2018年11月16日金曜日

バガヴァーンとの日々② - 45年6月5日から45年9月18日まで

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』、p9~20

バガヴァーンとの日々

A.デーヴァラージャ・ムダリアールの日記から

45年6月5日

 私、ハリンドラナース・チャットパディヤイ、G.V.スッブラマイヤ、T.P.ラーマチャンドラ・アイヤルは、講堂で、バガヴァーンの真正面の最前列に座っていました。G.V.S.がH.C.に言いました、「私は最近、オウロビンドー・アーシュラムで作られたあなたのいくつかの詩節のタイプで打たれた写しをふと見つけました。その余白には、いくつかの詩節を高く称賛したシュリー・オウロビンドーの覚え書きがありました」。それに関して、H.C.はバガヴァーンに言いました、「私は2年間オウロビンドーのアーシュラムに滞在し、4000ほどの14行詩と50000行の詩に加えて他の詩を作りました」。以前、H.C.がオウロビンドーのアーシュラムに2年間いたということは、バガヴァーンにとって初耳だったようでしたが、我々の何人かにとってはそうではありませんでした。これはバガヴァーンへのH.C.の3回目の訪問でした。H.C.は、その後、彼の最初期の詩の中の2編を朗読してくれました。その中の1編は、ポンディシェリで作られました。それらは以下に示されます。バガヴァーンは、その朗読を楽しみました。(H.C.についてのyoutube動画 )

土で作られたゴブレット
(詩人とゴブレットの会話)

「おお、頭からかかとまで赤い、沈黙したゴブレットよ!
陶工があなたを世に出す前
陶工のろくろの上で
あなたがくるくる回されているとき
あなたはどのように感じたのか」
私は私の粘土の中に意識的な衝動を感じた
とても暖かくほてった
偉大なる陶工の手から
逃げ出そうという(衝動を)。
私は感じた
莫大な悲しみの感情が
私の現在の形へと
形作られるのを。
陶工のろくろの上で私が囚われ
この深紅のゴブレット-眠りへと形作られるのを目にした
かの宿命の時以前
私は感じていた
その根を私の胸の中深くに埋め込ませた
小さな花の香り高い友情を。
陶工は私から生き生きとした命を引き抜き
私の死である形を私に与えた。
ただ一本の花だけが私の胸を貫いて照り輝く
私の過去の不格好な自然な状態は最良だった。

粘土の水差し

道沿いの陶工の店の外で
辛抱強く列をなし、我々、粘土の水差しは立つ-
赤褐色に濁った黄金の空の下
売られるのを今か今かと待っている。

我々は言葉を持たないが、それでも我々は感じる
ひびはなくとも、我々の存在の法則に反するものを
形作るために、我々を型にはめた
陶工のろくろへの恨みを。

水差しはなるほど美しいが、それでも
美からさえも、我々は皆解放されるだろう
そして、大地へと滑り落ち、逃げ道を確保するだろう
形なる魅惑の圧制からの(逃げ道を)。

我々水差しの中には、存在することに飽き
陶工の店で落下し、粉々に割れるものもある。
哀れな物たち!土の器の青ざめた疲労に対して
陶工が何を気にかけようか。

形作る者、形作られる物

過ぎ去りし日、私は陶工だった
その指で従順な粘土を
ろくろの上で型へと流し込んだ。
しかし、今や、のちに勝ち得た知恵を通じて
その驕りは衰え
私は陶工であることをやめ
粘土になることを覚えた。

他日、私は詩人だった
人々の心を勝ち得るために
そのペンから無数の歌がもたらされた。
しかし、今や、私が長い間知らないでいた
新たに得た知識を通じて、
私は詩人であることをやめ
歌になることを覚えた。

私は剣の製作者だった、
今や過ぎ去りし日
百の戦場で
輝き、きらめき、光を放った。
しかし、今や、私は満ち溢れている
主の沈黙によって。
私は剣の作り手であることをやめ
剣になることを覚えた。

過ぎ去りし日、私は夢見る者だった
四方八方にエメラルドと真珠の
傲慢な言動を投げつけた。
しかし、今や、私はひざまずいている
至高者の足元に。
私は夢見る者であることをやめ
夢になることを覚えた。

