2013年11月29日金曜日

ジニャーニの心とブラフマン、ジニャーニの振る舞いかた

◇『シュリー・ラマナーシュラマムからの手紙(Letters from Sri Ramanasramam)』

 読みやすいように対話形式にするため、多少訳を変更しています(文:shiba)

1947年2月8日
(90)ジニャーニの心は、ブラフマンそのものである 

 今朝の7時30分ごろ、私は講堂に行きました。中はまったく静かでした。窓の外から燃えている香木の香りが届き、新来の訪問者たちにバガヴァーンがいることを示しました。私は中に入り、バガヴァーンの前でお辞儀して、座りました。バガヴァーンはずっと枕に寄りかかっていましたが、蓮華座で背筋を伸ばして座りました。たちまち彼のまなざしは動きなく、並外れたものとなり、講堂全体が輝きで満たされました。突然、誰かが、「スワーミージ!ジニャーニは心を持ちますか、持ちませんか」と尋ねました。バガヴァーンは優しいまなざしを彼に投げかけ、言いました。

バガヴァーン:
 人が心なしでブラフマンを実現するということはありえません。実現は心がある時にのみ可能です。心はいつも何らかのウパーディ(*1)と共に働きます。ウパーディなくして心は存在しません。ウパーディと関連してのみ、我々は人がジニャーニであると言います。ウパーディなくして、どうして誰かがジニャーニであると言えるのですか。しかし、心なくしてウパーディはどのように働きますか。それは働きません。ですから、ジニャーニの心そのものがブラフマンであると言われています。ジニャーニは、いつもブラフマンを見ています。心なくして見ることがどうしてできますか。それゆえ、ジニャーニの心は、ブラフマーカーラ(*2)やアカンダーカーラ(*3)と言われています。

 しかし、実際には、彼の心そのものがブラフマンなのです。無知な人がブラフマンを内に認識せず、外側のヴリッティ(*4)しか認識しないのとまさしく同様に、ジニャーニの体は外側のヴリッティの中を動き回りますが、彼は常に内なるブラフマンのみを認識しています。そのブラフマンは遍く行き渡っています。いったん心がブラフマンの中に失われると、心をブラフマーカーラと呼ぶことは、川を大海のようであるというようなものです。いったん全ての川が大海に失われると、それは巨大な一面の水そのものです。その時、あなたは巨大な一面の水の中で、「これがガンジス川で、これがガウタミ川で、この川はとても長く、あの川はとても広い」などと見分けられますか。心に関してもまた同じことです。

 他の誰かが、「サットヴァはブラフマンであり、ラジャスとタマスはアーバーサ(*5)であると言います。そうですか」と尋ねました。

バガヴァーン:
 ええ!サットとは実在するものです。サットはサットヴァです。それは自然なものです。それは心の微細な働きです。それがラジャスとタマスに触れることにより、心は無数の形を伴う世界を創造します。ラジャスとタマスと接触のみが原因で、心はアーバーサである世界をみて、幻惑されます。あなたがその接触を取り除くなら、サットヴァが純粋で汚されずに輝きます。それが純粋なサットヴァ、スッダ・サットヴァと呼ばれています。この接触は、あなたが微細な心の中で最も微細な心で探求し、それを排除しない限りは、取り除けません。全てのヴァーサナーは抑制されねばならず、心はとても微細にならなければなりません。つまりそれは、最も微細な中でも微細な-アノラネーヤム(極小の内の極小)と言われます。それは極小のものにとっての極小になるべきです。それが極小のものにとっての極小として抑制されるなら、その時、それは無限のものの中の無限、マハトー・マヘーヤムへ高まります。

 それを見ている心や、力を得ている心と呼びなさい。それをあなたが好むどんな名前ででも呼びなさい。どのような名前でそれが呼ばれても、我々が眠る時、心はその全ての活動と共にハートの中に抑えられています。その時、我々は何を見ますか。何も見ません。なぜですか。なぜなら、心が抑制されているからです。我々が眠りから覚め、そして我々が目覚めるとすぐに心があり、サットとブラフマンがあります。目覚めている心がグナへ付着するとすぐに、全ての活動が現れます。あなたがそれらのグナ・ヴィカーラ(*6)を捨て去るなら、ブラフマンがあらゆる所に現れます。それは自ら輝き、自明であり、アハム、「私」です。その時、あらゆるものがタンマヤム(遍く行き渡る)に見えます。ヴェーダーンタの専門用語を見てみなさい。ブラフマヴィド(*7)、ブラフマヴィド・ヴァリシュタ(*8)などが言われ、それからブラフマイヴァ・バヴァティ(*9)と言われます。彼はブラフマンそのものです。それゆえ、我々はジニャーニの心そのものがブラフマンであると言います

 他の誰かが、「ジニャーニは全てに対して絶対的な平等をもって振る舞うと言われていますか」と尋ねました。

バガヴァーン:
 ええ!ジニャーニはどのように振る舞いますか。

マイトリー(慈)、カルナ(悲)、ムディタ-(喜)、ウペクシャ(捨)
そのような他のバーヴァ(態度)は彼らにとって自然となる
幸せな人(スカ)への慈しみ、苦しんでいる人(ドゥッカ)へのいたわり
善を行う人(プンニャ)への喜び、不善を行う人(アプンニャ)への平静
そのような全てはジニャーニの自然な特徴である


 『パタンジャリ・ヨーガ・スートラ』、1章・33(*10)

(*1)ウパーディ・・・制限、特性、変装、乗り物
(*2)ブラフマーカーラ・・・ブラフマンの形、姿
(*3)アカンダーカーラ・・・途切れのない形

(*4)アーバーサ・・・反射、反映
(*5)ヴリッティ・・・(心の)働き、形をかえたもの
(*6)ヴィカーラ・・・変形、変質
(*7)ブラフマヴィド・・・ブラフマンを知る者
(*8)ブラフマヴィド・ヴァリシュタ・・・ブラフマンを知る者の中で最上の者
(*9)ブラフマイヴァ・バヴァティ・・・『マンダカ・ウパニシャッド』の3・2・9に「ブラフマヴィド・ヴラフマイヴァ・バヴァティ(ブラフマンを知る者はブラフマンそのものである」とあります。
(*10)サンスクリット語の原文など色々参考にしており、英文そのままの翻訳ではありません。スワーミー・ヴィヴェーカナンダの英訳では、「慈・悲・喜・捨を、幸福な、不幸な、良い、悪い対象それぞれに関して思うことは、心を落ち着ける」とあります。

0 件のコメント:

コメントを投稿