2016年5月21日土曜日

チャガンラル・V・ヨーギ - いかにして懐疑主義者は虎口に落ちたか

◇『The Call Divine(召命)』 Volume Ⅱ、Book 6、p318~323

虎の口の中で

シュリー・チャガンラル・V・ヨーギ著、ボンベイ

虎の口に落ちた獲物が決して逃れることを許されないのとまさしく同様に
グルの恩寵を得た彼は、疑いなく救われ、決して見捨てられることはない
-シュリー・ラマナ、『私は誰か』の中で

 シュリー・ラマナ・マハルシについて私が初めて耳にしたのは、私の人生の中で最も暗たんとした時期でした。当時、私は懐疑主義に向かって足早に進んでいるようでした。世界は私にとって、不正、残酷、貪欲、憎悪や他の邪悪に満ちているように見え、それらの存在は必然的に神への強い不信へと私を導きました。というのも、彼が真に存在していたのなら、何か邪悪なるものがかつて栄えることができたのでしょうか。暗い影のように疑惑に次ぐ疑惑が私を悩ませ、私の足跡をつけ回しました。結果として、私は、サードゥとサンニャーシに対して私が持っていたかもしれない、なけなしの敬意を失いました。気がつけば私は、ゆっくりとしかし確実に、宗教に興味がなくなっていきました。言葉そのものが、私の心の中では、世間の信じやすい人たちを欺くためのずる賢い策略の同意語になっていました。要するに、私は楽観主義と信仰を欠いた人生を送り始めました。私の心は荒れ狂う海の様相を呈しました。私の周り全ては灼熱の炎で燃え盛り、まさに私のはらわたを焼き尽くすようでした。

 ある日、いつものように電車に乗って事務所へ向かう間に、私は突然、ヨーロッパとアメリカで10年以上過ごしていた友人に偶然に出会いました。私はとても長い間彼に会っておらず、時々、彼はどこに姿を消したのか心の中で思いめぐらしたものでした。彼はシュリー・ラマナーシュラマムに行っていたのだと言い、マハルシのダルシャンの体験を私に説明しようとしながら、ポケットから小さな袋を取り出し、私に差し出しました。私はそれに何が入っているのだろうと思いました。彼はそれに極めて貴重なもの-アーシュラムからもたらされた灰、ヴィブーティが入っていると説明しました。彼は私がそれを受け取るよう強く要求しました。彼の親切な誘いは、少しも私の関心を引き起こしませんでした。一方で、それは私を面白がらせました。「失礼だけど、こういった類のものは全てインチキやペテンに過ぎないと思っています。だから、私がそれを拒んでも、あなたが私を誤解しないと信じています」。私の拒絶に対する彼の唯一の主張と私の理性に対するアピールは、ヴィブーティでなくとも、それを受け取らないことで、私が彼を侮辱したというものでした。私は、「では、もしそうであるなら、あなたを喜ばせるために、灰をひとつまみ取りましょう。私がそれでしたい気がするかもしれないことをするのをあなたが許すという条件で、ですが」と言いました。何の疑いもなく、彼は同意してうなづき、小袋を私に手渡しました。私が小袋からひとつまみ取り出すのを彼が見る間、微笑みが彼の唇に浮かびました。彼の微笑みは、シュリー・マハルシと彼の奇跡的な偉大さの熱心な詳細な説明の前触れでした。彼が伝道の熱狂に没頭している間に、私は密かに灰を客車の床に落としました。全く率直に言って、当時、私がはなはだ幼稚で不必要な講義だとみなしたものを友人が終えた時、ホッとしました。その最後に、「私はそれらのいわゆる聖者を全く軽蔑してます」と私は述べました。シュリー・ラマナ・マハルシは「いわゆる」聖者でなく、「本物の」賢者であり、世界中の優れた学識者から認められていると彼は私にどうしても印象づけたがり、私自身の利益のために、いくらかの書籍はとても簡単に手に入るからと、彼に関する本を読むことを勧めました。彼は私がそれによって第一歩を踏み出すかもしれない一冊の本-マドラス、サンデー・タイムズの故シュリー・カマス著の『Sri Maharshi』-を私にくれました。