 この後、私は、仕事の重圧でうめき苦しむ港湾労働者が抑えきれずに不満をぶちまける、彼の戯曲からの一節をバガヴァーンの前で朗読するよう(もしくは、むしろ、舞台上でのように演じるよう)H.C.に頼みました。H.C.はそのようにして、良い朗読がどれほど感動的になりうるのか皆が見て知りました。少し後、H.C.はバガヴァーンに尋ねました、「バガヴァーン、我々が時々、バガヴァーンの面前で涙に咽ぶように感じるのは、どうしてでしょうか」。バガヴァーンは微笑み、黙っていました。私は言いました、「そのように涙があふれ出すなら、それは良いことです。バガヴァーンに関してさえ、彼がここに来る前に、マドゥラの寺院の中の聖像の前に行き、立っていた時、何の喜びや苦しみの結果としてでもなく、純粋にバクティから、思わず涙が彼の目からよく流れ出たと記録されています」。バガヴァーンは、それに関して、親切にも付け加えて言いました、「ここに来た後さえ、そのようなことは起こりました。本から感動的な文章を読んだり、聞いたりした時でさえ、そのようなことは起こりました。どうやら感情的な涙の蓄えが我々のとても多くの中に潜んでいて、どんな都合の良い時にでも、もしくは、ほんのちょっとした事で、我々にはどうすこともできずに涙が湧き出すようです」。その後、バガヴァーンは、彼が22歳ぐらいで、ヴィルーパークシ洞窟に住んでいた時に起った出来事を、いつものごとく、とてもドラマチックに物語りました。彼は洞窟の近くの岩の上に座っていたようで、8歳か10歳ごろの少年がそこに来て、バガヴァーンを見ました。そのように若く元気な人が厳しい苦行の生活をしている光景に耐えることができず、とても心を痛め、彼は泣きじゃくり始め、しばらくの間、激しく泣きじゃくりました。バガヴァーンは言いました、「ただ私を見ただけで、彼が泣きじゃくる理由は何だったのか、なぜ涙が彼から流れ出たのか誰に分かるでしょうか」。その日の内に、バガヴァーンは引き続き昔を懐かしみ、またも8歳か10歳ごろの別の少年が、ヴィルーパークシ洞窟時代の別の日にバガヴァーンに会い、バガヴァーンをたいそう気の毒に思い、彼らの間で以下のような会話がなされたと言い足しました。バガヴァーンは洞窟近くの岩の上に一人っきりで座っていて、そこにその少年がやってきて、彼と出会いました。

 少年: そんな風に、どうしてここに一人っきりでいるんですか?

 バガヴァーン: 家で困ったことがあって、それで、こんな風に出て来たんです。

 少年: じゃあ、食べ物はどうですか。

 バガヴァーン: 誰かが私に何か食べるものをくれるなら食べます。

 少年: 僕には良い主人がいます。僕があなたを彼の所へ連れて行きます。最初、あなたは無料で奉公を申し出ないといけないかもしれません。彼があなたの仕事ぶりを認めるなら、彼はあなたに1日に3枚のパイをくれて、だんだんそれを6枚などにまで増やすでしょう。

 バガヴァーン: ええ、お願いします。

 バガヴァーンは言い足しました、「その少年が、彼が惨めな状態だとみなしたことを大変に心配していたこと、彼が純粋な大きな哀れみによって心動かされていたことに疑いはありませんでした」。

 バガヴァーンはまた、ハリジャンの老女の出来事を思い出しました。正午ごろのある日、彼が山を下って、うっそうとしたこぼこ道をぶらぶら歩いていると、彼女はバガヴァーンを呼び止め、言いました、「タミル語」。(「あなたに災いあれ!どうして一つの場所でおとなしくしていられないのか。」)

 バガヴァーンは、「ええ、これは良い助言です」と言い、そしてまた、当時その女性が教えたことを知らなかったことへの罰であるかのように、自分の頬をぴしゃりと打ちました。

 上述の出来事を話しながら、バガヴァーンは、最初その老女が彼をののしり始めたとき、彼はどうして自分がそれに値するのか理解できず、自分が何か無礼をその女性に働いたのかと唖然としたと言いました。

