2012年8月28日火曜日

ディヤーナによる思いの排除、ハタ・ヨーガ、プラーナーヤーマ

◇『シュリー・ラマナ・マハルシとの対話(Talks with Sri Ramana Maharshi)』、p350~353

Talks 371. 1937年2月23日 

 アーンドラ出身の3人の中年の一行がバガヴァーンを訪問しました。その中の一人がひざまずき、「私はハタ・ヨーガ、つまり、バスティ、ダウティ、ネティ(*1)などを行っています。私は足首の血管が硬くなっているのに気づきました。これはヨーガの結果でしょうか」と尋ねました。

マハルシ:
 どのような環境でも血管は硬くなったでしょう。そうでなければ、今ほどあなたを悩ませません。ハタ・ヨーガは浄化の過程です。あなたをプラーナーヤーマに導いた後、それもまた心の安らぎの助けになります。

信奉者:
 私はプラーナーヤーマをしてもいいのでしょうか。それは役立ちますか。

マハルシ:
 プラーナーヤーマは、心の制御の助けになります。ただ、あなたはプラーナーヤーマで止まってはいけません。あなたはさらにプラティヤハーラ(*2)、ダーラナー(*3)、ディヤーナ、サマーディへ進まなければなりません。最終的に、最高の結果が収められます。

 その一団の別の人が、「どのようにして渇望、怒り、獲得欲、混乱、高慢、嫉妬に打ち勝つのでしょうか」と尋ねました。

マハルシ:
 ディヤーナによって。

信奉者:
 ディヤーナとは何ですか。

マハルシ:
 ディヤーナとは一つの思いにつかまり、他の一切の思いを追い払うことです。

信奉者:
 何について瞑想すべきでしょうか。

マハルシ:
 あなたが好む何にでも。

信奉者:
 シヴァ、ヴィシュヌ、ガーヤトリーは同じように効果的だと言われています。どれに瞑想すべきでしょうか。

マハルシ;
 あなたが最も好む誰にでも。彼らの効果はみな同じです。しかし、あなたは一人に専念すべきです。

信奉者:
 どうやって瞑想すべきでしょうか。

マハルシ:
 あなたが一番好きな人に集中しなさい。一つの思いが優勢になるなら、他の一切の思いは追い払われ、最終的に根絶されます。多様性が優勢である限り、悪い思いがあります。(あなたが)好む対象が優勢になる時、良い思いのみが陣地を保持します。ですから、ただ一つの思いにのみつかまりなさい。ディヤーナが主要な修練です。

 少し後で、シュリー・バガヴァーンは続けました。

 ディヤーナは戦いを意味します。あなたが瞑想を始めるや否や、他の思いが押し寄せてきて、力を蓄え、あなたがつかまろうとする、その一つの思いを沈めようとします。その良い思いは、修練を繰り返し行うことによって、徐々に力をつけなければなりません。それが強く成長した後、他の思いは敗走します。

 これは瞑想でいつも起こっているバトル・ロイヤル(大乱戦)です。人は自分自身から不幸を取り除きたいと思います。それには心の安らぎが必要です。心の安らぎとは、あらゆる類の思いによる動揺がないことを意味します。心の安らぎは、ディヤーナのみによってもたらされます。

信奉者:
 では、プラーナーヤーマの必要性とは何ですか。

マハルシ:
 プラーナーヤーマは、思いを直接的に制御できない人のためのものです。それは車にとってのブレーキのように役立ちます。しかし前に言ったように、それで止まるのでなく、プラティヤハーラ、ダーラナー、ディヤーナへ進まねばなりません。ディヤーナの達成の後、心はプラーナーヤーマがない時でさえも制御されます。アーサナ(姿勢)はプラーナーヤーマの助けとなり、プラーナーヤーマが今度はディヤーナの助けになり、結果、心の安らぎが生じます。

 後にシュリー・バガヴァーンは続けました。

 デイヤーナが十分に確立される時、それをやめることはできません。あなたが仕事や遊びや楽しみに従事していても、それは自動的に継続します。それは眠っている間にも続きます。ディヤーナは、それが人にとって自然となるように、深く根付かなければなりません。

信奉者:
 ディヤーナの発展のために必要な儀式や行為は何ですか。

マハルシ:
 ディヤーナ自体が、行為であり、儀式であり、努力です。それは全ての中で最も強烈であり、力強いのです。その他の努力は無用です。

信奉者:
 ジャパは必要ではありませんか。

マハルシ:
 ディヤーナは、ヴァーク(言葉)ではありませんか。どうしてジャパがそのために必要ですか。ディヤーナが得られるなら、その他の何も必要ありません。

信奉者:
 沈黙の誓いは役に立ちませんか。

マハルシ:
 誓いは、誓いでしかありません。それは、ある程度ディヤーナの助けになるかもしれません。しかし、口を閉じ、心を暴れまわるに任せることが何の役に立ちますか。心がディヤーナに従事するなら、言葉の必要性がどこにありますか。ディヤーナほど良いものはありません。仮に人が沈黙の誓いと共に行為にふけるなら、どこにその誓いの利点がありますか。

信奉者:
 ジニャーナ・マールガとは何ですか。

マハルシ:
 私はそれについてずっと話してきました。ジニャーナとは何ですか。ジニャーナは真理の実現です。それはディヤーナよって行われます。ディヤーナは一切の思いを取り除き、あなたが真理につかまるのを助けます。

信奉者:
 とても多くの神がどうして言及されているのですか。

マハルシ:
 体は一つだけあります。それでも、それによってどれほど多くの働きが行われていますか。全ての働きの源は、ただ一つです。それは神々に関しても同様です。

信奉者:
 人はどうして不幸に苦しむのですか。

マハルシ:
 不幸は多種多様の思いによります。思いが統一され、ただ一つのものに集中するならば、不幸はなく、幸福が生じます。その時、「私が何かをする」という思いさえなく、行為の結果を注視することもありません。

(*1)バスティ、ダウティ、ネティ・・・ハタ・ヨーガの浄化法。順に、直腸、内臓や歯やのど、鼻腔を浄化する方法。
(*2)プラティヤハーラ・・・「感覚から退くこと」。プラティ(対抗して、離れて)とアハーラ(食べ物、取り入れるもの)の二つの言葉からなる。
(*3)ダーラナー・・・「心の対象への集中」。ディヤーナとの違いは、ディヤーナのほうが集中が深く継続しているや、瞑想者が集中の対象と一体化しているなど色々な説明があるようです。

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