2012年8月19日日曜日

心を清めるという苦しみの目的、過去世のカルマによる幸福と苦しみ

◇『バガヴァーンの言葉に添って生きて(Living by the Words of Bhagavan)』、p237~239

バガヴァーンとの対話:18

 バガヴァーンは、自らには苦しみがないので、苦しみは心の産物であるとよく言っていました。かつて、私が「この世の苦しみから逃れる道はないのですか」と彼に尋ねた時、彼は典型的な返答をしました-「唯一の治療薬は、自らの境地に留まり、自らの自覚を失わないことです」。

 苦しみの問題は、講堂での会話の一般的な話題でした。なぜなら、バガヴァーンを除き、我々の誰もが折に触れ起こる心の混乱から免れていなかったからです。以下の質問と答えは、さまざまな時にメモしたもので、苦しみを理解したり、乗り越えたいと望んだ信奉者へのバガヴァーンの典型的な答えを集めたものとなっています。

質問:
 バガヴァーン、生涯を通じて、私は苦しみしか経験していません。これは私の過去生の罪深いカルマのせいでしょうか。かつて、私は母に彼女の子宮の中で私が幸福であったのか尋ねました。彼女は、その当時、非常に苦しんだと言いました。私がこんなにも多くの罪を得たのは、いったいどうしてですか。私はどうしてこんなにたくさん苦しむのですか。

バガヴァーン:
 我々はそれをプールヴァ・カルマ(過去の行為の結果)のためであると言うことができるでしょう。しかし、このプールヴァ・カルマが、例えば、最後(今)より前の生まれのカルマのためであると考える代わりに、この現在の生まれが誰に生じているのか見出しなさい。この体が生を受けたものであるなら、それに質問させましょう。あなたは常に苦しみを経験していると言います。それはあなたの思いでしかありません。幸福のみが存在します。去来するものが苦しみです。

質問:
 道徳的に振舞う人々に、とても多くの苦しみが生じるのは、いったいどうしてですか。

バガヴァーン:
 苦しみが信奉者に生じるならば、それは良いことです。ドービ(洗濯夫)は、衣服を洗う時、それを岩にはげしく打ちつけます。しかし、彼がそのようにするのは、ただ衣服から汚れを取り除くためだけにです。同様に、一切の苦しみは信奉者の心を清めるという唯一の目的のために与えられています。我々が辛抱強くいるなら、幸福が後に続くでしょう。

 次の二つの質問は、私(アナマライ・スワーミー)によって別々の機会に尋ねられたものです。

質問:
 幸福と苦しみは、過去のカルマによって起こります。もし出来事がある特定の方法で起こるように望んだら、そのようになりますか。

バガヴァーン:
 人が過去に多くのプニャ(善行)を行ったならば、まさにこの瞬間にも彼の考えたことは起こりるでしょう。しかし、彼は定められていることを変えようとしているのではありません。ともかくも、なんであれ起こると定められていることに、彼が望むことが一致するようになります。彼の望みが、至高者(*1)の望みや意思によってすでに決定されていたことに一致するようになるでしょう。

 もし大量のパーパム(悪行)があるならば、それらの行為の結果もまた今すぐに実現するでしょう。過去世から持ち越された過剰なプニャとパーパムの結果は、この生で実現します。ヴィドヤーラニャ・スワーミー(*2)には、黄金が降り注ぎました。

質問:
 ある人が善い行為を行った時、苦しみが彼に生じます。しかし、多くの悪い行為をなす他の人がまったく苦しまないことがあります。これはどうしてですか。

バガヴァーン:
 全ての人が、前の生まれから持ち越されたカルマの結果として、幸福と苦しみを得ています。その両方を忍耐強く受け入れ、自らに留まり、、何であれ偶然に従事する行為を行い、幸福や苦しみをその中に探さないこと、それのみが善いのです。

 「私は誰か」という探求は、苦しみの終焉と最上の至福の達成に通じます。

(*1)至高者・・・the Supremeの訳。
(*2)ヴィドヤーラニャ・スワーミー(マーダヴァ・ヴィドヤーラニャ)・・・アドヴァイタの提唱者。南インドのヴィジャヤナガラ帝国(14世紀~)の宰相として、ブッカ王に仕えたといわれている。もっとも有名な著作は、『パーラーサラ・マーダヴィーヤ』と『サルヴァ・ダルシャナ・サングラハ(全哲学綱要)』である。 後者の著作では、16の思想学派をアドヴァイタ・ヴェーダーンタを頂点にして、階梯状に並べ、説明している。

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