 これはT.S.ラージャゴーパラルに、バーラティと呼ばれるテルグ語の雑誌の中のミス・スーリーという人による文章を思い出させました。それをよく知らないハリンドラナース・チャットパディヤイと他の人々のために、バガヴァーンは再びその出来事を話し、我々全員を楽しませました。

 バガヴァーンは言いました、「ある日、マウニがタパル(郵便物)をいつものように持ってきました。私は新聞と雑誌を長椅子に置いて、手紙を見ていました。タパルを私に見せて、読んでから返すと言い、その号のバーラティを持って、マウニは講堂を離れました。少し後、彼は戻ってきて、その雑誌を長椅子の上に置いて、出て行こうとしていました。扉近くにいるとき、彼は突然言いました、「バガヴァーンは何という泥棒なのか!」。そして、私が彼にどうしてそう言ったのか尋ねる前に、彼はいなくなっていました。そのようにマウニに非難させるなんて、私は何をしたのだろうと私は不思議に思っていました。それはなんだか私の心に引っかかりました。バーラティの中の文章を読み、『おぉ、バガヴァーンは何という泥棒なのか』という、その一番最後の文まで来て初めて、私はその冗談の意味を理解できました」。

45年8月23日 午前10時

 8か月ほどここに滞在している、カラチ出身のクンダルラル・マハタニ氏が、全ての本がグルからのウパデーシャの助け以外、誰によっても何一つ達成しえないと強調していると、そして、彼は自らの探求のために、神が「私」として実現されうる心の静寂を得るためにバガヴァーンによって与えられた全ての指示を読んだが、彼個人にとって最良の方法は何かいまだに分からないと主張して、バガヴァーンに直接のウパデーシャを求めました。彼がそのようにお願いしたのは初めてのことではありませんでした。少なくとも以前に2回、一度目は6月で再び7月にも、彼はそうしていました。その時も今も、バガヴァーンは返答しませんでした。その紳士は非常に気落ちし、自分には答えを受け取る資格がないのか、自分が何か過ちを犯し、そのためにバガヴァーンが快く返答しないのか心配しました。

 その日のうちの午後、バガヴァーンは何か他の事柄に関連して、あるタミル語の詩に言及しました。その翻訳を見るために、45年8月24日に、マハタニ氏は私のノートを借りました。必要な教えを間接的に受け取ることは信奉者によくあることで、マハタニ氏はノートの中に彼に適した教えを見つけました。さらに、45年8月25日の午後2時ごろ、彼が昼寝をしているとき、彼は夢の中でヴィジョンを見ました。夢の中でバガヴァーンが現れ、サンスクリット語のスローカを引用し、それは「自らの探求よりも良いカルマやバクティは存在しない」という意味だと説明しました。彼は大いに喜び、その後、同じ夢の中で、別の信奉者がバガヴァーンに同じ質問をして、マハタニは彼に上述の答えを繰り返し、思う存分笑いました。25日にマハタニによって、このことはバガヴァーンに報告されました。

45年9月8日 午前

 ベズワーダ出身のスッバ・ラオ氏がバガヴァーンに尋ねました、「想像とヴィジョンの間の違いは何ですか」。

 バガヴァーン: 一方は自発的で、他方はそうではありません。しかし、究極的な分析においては、直近の現在ではありませんが、ヴィジョンでさえ自発的な領域に起源を持っていたはずです。

 スッバ・ラオ: 夢がそこに起源を持つようにですか。

 B: ええ。

 別の訪問者: 眠りの間の夢と同様に、我々の目覚めている生活もまた夢であると言われています。しかし、夢の中で、我々は夢を取り除き、目覚めようと意識的な努力をしませんが、夢それ自体は我々の側の何らの努力もなく終わりを迎えます。同様に、実際はもう一つの夢のようなものでしかない目覚めの状態が、どうしてひとりでに、我々の側の何らの努力もなく、終わりを迎え、我々にジニャーナ、真の目覚めを得させてはいけないのですか。

 B: あなたが目覚めの状態という、この夢を取り除こうと努力をしなければならないと考えること、そして、あなたがジニャーナ、真の目覚めを得ようと努力をすることは、全てその夢の一部です。あなたがジニャーナを得るとき、眠りの間の夢もなく、目覚めの状態もなく、ただあなた自身とあなたの真の境地だけがあることを知るでしょう。

