の訪問者がバガヴァーンに、「心と自らの違いは何ですか」と尋ねました。

 バガヴァーン: 違いはありません。内側に向けられた心が自らです。外側に向けられれれば、それは自我と全世界になります。様々な衣服にされた綿を、私たちは様々な名前で呼びます。様々な装飾品にされた黄金を、私たちは様々な名前で呼びます。しかし、全ての服は綿で、全ての装飾品は黄金です。一は現実で、多は名と形に過ぎません。

 しかし、心は自らから離れて存在しません、つまり、それは独立して存在しません。自らは心なしで存在しますが、決して心は自らなしでは存在しません。

46年1月18日 午前

 今日はタミル語(タイ・プーサム)の日です。このことは、どうしてラーマリンガ・スワーミの名声がその日に祝われるのか、彼はタイ・プーサム(の日)に騒々しいこの世を去ったのか、私を尋ねる気にさせました。バガヴァーンは分かりませんでした。私はまた、正確にはどのようにラーマリンガ・スワーミが地上の生を終えたかに関して、バガヴァーンが何か確かなことを知っているのか知りたくなりました。バガヴァーンは、これについても何も言いませんでした。

午後

 シュリーマッド・バーガヴァタムの英語の縮小版の中で、プリトゥが、(体が)構成されている複数の要素に体を溶け込むままに任せたと書いてあるのを私は見つけました。これはラーマリンガ・スワーミについて一般的に報告されていることにとてもによく似ているように思えたので(つまり、彼が部屋に入り、自分自身を閉じ込めたこと、数日後、部屋がこじ開けられたとき、空っぽだったこと)、「実現した」方々は体をそのように消し去ることができるのか私はバガヴァーンに尋ねました。彼は言いました。「本は、ある聖者たちは、彼らを連れてくるために特別に送られた象などに乗って、その体とともに天に赴いたと私たちに言います。それら(の本)はまた、光や炎として、アーカーシャやエーテルとして、石のリンガムとして聖者たちが消え去ることについて話します。しかし、覚えておくべきことは、この全ては傍観者の視界の中にのみあるということです。ジニャーニは彼が体であると思っていません。彼は体を見さえもしません。彼は体の中の自らのみを見ます。もし体がそこになく、自らのみあるなら、どの形であれ、その消失の問題は起こりません」。これに関連して、バガヴァーンは、46年1月9日の項目ですでに言及されたバーガヴァタムからのタミル語の詩節を再び引用しました。そして、今回、彼はその本からサンスクリット語の詩節とタミル語の詩節を両方を私たちに抜き出させました。私は以下にその2詩節を記載します。

タミル語の詩節

サンスクリット語の詩節
(バーガヴァタム、11章、ハムサ・ギーター、22)

(この詩節の意味は、113ページに記載されます)

 バガヴァーンは言い足しました。「死に際して体が後に残される者は誰もジニャーニと呼ぼうとしない、ある思想学派があります。ジニャーニが体をそのように重要視すると思うことは不可能です。しかし、そのような学派があります-シッダ学派です。ポンディチェリで、彼らは協会を持っています」。このすぐ後、ポンディチェリからの17才ぐらいの青年が来て、バガヴァーンに尋ねました。「プラナヴァの音を聞いた後、人が達すべき、それを超えた段階とは何ですか」。バガヴァーンは言いました。「そのプラナヴァを聞くのは、超えた段階について話すのは、いったい誰ですか。確かめ、見出しなさい。そうすれば、全てが明確になるでしょう。プラナヴァとは何ですか。あなたが話すプラナヴァを聞くことを超えた段階とは何ですか。どこにありますか。その全てのことを私たちは知りません。しかし、あなたはいます。そのため、あなた自身、見る者についてはじめに見出しなさい。そうすれば、全てが知られるでしょう」。

 青年は再び尋ねました。「私はムクティへの道とは何か知りたいのですが」。

 バガヴァーン: それは結構なことです。しかし、ムクティとは何ですか。私たちが道なるものについて話せるように、それはどこにあり、あなたはどこにいますか。両者の距離はどれほどですか。まずはあなた自身について、そして、あなたがどこにいるのか見出しなさい。その後、これらの質問が生じるのか確かめなさい。


 会話は、カーヤ・カルパについて様々な人々によって提案される様々な調理法に向かいました。バガヴァーンは、樟脳、樹齢100年のニームの木などに基づいた2、3のカルパに言及し、言いました。「誰がこの体にそんなにも手間をかけたいと思うのですか。本の中で説明されるように、私たちが持つ最大の病は、体、タミル語(誕生なる病)です。人が体を丈夫にし、寿命を延ばすために薬をとるのなら、それは病気を強め、永続させるために薬をとる人のようです。体は私たちが担う重荷であるため、荷物を運ぶことに従事し、重荷を振り捨てられる目的地への到着を切に願うクーリー(日雇い労働者)のように私たちは逆に感じるべきです」。

