2013年8月28日水曜日

サティヤ・ナーラヤン・タンドン氏の体験 - シュリー・バガヴァーンに導かれて

◇「山の道(Mountain Path)」、1970年4月、p107~108

 以下の文章は、以前に投稿した「聖なる山、アルナーチャラの紹介 - アルナーチャラとバガヴァーン・ラマナ」で言及されていたS.N.タンドン氏の体験です。(文:shiba)

アーシュラムの広報(Ashram Blletin)の中の一つの記事

 (「山の道」の)読者もご存じのカンプールのサティヤ・ナーラヤン・タンドン夫妻は、いつものように、今年もアーシュラムにひと月以上滞在しました。滞在中、タンドン氏は健康状態が思わしくありませんでしたが、アーシュラムの日課に1日でさえ欠かすことなく参加しました。瞑想のための彼のお気に入りの場所は旧瞑想講堂でした。我々の要望に答え、彼は「山の道」の読者の興味をひくだろう以下の体験の文章を記しました。

 いつも通り、私は朝のプージャーのために座りました。気がつくと私は、旧講堂のシュリー・バガヴァーンのサマーディに面する窓の下にいました。しばらく後で、私は講堂全体がアルナーチャラ山に向かって動いて行き、洞窟、もしくは、大きな穴へ入って行くのを感じました。そこで、気がつくと私は泉の下に座っており、そこから水が私の頭に流れ落ち、私は沐浴していました。何かが私の体の表面から層になってはがれて行きました。それは体の汚れが洗い流されているか、古い皮膚がはがれ落ちているかのどちらかだと心の中で思いました。泉から頭に流れ落ちる水は、地面をぬらすことなく、すべて私のハートへと入って行きました(似たようなことが数年前、私に起こりました)。その場所の一方の隅に、シュリー・バガヴァーンは目を半分閉じて石板の上に座っていました。

 それから、シュリー・バガヴァーンは私を後に連れ、平らな表面の上を歩いて行きました。我々はひどくむさ苦しく不潔な、悪臭を発する路地を通り抜けました。私はシュリー・バガヴァーンがどこに私を連れてゆくのか、なぜこのような不快な場所に来たのか考えていました。いくらか距離を歩いた後、私は空気全体が息が詰まり、息苦しいように感じました。私はシュリー・バガヴァーンに、願わくばこの不快な場所から私を連れ去って下さいと懇願しました。彼は微笑して、私の方をふりかえって見ました。

 その後、我々は広大な草原と果樹の広がりに向かい進みました。空気は甘美な香りで満ちていました。我々は歩み続け、とても心地よい風景をその間ずっと楽しみました。ある場所でシュリー・バガヴァーンは止まり、「あなたは疲れて、お腹が減っていますね」と言いました。彼はいくつか果物をとり、私に食べさせました。その果物はとてもみずみずしく、力を与え、2・3口食べることにより、疲労・飢え・渇きが無くなったので、私は満足し、それ以上食べようという気が起こりませんでした!

 我々は更に進み、今や、白い大理石のような平原にきました。我々は寺院を見つけ、少し離れた距離にモスク、それから、教会がありました。それら全ての中に、何の生き物も見られず、全ては静寂でした。それらの場所のどこにも立ち止まらず、我々は道を進みました。今や、思いはやって来なくなり、私は脳に空白を経験しました。まるで糸につながれたように、私は機械的にシュリー・バガヴァーンの後ろを歩いていました。より高い所へ進むにつれ、いっそう穏やかさを感じました。すべっているかのように、私の足は何の努力もなしに動きました。

 最後に、私は無数の水銀球で照らされているかのような、とても明るい場所に辿り着きました。そこで私はシュリー・バガヴァーンも、空も、大地も、この体も見ませんでした。しかし、私は「私は在る」と感じました。

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