 その本が私の中にマハルシへの関心を呼び起こしたことを私は認めざるを得ません。別の友人から、ほとんど間髪を入れずに『Self-Realization』(第二版)を一冊借りました。私がそれを意識することさえなく、私の関心は高まりました。何かが私に英語で手に入れられるマハルシに関する全ての著作をシュリー・ラマナーシュラマムに手紙で注文させました。私はそれをむさぼるように学び、私の人生観と世界観が微妙に変化し始めたことに気づきました。それでも、私の心の背後には、増しゆく輝きを汚す雲にも似た、重苦しい疑いが潜んでいました。私の古くからの懐疑主義は、私の心の中に植えつけられつつあるらしい、新たなる信仰にそうやすやすと場所を明け渡そうとはしませんでした。それはその信仰に戦いを挑みました。けれども、その信仰は明らかに生き残ることとなり、その後すぐに成長しました。私は心の中で論じました。とても多くの本が読むには素晴らしいが、その著者はたいがい同様に知るには素晴らしいわけではない。人々にとって彼ら自身が生きることができない真理を教えることは可能だ。では、どれほど素晴らしくても、本が何の役に立つのか。私はマハルシと文通しようと決心しました。私は数か月間文通し、それはますます頻度を増しました。私の手紙への返事は稀に見る迅速さで私のもとに届き、師の教えの息吹を放っていました。しかし、それらが彼によって生きられる日常生活の性質を私に垣間見せることはほとんどありませんでした。アーシュラマムを訪問し、自分自身で物事を見たいという説明しがたい願望が私を捕え始めました。

 その願望を満たすため、1938年のクリスマスに、私はシュリー・ラマナーシュラマムを訪問しました。それは私の最初の訪問であり、もちろん、最後の訪問ではありませんでした。アーシュラマムに到着した時、私はひどい失望を経験しました。なぜなら、何も私が期待していたように私の心を打たなかったからです。マハルシは、動きも話しもしない彫像と同じように静かに寝椅子の上に座っていました。彼の存在もまた、並外れたものを何ら発していないようでした。彼の態度全てが私に対していかに興味がないかに気づいた時、私はひどく悲しくなりました。私は温かみと親密さを期待していたのです。しかし、ああ、私は両方を欠いた誰かの前に立っているようでした。朝から晩まで、ボンベイからはるばるやって来た見知らぬ人である私の中に、彼の恩寵、彼の関心を垣間見ようと待ちながら座りました。しかし、彼は冷たく、心動かされないようでした。私の心はぽっかりと穴があき、私の胸は絶望のあまり張り裂けんばかりでした。以前よりいっそう懐疑的でかたくなになり、私はまさにその夜に去ろうと決めようとしていました。彼の面前では毎晩ヴェーダ・パーラーヤナが唱えられていて、それはアーシュラマムの日課の最も魅力的な項目の一つとみなされるものでしたが、私の耳には単調なものに聞こえました。悲しい別れの挨拶のように太陽は沈みゆき、暗闇がゆっくりと山と私の心に忍び寄りました。それは深まり、ついには我々の周り全てが大きな黒い染みとなりました。私はその雰囲気に耐えられませんでした。私の心は深い苦悩を経験していました。師の講堂は、空気の通りが悪く、息が詰まるようでした。私は外で新鮮な空気を吸うために、講堂から立ち去りました。

  ちょうどその時、少年-ゴーパランが彼の名前でした-が私のもとまでやって来て、私がどこから来たのかについて私に尋ねました。「ボンベイです」と私は言いました。そして、私が師に紹介されたのか、彼は尋ねました。私は「いいえ」と言いました。彼は驚きました。直ちに、彼は私を事務所に連れ行き、サルヴァーディカーリとシュリー・モウニスワーミーに私を紹介し、私と共に講堂に進み、そこで私をマハルシに紹介しました。マハルシが私の名前を耳にした時、彼の目はまっすぐに私の目をのぞき込み、星々のように瞬(またた)きました。恩寵で輝く微笑みをもって、彼は私がグジャラート人であるか私に尋ねました。そうですと私は言いました。即座に、彼は「Upadesa Sar」のシュリー・キショールラル・マシュルワラによる翻訳を一冊取りに行かせました。その数冊がちょうどその時、到着したばかりでした。それから、彼は私にその本からのグジャラート語の詩節を歌うように頼みました。「私は歌手ではありません」と言い、一瞬、私は躊躇しました。私は躊躇を乗り越え、本から詩節を歌い始めました。その15詩節を歌うか歌わないうちに、夕食の鐘が鳴りました。私が歌っている間、私はシュリー・バガヴァーンが私を鋭く注視しているのを感じることができました。彼の目の光は、私がそれに気づくことさえなく、いわば、私の意識を満たし、私の上に微妙ではあるがはっきりとした変容をもたらしました。しばらく前に重苦しく耐えがたく思えた暗闇は、徐々に光りがさし、幸福感に溶け込みました。私のかつての悲しみは完全に消え去り、私の心に説明のつかない歓喜の感情を残しました。私の四肢は、自由の大海の潮流の中で洗われたようでした。

