2014年8月22日金曜日

「プラパッティ・アシュタカム」 - シュリー・ジャガディーシャによる祈りの詩節

◇「山の道(Mountain Path)」、1985年10月 p269~271

貴重な遺品

 1945年ごろ、『Ramana Sahasranamam』の編集者、優れたサンスクリット語の学者であるシュリー・ジャガディーシャ・シャーストリは、大変深刻な病状にあり、寝たきりでした。みなが彼の生存を絶望視していました。彼を救うために、バガヴァーンの特別な介入が求められました。

 以下は、A.デーヴァラージャ・ムダリアールがこの出来事について書いたものです。「私がよくバガヴァーンの宮殿のサンスクリット語の詩人と呼んだジャガディーシャ・シャーストリは、プラパッティ・アシュタカムと呼ばれる詩節を記しました。彼は死の床にいて、この最後の懇願を詩(プラパッティ・アシュタカム)で記し、プラーラブダは一定の進路を進まねばならないというバガヴァーンによるいかなる弁解も決して受け入れず、ただバガヴァーンがそれを望みさえすれば、バガヴァーンの恩寵がプラーラブダを打ち消し、自分を救えると言明しました。バガヴァーンが彼を大変に憐れんだので、彼は死の淵から引き上げられました」。(『My Recollection』、p103)

 バガヴァーンがこの特別な祈りをどれほど重要視していたのか示すために、デーヴァラージャ・ムダリアールを再び引用しましょう。「これら(プラパッティ・アシュタカム)は、バガヴァーンの許可と勧めを得て、T.K.スンダレーサ・アイヤルによってタミル語に翻訳されました。私は糸綴(と)じの小さなノートを買い、1ページおきにサンスクリット語版とタミル語版を載せたいと思いました。私はサンスクリット語がタミル文字で書かれて欲しいと思いました。私は初めにタミル語の詩節を書き、サンスクリット語のために1ページおきに空白にしておきました。私はそれらを音訳でき、私のために音訳しようとしてくれる人が誰かいないか探していました。もちろん、私はわざわざバガヴァーンに私のためにそのような仕事をして頂こうとは思っていませんでしたが、私にとって普段通りに、会話の流れで、私はバガヴァーンに私の望みを話し、彼はすべての抗議を払いのけ、私からノートを取り、サンスクリット語の詩節をいつものように整った美しいタミル文字の詩節に写し、私に返しました。ノートは私のもとにあり、家宝として息子たちに譲られることになるでしょう」。(『My Recollection』、p86)

 信奉者たちが貴重な遺品として保存していたおかげで、シュリー・バガヴァーンの手書きの形で、ジャガディーシャ・シャーストリによる元々のサンスクリット語の詩節とT.K.スンダレーサ・アイヤルによるそのタミル語の翻訳の両方を以下に複写できることを我々はとてもうれしく思います。

プラパッティ・アシュタカム


ティルチュリに生まれた彼へ、私は委ねます
パーンダヤ国に戯れた彼へ、私は委ねます
アルナーチャラのなぞえに住む方へ、私は委ねます
タパスの辛苦に動じることのないビクシュへ、私は委ねます

TO HIM born in Tiruchuli I surrender
; to Him who sported in Pandya country, I surrender
; to the dweller on Arunachala slopes, I surrender
; to the bikshu unaffected by the rigours of tapas I surrender.


創造者から虫まで、全てに等しくある彼へ、私は委ねます
六種の感情の征服者へ、私は委ねます
知の本質の担い手へ、私は委ねます
限りない憐れみの御倉(みくら)へ、私は委ねます

To Him who is alike to all, from the Creator to the worm, I surrender
; to the subduer of the six passions, I surrender
; to the bearer of the essence of Knowledge I surrender
; to the store of unbounded mercy, I surrender.


全世界に勝る彼へ、私は委ねます
彼へ-ヴェーダが全世界と他の諸々であると語る彼へ、私は委ねます
一切をむさぼり食らう鰐(わに)、時(とき)への恐れを取り除くために
死を懲らしめる者へ、私は委ねます

To Him who surpasses the universe I surrender
; to Him — whom the Vedas say to be the universe and more, I surrender
; to the chastiser of death
in order to be rid of fear of the all-devouring alligator Time, I surrender.


欲楽の生の苦痛を克服する
知の体現者へ、私は委ねます
得意げなキューピッドによって引き起こされた熱病を阻むために
戯れに降りてきた、カーマの敵対者へ、私は委ねます

To the embodiment of Knowledge
which conquers the pain of sensual life, I surrender;
to the enemy of Kama come down in sport
to prevent the fevers caused by proud Cupid, I surrender.


厳密な生涯にわたる独身者へ、私は委ねます
カマンダルと杖の持ち主へ、私は委ねます
ブラフマーサナをしてディヤーナに安らう彼へ、私は委ねます
ブラフマンと一体である隠者へ、私は委ねます

To the strictly life-long celibate, I surrender;
to the holder of kamandalu and staff, I surrender
; to Him that rests in Dhyana on Brahmasana, I surrender
; to the Hermit at one with Brahman I surrender.


ハラへ、私は委ねます、不朽なるものへ、私は委ねます
独立の在り処へ、私は委ねます
はかり難い技量をもつ彼へ、私は委ねます
汚れのない知る者の中の第一人者へ、私は委ねます

To Hara I surrender ; to the never-decaying I surrender
; to the abode of Independence I surrender
; to Him of immeasurable skill I surrender
; to the foremost of spotless Knowers I surrender.


三種の苦しみ、不運、迷妄、カルマによって
引き起こされた熱を払い去る者へ、私は委ねます
真の決意を持ち、汚れなく
完全に満足し、最上の幸福を味わう彼へ、私は委ねます

To the dispeller of fever
caused by ill luck, three-fold ills, delusion, and karma, I surrender;
to Him of true resolve, no taint,
 perfect contentment and bliss, I surrender.


信奉者に安らぎをもたらす
穏やかなほほ笑みをたたえた顔へ、私は委ねます
ラマナへ-一切の苦痛を取り除き、喜びをもたらすがゆえ
そのように名付けられた彼へ、私は委ねます

To the face of gentle smile
that brings peace to devotees, I surrender
; to RAMANA —(Blessing) so named
because removing all pain He brings in joy, I surrender.  


至福の授け手であるシヴァへ、私は委ねます
あらゆる美徳の御倉(みくら)である師へ、私は委ねます
私のハートの蓮華に住まう方へ、私は委ねます
寄る辺であり、主へ、私は委ねます

To Siva the bestower of bliss, (I surrender)
(;)the Master, the store of all virtues, I surrender
; to the Indweller of my Heart-Lotus, I surrender
; to the Refuge and the Lord I surrender.


彼の祝福によって、彼の性質を得るために
他の全ての人々もまた、賢明にもラマナに委ねますように

May all others also wisely surrender to Ramana,
in order to gain His qualities, by His Blessings.


以下は、バガヴァーンの手書きのT.K.スンダレーサ・アイヤルによるタミル語の翻訳です。

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