2015年12月4日金曜日

バガヴァーン・ラマナの唯一性 ① - マハルシにプライバシーは存在しない

◇「山の道(Mountain Path)」、1987年1月 p8~10

バガヴァーン・シュリー・ラマナの唯一性

K.スブラマニアン博士
マハルシについて最も並外れたことは、24時間彼に会えることでした。彼に会うための許可は必要なく、特別なダルシャンの時間はありませんでした。我々の全員が、数時間ごとにプライバシーを要求します。我々は煩わされたくありません。我々にはいつも「煩わ」されているマハルシがいましたが、彼は決して煩わされていると感じませんでした。
  人々はよく彼の周りで眠ったものでした。彼が夜に外に出なければならない時、彼は注意深く足の踏み場を選んで進まなければなりませんでした。誰かが彼にたいまつを差し出した時、マハルシはその必要はないと言いました。信奉者たちに強く勧められ、彼はそれを受け取りました。彼は誰もが煩わされないような方法でそれを使いました。彼が夜に外に出なければならない時はいつも、お腹の近くでたいまつを照らし、その助けによって外への道を見つけたものでした。眠っている人たちを煩わすことになるかもしれなかったので、彼は地面の近くでたいまつを照らしませんでした。彼の他者への配慮とは、そういったものでした。

 しかし、この配慮は人間に限ったものではありませんでした。それは鳥獣や植物に及んでいました。時折、犬たちが講堂で眠ることを選んだ時、犬たちがその場所を汚してしまうと不平を言う人たちがいたものでした。犬たちがトイレに行けるように、マハルシは彼らを真夜中ごろに外に連れ出しました。犬、スズメ、孔雀、リス、猿、牝牛たちは、よく彼のもとに行きました。彼は彼らに話しかけ、彼らは彼の指示に従いました。彼は誰が蛇を殺すのも決して許しませんでした。「私たちは彼らの居場所にやって来ました。私たちは彼らに保護を与えるべきです」。彼の面前では、猿たちでさえ静かにいました。かつて、彼がアーシュラムの瞑想講堂にいたとき、猿が彼の近くに行こうとしました。少し心配になった人々は、その猿を追い払おうとしました。マハルシは猿を見て、彼の近くに来るように招きました。猿は彼の近くに行き、彼女の赤ちゃんを彼に見せました。マハルシは、「あなたたちみなが彼女を追い払おうとしました。彼女は赤ちゃんを見せに来ています。あなたたちは子や孫を連れて来ます。彼女が同じことをするのを許してはどうですか」と言いました。猿はしばらく留まり、喜びのかん高い声を上げながら去りました。リスたちが彼の寝椅子に登ったときは、たくさんの木の実をもらい、彼の手のひらからそれを食べました。彼は全ての存在に愛を放っていました。

 私たちは弟子がグルに仕えることを耳にしています。ここには、弟子に仕えた他に類を見ないグルがいました。彼は毎朝3時ごろに調理場に行き、野菜を切り、チャツネをすりつぶしたりしました。彼がこしらえたものはなんでも非常に美味でした。彼はおいしい料理に興味はありませんでしたが、信奉者への愛情からそれをこしらえました。

 ある時、マハルシの手に水ぶくれがいっぱいあった時、ヴィシュワナータ・スワーミーという信奉者が彼の仕事をすることを申し出ました。マハルシは水ぶくれで困っていないと言い、きつい手仕事やりつづけました。その信奉者はこれに耐えられず、ある日、マハルシよりずっと早く調理場に密かに入り、普段マハルシによって行われる仕事を全て終わらせました。マハルシが調理場に入った時、彼のする仕事がないことに気づきました。彼が何が起こったのか尋ねた時、ヴィシュワナータ・スワーミーが全ての仕事をしてしまったと聞かされました。マハルシは何も言いませんでした。彼がヴィシュワナータ・スワーミーに会った時、彼になぜそうしたのか尋ねました。ヴィシュワナータ・スワーミーは、マハルシの手に水ぶくれがある時に、チャツネをすりつぶしているのを見るのに耐えられなかったと言いました。マハルシは言いました。「初めのころ、私は食べ物を乞わなければなりませんでした。今、私は無料で食事を与えられています。私はこれに値する何らかの奉仕をすべきではありませんか。今日、あなたは私の仕事をしてしまいました。今日、私は何の奉仕もしていません。あなたのドーティを私に渡して下さい。あなたのためにそれを洗います」。ヴィシュワナータ・スワーミーは感動して涙しました。それ以後、彼はシュリー・マハルシの仕事に決して干渉しませんでした。

 ある信奉者たちは、少なくとも正午12時から午後2時の間の2時間、マハルシは煩わされるべきではないと思いました。彼らはその時間、彼をそっとしておこうと決めました。マハルシはこのことについて相談されませんでした。正午以降に訪問者が一人もいないことに気づいた時、マハルシは付添人に何が起こったのか尋ねました。正午12時から午後2時の間は訪問者が入るのを許可しないと決められたことを彼は告げられました。マハルシは講堂の外に出て、座り、「人々はいつでも私のもとにやって来ます。彼らの中には待つ余裕のない人もいます。彼らが私に会えないようにするなら、私が彼らに会いに行きましょう。あなたがたは扉を閉めておくかもしれませんが、私を閉じ込めることはできませんよ」と言いました。彼は規則を破りたくありませんでしたが、訪問者に不便をかけたくありませんでした。彼の他者への配慮とは、そういったものでした。