46年1月19日

 バガヴァーンは、タイ・プーサムとラーマリンガ・スワーミについての私の質問への答えが、今日のBharata Deviに出ていると私に言いました。そこには、スワーミがタイプーサムの日に、死に備えて部屋に入ったと書いてあります。スワーミをマハートマー・ガーンディーと比べ、彼(スワーミ?)Arutpaから主に引用した長い記事をヴィシュワナータ・アイヤル氏が読み上げました。

午後

 昨日、私はバガヴァーンに、バーガヴァタムの11章からのサンスクリット語の詩節をタミル語に翻訳してはどうかと提案しました。タミル語の詩節がサンスクリット語の原文にきっちり従っていないと彼が感じていたからです。それで、今日、講堂でムルガナールを見て、それについて彼と話しながら、彼は手に紙やペンを持たずに以下の詩節を何気なく作りました。

タミル語の四行詩

(この詩節の英訳は、113ページに記載されます)


 バガヴァーンは、タミル語訳を改良し、それを原文のサンスクリット語に近づけたいと思いました。彼はムルガナールといくつか変更を検討し、上の詩節を最終的なものとみなしてはいけないと私に言いました。

46年1月20日

 バララム・レッディ氏が、その翻訳が「タミル語」で始まるReality in Forty Versesへの補遺の中にあるサンスクリット語の詩節についてバガヴァーンに尋ね、バガヴァーンは、どのように彼がAbhavamという言葉を使い、カーヴヤカンタがAbhedamのほうを好んだか説明しました。バガヴァーンは、この詩節は、体は「私」でないという主張を二つの方法で確立しようと努めているとさらに私たちに言いました。第一に、体がジャーダ(意識がない)であり、決して「私」と感じたり、言ったりできないと言うことによって、第二に、私たちが体を持たないとき、つまり、体の意識を持たないときでさえ、「私」が存在すると言うことによって。この詩節についての会話は、以下の状況下で始まりました。モロッコのベルナルド・デュバルという人が、8年ほど前、15日間ぐらいここにいたようです。彼は、この戦争の間に捕虜でいたときにサンスクリット語を学び、バガヴァーンのウパデーシャ・サーラムを英語に翻訳しさえしたこと、後に彼がその全ての書類を失ったこと、バガヴァーンの全てのサンスクリット語の作品を彼に送っていただきたいということを、(今では10年間アーシュラムに住んでいる)A.W.チャドウィック少佐に最近、手紙で知らせました。デュバル氏のこの要望に関係して、バララムは、バガヴァーンによってサンスクリット語で作られた全ての作品は何か調べ出そうしていて、バガヴァーンは上の詩節もまた彼によって作られたとバララムに話したようです。

 ヴィシュワナータ・アイヤル氏の母親が来て、バガヴァーンに、「ナーガンマが、マートゥ・ポンガルの日にゴーシャラでアーシュラムの中で起こったことについてテルグ語で報告を書いてます。それはとても良いものです」と言いました。バガヴァーンは、「そうですか。彼女の兄はここで起こることの報告を彼女に書くよう頼んでいます。彼女はここにいますか」と言いました。そこで直ちに、私たちはナーガンマにそれを読み上げるように頼み、彼女はそうしました。バガヴァーンは、ヴィシュワナータの母にRamana Gopalaを読んだことがあるか尋ねました。彼女は、「私は息子がしたタミル語の翻訳しか読んでいないので、テルグ語の原文が聞きたいです」と言いました。そこで直ちに、私たちはナーガンマにテルグ語版を読み上げるように頼み、それは行われました。

 ボンベイの公認会計士、ゴクール・バーイー・D.バット氏という人が、バガヴァーンに関する詩節をいくつか作り、講堂で読み上げました。私の要望で、彼はまた、講堂に集まった全員のためにそれを翻訳しました。チットゥールから公務員(?)検査官のゴーヴィンダラーマイヤという人が、バガヴァーンの許しを得て、賢者アンギラサのGurupadakaを読み上げました。彼はそうするようスブラマニア・シャーストリという人に勧められたようです。その人は、80歳を超える、とても高齢のジニャーニで、もともとはコンジーヴァラム(カーンチープラム)の住人で、ラーマイヤは最近アンバトゥールで彼に会いました。

 今朝、10時ごろに講堂に戻る前に、バガヴァーンはラーマスワーミ・アイエンガー氏という人に牛小屋の近くでダルシャンを与えました。どうやら彼は、数年間、クンバコーナムでラマナーシュラマムのようなものを開催しているようです。彼は今や年を取り、衰えていて、彼がしたとされる様々な悪行のためにバガヴァーンに近づくことをサルヴァーディカーリが彼に禁じていた、長年の後、大変苦労してバガヴァーンに会いに来ました。この気の毒な人は牛小屋に運びこまれた彼の車の中に留まらなければならず、バガヴァーンは、講堂へ行く途中、車の近くに数分立ち、彼の古くからの弟子にダルシャンを与えました。その弟子はただ泣くばかりで、何も言いませんでした。バガヴァーンは、彼のよく知られる恵み深い表情の一つで彼を見ました。