 私はバガヴァーンに迫りました、「しかし、その質問への答えはどうですか。夢が消え失せ、我々を目覚めさせておくように、どうして目覚めの状態も、我々の側の何らの努力もなく夢のように過ぎ、我々にジニャーナを得させてはいけないのですか」。

 B: 夢がひとりでに消え失せると誰が言えますか。一般的に考えられるように、我々の過去の思い、または、カルマの結果、夢がやって来たのなら、おそらく同じカルマが、夢がどれほど続くべきか、その後どのように夢が終わるべきかも決めます。

 私はまだ満足していませんでした。そして、バガヴァーンとのさらなる会話の結果、目覚めの状態は、夢のようなものではあるが、次のことで眠りの間の夢と明確に異なると感じました。つまり、夢の間、それが夢であると決して我々の頭に浮かびませんが、目覚めの状態では本やグルから、何らかの現象から、それが結局夢でしかないかもしれないと主張し、理解することができます。このことから、ジニャーナに目覚めようと努力することが我々の義務であるのかもしれません。バガヴァーンが言うには、我々は目覚めるまで夢を夢と思いません;夢が続く間、夢はとても現実的に見えます;同様に、我々がジニャーナに目覚めるまで、この目覚めの状態は夢のように見えないでしょう。それでも、夢と目覚めの状態の間の上述の相違のために、我々の努力が要求されると私には思われます。

45年9月14日

 3日か4日前、引退した副裁判官、デーサーイ氏が、(ラマナ・ギーターの中に書いてあることに関して)バガヴァーンに尋ねました、「ラマナ・ギーターの中で述べられているように、我々がチッタ‐ジャーダ・グランティの切断を達成できるためには、どのようにプラーナ、つまり、命の流れをスシュムナー・ナーディーへと向けるのでしょうか」。バガヴァーンは言いました、「『私は誰か』探求することによって」。

 「ヨーギは、クンダリニーを目覚めさせ、それをスシュムナーに送り込むことを確かに目指しているかもしれません。ジニャーニは、それを目的としていないかもしれません。しかし、両者は同じ結果、生命の力をスシュムナーに送り込み、チッタ‐ジャーダ・グランティを切断することを達成します。クンダリニーは、アートマや自らやシャクティの別名でしかありません。我々は自分自身がこの体によって制限されていると思っているため、それが体の内側にあるものとして話します。しかし、それは実際、内部にも外部にもあり、自ら、もしくは、自らのシャクティに他なりません」。

 デーサーイ: クンダリニーがスシュムナーに上がるために、どのようにナーディーをわき立たせればいいのでしょうか。

 バガヴァーン: ヨーギは、その目的のために呼吸の制御、プラーナーヤーマやムドラーなどの方法を持ちますが、ジニャーニの方法は探求のそれだけです。この方法によって心が自らに溶け込むとき、自ら、そのシャクティ、または、クンダリニーは自動的に昇ります。

 次の日、ガーヤトリーの中のディーマヒーという言葉に関連して、訪問者がバガヴァーンに尋ねました、「その考えはどういう意味ですか。私は正しくそれを理解できません」。

 B: その言葉は、アハムを自らの中に据えるということを意味するだけですが、文字通りは「我々は瞑想する」という意味です。

 訪問者: 私は「タット」や「自ら」を思い描くことができません。では、どのように私はアハムをタットに据えるべきなのでしょうか。

 B: どうしてわざわざ、あなたが知らないタットを想像しなければならないのですか。あなたが知っている「私」を見出そうとしなさい-それは何か、どこから生じるのか。それで十分です。

45年9月16日 午後

 訪問者が尋ねました、「全くの初心者である者は、この(つまり、霊的な)道において何をすべきでしょうか」。

 バガヴァーン: あなたがこの質問をしたという事実こそが、あなたは何をすべきか知っているということを示しています。あなたは安らぎの不足を感じているため、安らぎを手に入れるための手段を講じたいと切望しています。私は足に少し痛みがあるため、(今)この軟膏を塗っています。