 私は夕食時にシュリー・バガヴァーンのそばに座り、食べる間、その一口一口が並外れたこの世のものとは思われない味をしているようでした。これは実際の体験でしたが、朝の軽食や正午の昼食の間には、それを垣間見ることさえありませんでした。文字通り、私は、神の直接の面前において、天上の食事を取っているように感じました。その夜にアーシュラムを離れるという思いは、消え去りました。すでに始まっていた神聖な並外れた体験-精神的解放の感覚の明白な実感へ通じる神聖な恩寵の体験-を広げるために、私はもう三日長く滞在しました。

 私が神聖なる師のそばで三日間滞在する間、真の洞察の目を縛る鎖のようでさえある先入観と偏見に束縛された昔の自分を思い出すことができない程度にさえ、私の見方全体が完全に変わったことに気づきました。私の心は、その本質的性格を以前のそれからいくらか異こと)にしさえするほどの素早い変化を経験しました。私にとって世界の色そのものが変わり、日の光はこの世のものとは思えない様相を呈しました。私はそのまなざしを人生と世界の暗い側面にのみ向けることの愚かさと無益さに気づき始めました。

 神聖なる魔術師は、輝きと希望と喜びの未知なる新世界を私の前に広げました。地上に彼が存在するという事実そのものが、その頑固な無知のために苦しみ傷を負っている人類にとって十分な証しであり、約束でした。その時初めて私は理解しました-ダルシャン、目にすることの意義を。

 アーシュラマムの来客用寝室のベッドに横になっている間、閉じたまぶたの背後に、私が事務所へ行き帰りするボンベイの電車の全光景が現れました。私が友人と出会った、当時、私があざ笑い、私の残りの人生の間、祈り続けることになった聖なる者について彼から初めて耳にした、あの重要な機会が。鉄道客車の床上に極めて神聖なヴィブーティ-プラサードを軽蔑して落とすように駆り立てた盲目的なふてぶてしさを私は思い出しました。今日では、そのようなプラサードのひとかけらでさえ、私にとって全世界を意味します。師から受け取ったプラサードは、どんな地上の富も買えはしない恩寵の形です。人はそれをまぶたまで持ち上げ、それで額に筋をつけるのに値しないとさえ感じます。

 おお、師よ、何という変容の奇跡なのですか。私があなたに出会えるまでに、どうして人生の半分を要したのですか。しくじりに次ぐしくじりの半生!しかし、私は思うのですが、我が師よ、それは年、月、日、瞬間で計られる時間という心の概念でしかありません。あなたにとって、あなたのバクタは、時代を通じて、あなたと共に、あなたの近くに、あなたの側にいつもいます。

 これらの思いは次第に私を深い眠りに入らせ、翌朝、私は四肢に新たな活力を満たし、心に新たな光を満たし、眠りから目覚めました。三日目、沈んだ心で私はシュリー・バガヴァーンに別れを告げました。いまだ人間であるため、時間と空間の感覚に捕えられ、距離と別離は自然と心に虚無感と痛みを与えました。しかし、私に関する限り、私が想像しうるよりさえ早く師の足下に戻ることになると何かが私に請け負いました。私の直感は、ほぼ正しいよりもはるか上でした。というのも、翌年、訪問に次ぐ訪問が、奇跡的かつ容易に師によって手配されたようでした。折に触れ身体的に師の近くにいる必要性を彼は私の中に気づいていました。訪問を重ねるたびに、私の中の光は深まり、私の活力は強まり、増しゆく歓びに向けて私の意識をかき立てました。

 師が彼の子供たちに働きかける、名状しがたい意識下の方法は、驚くべきものです。彼の導きを必要とする時に、彼の手、私に差し出された力強い彼の手をはっきりと見た回数は、数知れません。これについては、将来いつか記すつもりです。

 「かくして、私は、虎口に捕われたのだ!」

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