午後

 私は講堂に行くのがとても遅くなりました。しかし、午後の散歩に行く前に、バガヴァーン自身が私に、「あなたは私たちがあの詩節に与えた最終的な形を見てませんね」と尋ね、私に以下を見せました。

タミル語の四行詩

(この詩節の英訳は、113ページに記載されます)


 私は(上の詩節の)一行目のタミル語を「空に上っている」と理解していたので、どうしてそれが適当なのかバガヴァーンに尋ねました。しかし、彼はそれはただ「動いている」を意味するだけだと説明しました。彼はまた私に、「私たちはサンスクリット語で簡潔にそれを知っています。しかし、Sita Rama Anjaneya Samvadamの中で、それはとても入念に詳しく述べられています」と言いました。この発言は、昨日、バガヴァーンが、タミル語のバーガヴァタムの中でサンスクリット語の詩節に対応するものを何も見つけられなかったとき、G.スッバ・ラオが、テルグ語のSita Rama Anjaneya Samvadamの中で同じことが起こったのを思い出したと言ったことによります。今日、その本が取り出されて、関連する部分がバガヴァーンに見せられました。バララム・レッディは、Sita Rama Anjaneya Samvadamとテルグ人との関係は、Kaivalyamとタミル人の関係と同じだと私に言いました。

 クンジュスワーミが講堂に到着したとき、クンバコーナムのラーマスワーミ・アイエンガーは出発したのか、彼はどうする予定なのか、バガヴァーンは彼に尋ねました。クンジュは、ラーマスワーミは健康を回復するまで1、2か月パラコットゥに滞在する予定であると、他の人たちのみが翌日に帰るだろうと言いました。

46年1月21日

 ゴクール・バーイーが、グジャラート語のラマナ・ギーターの第11章、次に、グジャラート語のウパデーシャ・サーラムを読み上げました。P.C.デーサーイー氏がバガヴァーンに頼みました。「第14詩節で、彼らはサンスクリット語の詩節の2行目を『心が継続的に自らの瞑想に定められるなら』などと翻訳しました。原文には『継続的に』も『自ら』も見つからない以上、それは問題ないのでしょうか」

 バガヴァーン: エーカ・チンタナは、継続的な思いを伴います。他の思いがやって来ないとするなら、ただ一つの思いが継続的でなければなりません。その詩節の意図するところは次のようです。前の詩節では、心を制御するためには、呼吸の制御、プラーナーヤーマが役立つかもしれないと言いました。この詩節は、そのように制御下に、ラヤの状態に連れ行かれた心は、単なるラヤ、眠りのような状態にいるままにしておくべきでなく、エーカ・チンタナ、一つの思い-その思いが自らについてであってもイシュタ・デーヴァターやマントラムについてであっても-に向かわせるべきだと言います。その一つの思いが何になるかは、それぞれの人のパクヴァ、適性によるでしょう。その詩節は、それを一つの思い(という表現)に留めています。

 デーサーイー氏は、次の版のグジャラート語の第14詩節が訂正されるべきか、今のままでもいいのか知りたいと思いました。バガヴァーンは何も言いませんでした。彼はその問題について十分話していました。(私は、2行目に「継続的な」を導入しても差し支えないだろうが、原文の中でバガヴァーンが言った全ては、ラヤに連れて行かれた心をエーカ・チンタナ、一つの思いに取り組まさせなければならないということなので、「思い、または、自ら」を取り入れることは正当化できないと判断しました)。


 46年1月20日の項目に書き留められたタミル語の詩節を作ることにバガヴァーンがまだ従事しているとき、バララム・レディ氏はテルグ語でも詩節を作るように彼に願いました。それで、バガヴァーンは作り、バララムといくつか選択肢を話し合いました。私は再び、タミル語の詩節の一行目の意味についてバガヴァーンに、「『体がある場所に留まっていても、動き回っていても、それは永続しない」と言っても意味がないように思えますが」と尋ねました。そこで直ちに、彼は私に、一行目はその全体が一つの文であるかのように読まれるべきでないと、一行目は行の半分で止まるべきだと言いました。詩節の正しい理解のために、私は以下に直訳を載せます。

 「体は永続しない(現実でない)。それが止まっていても、動き回っていても、プラーラブダのために、それが彼に張り付いていても、彼から滑り落ちていても、自らを実現したシッダはそれに気づいていない。あたかも酔いによって目がくらんだ酔っ払いが、彼の服が身に付いているのかいないのか気づいていないように。」

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