 ある時、アメリカ人女性がアーシュラムを訪問しました。彼女は地面にしゃがむことが困難であると分かり、マハルシに向けて足を伸ばしました。インドの伝統ではそのようにすることが失礼であることに彼女は気づいていませんでした。ある信奉者が彼女の所へ行き、他の人々のように足をたたみ、座るよう彼女に求めました。これに気づき、マハルシは、その女性はしゃがむことが困難であると分かったのだから、他の人々のようにしゃがむよう求められるべきではないと言いました。付添人がそれは失礼であると言った時、マハルシは、「ああ、そうなのですか。足を伸ばすことで、私はあなたたちみなに失礼なことをしていますね。あなたが言うことは私にも当てはまります」と言いました。そのように言って、彼は丸一日中、足を組んで座りました。彼に足を再び伸ばしてもらうためには、信奉者側の大変な説得を要しました。

 ある時、調理場で、ある「特別な」食事が別に用意されようとしているのをマハルシが目にした時、彼はなぜそれが用意されようとしているのか尋ねました。それが月経の期間にいる女性のためであると告げられた時、彼は言いました。「どうして彼女は別に調理された食べ物を食べなければならないのですか。どうして他の全ての人に出される食べ物を彼女に与えることができないのですか。月経であることは罪ですか。区別せず、皆のために用意された食べ物から彼女に出しなさい」。彼は他者への思いやりと配慮の必要性を強調しました。彼にとって、他者への気遣いは精神性の基礎でした。

 マハルシは女性に不利になる言葉を一言も発していません。女性が一緒にいることがサーダナの障害になると彼はいかなる時も言いませんでした。彼は家庭生活を放棄して、サンニャーサに入るよう決して誰にも勧めませんでした。ある時、彼は言いました。「サンニャーサは、個人性を放棄することであり、頭を剃り、黄土色のローブを身に着けることではありません。ある人は家住者であるかもしれませんが、自分はそれであると彼が思わなければ、彼はサンニャーシンです。逆に、人は黄土色のローブを着て、放浪するかもしれませんが、自分がサンニャーシンであると彼が思う限り、彼はそれではありません」。性的なことを根絶する方法を尋ねられた時、マハルシは、「体が自らであるという誤った考えを根絶することによって。自らに性(別)は存在しません。『私は体である』とあなたが考えるために、あなたは別の人を体として見て、性(別)の違いが生じます。しかし、あなたは体ではありません。真の自らでありなさい。その時、性(別)は存在しません」と答えました。マハルシは、自らの探求の道は女性にもたどることができると言いました。実際、彼は、解放された女性は解放された男性のように埋葬されるべきであると言いました。

 彼は我々のヴェーダおよびウパニシャッドの中で最良かつ最上である全てを体現していました。彼は古(いにしえ)のリシの系譜の出自でした。彼は完全に自由であり、この自由を他者に与えました。彼は決して何も求めませんでした。彼は何であれ自分のためにするように誰にも求めませんでした。たいていの時、彼は沈黙し、理解を超える安らぎを伝えました。彼はあらゆる面で並外れていましたが、平凡な生活を送りました。彼はあれやこれやを放棄するよう人々に助言しませんでした。彼は彼らに「行為者」という感覚を放棄するように求めました。彼は人々に来るように、もしくは、去るように求めませんでした。彼は奇跡や千里眼などを重視しませんでした。彼にとっては、自らの実現が最も重要なことでした。この実現は新たな何かの獲得ではなく、一切の偽装の除去でしかないと彼は言いました。彼は他者と共に食べ、他者に給仕された分だけしか、それ以上は少しも食べませんでした。彼はどんな特別待遇も許容しませんでした。ある時、信奉者がマハルシのために特別に用意されたチャワンプラシュを送った時、その信奉者に配慮して彼は一日か二日はそれを食べましたが、後でそれをみなに分け与えました。彼はとても具合が悪い時でさえ、どんな特別な食事も承諾しませんでした。全てのものが等しくみなに分け与えられることを彼は強調しました。「それが私にとって良いのなら、皆にとって良いのです」と彼はよく言ったものでした。

 彼の純朴さは、並外れたものでした。ディリップ・クマール・ローイは彼についてこのように記しました。「彼の自らを忘却した様子は、私にとって、やはり魅惑的でした。彼のどの態度にも不自然なものは何もありませんでした-装われたり、崇高な、無理に効果を狙ったものはありませんでした。日没の雲の上に美が座すように、彼の上には偉大さが楽々と座していました-しばしば、破壊的な効果を伴うにしても。というのも、いかに偉大なる人が行うべきかについての我々の一切の考えは、純朴な不賛成の微笑みをもって、彼によって払いのけられたように思えたからです」。

 彼は学者ではありませんでしたが、学者たちは疑問を解消するために彼のもとへ行きました。彼は自発的には決して何も記しませんでした。他者の要望に応じて彼が記したものが、本を埋めています。彼の母語はタミル語です。しかし、彼はタミル語だけでなく、彼が信奉者たちから聞き覚えた三つの言語、サンスクリット語、マラヤーラム語、テルグ語でも魅惑的な詩を記しました。それらの言語の学者たちは、彼の詩の美しさに驚嘆しています。
(次号に続く)
(shiba注)
上の題の「プライバシー」に関してですが、英語のprivacyには、「①私生活、②秘密、③隠遁」の意味があるので、そのような意味をこめています。

0 件のコメント:

コメントを投稿