 訪問者: 安らぎを手に入れるために採用すべき方法とは何でしょうか。

 B: 目的地とそれへの道があるという考えは間違いです。我々は常に目的地、つまり、安らぎです。我々が安らぎでないという概念を取り除くことが、必要とされる全てです。

 V: 全ての本に、グルの導きが必要であると書かれています。

 B: グルは、今私が言っていることしか言わないでしょう。彼はあなたに、あなたがすでに持っていないものを何一つ与えないでしょう。誰にとっても、すでに得ていないものを得ることは不可能です。何かそのようなものを得るにしても、それがやって来たように去るでしょう。やって来るものは去りもするでしょう。常にあるものだけが後に残るでしょう。グルはあなたに、あなたがすでに得ていない新たなものを何一つ与えられません。我々が自らを実現していないという概念の除去が、必要とされる全てです。我々は常に自らです。ただ、それを悟っていないだけです。

 アーシュラマムの調剤師が、瞑想中の彼の体験についていくつか質問しました。バガヴァーンは、自らはいつも存在する唯一の現実であり、その光によって他の一切のものが見られると説明しました。我々はそれを忘れ、見せかけに集中しています。人々がそこにいるときも、いない時も、劇場で人々が何かを演じているときも、何も演じられていない時も、ホールの光はともっています。ホール、その人々、その演技を我々が見えるようにするのは、その光です。我々はその光によって現される対象物、もしくは、見せかけにとても夢中になっているため、その光に注意を払いません。物事が現れる目覚めの状態または夢の状態において、我々が何も見ない眠りの状態において、ホールのランプが常にともっているように、自ら、または、意識の光はいつもあります。なすべきことは、見られる物でなく、見る者に、対象物でなく、それらを現わすに集中することです。

45年9月18日 午後

 ベンガル人の一行が来ました。彼らの一人は、最近子供を亡くしました。彼はバガヴァーンに質問しました、「どうしてその子はそんなに若くして亡くなったのでしょうか。我々がこのように嘆き悲しまなければならないのは、彼のカルマでしょうか、それとも、我々のカルマでしょうか。

 バガヴァーン: その子が今世で使い果たさなければならなかったプラーラブダが終わり、そのため、その子は亡くなりました。そのため、我々はそれを子供のカルマと呼べるかもしれません。あなたに関する限りは、その子はあなたのものではなく、常に神だけのものであり、神が与え、神が連れ行くのだと確信し、それについて嘆き悲しまず、穏やかに、それに動じずにいることは、あなたに開かれています。

 そして、これに関連して、バガヴァーンは英語のヨーガ・ヴァーシシュタを持ち出し、プニャとパーヴァナの物語に言及しました。奇妙なことに、彼が何気なくその本を開くとき、彼の頭にある物語(のページ)で本が本当に開きます。そして、その本から、彼は私にその部分を読み上げるよう頼みました。そこで、プニャは彼の弟のパーヴァナに彼らの両親の死を愚かしく嘆き悲しまないよう助言し、パーヴァナが過去に無数の生まれを持ち、そのそれぞれで彼が多くの親族を持っていたこと、そして、彼が今、その親族全員の死を嘆いていないのとまさしく同様に、今、彼らの父の死もまた嘆くべきでないと指摘しました。

 その訪問者は尋ねました、「ある人がまだ子供のうちに亡くなり、別の人が長生きする時、そのどちらがより罪深いでしょうか」。

 B: 私には分かりません。

 私はその訪問者に、彼が与えた情報それだけでは、どちらがより罪深いのか誰にも判断できないと言いました。

 訪問者: ある人が長生きするなら、彼は実現に達するための手段を完成させるより多くの機会を得ます。

 B: 若くして亡くなるその人はすぐに生まれ変わり、その人生において、今世で長く生きる別の人より、実現に向けて努力するより良い機会を得るかもしれません。

 ある訪問者が尋ねました、「我々は一切の活動を放棄しなければならないと言われるとき、それは我々の活動をできる限り減らすべきであるという意味でしょうか」。

 B: 活動を放棄するとは、活動やその結果についての愛着を放棄すること、「私は行為者である」という概念を放棄することを意味します。この体が経験するためにやって来た活動は、経験されなければならないでしょう。人が何を好んでも、好まなくても、そのような活動を放棄することはありえません。

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